前日
調停の日、前日。
朝から、詰所の空気はいつもより張り詰めていた。
「今日中に、全部確認しておく」
ガインが、机に地図と進行表を並べる。
「大広間の配置、退路、それと」
「万が一の時の合図」
「万が一?」
レナが、少し不安げに聞く。
「調停の場で、荒事は滅多に起きない」
「だが、絶対とは言えない」
ガインの声は、淡々としていた。
だからこそ、余計に緊張感が伝わってくる。
「合図は、これだ」
懐から、小さな笛を取り出す。
「二回短く吹いたら、退避しろ」
「音、大きすぎないか」
「その場では、目立つ。だが」
「命より優先すべきものはない」
短く、きっぱりとした言葉だった。
ユノは、その笛を見つめながら、小さく頷いた。
「……分かった」
四人はそれぞれ、笛の音を一度確認した。
甲高く、はっきりとした音。
聞き逃すことはなさそうだった。
午後は、実際に衣装を着て、動きを確認することにした。
「……歩きにくい」
レナが、慣れない服の裾を気にする。
「普段の動きやすさとは、全然違うね」
「本番までに、少し慣れておいた方がいい」
ティナは、意外にも落ち着いた様子で、衣装を身につけていた。
「……里にいた頃、似たような格好、してた」
「そうなのか?」
「儀式の時、とか」
ティナの声は、静かだった。
だが、その中に、複雑な感情が滲んでいるのが分かった。
エルフの里を出て、今、こうして別の場所で、似たような衣装に袖を通している。
その巡り合わせに、彼女自身も、何かを感じているようだった。
夕方、最後の確認として、大広間の外観だけでも見ておくことになった。
商業ギルド本部。
昼間見ると、その威容がよく分かる。
石造りの荘厳な建物。
出入りする人々も、明らかに身なりが良かった。
「……明日、ここに」
レナが、建物を見上げて呟く。
「緊張するのも、無理ないな」
ユノも、同じ気持ちだった。
だが、不思議と、恐れはなかった。
昨日までの積み重ねが、少しずつ、覚悟に変わっていた。
宿に戻ると、それぞれ静かに、明日への準備を整えた。
装備の最終確認。
衣装を、丁寧に畳んで置く。
ラグナルは、いつもより大人しく、部屋の隅で丸くなっていた。
「……お前も、緊張してるのか?」
小さく撫でると、目を細めて甘えるように鳴いた。
ウールも、ラグナルの隣に、そっと寄り添っていた。
夜。
窓の外、ヘルメリアの明かりが、静かに揺れている。
明日、この街の均衡に関わる場に、自分たちは足を踏み入れる。
ユノは、しばらく夜空を見つめてから、静かに目を閉じた。
「……明日だな」
小さく呟いた言葉が、静かな部屋に溶けていった。




