聖者リュート_25
翌朝、肌寒さを感じて目が覚めた。
隣のベッドを見ると、リュートももう起きているようだ。
「おはようございます」
「おはよー」
「よく眠れましたか?」
「うん。横になったら、すぐだった」
「寝心地はどうでした?」
「オレ、今、ベッドから出たくねえ」
そう言いながらもリュートは身体を起こすと、寒さで襟元を震わせていた。
朝食後、荷物と身なりを整えて宿を出た。
外へ出ると、ラーデンの街には朝の一層冷たい空気が満ちている。
宿の人にお礼を伝え、私たちは馬車へ乗り込んだ。
「いい宿だったな」
「はい。よく休めましたね」
馬車が動き始めても、リュートはしばらく窓から宿の方をずっと見ていた。
馬車はラーデンの街を出て、ゆっくりと街道を進んでいく。
道端の草には朝露が残り、車輪の通った轍の跡だけが土と砂をむき出しにしていた。
リュートは、昨日よりしっかりと膝掛けを引き寄せている。
「トーアって、あったかかったんだな」
「はい。ですから、貴族の方々が冬の間おいでになるんです」
「頭ではわかってたけどさ。実際に外に出てみて、なんか、本当にわかった気がする」
やがて街道は川沿いへ出た。
岸辺には背の高い草が生え、流れの緩やかなところでは、小さな舟が何艘か浮かんでいた。
向こう岸の木々はまだ葉が落ちた冬枯れのままで、枝の間から家々の屋根が見える。
馬車が橋へさしかかったところで一度止まった。
前を行く荷馬車が橋を渡っている最中だったのだ。
荷台には大きな樽がいくつも積まれ、御者が後ろを振り返りながらゆっくりと馬を進ませている。
次は私たちの馬車の番になって、御者が慎重に馬を御しながら橋を渡る。
馬車の窓から下を覗くと、水面が朝の光を反射して、キラキラと光っていた。
橋を渡った先は川沿いに続く小さな町。
トーアでは春らしい緑が見えていたけれど、こちらにはまだ土を起こしている畑も多い。
馬に鋤を引かせている人や、畑の端で籠を抱えて待つ人の姿もある。
午後には荷馬車とすれ違うことが増えた。
布をかけた大きな荷物や、木箱を幾重にも積んだもの、空の荷台を揺らしながらトーアの方へ向かう馬車もあった。
二日目の宿はオルタ。
オルタの街は、王都とトーア、そしてガルディア侯爵領を結ぶ街道の分岐点だ。
ここから王都まではまっすぐ北に向かう街道が伸びている。
逆に、オルタから南東に下ればガルディア侯爵領で、そこから王都に運ばれる小麦の多くはこの街を通る。
交易の分岐点らしく、街を行き交う荷馬車はこれまでと比べ物にならないほど多い。
また、宿屋が立ち並ぶ宿場通りには酒を出す店も多くあり、日が落ちても人々の声や荷馬車の音がざわめいていて、その活気で夜の寒さを一瞬忘れそうになる。
「なんか……立派すぎじゃね?」
「……どう見ても貴族用の高級宿ですね」
馬車が到着したのは、オルタにある宿の中でも貴族向けの高級宿だった。
『銀馬亭』と書かれた門の前では、馬車を降りた我々を亭主が出迎え、客室係がすかさず荷物を運んで行った。
「ようこそ『銀馬亭』へ。トーア伯爵様より大事なお客人がお泊まりになると伺っております。どうぞ我が家のようにごゆるりとお過ごしくださいませ」
流れるような挨拶から貴族に対する礼をとる亭主。
客室係に案内されたのは、どうみても従者や使用人がいる前提の、無駄に部屋数の多い客室だった。
「お食事はお部屋までお持ちいたします。どうぞおくつろぎくださいませ」
贅沢にも暖炉に火が入ったままになっている部屋のソファに腰かけると、すぐに温かいお茶が用意された。
お茶の隣には、リュートの愛用品として売り出していた焼菓子が添えられている。
温かいお茶に口をつけたリュートの動きが止まり、こちらに目配せをする。
私も器を手に取り、お茶を飲んだ。
それは、リュートがこの冬から愛用品として新たに売り出した、トーアのお茶だった。
部屋に運ばれてきた食事にも驚かされた。
温かい肉料理に焼き立てのパン。まだ寒い季節なのに新鮮な果物が美しく盛り付けられた器。
そして、当たり前のように注がれるリュートが好むとされている王都のワイン。
「お料理はいかがでございましたか?」
給仕の中でも一番身なりの整った男がリュートに声をかける。
「食事も果物もワインも、どれも本当においしかったよ。亭主にもそう伝えてくれる?」
令嬢たちに接するように、花を背負った満面の笑みで答えるリュート。
「ご満足いただけてなによりでございます」
給仕たちが食事の片づけを終え、部屋に二人だけになった途端、リュートは大きく息を吐いた。
「は~~~~。宿でまで接客モードは勘弁してくれよな~」
リュートが暖炉の前でソファに足を投げ出す。
「いくら美味しくても、格式ばった食事は気をつかいますよね」
「それもそうなんだけどさ。なんか……ちょっと気持ち悪い」
「気持ち悪い? ですか?」
「宿の人はオレのことを調べて、オレが過ごしやすいように色々準備してくれてるんだろうけどさ。なんか、お前のことは何でも知ってるぞ! って言われてるみたいで、なんか落ち着かない」
「貴族の方が使う宿は、そういった気配りができることが求められていますから」
「それにさ」
リュートはソファの上でぐっと伸びをした。
「なんかここの人、オレだけどオレじゃない人を見てるみたい」
どう答えていいのかわからなかった。
リュートの感じている違和感。それはおそらく、この宿が、トーア伯爵が配慮する客人としてのリュート、この宿に泊まった令嬢たちの目を通してのリュートを見ているからだ。
「今は誰も見ていませんから。無理に笑わなくてもいいんですよ」
「うん」
リュートはそう言って、ソファの背に深くもたれて上を向いた。
暖炉の薪がはぜて、小さな音を立てる。
「もしかして、王都に着いたらこんなのばっかかな」
「それは、お会いする方によるでしょうね」
「そっか。……でも、早く見てみたいんだよな、王都」
疲れた顔のまま笑うリュートに、私も頷いた。
「明日には着きますよ。でもそのためにはちゃんと休みましょう。明日も馬車ですから」
「それな。この部屋、ベッドが良すぎて朝起きられないかも」
翌朝、身支度を終えたリュートは、窓から通りを眺めていた。
荷馬車の音が、昨夜よりも近く、大きく聞こえる。
「朝からすげぇな。あれ、みんな王都に行くのかな」
朝食を済ませて荷物をまとめると、客室係が迎えに来た。
階段を下りる間に、リュートの背筋がすっと伸びる。
「ゆっくり休めたよ。ありがとう」
亭主に完璧な笑顔を向けた後、馬車に乗り込み、銀馬亭を出た。
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