秘密
詰所に戻ると、ガインはすぐに帳簿を机に広げた。
蝋燭の灯りが、古い紙面を照らす。
「……これを見てくれ」
ページをめくりながら、ガインが指す。
数字と印章が、几帳面に並んでいた。
「三派閥、それぞれに一定額」
「毎月、同じ日に、同じ人物から」
ユノは、記録を目で追った。
金額は、少なくない。
だが、突出して多いわけでもない。
「……絶妙な額だな」
「ああ」
ガインが頷く。
「多すぎれば怪しまれる」
「少なすぎれば意味がない」
「派閥を、ぎりぎり操れる額だ」
レナが、印章の部分を覗き込む。
「この印……誰なの?」
ガインは、少し間を置いてから答えた。
「ダリオス・ヴェイン」
「商業ギルドの、元最高幹部だ」
「元、ってことは」
「五年前に、表向きは引退してる」
「病気を理由に、な」
ガインの声に、苦さが滲む。
「だが、生きてる形跡が、こうして残ってた」
ティナが、静かに口を挟む。
「……何が目的なの」
「派閥を、争わせて」
「その人に、何の得があるの」
もっともな問いだった。
ガインは、しばらく考え込んだ。
「……分からない」
「ただ、一つ言えるのは」
「三派閥が消耗すればするほど」
「得をするのは、その外にいる人間だ」
「外?」
「商業ギルドそのものが、弱体化すればどうなる」
ガインの目が、鋭くなる。
「街の実権が、揺らぐ」
「誰かが、その隙に、入り込む余地が生まれる」
部屋に、重い沈黙が落ちた。
ユノは、帳簿の最後のページに目を留めた。
そこには、他とは違う筆跡で、一言だけ書き添えられていた。
短い、記号のような文字列。
「……これは?」
「暗号だ」
ガインが、眉を寄せる。
「見たことのない形式だな」
ティナが、そっとその文字を見つめた。
わずかに、目を見開く。
「……これ」
「知ってるのか?」
「……エルフの、古い文字に、似てる」
その言葉に、全員の視線がティナに集まった。
「読めるか?」
「……少しだけなら」
ティナは、慎重に文字を追い始めた。
蝋燭の灯りが、静かに揺れていた。
ティナは、蝋燭を自分の方へ引き寄せた。
炎の揺らぎが、紙面に落ちる影を小さく揺らす。
「……少し、時間がかかる」
「大丈夫、急がなくていい」
ユノが静かに言う。
部屋の空気が、自然と静まった。
ティナは、指先で文字をなぞりながら、記憶を辿るように目を閉じた。
「……これは、古代エルフ語」
「今のエルフ族も、ほとんど使わない」
「儀式とか、特別な記録にしか、残ってない文字」
「なんでティナが読めるんだ?」
レナが、素直に疑問を口にする。
「……里にいた頃、少しだけ習った」
「まだ、全部は分からない」
「でも……この単語は」
ティナの指が、一つの文字列で止まる。
「『眠れる者』……多分、そういう意味」
「眠れる者?」
ガインが眉を寄せる。
「比喩か? それとも、実際に誰かを指してるのか」
「分からない」
ティナは、首を振る。
「でも、次のこの部分」
「場所を示す文字だと思う」
「……方角と、目印みたいなもの」
「地下、とか、深い場所、っていう意味の単語がある」
ユノは、地図を思い浮かべた。
ヘルメリアの、地下。
保管庫よりも、さらに深い場所。
「……もしかして」
「ダリオスは、ただ派閥を争わせてるだけじゃない」
「何かを、探してるのか」
「あるいは、守ってる」
ガインが、低く呟く。
「五年前に引退した理由」
「本当に、病気だったのか」
「それとも、何かを見つけて」
「表舞台から、姿を消したのか」
沈黙が落ちる。
ティナは、まだ文字を追い続けていた。
「……あと少し」
「最後の部分」
彼女の表情が、わずかに強張った。
「……どうした?」
レナが、心配そうに覗き込む。
ティナは、しばらく言葉を選ぶように黙っていた。
「……この文字」
「エルフの中でも、限られた人しか、使わない」
「王族、とか」
「儀式を司る、特別な血筋」
「……つまり?」
「ダリオスは、多分」
「エルフと、何か関わりがある」
「それも、かなり深い」
その言葉に、部屋の空気が一段と重くなった。
商業ギルドの元幹部と、エルフ族。
一見、繋がりのない二つが、静かに交差していく。
ユノは、腕を組んで考え込んだ。
「……この街だけの話じゃなくなってきたな」
「ああ」
ガインも、帳簿を見つめたまま頷く。
「厄介なことに、な」
蝋燭の灯りが、揺れる。
夜は、まだ深かった。
だが、四人の頭の中には、それぞれ違う思考が渦巻いていた。
ダリオス・ヴェイン。
眠れる者。
地下深く。
エルフの血。
バラバラのピースが、少しずつ、形を持ち始めていた。
「……今夜は、ここまでにしよう」
ユノが、静かに言う。
「これ以上は、頭が回らない」
「そうだね……」
レナも、疲れた様子で頷いた。
外はもう、夜更け。
ヘルメリアの街は、静かに眠りについていた。
だが、その地下深くで、何かが確かに――息をひそめていた。




