聖者リュート_27
窓の外が暗くなり始めた頃、扉を叩く音がした。
「お食事の用意が整いました。食堂へご案内いたします」
エドガーの声に、リュートが顔を上げる。
私たちは身なりを整え、離れを出た。
廊下には明かりが灯されており、そのゆらめく光に私たちの影も揺れる。
エドガーの後を歩きながら、リュートは時折、扉や曲がり角へ目を向けている。
離れのマッピングは終わっても、こちらのお屋敷の中はまだ気になるらしい。
ひときわ背の高い大きな扉が開けられ、案内された食堂には、ヘラルド様とエレオノーラ様がすでに待っていらした。
「よく来たな。少しは休めたか」
「はい。おかげさまで」
「長い道中でしたものね。どうぞ、お座りになって」
奥様に促され、私たちは用意された席へ腰を下ろす。
卓にはきれいに磨かれた食器が並び、席の後ろでは、給仕が温かい料理を出す準備を整えている。
「この度は馬車だけでなく、宿までご用意いただき、ありがとうございました」
改めてお礼を申し上げると、ヘラルド様は軽く頷いた。
「こちらから呼んだのだからな。道中、不便はなかったか」
「はい。どちらの宿でも、とてもよくしていただきました」
「それは良かったわ」
エレオノーラ様が微笑む。
隣を見ると、リュートも頷いていた。
「ベッドも柔らかかったし、食事も美味しかったです」
「馬車には慣れたか?」
「……それは。もうちょっと、王都が近いとありがたかったです」
ヘラルド様の口元が緩む。
「そればかりはどうにもならんな」
「ですよね」
給仕が器に温かい汁物を注ぐと、美味しそうな香りを含んだ湯気がふわりと上がる。
ひと匙すくって口に運ぶと、やさしい野菜の甘みが口に広がった。
リュートもおいしそうに匙を進めていたが、しばらくすると、ヘラルド様の方へ顔を向けた。
「それで、オレが王都に呼ばれた理由を聞いても?」
ヘラルド様からお手紙が届いたときから、私もリュートもそのことがずっと気になっている。
領主様は、なぜわざわざリュートを王都まで呼んだのだろうか。
「明日、お前に会わせたい人物がいる」
「会わせたい人?」
「ああ。用向きは、その場で改めて話す」
「今じゃなくて?」
「本人から直接聞いた方が良いだろう」
リュートは匙を置いた。
「オレは、何をすればいいんですか?」
「そう急ぐな。まずは明日、会って話を聞くところからだ」
一体、何のお話だろうか。
それに、ヘラルド様がリュートに合わせたいという人物も、私には見当もつかない。
リュートがこちらを見たけれど、私も首を傾げることしかできなかった。
「リュート」
エレオノーラ様が、穏やかに声をかける。
「あなたの力を貸してあげてほしいの」
「オレの力、ですか」
「ええ。トーアで、あなたに助けられた方は多いでしょう。こちらでも、話を聞いて、何かできないか考えてもらえないかしら」
リュートは少し考えてから、頷いた。
「話は聞きます。でも、オレにできるかどうかは、話を聞いてからです」
「もちろんよ」
奥様は、気を悪くした様子もなく微笑んだ。
「今夜は、まず食事を楽しんでちょうだい」
汁物の器が下げられ、今度は肉料理が運ばれてきた。
給仕が温かい肉の塊を切り分けると、中からじわりと肉汁があふれてくる。
銘々に盛り付けられた肉に添えられた野菜も、柔らかく火が通っており、道中の宿で食べていたものとは、また違う美味しさがあった。
「これ、美味い」
「気に入ってもらえて良かったわ」
明日のことは気になりながらも、肉を口に運ぶリュートの手が止まらない。
美味しい料理に、私もだんだんと肩の力が抜けていくのを感じた。
「トゥエ。久しぶりの離れはどうだ」
ヘラルド様に声をかけられ、顔を上げる。
「はい。とても懐かしくて、エドガーさんとも、昔のお話をしていました」
「そうか。お前たちが使っていた頃から、大きくは変えておらんからな」
「窓から外を見ると、あの離れで父が戻ってくるのを待っていた時のことを思い出します」
ヘラルド様が、少し目を細めた。
「あの頃、お前の父はおまえのことでいつも気を揉んでいた。身体のことだけでも気がかりなのに、余計な話まで持ち込まれてな」
リュートの手が止まった。
「お前も、トゥエの身体のことは知っているのであろう」
ヘラルド様の問いに、黙って頷くリュート。
「あの時はどこで聞きつけたのか、珍しいものを手元に置くようなつもりでトゥエに縁談を持ってくる者がいたのだ。いくら断られても、諦めの悪い者もな」
淡々とした口調だったけれど、ヘラルド様の言葉の最後には少しだけ厳しい響きがあった。
