聖者リュート_20
そうこうしているうちに、馬車はトノヴァ商会に到着した。
御者が扉を開くと、店の前にはタニアと、整えられた口髭を生やした恰幅の良い人物が出迎えていた。
「突然の招待に応じていただき、ありがとうございます、リュート様」
「いや、こちらこそ色々ありがとう。で、あなたが支配人でいいのかな?」
「おぉ、これは大変失礼をいたしました」
四十をいくらか過ぎたくらいだろうか、服装は上等ではあるけれど、貴族のように飾り立ててはいない。
落ち着いた物腰の人物が、リュートに対し、貴族に対する礼をとった。
「お目にかかれて光栄でございます、リュート様。私は、トビアス。トノヴァ商会のトーア支配人を務めております」
「オレはリュート。しがない転生者で、今はトーアの教会とトゥエに世話になっている身だ」
「これはこれは、いつまでも馬車の前ではいけませんな。リュート様、ささ、どうぞ店の中へ」
トビアスがそう促すと、リュートと私はトノヴァ商会の右の入口、高級品を取り扱う一廓の応接室に案内された。
応接室は深い緑を基調とした、一見地味で落ち着いた部屋に見えたが、使われている家具や内装はどれも高級品ばかりだ。
勧められるままにリュートと私はソファに座り、向かいあうようにトビアスとタニアが腰を下ろす。
香り高いお茶が用意され、トビアスがどうぞと勧めると、リュートは慣れた手つきでカップを口元に運ぶ。
伏し目がちにカップを視線を落とすリュートの姿はとても優雅で、平民に扮した貴族がお忍びでなじみの商会にやってきたと言われても、リュートのことを知らないものは信じてしまうだろう。
トビアスの方は、にこやかに笑ってはいるけれど、目の奥でリュートをじっと見ている。
リュートのことを値踏みしている、とまではいかないが、リュートの立ち振る舞いや言葉を興味深く観察しているように感じる。
「さて、今日リュート様にご足労いただいたのはほかでもございません。先日お渡しした品についてご相談がございまして」
トビアスの声を合図に、小さなワゴンが運ばれてきた。
そこには、焼菓子の包みと王都のワイン、そしてトーアの薔薇を使った香水が乗せられている。
いずれも見覚えのある品物だ。
「リュート様には、これらの品が特にお気に召していただけたと聞いております」
「あぁ。菓子は美味かったし、ワインも上物。香水はちょっと匂いが強いけど、好きな香り」
「当店の品を評価いただき、改めてありがとうございます」
トビアスの笑みが少し深くなった。
「そこで私から一つ、リュート様にお願いがございます」
「お願いって?」
「この三品を、リュート様のお名前をお借りして販売させていただけないでしょうか?」
リュートの目が、一瞬だけ見開かれた。
「オレの名前?」
「はい。さようでございます」
トビアスは香水の瓶を手に取り、うやうやしくリュートの前に差し出した。
「たとえば、こちらを『転生者リュート様ご愛用の香水』として」
リュートは、どこか芝居じみたトビアスの手から香水を受け取ると、冷めた目で一瞥し、机に置いた。
「いや、愛用ってほど使ってないけど」
「ですが、お気に召したことに違いはございませんでしょう?」
「まぁ、そうだけど」
「それで十分でございます」
トビアスは、何事でもないかのようにさらりと言った。
「こちらの焼菓子とワインも同様です。リュート様が好んで召し上がる菓子とお酒として、当店で紹介させていただきたいのです」
リュートが少し考えるように首を傾げた。
「つまり、トノヴァ商会はオレの名前を使って、『転生者御用達の店』から、もう少し進んだ商売がしたい。っていうコトでいいのかな?」
「おっしゃるとおりでございます」
トビアスは即答した。
「現在、トーアに滞在しておられるご令嬢方の間で、リュート様のお名前は大変な話題になっております」
「へぇ」
「リュート様が何を召し上がっているのか。どのような香りを好まれるのか。そういったことを知りたがる方が、当店を訪ねていらっしゃるのですよ」
トビアスの隣で、タニアが大きくうなずいている。
「それに、これらは元々当商会で扱っている商品でございます。品質については私どもが責任を持ちます。リュート様には何かをしていただく必要はございません。ただ、お名前を使うことをお許しいただければ、と」
「なるほどね」
リュートが目を細めて笑った。
うまく説明できないけれど、リュートは時々こういう顔をする。
にこやかに笑っているように見えるけれど、その実は何を考えているのか探らせない。そんな微笑みだ。
「で、トノヴァ商会としては、オレの名前で一体どれくらいの利益を見込んでいるんだ?」
あまりにも直接的な質問に、私は思わず息を呑んだ。
「リュート!」
「いいじゃん。商売の話なんだろ?」
トビアスは少し驚いたようだったが、すぐに笑った。
「これはこれは」
「だって、オレの名前を使って金儲けをするなら、そこは大事なトコだと思うぜ」
リュートは両肘を膝について手を組み、その組んだ手の上に行儀悪く顎を乗せた。
「ええ、全く。リュート様の仰る通りです」
トビアスはどうやら怒ってはいないらしい。
むしろ、リュートとのやりとりを楽しんでいるようだ。
「正確な数字は販売を始めてみなければわかりませんが、上手くいけば二割、貴族のご令嬢方がトーアに滞在するこの冬に限れば、三割以上は販売数を伸ばせるのではないかと私共は考えております」
「へぇ」
「もちろん、タダでとは申しません。当商会は、リュート様に謝礼をお支払いする用意がございます」
トビアスはそこで一度言葉を切った。
「金貨、二枚でいかがでしょう?」
金貨二枚!
