聖者リュート_26
三日目には、街道を行き交う人の数が目に見えて増えた。
荷馬車だけでなく、荷物を背負って歩く人や、馬に乗った人とも次々にすれ違う。
道の脇には小さな集落の並ぶところもあり、遠くからこちらの馬車を眺めている者もいる。
まだ寒々しい畑の向こうにも、家々の屋根が見える。
その間に走る細い横道から、街道へ出てくる荷車もある。
「もう王都?」
「まだです」
「なんか、家がいっぱいあるんだけど」
「王都の周りにも、人は住んでいますから」
リュートはじっと窓の外を眺めている。
「王都の近くってだけで、こんなに人がいるのか」
昼を過ぎた頃、建物の向こうに王都の城壁が見えた。
最初は、地平線の遠くに灰色の線のように見えていたそれは、近づくにつれてだんだんと高さを増していく。
リュートは窓際へ身体を寄せた。
「あれが王都か」
「はい」
王都の南門へ向かう道には、何台もの馬車が列をなしていた。
荷車を押す人夫や、籠を担いで歩いている人もいる。
私たちの馬車も一度止まったが、使者が門の兵士へ話をすると、これといった誰何もなく門の中へ通された。
巨大な門の下に入ると、石の壁に反射した蹄の音が大きく響き、門の影が作る暗がりを抜けると、今度は人々の喧騒が一気に聞こえてきた。
店先から客を呼ぶ声。
荷車を通すために、道を空けてくれと叫ぶ声。
通りには何階もある建物が並び、上の階の窓からは赤ん坊の泣く声が聞こえる。
その下を、人も馬車も、次から次へと通り過ぎていく。
「人、多いな」
「王都ですから」
「トーアも結構大きな街だと思ってたんだけどな。さすがにここのマッピングは無理かも」
馬車が角を曲がって、その次の通りにも沢山の馬車と人がひしめいていた。
それから、さらにいくつかの角を曲り、馬車は賑やかな通りから少しずつ離れていった。
馬車が王都の西の貴族街に入ると、目に見えて建物と建物の間が広くなり、塀と門の向こうに大きな屋敷が見えるようになる。
やがて馬車は、そのうちの一つへ入った。
トーア伯爵家の、王都のお屋敷である。
馬車を降りると、リュートはぐっと腰を伸ばしたが、出迎えの人がこちらへ来るのを見ると、何事もなかったように姿勢を戻す。
「お待ちしておりました。リュート様、トゥエ様」
深々と礼をして私たちを出迎えてくれたのは、伯爵家のエドガーだ。
髪が白くなってもわかる。あの灰青色の瞳と見上げるほどの背丈、そして、若い時から変わらない凛とした立ち振る舞い。
「おひさしぶりです。エドガーさん」
「ご無沙汰をいたしております。トゥエ様もお変わりなくお元気のようで何よりでございます」
「……この人と、知り合いなのか?」
「ええ、父の生前、こちらのお屋敷にお世話になっていたことがあるんです。その時もエドガーさんには本当にお世話になりました」
リュートが警戒した様子でエドガーの方を見る。
「先に申し上げておいたほうがよろしいでしょう。リュート様、私はトゥエ様のお身体のことを存じております」
エドガーの言葉に、流石のリュートも驚きを隠せない様子で、何かを言いかけては言葉が上手く出ずに口ごもっている。
「私の成長が止まったとき、父がヘラルド様にお願いして、王都のお医者様を紹介していただいたんです。その間、私も父も、ずっとこちらのお屋敷でお世話になっていたんです」
「あれからもう三十年近くになりますか。トゥエ様は本当にいつまでも若く、お美しいままでいらっしゃる」
リュートの手が、私をかばうように差し出される。
「大丈夫です。エドガーさんは信用できる方です」
「三十年前と今がおんなじって保証が、ドコにあんだよ」
「トゥエ様が頼もしい騎士をお連れのようで、安心いたしました」
噛みつくリュートを気にする様子もなく、礼節を崩すことなく話しかけるエドガー。
その落ち着き払った態度が、かえってリュートの警戒心を煽ってしまっている。
