聖者リュート_22
「領主様が戻られたそうです」
シスター・エメリアがそう話したのは、トーアに今年初めての霜が降りた日のことだった。
「明後日の朝、あなたとリュートを屋敷に連れてくるように、との仰せでした」
「わかりました。リュートにも伝えておきますね」
「トーア伯ヘラルド様は厳しいお方です。リュートさんのことをどのように思われるか、実は少し心配しています」
シスター・エメリアの懸念は理解できる。
トーア伯ヘラルド様……このトーアの領主にして国王派の伯爵のひとりだ。
ヘラルド様の治めるこの街は治安も良く、教会へも多くの寄進をいただいている。
奢侈を好まず、法や礼節に厳しいヘラルド様は、トーアの街に住んでいる者からすれば理想的な領主なのだが、リュートの性格を考えると二人の面会には一抹の不安がよぎる。
「初めて領主様とお会いするのですから、リュートには最低限の貴族への礼儀を覚えてもらいますね」
「ええ、よろしくお願いします」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やっと領主面会イベが来たか!」
なぜかリュートは喜んでいる。
「領主様に会えるのが嬉しいのはわかりますが、ヘラルド様は礼儀に厳しい方ですよ。あまりふざげないでくださいね」
「わかってるって。ここはオレもばっちりキメるトコじゃね?」
「だからふざけないでくださいって。ほら、貴族の方に対する正式な礼はこうやって、ちゃんと足を引いてください」
「それな。知ってる知ってる」
リュートは私がこれから教えようとした礼を、さらりとやってみせた。
右足をわずかに後ろへ引き、背筋を伸ばしたまま腰を落とす。視線は相手を見つめ続けるのではなく、かといって卑屈に床へ落とすのでもない。
「どうして知っているのです?」
「この前、礼拝に来てた女の子に教えてもらったからね」
「女の子?」
「ほら、あのマロンブロンドの、ご令嬢の中で一番最初に献金してくれたお嬢さん。あの子、オレが手をとって挨拶しようとすると『こちらでは殿方はそのように軽々しく女性の手に触れるものではありません』って、めっちゃ照れながら言うんだよ。じゃぁ、あなたのような高貴な方には、どのようにご挨拶すればよろしいでしょうか? って聞いたら、丁寧に教えてくれたぜ」
リュートはもう一度、今度は先ほどよりも優雅に礼をしてみせる。
たしかに、形としては申し分がない。
「あの子、教え方が上手いんだよ。オレが一回やって見せたら、細かいところをちょっと直してくれてさ。まぁ、前の仕事でも、店に来る子に合わせて立ち方とか座り方とか変えてたから。こういうのは慣れてる」
得意げに胸を張るリュート。
これなら、少なくとも形だけは領主様の前で恥をかくようなことはないだろう。
「あとは、言葉遣いにも気をつけてくださいね」
「わかってるって」
「領主様に向かって『マジ』とか言ってはだめですよ」
「言わねぇよ」
「今の言葉遣いも良くないです」
「はいはい」
「二回返事も駄目ですってば!」
……本当に大丈夫なのだろうか。一抹の不安が残る。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そうして領主様のお屋敷を訪ねる日の朝のこと。
少し早い時間に私たちは教会の入り口に集まった。
黒いケープを身につけた今日のシスター・エメリアは、いつも以上に姿勢が正しく見える。
リュートは、彼が持っている中で一番上等な服を身につけてきた。
服は清潔で、皺もきっちり伸ばされているのだが、王都から戻ったばかりの伯爵に面会する服装として考えれば、平民の服というのはどうしても見劣りしてしまう。
「大丈夫ですよ、トゥエ」
私の心情を察したのか、シスター・エメリアが安心させるように微笑んだ。
「ヘラルド様の場合は、身なりよりも礼を失しないことの方が大切でしょうから」
「なんだ? 緊張しているのか? トゥエ」
「ええ、一年に一度の領主様への面会ですから。リュートの方はもう少し緊張してください」
「してるって。これでも結構」
そう言いながら笑うリュートは、どうやっても緊張しているようには見えない。
三人で教会の前から続く道を下って大通りまで行き、そこで辻馬車を拾った。
領主様のお屋敷までは歩いて行けない距離ではないが、貴族の邸宅に正式な訪問をする場合は馬車を使うことが常識とされているからだ。
行き先を告げ、飾り気のない箱に乗り込むと、馬車は石畳の上をゆっくりと進み始めた。
領主様のお屋敷は街の東にある。
トーアの東は、領主様のお屋敷だけでなく、貴族の別邸が多くあるところだ。
