第2番 下手くそなオカリナ
「何か、音楽を」
「かしこまりました、ご主人様」
どこかぎこちない態度の主人に対して、自然な所作で応じる女中。外国人向けの高級ホテルの一室に入ると、彼女はすぐさまレコードに針を落とした。
音量は、大きめに。
蓄音機が奏でるのはハ短調のピアノ練習曲。選曲は彼女の手による。
「ハオハオ! ハオ! ハオハオハ!」
その音色に満人が笑顔で満足していると、女中はきっぱりと遮った。
「それ、もういいから」
「あ、へいっ」
聞き耳の心配がなくなると、三人はそそくさと正体を表した。
資本家は直立不動に直り、女中は黒縁眼鏡をかけ、満人は頭を掻きむしってボサボサツンツンの髪型を取り戻した。
言わずもがな、資本家に扮していたのはエンゲルジであり、女中はキリッカであり、ハオハオはトラスケであった。
「さっ、てっ、とっ!」
白いエプロンをばさりと外しながら、キリッカはどっかと椅子に座った。
「無事に入国はできたね!」
「お見事にございます、お嬢様」
今までの不遜な態度を詫びるかのようにエンゲルジは深々と頭を下げた。
「ありがと! エンゲルジ君もナイス演技だったね! さっすが執事! お金持ちのことよくわかってるぅー」
「恐縮にございます」
いつもの冷厳さで応じるエンゲルジ。本当は気恥ずかしいのだが、おくびにも出さない。
「おうおう! どっからどう見てもお大尽って感じだったぜ! よッ、執事屋!」
歌舞伎の掛け声のように褒めそやしたところで、トラスケ以外は歌舞伎を知らない。それに、トラスケに評価されたところでエンゲルジはちっとも嬉しくも恥ずかしくもない。
「お前は演技にもなっていなかったがな、猿」
「そぉか? ばっちし大看板の千両役者だったろ? ハオハオ! ほれ? ハオハオハオハ!」
ハオハオしか言っていないくせに大した自信である。
「サムラーイが大根なのはさておいて」
しれっとさておかれた。
「入国したからには、次は」
さておかれたトラスケがキリッカの言葉を勝手に引き継ぐ。
「王様を斬りに行こうぜ!」
情熱が迸りあふれ出てしまうような激しいアルペッジョが蓄音機から流れ、室内に響き渡った。キリッカもエンゲルジも言葉を失ってしまったものだから、激しくも短いこの曲が終わってしまうかに思われた。
ややあって、キリッカも笑うしかなかった。
「……ばーか!」
「え? へ? そういう話じゃなかったかィ?」
確かに、キリッカ船長は炭田共和国終身大統領を倒すと言ったには言った。
「リョーマの爺さんの言ってた石炭の、あー、なんだ?」
「市場流通量の減少に伴う国際的燃料危機」
言い淀むトラスケ。すらすらと助けるキリッカ。
「そうそれ! それをアレするために、とっときの秘蔵の石炭を狙ってこの御国の大将軍」
「大統領」
うろ覚えのトラスケ。すかさず訂正するキリッカ。
「そうそいつ! そいつを倒しちまうんだろ?」
「ばーか! いきなりキング狙ってチェックできるわけないじゃん」
キリッカはいつもいつだって、満面の笑みでトラスケを馬鹿にする。
「そ、そうだったのか……俺ァてっきり、今からお城にでも行って大将の首を獲ってくるもんだとばっかし……」
「阿呆が」
一方、エンゲルジは、剃刀色の瞳をより鋭くして吐き捨てる。
「うーん、まぁ、大統領を直接狙えるテがあるんなら、それも悪くないとは思うんだけどね、私も」
しかし、キリッカには初手の策があるのだった。
「でもさ、私たちこの国の人間じゃないしさ? まずは、味方が欲しいじゃん?」
「味方?」
トラスケが鸚鵡返しするのはなにも考えていない証左である。彼はいつだって深く考えたりはしないのだ。
「もう忘れちゃった? サムラーイはバカだからね」
「へへっ、めんぼくねぇ」
「エンゲルジ君はもうわかったでしょ?」
「どのように接触するのかは見当もつきませんが」
賢明な読者諸君はもうお分かりのことと思うが、いま少しだけトラスケに付き合っていただこう。
「探すのも意外と簡単だと思うんだよね? だって、こう言ってたし……」
キリッカはこほんと咳払いひとつ、あの日の彼の言葉を真似てみせた。見事そっくりとは言い難いが。
「虐げられし民と叛逆の同志あるところ、いつなんどきも我が戦さ場よ」
民草を苛める大統領親衛隊に業を煮やして割って入ったトラスケたち。そこに駆け付けた紅き装束に身を包んだ孤高の反逆者。
「あ! あンときの……紅天狗!」
「血刀イクソ」
けっして出しゃばらない執事もたまらず口をはさんでしまった。なんと頭の悪い猿なのだろうと。「そうそれ! そいつ!」などと喜ばれてはエンゲルジも呆れを通り越して憐れみすら覚えてしまう。
そんな男たちになにやら満足したキリッカは、細い顎を手の甲に乗せてにやりと微笑み、黒縁眼鏡をきらりんと輝かせるのだった。
「そ、紅き叛逆者“血刀イクソ”を味方にして、この国に革命を起こすの」
フレデリック・ショパン作曲、ピアノ練習曲ハ短調作品十の十二。その楽曲を人は『革命のエチュード』と呼ぶ。
かつてのユゾフカの大聖堂をまるでツァーリの居城のような絢爛さをもって改築した、炭田共和国大統領宮殿。列強各国の都も失われた現代において、おそらくは世界で最も豪奢な城館であろう。