「お二人とも長旅でお疲れでございましょう。まずはお部屋にご案内させてくださいませ」
エドガーは二人分の荷物を軽々と持ち上げると、促すように歩みはじめた。
案内されたのは、お屋敷から廊下で続いている離れ。
そこは伯爵家への来客が長く逗留する際に使われるところで、昔、父と私が滞在したところでもある。
離れの扉を開けると、窓から入る光が、長椅子とその前の小卓を照らしている。
家具やそれらの置かれた場所は、私の覚えているものとほとんど変わっていなかった。
「懐かしいです」
「調度は幾つか入れ替えておりますが、お部屋の使い方は以前のままでございます」
エドガーが荷物を置く。
私は窓のそばへ駆けより、庭を眺めた。
父と一緒にここへ来た時にも、この窓から外を見たことを覚えている。
「トゥエ様は、よくそちらにお座りになっていらっしゃいましたね」
「覚えていらっしゃるんですか?」
「ええ。お父上がお戻りになると、すぐにお顔を上げられて」
なんだか、少し恥ずかしい。
振り返ると、リュートも私を見ていた。
「お茶をお入れいたしましょう。どうぞお掛けくださいませ」
勧められて長椅子へ座ると、リュートも隣へ腰を下ろした。
ただ、身体はエドガーの動きを追える方へ向けている。
まだ彼に対する警戒を解いてはいないらしい。
エドガーは慣れた手つきで茶器を並べ、お茶を注いだ。
器から立つ湯気と一緒に、柔らかな香りが広がる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ひと口飲むと、馬車で揺られていた身体が、ようやく落ち着いた気がした。
「父も、ここでよくお茶をいただいていましたね」
「はい。お戻りになっても、トゥエ様とお話をなさるまでは、なかなかお休みになりませんでした」
エドガーの口元に、僅かに笑みが浮かぶ。
「トゥエ様も、その日にあったことを、いつも楽しそうにお話しになっていらっしゃいました」
「……そうでしたね」
父がいつも座っていた場所へ、つい目が向いた。
「お茶も、あの頃と同じように感じます」
「お気に召しておりましたので」
「そんなことまで覚えていてくださったんですね」
嬉しくなって笑うと、隣でリュートが器を持ち上げた。
お茶を飲んでいるけれど、顔はあまり嬉しそうではない。
「リュート様、お茶はいかがでございますか?」
「……美味いよ」
「何よりでございます」
エドガーはそれ以上勧めることもなく、一歩下がった。
「では、私はこれで失礼いたします。お食事の時間になりましたら、お声をかけさせていただきます」
「ありがとうございます。エドガーさん」
「どうぞ、ごゆっくりお休みください」
離れの扉が閉まり、エドガーの足音が遠ざかる。
リュートは彼の足音が聞こえなくなって、ようやく長椅子の背にもたれた
「……ずいぶん仲いいんだな」
「昔、本当にお世話になりましたから」
なぜかリュートがじっとこちらを見ている。
「実は、私の身体がいつまでも変わらないことが、王都の一部の貴族に知られてしまったことがあって」
「うん」
「それを面白がって、結婚したいとおっしゃる貴族の方が、何人もいらしたんです」
リュートの眉が寄る。
「面白がって?」
「……年を取らない妻なら都合がいい、とか。子をなしたら、その子も年をとらないのか調べてみたい、とか」
当時の言葉をそのまま口にするのは、今でも少し抵抗がある。
「お断りしても、会えば気が変わるだろうとおっしゃって。父に何度もお話を持ってくる方もいました」
「なんだよ、それ」
「私がどう思っているかは、あまり気にされていなかったんでしょうね」
リュートが黙った。
私は膝の上で手を重ねる。
「その時、ヘラルド様が私たちを守ってくださったんです。お話はご自分を通すようにとおっしゃって、父や私が直接対応しなくていいようにしてくださいました」
「あの伯爵が」