トーアの街も決して雪が降らない訳ではないのだが、冬の王都のように降り積もった雪が凍てつくことがないため、避寒にやってくる貴族が多い。
そのためのお屋敷がこのあたりに集まっているのだ。
やがて馬車は大通りから外れ、落ち着いた屋敷の並ぶ一角へ入った。
その一番奥にあるのがトーア伯ヘラルド様のお屋敷になる。
高い塀に囲まれてはいるが、王都の城のようないかめしさはない。
領主一家が政務を執り行い、また、暮らすための館だ。
門の前でシスター・エメリアが名前を告げると、門衛にはすでに話が通っていたようで、私たちはすぐに館の中へ案内された。
磨かれた石の床に毛足の長い絨毯。
壁にはトーアの街と周辺の村々を描いた大きな絵画が掛けられ、その向かいには、歴代の領主の肖像画が並んでいる。
華美ではない。
けれど、使われている物はどれも質が良く、長く大切に使われてきたことがわかる。
ヘラルド様らしいお屋敷だと思う。
案内された部屋の前で、私はもう一度リュートを見る。
「くれぐれも失礼のないようにしてくださいね」
「わかってるって」
「リュート」
「ええ、わかっています」
言い直したリュートが、急に表情を変えた。
背筋を伸ばし、口元には穏やかな微笑みを浮かべている。
教会で令嬢たちを相手にする時とも違う、落ち着いた姿だ。
従僕が私たちの到着を告げ、扉が開かれる
部屋の奥には、二人の人物がいた。
一人はトーア伯ヘラルド様。濃い灰色の髪を短く整えた初老の男性だ。
濃紺の上着を身につけ、まっすぐにこちらを見ている。
その隣に座っているのは、柔らかな栗色の髪を結い上げた女性。
伯爵夫人エレオノーラ様である。
ヘラルド様の厳しい表情とは対照的に、エレオノーラ様は私たちへ穏やかな微笑みを向けていた。
まず、シスター・エメリアが挨拶をし、続いて私も頭を下げる。
最後にリュートが一歩前へ進み出た。
「お目にかかる機会をいただき光栄に存じます。異世界より参りました、リュート――高橋琉斗と申します」
昨日まで私にふざけた態度をとっていた彼と同じ人物とは思えない。
リュートは教えられたとおりに美しく足を引き、流れるような所作で礼をした。
美しい金色の髪が、さらりと頬へ落ちる。
「ほう」
ヘラルド様が小さく声を漏らした。
「最低限の礼儀は心得ているようだな」
「ありがたいことに、親切な方から学ぶ機会を得ました」
「王都の貴族の娘からか?」
一瞬だけ、リュートの目が動いた。
「お前についての話は、嫌でも耳に入る」
ヘラルド様の声には、明らかな警戒が含まれていた。
だが、リュートは微笑みを崩さない。
「どのようなお話か、伺ってもよろしいでしょうか?」
「その眉目秀麗な顔立ちで教会の周囲に貴族の娘たちを集め、甘い言葉を囁いては小銭を貢がせているらしいな」
「あなた」
エレオノーラ様が、たしなめるようにヘラルド様を呼んだ。
「少々お言葉が過ぎるのでは」
「だが、事実であろう?」
問われたリュートは、少し考えるように首を傾げた。
「大きくは違わないですね」
「リュート!」
思わず声が出た。
せめてもう少し言い方というものがあるだろう。
リュートの言葉に、ヘラルド様は片方の眉をわずかに上げた。
「ほう、認めるのか?」
「ご令嬢方に喜んでもらえる言葉を選んで、その結果として教会に献金してもらっているのは事実です。そこを違うと言えば嘘になりますから」
「まだ物事をよく知らぬ若い娘たちから、その顔で金を巻き上げていると」
「そうとも言えます」
部屋の空気が重くなる。
私は隣にいるシスター・エメリアを見た。
彼女は慌てた様子もなく、静かに二人の会話を見守っている。
「ただし」
リュートが続けた。
「払う金額を決めるのは彼女たち自身です。オレは誰にも無理強いしたことはありません。それに、集まった金は教会の薪や建物の修理、それから孤児や老人たちのために使われています」
「それが偽りでないことは、私も保証いたします」
シスター・エメリアが口を開いた。
「リュートさんが礼拝へ関わるようになってから、教会への献金は増えました。今年の冬に必要な薪を確保し、傷んでいた屋根の一部を直すこともできました。食料や衣服、毛布を持ってきてくださる方も増えています」
「その話も聞いている」
ヘラルド様はシスター・エメリアへ頷いた。
「教会の財政が改善したことも、救護院や孤児院の者たちの顔が以前より明るくなったこともな」
それなら、どうしてリュートを責めるような言い方をするのだろう。
そう思ったが、すぐにこれは、ヘラルド様がリュートを試しているのだと気づいた。
「あなた」
エレオノーラ様が口元に手を添えた。
「わたくしがお話ししたことも、覚えていらっしゃるでしょう?」
「忘れてはいない」