名前を貸すだけで、である。
この申し出には、さすがにリュートも驚くだろうと思った。
だが、しかし。
「それって、一回ぽっきりの話?」
リュートから出てきた言葉はそれだった。
「と、申しますと?」
「金貨二枚もらったら、それで終わり? って、聞いているんだけど」
「そのつもりでございますが」
「ふ~ん」
リュートは机の上の香水瓶を指先でもてあそんでいる。
「オレ、こっちの世界の商習慣はよく知らないけれど、トビアスさんは歩合制ってわかる?」
今度はトビアスが黙った。
タニアもこちらをじっと見ている。
「……リュート様は売上に応じた報酬をお望み、ということでしょうか」
「そう」
さっきまで穏やかだったトビアスの目が、急に商人のものになった。
私はなんとなく居心地が悪くなり、膝の上でじっと手を握る。
「では……リュート様はどの程度の割合をお考えでいらっしゃいますか?」
「そうだな。……これくらいでどう?」
リュートが立てた指は二本。
それを見たトビアスが、まるで話にならないとばかりに首を横に振った。
「いやいや、リュート様、流石にそれは……」
「あれ? トノヴァ商会はこのあたりじゃ一番の店で、羽振りがいいって聞いてたんだけど、違うのか?」
「私共がトーアで最も大きな商会であることは否定いたしませんが、かといって、商売を続けていく上で出せる額には限りがございます。流石に売上の二割ともなりますと、私共といたしましても良いお返事は……」
「違うよ」
リュートはトビアスの声にかぶせるように、しかし、平然と声を発した。
「二割じゃなくて、二分」
「……二分?でございますか?」
「そう、売れた金額の二分」
リュートの言葉に、トビアスは黙りこんだ。
その意味をじっと考えているようだ。
二割ではなく、二分。
つまり、売上百枚につき、たったの二枚。
どうやらトビアスは二本の指から二割を想像していたところで、リュートの言葉に不意をつかれた形になった。
「……本当に、それだけでよろしいのですか?」
「そうだけど。もしかして、二割ってふっかけた方がよかった?」
『冗談だけどさ』と、言いながらトビアスに笑いかけるリュート。
『いえいえ、さすがにそれは』と、笑顔で返しながらも目が笑っていないトビアス。
面白そうに二人のやりとりを見守っているタニア。
そして、さっきから無駄に緊張している私がいる。
「……リュート様が二分、とおっしゃる理由を伺ってもよろしいですかな?」
ついに商人の顔を隠さなくなったトビアスが、リュートに問う。
「だって、商品を仕入れるのも売るのも、トノヴァ商会だろ?」
リュートはあっさりと言った。
「別にオレが新しい商品を一から作る訳でもないし、すでに流通に乗ってるモノにオレは名前を貸すだけなんだろ? だったら、二分ってのはオレなりに妥当なトコだと思ってるんだけど、違うのか? もし、オレが欲張って何割も要求したら、最初のうちは値上げしてでも売るかもしれないけど、そのうちトノヴァ商会としては利益が出なくなるだろ? で、儲からなくなったら、その商品自体、売るのを止めてしまうんじゃね? そしたら、元々その商品が好きだった人が買えなくなるし、作ってる奴だってトビアスさんのトコが仕入れてくれなくなったら、困るんじゃないか?」
トビアスが目を見開く。
「だから二分。オレの名前を使ってあんまり売れなくても、二分ならトノヴァ商会も大きく損はしない。それに、トノヴァ商会はオレの『愛用品』をこれから売り込むつもりなんだろう? 売上が伸びればトノヴァ商会も、オレも、それにこいつを作ってる奴も儲かる。どうせならみんなで儲けた方が幸せじゃね?」
少しの沈黙のあと、トビアスが声を立てて笑った。
今までの商売用の笑顔ではない。心の底から面白がっているようだ。
「いやはや」
膝を軽く叩く。
「リュート様は、これまで商売をなさったことがおありなのですか?」
「ないよ」
「本当に?」
「本当だって」
そう答えながら、リュートも妙に楽しそうに笑っている。
もちろん、こちらの世界で商売をしたことがないのは本当だ。
けれど私は知っている。
リュートは、時々こちらが思いつかないようなことを、ごく当たり前のことのように話すのだ。
「わかりました」
トビアスが右手を差し出した。
「売上の二分。それで契約いたしましょう」
「決まりだな」
差し出された手をリュートがしっかりと握る。
こうして、リュートとトビアスとの商談が無事(?)に終わったのだった。
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