「はい。エドガーさんも、私に会おうと押しかけてきた方々を誰も取り次がず、矢面に立ってくださいました」
庭へ出るのにも、誰かが待っていないかと、びくびくと気にしていた頃がある。
けれど、エドガーがそういった人たちを止めてくれていて、この離れにまで押しかけてくることはなかったのだ。
「私が安心して過ごせるように、気を配ってくださったんです」
「……そっか」
リュートは小卓の茶器を見た。
「じゃあ、トゥエの身体のことを知ってるのも、その時からなんだな」
「はい。ですから、あの方の前では隠さなくても大丈夫なんです」
「わかった」
わかったと言う割に、まだどこか不満そうなリュート。
「何か気になりますか?」
「いや。助けてくれたのは、いい人なんだろうけどさ」
リュートはそこで一度、言葉を切る。
「あの人、昔からあんな感じ?」
「落ち着いていらっしゃるところですか?」
「それも。あと、顔とか」
私はエドガーの若い頃を思い浮かべた、
髪の色は違っていたけれど、灰青色の瞳も、すっと伸びた背筋も、よく覚えている。
「ええ。お若い頃から、とても端整なお顔立ちでしたよ」
リュートが口を閉じる。
「たしかにお年は重ねられましたが、お変わりないと思いますけど」
「……ふうん」
自分から訊ねたのに、なぜか、聞かなければよかったような返事だ。
「あのタッパで、あの顔で、あの余裕かよ」
「何です?」
「なんでもねぇ」
リュートは残っていたお茶を一気に飲みほし、器を机に戻した。
「信用していいって話は、わかった。トゥエが世話になったのも」
「はい」
「でも、アイツを好きになれって言われたら、それは別だから」
「?」
なぜだか、よくわからない念を押されてしまった。
リュートは突然立ち上がると、部屋の入り口へ歩いていった。
扉の前で振り返り、今度は窓へ目を向ける。
「何をしているんです?」
「マッピング」
「王都は無理だとおっしゃっていませんでしたか?」
「王都全部は無理だけど。ここくらいなら、できるだろ」
窓へ近づき、庭と屋敷の位置を確かめる。
それから窓の留め具へ手を伸ばし、何度か開け閉めを繰り返す。
「昔、ここに泊まってたんだよな。向こうは?」
「寝室です」
「見てもいい?」
「これから使うお部屋ですから、どうぞ」
リュートは扉を開け、中へ入った。
私も後を追う
寝室の中では、ベッドの脇を通り、窓の前まで歩く。
窓から外を見てからまた振り返り、扉までの間にある家具を確かめていた。
そしてまた、隣の部屋でも同じように、端から端まで歩いていく。
「寝る前に、こんだけ様子がわかってたら楽だろ」
「夜中に起きた時ですか?」
「それも。あと、どこから人が来るかとか、外に出るならどっちかとか」
離れと屋敷をつなぐ廊下の前では、立ち止まって、来た道を見直している。
私はその隣で足を止めた。
「もしかして、エドガーさんを疑っているんですか?」
「そういうんじゃねぇよ」
リュートは廊下から離れの中へ目を戻した。
「いい人がいるからって、自分が何も知らなくていいわけじゃないじゃん」
そのまま、まだ見ていない部屋へ向かう。
扉を開け、窓を確かめ、戻ってくる。
私は先ほどの長椅子へ戻り、冷めかけたお茶を飲んだ。
離れの中を歩く足音が、近づいたり、遠ざかったりする。
ようやく満足したのか、リュートが戻ってきた。
リュートはもう一度入り口から部屋を見渡し、庭へ向いた窓を一度見て、頷く。
「よし。全部つながった」
「覚えられましたか?」
「うん。これで、ここならもう迷わねぇ」
ようやく私の隣へ腰を下ろす。
リュートは背もたれに深く腰掛け、ふ~っと長く息を吐いた。
私も背もたれへ身体を預けた。
窓の外で庭の枝が揺れている。
その向こうの屋敷も、ここへ続く廊下も、今はリュートの頭の中で、ちゃんとつながっているらしかった。
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