井戸
翌朝、四人はガインと共に、旧市街へ向かった。
大通りの賑わいから離れるにつれ、街並みは少しずつ古びていく。
石畳にひびが入り、建物の壁も、色褪せていた。
「……ここが、旧市街か」
ユノが、周囲を見渡す。
「ヘルメリアが、まだ小さな街だった頃の名残だ」
ガインが、説明する。
「今は、あまり人も住んでない」
「商業ギルドが発展するにつれて、街の中心が、移っていった」
道端に、崩れかけた噴水があった。
かつては、水が流れていたのだろう。
今は、乾いたまま、静かに佇んでいる。
「……この辺りに、水路網の名残が、多く残ってる」
しばらく歩くと、古い井戸が見えてきた。
蔦が絡まり、周囲には、雑草が生い茂っている。
「……これが?」
レナが、少し拍子抜けしたように言う。
「見た目は、ただの古い井戸だな」
「表向きは、な」
ガインが、井戸の縁に近づく。
木製の蓋を、慎重に持ち上げた。
中を覗き込むと、思ったより広い縦穴が続いていた。
石造りの壁に、等間隔で足場が刻まれている。
「……人が、通れるようになってる」
ユノが、覗き込みながら言う。
「ただの井戸じゃ、こうはならない」
ティナが、暗闇に目を凝らす。
「……下の方、何か、空気の流れがある」
「繋がってる証拠だな」
ガインが、頷く。
「今日は、様子を見るだけだ」
「無理に、下りない」
四人は、井戸の周囲を、慎重に調べ始めた。
「……この石、他と違う」
ティナが、井戸の外壁の一部を指す。
古い刻印があった。
「エルフの文字か?」
「ううん」
ティナが、首を振る。
「これは、違う」
「もっと、古い」
「人間の、古代文字だと思う」
「読めるか?」
「少しだけ」
ティナが、慎重に刻印を読み取っていく。
「……『封じし者、目覚めぬように』」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
「封じし者……」
レナが、小さく繰り返す。
「帳簿の、『眠れる者』と、同じことを指してるのか」
ユノが、低く呟く。
「可能性は、高い」
ガインの声も、緊張を帯びていた。
「つまり、この下に」
「何か、封じられてる」
その時。
遠くから、足音が聞こえてきた。
複数の人間の気配。
「……隠れろ」
ガインが、素早く指示を出す。
井戸の陰、崩れた建物の影に、四人は身を潜めた。
近づいてくる足音。
覗き見ると、数人の男たちが、旧市街を、巡回するように歩いていた。
腕章は――黒。
ベタ派閥だった。
「……なぜ、ここに」
ユノが、小声で呟く。
男たちは、井戸の近くまで来ると、一度立ち止まった。
「……変わりないな」
「ああ、封は、まだ保たれてる」
その会話が、微かに聞こえてきた。
「封を、見張ってる……?」
レナが、驚いたように囁く。
「ベタが、この場所を、知っていた」
ガインの表情が、険しくなる。
「セファルが、関わってるのか」
男たちは、しばらく周囲を確認した後、静かに立ち去っていった。
足音が、完全に消えるまで、誰も動かなかった。
「……今の、聞いたか」
ユノが、低く言う。
「封を、見張ってる、って」
「ああ」
ガインが、険しい表情のまま頷く。
「ベタは、ただの中立派閥じゃない」
「この場所を、守る役目を、負ってる」
「ダリオスが、辞任する前に、任命したのかもな」
ティナが、井戸を、じっと見つめていた。
「……この下に」
「本当に、何かが、眠ってる」
第53話
「もう少しだけ、調べてみよう」
ガインが、周囲を見渡しながら言う。
「巡回が去ったばかりだ。しばらくは、戻ってこないはずだ」
四人は、井戸の周りに、慎重に散らばった。
「……この刻印、まだ続きがある」
ティナが、井戸の外壁を、丁寧になぞっていく。
苔と埃で、半分ほど文字が隠れていた。
袖で、そっと汚れを払う。
「……『三つの鍵、揃いし時』」
「『封は、解かれる』」
その一文に、全員が息を呑んだ。
「三つの鍵……」
レナが、繰り返す。
「まさか」
ユノが、低く呟く。
「三派閥のことか?」
「イフリル、モイスト、ベタ」
「それぞれが、鍵を持ってる、ってことか」
ガインの表情が、みるみる険しくなった。
「……もし、そうだとしたら」
「派閥を争わせて、消耗させるだけじゃない」
「誰かが、鍵を、一つに集めようとしてる可能性がある」
「三つ揃えば、封が解ける」
沈黙が、重く落ちた。
「……鍵って、実際に、何なんだろう」
レナが、不安げに聞く。
「物とは、限らない」
ティナが、静かに言う。
「エルフの伝承だと」
「『鍵』は、時々、比喩として使われる」
「特定の血筋、とか」
「特定の力を持つ者、とか」
その言葉に、ユノは、はっとした。
「……派閥の代表者、そのものが、鍵ってことか?」
「可能性としては、ある」
ティナが、頷く。
「ダリオスと、繋がりのある人物」
「それぞれの派閥に、一人ずつ」
「セファルが、その一人なら」
ガインが、低く言う。
「あとの二人は、誰だ」
「イフリルとモイストにも」
「同じような、繋がりを持つ人間が、いるはずだ」
その可能性に、四人は、しばらく黙り込んだ。
井戸の縁に、もう一度目を向ける。
「……この井戸自体は」
ユノが、慎重に言う。
「三つの鍵が揃うまで、封は解けない」
「つまり、今すぐ、何かが起きるわけじゃない」
「そうだといいけど」
レナが、まだ不安げだった。
「もう少し、周りを見ておこう」
ガインが、井戸から少し離れた場所を、指す。
「あそこに、古い石碑がある」
近づいてみると、風化した石碑に、うっすらと紋章が刻まれていた。
商業ギルドのものとは、明らかに違う意匠。
「……これは?」
「もっと古い、街の紋章かもしれない」
「ヘルメリアが、今の形になる前の」
ティナが、石碑の文字を、じっと見つめる。
「……読めない部分が多い」
「風化が、激しすぎる」
「でも、一つだけ」
指で、かろうじて残った刻印をなぞる。
「『竜の血、眠る地』」
その言葉に、ユノの肩が、微かに強張った。
竜。
ラグナルの存在が、頭をよぎる。
「……偶然、だよな」
「分からない」
ティナが、静かに答える。
「でも、この場所には」
「思ってたより、多くの意味が、重なってる気がする」
ガインが、腕を組み、じっと考え込んでいた。
「……今日は、ここまでにしよう」
「これ以上調べると、目立ちすぎる」
「戻って、今分かったことを、整理しよう」
四人は、頷いた。
井戸に、そっと蓋を戻す。
来た時と、変わらない、ただの古い井戸の姿に戻った。
だが、その下に眠るものの気配だけは、確かに、四人の心に残っていた。
旧市街を後にする道すがら、誰も、多くを語らなかった。
それぞれの頭の中で、様々な可能性が、渦を巻いていた。
三つの鍵。
竜の血。
眠る者。




