エルフの里
森は、深く、静かだった。
木々の隙間から差し込む光が、緑の絨毯の上に、淡い模様を描いている。
エルフの里――ラティレスは、その森の奥深くに、ひっそりと佇んでいた。
大樹を中心に、枝葉に沿うように築かれた住居。
人間の街とは、まるで違う時間の流れが、そこにはあった。
里の中心、大樹の根元にある集会所で、長老イルシェアは、一通の手紙を手にしていた。
古びた紙。
だが、その文字は、確かに見覚えのあるものだった。
「……ティナ」
小さく、名前を呟く。
側にいた若い戦士、レイフォンが、その様子に気づいた。
「長老、何か?」
「……ティナから、手紙が届いた」
その言葉に、レイフォンの表情が、わずかに動いた。
「あの子から……」
数年前、ティナが、闇商人に攫われた。
里全体が、騒然となった夜のことを、レイフォンは今も鮮明に覚えていた。
その後、行方は分からないまま、時間だけが過ぎていった。
「……無事、だったんですね」
「ええ」
イルシェアは、手紙を、丁寧に開いた。
文字を、ゆっくりと目で追っていく。
その表情が、次第に、強張っていった。
「……長老?」
「……五年前の、取引のことを、聞いている」
イルシェアの声が、わずかに震えた。
「ダリオス・ヴェイン」
その名前を、久しぶりに口にする。
同時に、遠い記憶が、鮮明に蘇ってきた。
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五年前。
里に、一人の人間の男が訪れた。
商業ギルドの最高幹部、ダリオス・ヴェイン。
丁重な使者を通し、面会を求めてきた。
エルフの里が、人間との接触を、基本的に拒む中で、それは異例のことだった。
「……なぜ、面会を許した」
当時、若い戦士だったレイフォンが、疑問を口にしたのを、イルシェアは覚えている。
「あの男が、持ってきた話が」
「里にとって、無視できないものだったから」
イルシェアは、静かに、当時のことを、レイフォンに語り始めた。
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ダリオスは、丁重な態度で、集会所に招かれた。
「……単刀直入に、申し上げます」
「私は、ある『力』を、探しています」
「古い伝承に伝わる、封じられた存在に関する」
その言葉に、イルシェアは、警戒を強めた。
「……何のために」
「守るためです」
ダリオスは、静かに答えた。
「その力が、悪用されれば」
「世界に、大きな災いをもたらす」
「私は、それを、未然に防ぎたい」
「商業ギルドの人間が、なぜ、そこまで」
「私個人の、信念です」
「ギルドとしての利害とは、関係ありません」
イルシェアは、しばらく、その男を、じっと見つめた。
嘘を、言っているようには、見えなかった。
だが、全てを、信じられるわけでもなかった。
「……その力について」
「里に伝わる、知識を求めている、ということですか」
「はい」
「特に、封印に関する、古代の術式」
「エルフ族にしか、伝わっていないものがあると」
「聞き及んでいます」
イルシェアは、少し考えてから、口を開いた。
「……確かに、里には、そういった伝承がある」
「だが、それを、外部の者に渡すことは」
「簡単には、決められない」
「承知しています」
ダリオスは、深く頭を下げた。
「時間を、いただいて構いません」
「里の意向を、尊重します」
その丁寧な態度に、イルシェアは、わずかに心を動かされた。
だが、同時に、一抹の不安も、拭えなかった。
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その後、数ヶ月にわたり、ダリオスは、何度も里を訪れた。
少しずつ、信頼関係が、築かれていった。
彼が語る、封印の力についての話。
それは、遥か昔――エルフ族が、まだ人間と深く関わっていた時代の、伝承に繋がるものだった。
「……『竜の血を継ぐ者』」
集会での議論の中で、その言葉が、何度も交わされた。
「かつて、暴走した力を、封じるために」
「エルフの祖先が、術式を編み出した」
「その術式の一部が、里の宝物庫に、眠っている」
長老たちの中で、意見は割れた。
「外部に、渡すべきではない」
「だが、悪用を防ぐためなら」
「協力する意味はある」
議論は、長く続いた。
最終的に、イルシェアを含む長老たちは、条件付きで、協力することを決めた。
「術式そのものは、渡さない」
「だが、封印を、より確実にするための、助言なら」
「与えることができる」
その決定を、ダリオスに伝えた日。
彼は、深く感謝し、こう言った。
「……この件は、決して、悪用しません」
「必ず、平和のために、使います」
その言葉を、イルシェアは、信じた。
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だが。
取引が、正式に結ばれる、直前だった。
商業ギルドから、突然の連絡が入った。
「ダリオス・ヴェイン、辞任」
「取引は、白紙とする」
理由は、明かされなかった。
里との連絡も、そこで、途絶えた。
「……何があったのか」
イルシェアは、何度も、真相を探ろうとした。
だが、商業ギルドは、頑なに口を閉ざした。
ダリオス自身も、以降、一切、姿を見せなくなった。
「……裏切られたのでしょうか」
当時、レイフォンが、そう問うたのを、イルシェアは覚えている。
「分からない」
「だが、あの男が、嘘をついていたようには」
「どうしても、思えなかった」
真相は、闇の中に消えた。
そして、里は、それ以降、より一層、人間との接触を避けるようになった。
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「……それが、五年前の話」
イルシェアは、レイフォンに、静かに語り終えた。
「ティナは、その続きを、知りたがっている」
「あの子は、何を、掴もうとしているのでしょう」
「分からない」
イルシェアは、手紙を、そっと机に置いた。
「だが、放っておけば」
「同じことが、繰り返されるかもしれない」
「返事を、書きましょう」
「知っていることは、全て」
レイフォンが、静かに頷いた。
「ティナが、無事であることが、まず、何より」
「ええ」
イルシェアは、新しい紙を、手に取った。
筆を、ゆっくりと、走らせ始める。
五年前の、真実を。
そして、あの日、途絶えた取引の、裏にあったかもしれない、危険について。
窓の外、森の緑が、静かに風に揺れていた。
遠く離れた、ヘルメリアの街で、自分の孫のような存在が、同じ真実を、追い求めている。
イルシェアは、その事実に、複雑な想いを抱きながら、丁寧に、言葉を紡いでいった。
「……竜の血を継ぐ者、か」
小さく、呟く。
その言葉が、遠いヘルメリアの地下で、静かに眠るものと、確かに繋がっていることを、イルシェアは、まだ知らなかった。




