聖者リュート_28
「お客様がお見えになっております。旦那様がお待ちですので、こちらへどうぞ」
翌朝、朝食を終えた私たちを迎えに来たのは、やはりエドガーだった。
ヘラルド様は、どうやらこの離れに立ち入る人を選んでくれているらしい。
その配慮には本当に感謝しかない。
リュートがじっと私の方を見た。
それに答えるように、軽く頷く。
ようやく、ヘラルド様が会わせたいという人物に会えるようだ。
案内された部屋では、ヘラルド様の隣に一人の男性が座っていた。
年はヘラルド様より少し若いだろうか。
燃えるような赤い髪に赤い瞳、それを引き立てるように落ち着いた濃い緑色の上着を着たその方は、私たちの姿を見ると、ヘラルド様との話を止め、こちらに顔を上げた。
「来たか。こちらへ」
ヘラルド様に促され、私たちは二人のいる卓のそばへと進む。
「紹介しよう。ヴァレリアン伯、アルター殿だ」
ヴァレリアン伯爵家の当主、アルター様
たしか国王陛下を支持する貴族の一人だったはずだ。
リュートは姿勢を正し、ヴァレリアン伯に丁寧に一礼する。
私もそれに倣う。
「初めてお目にかかります。リュートと申します」
「トーアの教会より参りました、トゥエと申します」
「アルター・ヴァレリアンだ。よく来てくれた」
ヴァレリアン伯は、まずリュートを、それから私を見た。
「このリュートが以前話した転生者だ。トーアの教会に信仰を取り戻した」
リュートはヘラルド様へ顔を向けた。
「オレが信仰を取り戻した訳ではありません。シスター・エメリアをはじめ、教会の皆さんのお力があってのことです」
「承知している。だが、お前がそのきっかけをつくったことは確かであろう」
リュートは軽く頭を下げ、それ以上は何も言わなかった。
「トゥエはシスター・エメリアの名代として来ている。こちらの世界に不慣れなリュートの補佐もしていてな。教会の経理にも明るい」
「なるほど」
アルター様の目が、改めて私へ向く。
「では、君にも話を聞いてもらうのが良さそうだ。ヘラルド殿にはよい人選をいただいた」
席を勧められ、私たちは二人の向かいの長椅子に並んで腰を下ろした。
エドガーが優雅な仕草でお茶を置き、静かに部屋を出ていく。
「トーアから遠路王都まで出てきてくれたと聞いている。道中、不便はなかったかね」
アルター様に訊かれ、私は頷いた。
「はい。ヘラルド様のご配慮で馬車も宿もご用意いただいて、道中快適に参りました」
「オルタにも泊まったそうだな」
「オルタでは、銀馬亭でお世話になりました」
「あそこなら、よく休めただろう」
リュートが顔を上げる。
「アルター様も、銀馬亭をご存じなのですね」
「あぁ、私の領内だからな」
そういえば、王都とトーアの間にあるヴァレリアン伯爵領には、オルタの街も含まれていた。
オルタは宿場町としてだけでなく交易の要でもあり、王都まで行かずにあの街で取引を行う商人も少なくない。
「あそこは街道が分かれるところだ。人も荷も多く通る」
「はい。朝から多くの荷馬車が行き交っていて、その賑わいに驚かされました」
「トーアの街からも、様々なものがやって来る」
ヴァレリアン伯はお茶の入った器を優雅な仕草で持ち上げた。
「やってくるのは品物だけではない。いろんな噂もな」
お茶へ手を伸ばそうとしていたリュートの動きが途中で止まった。
「ヴァレリアン伯爵は、オレの話についてもお聞きになっている、と」
「ああ。随分とな」
「それがよい話ばかりであれば、ありがたいのですが」
「さて、それはどうかな」
アルター様は、リュートに向かって少しだけ口元を緩めた。
「教会に人を集め、寄進を増やした転生者だという話もあれば、令嬢たちから小金を巻き上げる、うさん臭い男だという話もある。神託を受け、人々に神の威光と慈愛を説いている神の使いだという者もいれば、トノヴァ商会とつるんで金儲けをしているという者もいる」
リュートは一度口を開きかけ、閉じた。
それから、少し困ったように笑う。
「随分と違う話が伝わっているのですね」
「噂とは、そういうものだ」
「それで、ヴァレリアン伯爵は、どのようにお考えでしょうか」
「それを確かめるためにも、直接会って話がしてみたかったのだ」
リュートは背筋を伸ばしたままアルター様をじっと見ている。
アルター様はしばらくリュートを眺め、それから器を卓へ戻した。
「そう構えなくて良い。今日は君を問い詰めるために呼んだわけではない」
「はい」
「こちらから頼みたいことがある。もう少し気楽に話してくれも構わんし、私のことはアルターで良い。これから話すことについて、思うところを率直に話してくれ」
リュートがヘラルド様を見た。
ヘラルド様は、小さく頷く。
アルター様に対する礼儀については大目に見てくれるということだ。
リュートの肩が、少しだけ下がった気がする。
「それで、話というのは?」
「私には息子が三人いる。そのうちの三男、アルノートのことだ」
「ご子息のことですか」
「ああ。今は王都の教会で司教を務めている」
司教様。
教会のお話だとわかって、私は少し姿勢を正した。
「その教会で、何かあったんですか?」
「どうやら運営が上手くいっておらんようでな。頻繁に金が足りないと言ってくる」
アルター様は、そこで一度息を吐いた。