「父だけでは、お断りしきれなかったと思います。あの時は本当にありがとうございました」
「トーアの領主としてお前たちを預かった以上、放ってはおけん」
私は膝の上で手を重ねた。
あの頃、父と二人でここにいられたことが、どれほどありがたかったのか、今になって改めてわかる。
「あれからもう三十年近く経って、今では、当時のことを知る者も少なくなっている」
ヘラルド様は、私とリュートを順に見た。
「だが、王都では何があるかわからん。もし気になることがあれば、どんなことでもエドガーに相談しなさい」
「はい」
「なにかあっても、自分たちだけで対応しようとせんで良い。あれはトゥエの事情も、当時何があったかもよく知っている」
リュートは何も言わず、ただ、じっとヘラルド様の話を聞いていた。
「それから、事情を知らぬ者には、トゥエはトーアの教会から来た使者だと話してある。シスター・エメリアの名代としてな」
「シスター・エメリアの、ですか」
「ああ。ここにいる間は、そのように振る舞ってもらいたい」
これは、領主様がまた私を守ろうとしてくださっているのだ。
今、ここにいる私の身分は、ただのトーア教会の者。
誰かに誰何されても、年を取らない転生者の娘ではなく、トーア教会から来たシスター・エメリアの代理、とだけ答えればよい。
その身分を、領主様が保証するとおっしゃっているのだ。
「かしこまりました。かさねてのご配慮に感謝いたします」
私は背筋を伸ばして答えた。
ヘラルド様は、その返事を聞いて頷くと、再び料理へ手を伸ばした。
奥様も、何事もなかったように私へ皿を勧めてくださる。
「さぁ、温かいうちに召し上がって。今日は、きっとお疲れでしょう」
私は頷き、食事を続けた。
いつの間にかリュートも、目の前の料理に向き直っている。
明日、誰と会うことになるのかはわからないけれど、少なくとも今は、この領主夫妻の心のこもった料理を楽しむべきだと思った。
食事を終えると、またエドガーが離れまで送ってくれた。
廊下を歩くリュートはずっと静かだったが、今度は明かりのついているところを、しきりに気にしているようだった。
「明朝、またお迎えに参ります。今夜はどうぞ、お休みくださいませ」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
エドガーが立ち去ったあと、リュートは部屋の中をひと通り見渡して、それからようやく長椅子へ腰を下ろした。
「結局、呼ばれた理由はちゃんと話してもらえなかったな」
「そうですね。でも、明日になればきっとわかりますよ」
「それはそうなんだけどさ」
リュートは腕を組んだ。
「伯爵サマだけじゃなくて、奥サマまであんなだと、どう考えても、ただ会って終わり、って感じじゃねぇよな」
「明日お会いする方は、何か困りごとがあって、リュートの助けが必要なのかもしれませんね」
「でもさ、それって、オレに何かできんのかな」
リュートに訊かれても、私に答えられる問いではない。
けれど、ヘラルド様や奥様がリュートへ向けていた目は、転生者である彼に何かを期待しているように見えた。
「まぁ、わかんないこと悩んでてもしょうがないし、もう寝るか」
「はい。馬車での三日間、お疲れ様でした」
「トゥエもな」
寝室へ入る前に、リュートが振り返った。
「それじゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
自分にあてがわれた寝室に入ってベッドに横になると、思っていた以上に身体が重い。
久しぶりの馬車での旅が、どうやら少し堪えたようだ。
目を閉じると、今日見た王都の街並みや喧騒が浮かんできた。
それだけではない。
身体は疲れているのに、この離れでの父との思い出や、リュートとの三日間の出来事が、とりとめなく頭の中を廻っている。
秩序なくいろんな出来事が渦巻いている頭で考える。
明日、ヘラルド様は、いったいリュートを誰に会わせ、どんな話を聞いてほしいのだろう。
せめて疲れた身体を休ませるために、私は寝具を引き寄せ、ベッドに深く潜り込んだ。
王都編というべき話がはじまりました。
次の更新は2026年10月13日(火)を予定しています。
この三連休の間、少しお時間をいただきますがご容赦くださいませ。
いつもお読みいただきありがとうございます。
みなさまにいただいた応援や評価がいつも励みになっています。
最後までお付き合いいただければ嬉しく思います。




