監査
監査当日。
商業ギルド本部、会計室には、朝から、緊張した空気が満ちていた。
長机に、三派閥の帳簿が、それぞれ積み上げられている。
赤――イフリル。
青――モイスト。
黒――ベタ。
立会人として、冒険者ギルド長と、街の代表評議員が、既に着席していた。
「これより、三派閥合同の、帳簿監査を開始する」
進行役の声が、静かに響く。
ユノたちは、モイスト側の後方に、控えていた。
「……始まったな」
ガインが、小さく呟く。
その表情は、朝から、ずっと硬いままだった。
監査は、地道な作業だった。
一冊ずつ、帳簿が開かれ、数字が、丁寧に照らし合わされていく。
時折、担当者たちの間で、確認のやり取りが交わされる。
「……この項目、詳細は?」
「輸送費用の、内訳です」
「こちらの記録と、少し差異が」
「確認いたします」
淡々とした時間が、過ぎていく。
だが、その静けさの中に、確かな緊張が張り詰めていた。
昼を過ぎた頃、一つの動きがあった。
「……この記録」
立会人の一人、評議員の女性が、モイストの帳簿の一部を、指し示す。
「五年前の、資金の出入りに、不自然な点があります」
会計室の空気が、一気に張り詰めた。
ガインの肩が、わずかに強張るのが分かった。
「詳しく、伺えますか」
進行役が、促す。
「この時期、ダリオス・ヴェイン氏の名で」
「複数の、寄付という名目の資金が、記録されています」
「額としては、決して大きくない」
「だが、頻度が、不自然です」
その名前が出た瞬間、赤の席、そして黒の席からも、微かなざわめきが起きた。
「モイスト側、説明を求めます」
進行役が、モイストの上役に、視線を向ける。
年配の女性が、静かに立ち上がった。
「……その資金については」
「当時の記録を、精査した結果」
「不明瞭な点があることを、我々も、把握しています」
「隠すつもりは、ありません」
「むしろ、この監査を通じて」
「明らかにしたいと、考えています」
正直な答弁だった。
だが、それだけに、赤の席から、鋭い声が飛んだ。
「都合よく、聞こえますな」
イフリルの代表、マルコス・ヴォルグレンだった。
隣町で聞いた名前が、ここで、実際の姿を伴って現れた。
厳格な顔つき、鋭い眼光。
「モイストが、この五年、ダリオス殿から」
「便宜を、受け続けていたのでは?」
「それは、事実誤認です」
モイストの上役が、毅然と返す。
「受け取っていたのは、事実です」
「だが、その意図までは、我々も、把握していません」
「まさに、それを、今、解明しようとしている」
進行役が、間に入る。
「イフリル側の帳簿にも」
「同様の記録が、見つかっています」
その一言に、マルコスの表情が、初めて、揺らいだ。
「……何だと」
「詳細は、これから確認しますが」
「同時期、同じ名義で」
「資金が、流れている形跡があります」
会計室が、大きくざわついた。
三派閥、全てに。
その事実が、改めて、公式の場で、確認された瞬間だった。
黒の席、セファルは、静かに、その様子を見つめていた。
表情は、変わらない。
だが、その目には、確かな緊張が滲んでいた。
ユノは、その様子を、じっと見ていた。
「……いよいよ、だな」
小さく、呟いた。
「……この記録を、ご覧いただきたい」
進行役が、机の上に、三冊の帳簿を並べ直す。
補佐官が、それぞれの該当ページを、開いていく。
「イフリル側、五年前の記録」
「毎月、決まって、月初めに」
「『南方交易協力金』という名目で」
「銀貨にして、およそ二十枚」
「モイスト側も、同様です」
「『物流調整費』という名目で」
「同じく、月初めに、銀貨二十枚前後」
「ベタ側は」
「『仲介謝礼』として、記録されています」
「額は、やや変動がありますが」
「平均すると、銀貨十五枚程度」
三つの数字が、並べられる。
「合わせて、月に、銀貨五十五枚から六十枚ほど」
「これが、五年前の、およそ一年間」
「継続して、流れていた計算になります」
「……その資金の、出所は」
評議員の女性が、確認する。
「全て、同一の口座からです」
「口座名義は、当時、既に匿名化されていました」
「ですが」
進行役が、続ける。
「口座の開設記録を、遡ったところ」
「開設者は、ダリオス・ヴェイン氏本人であることが」
「確認できました」
会計室に、重い沈黙が落ちる。
「……月に、銀貨六十枚」
ユノが、小声で、レナに囁く。
「そんなに、大した額じゃない、ってことか?」
「決して安くはないけど」
レナが、首を傾げる。
「派閥を、丸ごと動かせるほどの額じゃ、ないと思う」
その疑問に、答えるように、ガインが、静かに口を挟んだ。
「額の問題じゃない」
「毎月、決まった日に」
「三派閥、全てに」
「同じように、資金を渡し続けた」
「それ自体が、意味を持つ」
「継続的な、繋がりの証明――ってことか」
「ああ」
「金額は、少額に見えても」
「五年間、途切れず続けば」
「それは、単なる寄付じゃない」
「明確な、意図を持った、関係の維持だ」
その時。
「――一点、よろしいでしょうか」
セファルが、静かに立ち上がった。
会計室の視線が、一斉に集まる。
「ベタの記録を、確認したところ」
「資金の受け取り担当者が、記されています」
「当時の、経理責任者の署名です」
進行役が、該当箇所を、確認する。
「……この署名は」
「現在の、ベタ内部にも」
「同じ人物が、在籍しています」
その言葉に、黒の席が、微かにざわついた。
「名を、伺えますか」
「ゾルド・ハーレン」
「現在は、渉外担当理事を、務めています」
セファルの声は、淡々としていた。
だが、その一言が、会計室の空気を、一変させた。
ガインが、素早く、モイストの帳簿を確認する。
「……モイスト側の、当時の署名は」
眉を寄せながら、ページをめくる。
「……レイナルド・ウィッシュ」
その名前に、ユノとティナが、同時に、視線を交わした。
隣町で聞いた、話が、頭をよぎる。
「イフリル側の、当時の署名は」
進行役が、赤の帳簿を確認する。
「……この名前」
補佐官が、そっと耳打ちする。
進行役の表情が、わずかに硬くなった。
「ダレン・ヴォルグレン」
その瞬間、ユノとレナ、ティナの三人が、思わず顔を見合わせた。
隣町で見た、あの鋭い目の男。
ヴォルグレン家の、当主の右腕。
彼が、五年前から、この資金の受け渡しに、関わっていた。
「三派閥、それぞれに」
「五年前から、同じ資金を、受け取り続けていた人物が」
「今も、それぞれの派閥の、中枢に、残っている」
進行役の声が、会計室に、重く響いた。
ゾルド・ハーレン。
レイナルド・ウィッシュ。
ダレン・ヴォルグレン。
三つの名前が、揃った瞬間だった。
「――『三つの鍵』」
ティナが、小さく、呟いた。
その声は、誰にも聞こえないほど、小さかった。
だが、確かに。
物語の輪郭が、はっきりと、その姿を現し始めていた。