「一度や二度のことなら、私もここまで気にはせん。だが、いくら渡しても、すぐにまた足りないと言って無心にくるのだ」
「それは、本当に教会のためのお金ですか?」
「本人はそう言っている。食料が必要だ、薪を買わねばならん、教会の修繕をしなければならんと、毎度何かしら理由を挙げてな」
リュートは、じっと黙ってアルター様の話を聞いている。
「我が家も、教会へ寄付はしている。貴族として果たすべき務めでもあるからな。アルノートが司教をしていることもあって、もとより他の家よりも多く寄付しているはずだ」
「それでも、足りないって?」
「そうらしい。こちらとしては相応の額を出しているつもりだが、その上で何度も追加の寄付を求められる。このままでは、きりがない」
アルター様の口調には、ほとほと困り果てたような響きがあった。
「ご子息は、ずっと教会にいらっしゃるんですか?」
「いや。初めから聖職者になろうとしていたわけではない」
アルター様はひとつ、大きくため息をついた。
「アルノートは決して悪い男ではない。だが、平凡でな。三人の息子の中では、これといって秀でたところがない」
アルター様の話に、私はお茶の器へ目を落とすことしかできない。
まだお会いしてもいない司教様のことを、どう思えば良いのかわからなかったからだ。
「ヴァレリアン伯爵家を継ぐのは長男だ。次男は武芸に才があって、今はヴァルグレン侯爵の元で王立騎士団にいる。アルノートには婿入り先を探したが、本人が乗り気でなくてな。かといって、いつまでも家に置いておくわけにもいかず、王都の司祭にした」
「司祭に、ですか?」
「ああ。貴族にとって名誉だけはある役目だからな。その後、司教になったが、立場が上がっても、金のことで実家に頼るのは変わらん」
「それで、アルター様はオレに何をしろと?」
「君に王都の教会を調べて、立て直してもらいたい」
アルター様が、真っ直ぐにリュートの目を見る。
「トーア伯から、君がトーアの教会を復興させたと聞いた。その手腕を、こちらでも役立ててもらいたい」
部屋が静かになった。
昨夜、奥様がおっしゃっていた、リュートに力を貸してほしいというのは、このことだったのだろう。
けれど、アルター様の話にリュートはすぐには頷かない。
「その教会、普段はどれくらい人が来てるんですか?」
「知らぬ。私は王都の教会に、一度も足を運んだことがない」
「ヴァレリアン伯爵家以外からも寄付は入ってるんですよね?」
「その辺りは、アルノートに確かめてくれ」
「何にいくら使ってるかは?」
アルター様は眉間にしわを寄せた。
「必要だという話は聞いている。だが、教会の細かな勘定まで私が見ているわけではない。それはアルノートの責務だ」
リュートがちらりと私の方を見た。
私は小さく頷く。
「帳簿を見せていただければ、収入と支出は確かめられると思います」
「アルノートには、君たちに協力し、必要なものはすべて見せるように伝えよう」
アルター様は、再びリュートへ向き直った。
「どうだ。頼めるだろうか」
「まず、その教会を見に行ってもいいですか?」
「もちろんだ」
「ご子息にも会って、実際に話を聞いてみます。立て直せるかどうかは、それからで」
リュートの言葉に、アルター様が僅かに目を細める。
「トーアの教会で、できたことでもか?」
「トーアと同じようにやって上手くいくかは、まだわかりませんから。王都の教会で何が起こっているのか、先に確かめないと」
リュートの物言いを、アルター様はどう思っただろうか。
私は少し緊張しながらヘラルド様の方を見た。
だが、ヘラルド様はリュートの貴族に対しては非礼ともとれる言葉を叱ることもなく、落ち着いた様子で頷いている。
「アルター殿。まずは彼らに教会の様子を見てもらえば良いだろう。実態を知らぬまま引き受けられても、互いに困るだけだ」
「……そうだな」
アルター様は、眉間を軽く揉むと、またひとつ大きなため息をつき、卓の上へ目を落とした。
「私も、これまで金が足りないと言われるたびに渡しているばかりでは、何も変わらんと思っていた。そこに、トーアでの君の噂が聞こえてきたのだ。ヘラルド殿に是非引き合わせてほしいと頼みこんだ。だが、会えばすぐにでもなんとかしてもらえるだろうと考えたのは、いささか私が浅慮であった」
アルター様はそこで言葉を切った。
「改めて頼む。王都の教会の実態がどうなっているのかを調べて、できることならその経営を立て直してもらえないだろうか」
「必ずできる、とは、約束できません」
リュートは貴族であるアルター様からの依頼に、約束はできないと言う。
本来であれば不敬ともとられかねない態度だったが、彼はアルター様の目をしっかりと捉えたまま、言葉を続けた。
「ですが、実際に教会を見て、オレにできることがあるなら、やれるだけはやってみます」
「……それでかまわぬ。頼む」
リュートは深く頷いたあと、立ち上がって改めてアルター様へ礼をした。
ヘラルド様からの追って馬車を手配するとの声で、アルター様との面会は幕をとじた。
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次の更新は2026年10月15日(木)を予定しています。
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