「わたくしはトーアで冬を過ごしている令嬢たちからも話を聞いております。皆、リュートさんに何かを強いられたとは申しておりませんわ。それどころか、教会へ行くようになってから、家の使用人や領地の貧しい者に目を向けるようになった娘もおります」
エレオノーラ様の視線が、リュートへ移る。
その目には警戒よりも、強い興味が浮かんでいた。
「ただ見た目が美しいだけの人物ではないようですわ」
エレオノーラ様の言葉にリュートが笑うと、彼女も楽しそうに笑った。
だが、ヘラルド様の表情は変わらない。
「教会への貢献は認めよう」
低い声が部屋に響く。
「これまで、この世界へ来た転生者は数多くいた」
ヘラルド様の視線が、今度は私へ向いた。
「トゥエ、お前の父のように、植物と薬の知識を広め、多くの者を救った人物もいる。新たな道具を残した者も、技術を伝えた者もいた」
「はい」
「だが、すべての転生者が、この世界の役に立ったわけではない」
私は黙って頷いた。
トーアの教会には過去の転生者について記述した書物が残っている。
元の世界へ帰りたいと嘆き続けた人。
こちらの食事も服も家も、何もかもが気に入らないと言った人。
自分の知識を役立てようとして、上手くいかなかった人。
そして、何も残さないまま静かに死んでいった人。
誰が悪いという話ではない。
転生者だからといって、必ずこの世界の人々に何かをもたらさなければならない訳ではない。
それでも、転生者が現れるたびに、この世界の人々が彼らに何かを期待してしまうのも事実だった。
ヘラルド様は再びリュートを見る。
「お前はどうなのだ?」
リュートの微笑みが消えた。
「お前は、この世界へ何をもたらす?」
部屋が静まり返る。
窓の外で、冬の風が木の枝を揺らす音だけが聞こえた。
リュートには、父のような植物の知識はない。
大工や鍛冶職人のように、何かを作る技術もない。
本人もそれをよくわかっている。
だからこそ、この質問はあまりにも厳しい。
「無理ですね」
「何?」
「オレには、この世界に何かをもたらすことはできません」
リュートはあっさりと言い放った。
「オレは学者じゃないし、職人でもない。元の世界の道具がどう動いてるか、なんとなく知ってるものはあっても、それを一から作る方法なんて知らない。そんなオレが、この世界を変えるとか言ったら、それはただの嘘です」
「お前はこの世界で何もできないと?」
「世界は無理です」
リュートは一度言葉を切った。
そして、まっすぐにヘラルド様を見る。
「ですが、トーアに少しばかりの利益をもたらすことなら、できると思います」
ヘラルド様の目が細くなった。
「聞こう」
「オレは先日、トノヴァ商会に、この街や王国で作られている物を見せてもらいました。どこで何が作られて、どの道を通って運ばれてくるのかも」
「トノヴァ商会とお前との関係は知っている」
「トーアには、この街で作られている物があります。トーアの薔薇を使った香水。お茶やお酒。ここで育てている花や農作物、それに街の職人が作っている細工物もある」
リュートの話す言葉に、ヘラルド様もエレオノーラ様もじっと耳を傾けている。
「オレは、その中から品質の良い物を選んで、オレの愛用品としてトノヴァ商会に紹介する用意があります」
「……お前の名を使ってトーア産の品を売るということか」
「はい」
「それがどれほどの利益になるというのだ?」
「今、トーアには王都の貴族が大勢いる。この人たちは春になれば王都へ帰る。あの令嬢たちがオレの名前につられてトーアで買った物を王都に持ち帰り、それが流行れば、別の誰かが同じ物を欲しがるはずだ。トーアでしか手に入らない物なら、王都の商人がここへ買い付けに来る。逆にトノヴァ商会が王都へ運べば、そこでトーア産の品物を今以上に売ることもできます」
「そんなものは、一時の流行で終わるのではないか?」
「終わる物もあると思います」
リュートは否定しなかった。
「だから、何でもかんでもオレの名前をつければいいとは思ってません。品質の悪い物を売れば、最初は売れてもすぐに飽きられるし、オレの名前や転生者という価値まで安くなる。トーアで作られる品物の中で、他の街に出しても十分通用するもの、トーアが産業として育てていきたい物を、オレの名前を使って街の外に売り込めばいい」
トビアスとの商談でも、リュートは同じようなことを言っていた。
自分だけが儲かればいいのではない。
商会も、品物を作る人も、それを買う人も、無理なく続けられることが大切なのだと。
「トーアの品物が売れれば、作る人や働く人も増える。領地に人が増え、物が売れて金が動けば、領主サマに入る税だって増えるじゃないですか」
「お前は、自分の名にそれほどの価値があると考えているのか?」
