第二章『農園の賢者と、鉄火場のジャンク飯』
究極の看板メニューと原価率の魔法
『三ツ星食堂・白雪』の朝は早い。
仕込みの合間、俺は厨房のステンレス台に寄りかかりながら、ブラックコーヒーを流し込んでいた。
手元の『エンジェルすまーとふぉん』の画面には、俺が独自に打ち込んだスプレッドシート(帳簿)が表示されている。
「……客単価、回転率ともに申し分ない。だが、ピークタイムのオペレーションが少しキツくなってきたな」
日商簿記1級の回路を回し、現状の課題を洗い出す。
今の看板メニューは『豚の角煮丼』だ。利益率は異常に高い(何せ肉以外の原価がルチアナのクレカ頼みだ)が、提供までの盛り付けに数秒のタイムラグが生じる。
国境地帯の荒くれ者たちは、常に腹を空かせた飢えた獣だ。一秒でも早く、胃袋にガツンとくるメシを大量に提供できる『究極の回転率特化メニュー』が必要だった。
「大量に仕込めて、よそるだけで提供でき、なおかつ強烈な中毒性を持つ料理……」
答えは、すでに出ている。
「マスター! おはようございますぅ! 今日の朝ごはんは何ですか!?」
「ダーリンおはよー! 私、お腹と背中がくっつきそうですぅ!」
厨房の奥から、元気な足音と共にリリスとリーザが顔を出した。
すっかり店に馴染んだ二人は、すでに制服のエプロン姿に着替えている。
「お前らの朝飯は、余った野菜で作ったまかないサンドイッチだ。表のテーブルに置いてある」
「「わぁーい!!」」
二人が歓声を上げて表へすっ飛んでいくのを横目に、俺はコーヒーの残りを飲み干した。
「……よし。決めたぞ。うちの店の絶対的な看板メニューは『カレーライス』で行く」
「カ、カレー……?」
サンドイッチを頬張りながら、リリスが不思議そうに首を傾げた。アナステシア世界には存在しない概念の料理だ。
「ああ。数十種類のスパイスを複雑に調合して作る、香りと旨味の暴力だ。一度食えば、脳髄にその匂いが焼き付いて、三日に一度は食いたくなる悪魔の食い物だよ」
「あ、悪魔の食い物……!?」
リーザがビクッと肩を震わせるが、その口元からはすでに涎が垂れている。
俺は調理衣の襟を正し、エプロンの紐を締め直した。
カレーの土台となる数十種類のスパイス……クミン、コリアンダー、カルダモン、ターメリックなどは、ルチアナの口座直結ネット通販で、地球の最高級品をすでにカートに入れてある。
「だが、ただの地球のカレーじゃ面白くねえ。どうせなら、この異世界の……ポポロ村の極上素材を組み合わせて、ここでしか食えない『特製スパイスカレー』に昇華させてやる」
俺の三ツ星シェフとしての探求心に、静かに火が点いた。
「おはようございます、優也さん♡」
ふいに、店の入り口から甘ったるい声がした。
振り返ると、村長のキャルルが人参柄のハンカチを握りしめ、ウサギの耳を揺らしながら満面の笑みで立っていた。相変わらず、朝から湿度の高いヤンデレオーラを漂わせている。
「優也さんが作る『カレー』……! それは私への愛の隠し味がたっぷり入った、特別なメニューなんですね!? 分かります、そのカレー、私が鍋ごと全額買い取ります!!」
「……バカ言ってないで村の仕事に行け。これは客に出すメニューだ」
「むぅ……他の女の胃袋を掴むのは許せませんが……優也さんがそう言うなら、仕方ありません。お仕事終わったら、一番に食べに来ますからね♡」
キャルルは俺の腕にぴとっと抱き着いてから、名残惜しそうに村役場の方へ去っていった。
(背後でリリスとリーザが「ひぃっ」と震えていたが、見なかったことにする)。
***
店の留守番を二人に任せ、俺はポポロ村の南側に広がる『農場エリア』へと足を踏み入れた。
緩衝地帯という緊張感のある立地でありながら、この村の食料自給率を支える豊穣の大地だ。
土の香りと、草木の青々とした匂いが鼻をくすぐる。
ここには地球にはない、特異な生態を持つ『狂気の野菜たち』が自生、あるいは栽培されている。
「ギャァァァァァァッ!!」
「こら待て! 逃げるなァッ!」
農道を歩いていると、目の前を奇妙な生物が猛スピードで横切った。
二本の根っこ(足)を器用に動かして爆走するオレンジ色の物体……『人参マンドラ』だ。その後ろを、虫取り網を持った農家のおじさんが必死の形相で追いかけている。
「……相変わらず、ファンタジー通り越してカオスな光景だな」
俺は嘆息しながら、ポケットからLarkを取り出して火を点けた。
ポポロカレーに必要な異世界素材。
旨味と甘みを底上げする『太陽芋』と『たまんねぎ』。そしてメインの肉となる『シープピッグ(羊豚)』のブロック肉。
市場で買ってもいいが、最高のカレーを作るには、生産者から直接「一番状態の良いモノ」を仕入れるのが三ツ星の流儀だ。
それに、この農場には、それらの極上野菜を管理している『主』がいると聞いている。
紫煙を細く吐き出しながら、俺は農場の最奥……ひと際高くそびえる大樹の木陰へと向かった。
そこには、麦わら帽子を深く被り、口に太い葉巻を咥えた、巨大な『樹人』が、古びたロッキングチェアに揺られて座っていた。
「……ほう。見ねぇ顔だな。よそ者が俺の畑に何の用だ?」
樹人は、咥えた葉巻から紫色の煙を吐き出しながら、ギロリとこちらを睨みつけた。
ポポロ村の農場の守り神にして、突然変異のバグ個体『ネギオ』。
俺は物怖じすることなくネギオの正面に立ち、自分のLarkの灰を携帯灰皿に落とした。
「あんたが育ててる、一番美味い『たまんねぎ』と『人参マンドラ』を譲ってくれ。俺の店で、最高のメシにする」
ネギオは俺の言葉を聞くと、喉の奥で「クックッ……」と皮肉げな笑い声を漏らした。
「ハッ。威勢のいい小僧だ。だがな、俺の育てた芸術品は、そこらの馬の骨には売らねえ。俺から野菜を引っこ抜きたきゃ……『言葉』で俺を負かしてみな」
ネギオが指を鳴らすと、地面から彼自身の体の一部である、鋼鉄のように硬い『ネギカリバー』がニョキリと生え出した。
「さあ、始めようぜ。究極の論破ゲーム(哲学問答)をよォ!」
俺は小さく息を吐き、ポケットの中のコーヒーキャンディに指を触れた。
どうやら、ただの買い出しでは終わらせてくれないらしい。
「……いいだろう。相手になってやる」
三ツ星シェフと、毒舌樹人の、プライドと野菜を懸けた奇妙な舌戦が幕を開けようとしていた。