「今はあります」
迷いのない答えだった。
「オレが転生者で、ご令嬢方に気に入られているうちは」
「まぁ、ずいぶん正直ですこと」
エレオノーラ様が微笑む。
「自分の容姿を商売に使うことを、恥とは思いませんの?」
「オレにとっては容姿だろうがなんだろうが、自分が使えるモノを使わない理由がありません」
「それで、お前も利益を得るのだろう?」
ヘラルド様が問う。
「もちろんです。オレの価値に見合う分だけは、正当な利益として」
リュートは悪びれることなく答えた。
しばらくの間、ヘラルド様は何も言葉を発さなかった。
エレオノーラ様も口を挟まず、静かに夫の横顔を見ている。
やがて、ヘラルド様が大きく息を吐くと、深く背もたれへ身体を預けた。
「リュート」
「はい」
「私は、お前を街の噂のような神の威光と慈愛を説く聖人だとは思わぬ」
「それは助かります」
エレオノーラ様が扇の裏で小さく吹き出した。
ヘラルド様の口元も、ほんのわずかに緩んだように見えた。
「善意だけで動く人間ではない。自分の利益を得るために、娘たちの憧れも、転生者という立場も、使えるものは使う人間だ」
「否定はしません」
「だが、少なくとも、自分だけが得をすればよいとは考えていないらしい」
ヘラルド様は机の上に置かれていた呼び鈴を鳴らした。
すぐに従者が部屋へ入ってくる。
「トノヴァ商会のトビアスへ使いを出せ。リュートと交わした契約について、私にも詳細を報告するよう伝えろ。それから、領内の主な産物と工房をまとめた資料を用意させよ」
「かしこまりました」
従者が一礼して退室する。
「それは、つまり」
「お前の話を検討するということだ」
ヘラルド様はリュートをまっすぐに見た。
「トーアの産業に利益をもたらすという言葉が偽りでないか、見せてもらおう」
「わかりました」
「必要な情報があるなら、トビアスを通じて申し出ろ。領内の工房や生産者を訪ねる必要がある場合も、内容が妥当であれば許可する」
それは、領主であるヘラルド様が、リュートの話を認めたということだった。
リュートもその意味を理解したのだろう。
先ほどまでの嘘くさい笑みを消し、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、ヘラルド様」
「ただし」
ヘラルド様の声が低くなる。
「私の領民を、お前の名を飾るためだけに使うことは許さぬ。それは心に留めておけ」
「心得ております」
「それと、娘たちから金を巻き上げるのも、ほどほどにしておけ」
「神への感謝を形にしてもらっているだけですよ」
ヘラルド様はしばらくリュートを見つめたあと、それ以上は追及しなかった。
「食えぬ男だな」
「よく言われます」
エレオノーラ様が声を上げて笑った。
シスター・エメリアも口元を手で隠している。
「あなた」
ひとしきり笑ったあと、エレオノーラ様が夫へ話しかけた。
「わたくしは、この方を気に入りました」
「そうか」
「ええ。トーアの娘たちが夢中になるのも、少しわかる気がいたします」
「奥様のような高貴で美しい方にそう言っていただけるのは、身に余る光栄です」
リュートはエレオノーラ様の前で跪き、その手をとって微笑みかける。
先ほどまで領地の産業について真剣に話していた人物と同じとは思えない。
「貴様、私の目の前で妻を口説くな」
「ただのご挨拶ですよ。オレの元いた世界では」
「あなた、これくらいで目くじらを立てないでくださいませ。領主として懐の深さをお見せください」
「目の前で妻を口説かれて、怒らぬ男はおるまい」
エレオノーラ様に答えるヘラルド様の顔は、その言葉とは異なり、いくらか柔らかなものになっていた。
少なくとも、リュートをもう令嬢から小銭を巻き上げるだけの胡散臭い人物とは思っていないのだろう。
「リュートさん」
エレオノーラ様がこちらを見る。
「今度、あなたが選んだという香水を、わたくしにも見せてくださいませ」
「もちろんです。それに、もしよろしければ奥様に似合う香りを、オレが選びましょうか」
「まぁ、それは楽しみですこと」
こうして最初はどうなることかと気をもんでいた、ヘラルド様とリュートとの面会は、なんとか無事に終えることができた。
「よい面会になりましたね」
お屋敷を後にしたシスター・エメリアが、独り言のようにつぶやいた。
領主ヘラルド様との面談が無事に終わりましたね~。
この後はリュートがこの世界に流されていくことになると思います。
もうしばらく彼の人生にお付き合いください。
いつもお読みいただきありがとうございます。
みなさまにいただいた応援や評価がいつも励みになっています。
最後までお付き合いいただければ嬉しく思います。