伽藍の名残のステンドグラスを背に、でっぷり太った終身大統領がふんぞり返っている。彼の座するやたらと金ぴかな椅子は、非公式にはもちろん"玉座"と呼ばれている。
「……以上が、統計局によって現状から予想され得る第三ならびに第四四半期の総採炭量見積となります」
大統領府長官付の若い秘書官が報告書を読み上げた。淡々粛々と並べられた数字は明らかに芳しくなく、一座からは溜め息が漏れた。
炭田共和国最高指導会議の席上で、である。
「需要に供給が追いついておらんじゃないか」
身なりのいい老年の男が声を上げる。足を組み、ぴりつくこめかみを中指で叩きながら。
「閣下の御前で下世話な物言いをしたくはないが、それが大統領府長官たる儂の責務と、年寄りの貧乏くじと心得とるのではっきりと言わせていただくが……我が国にとって冬場は、稼ぎ時なのだぞ?」
副大統領職も首相職も、ましてや議会もないこの国では、最高指導会議のみならず政府の席次でも大統領に次ぐナンバー2たるのが彼。
大統領府長官ロベルダン侯爵である。
丸々と肥えた終身大統領とは違い、老いてなおシュッと引き締まった体躯と貌がその冷徹な手腕を伺わせる。事実、ともすれば堕落から崩壊の一途を辿ってしまう独裁体制を強固に維持できているのは彼、ロベルダン侯爵の力によるところが大きいと言われている。
「御一同はわかっとるのかね? 売り物がなければ商売にはならん、と」
オロシャ貴族だかコサックの末裔だかと噂されるが出自はよくわからない。だが、そんな噂もなるほどと思わされる確かな威厳が座を支配する。
怒鳴らずとも、むしろ穏やかなはずなのによく響く渋い声音。
「何のための忠実なる共和国人民か、何のために国外からの避難民を受け入れとるのか。それもこれも、採炭、採炭、採炭! 石炭を採らせるためなのだぞ」
冬の太陽の色をした鋭い瞳が列席する閣僚を見渡す。ロマンスグレーの口髭の下から向けられる叱責を恐れて、誰もが目をそらした。
「儂は以前にも、いや、再三再四に渡って忠告したはずだ」
ぎろりと、ひとりの将校を睨みつけた。
「民草なぞ生かさず殺さずが鉄則だとな、クリュッヒ大佐」
戦争大臣の隣に直立したまま、冷や汗をだらだらと流しているのは金髪碧眼に端正な顔立ちの黒衣の軍人。大統領親衛隊クリュッヒ大佐その人であった。
小脇に抱えた軍帽を落っことしてしまいそうなほど怯えている。
「またも督戦と称して採炭夫どもを粛清したそうだな」
今までは冷静さを保っていたロベルダン侯爵の声が、若干震えている。怒りによって。
「い、い、いえ、今朝のことであれば、怪物ミノタウロスとの交戦中に、その、流れ弾が」
「結果は同じであろう! 労働力を損耗していて採炭量が増えるものか! 貴様を二等卒に降格させ一生荒野で石炭拾いさせてもいいのだぞ! わかっとるのかッ!?」
侯爵の怒声が堂内に響き渡った。
彼と一部の経済閣僚にはわかっている。この独裁政権を維持する要は彼ら大統領親衛隊の武力や恐怖政治ではなく、採炭と石炭輸出にあることを。それこそが体制維持の生命線なのだと。
だからこそ、明晰な頭脳を持つ厳しくも穏やかなロベルダン侯爵が怒るのだ。
一息吐いて、侯爵は平静さを取り戻した。
「そんなことをしているから不逞な奴ばらも湧いて来るのだぞ」
頭のいい人間特有の、わかっていない相手に対する苛立ち。
「例のなにやらイクソとかいう不埒者はまだ捕らえられんのか? まずは奴を捕らえよと、儂は以前からあれほど」
「まぁまぁまぁまぁま!」
お小言くさくなってきたのを察して、玉座の主がようやく口を開いた。
「ロベルダン侯爵よ。親衛隊の忠誠心も評価してやらんとな? な?」
贅沢の末に膨れ上がった頬が精一杯苦笑いを作っている。
「大統領閣下がそうおっしゃるのでしたら……」
侯爵が怒りを鎮めたので一同ほっとした。僭主たる大統領でさえもほっとした。
「採炭量が減っとるといっても、世界には他に大きな炭鉱があるわけでもないしな? な? 我が偉大なる炭田共和国が世界一の大国であることに変わりはあるまいな? そうじゃろ? なぁ?」
魑魅魍魎妖怪変化のバケモノたちが押し寄せた十年前、この街を防衛したオロシャ軍の青年将校も今や昔。新たに築かれた都市国家において人民の総意により終身大統領へと選出されたのも今や昔。
形だけの君主として、さりとて取って代わる者なき専制君主として君臨するこの男は、戦前の彼では考えられないような豪華で自堕落な生活を維持せんがため、権力の座にきゅうきゅうとしがみついているのだった。
「っていう感じで今日のところは良いんじゃないかな? なぁ? な?」
両手を広げて同意を求める、憐れな独裁者。
「賛成! 賛成! 大賛成であります!」
「流石にございますな、大統領閣下!」
「素晴らしい御裁可! やはり閣下は英雄であらせられる!」
次々と立ち上がり拍手する閣僚たち。国歌斉唱すら始めそうな親衛隊将校たち。そっぽを向く大統領府長官。
本来、この苦難の時代に、こんな出鱈目な国が長続きするはずもない。
石炭がたくさん採れるからといって、いくらなんでも幼稚である。それはロベルダン侯爵だけでなく、幾人かの閣僚や官僚も気づいている。
この出鱈目を可能たらしめている力は炭田と侯爵と、そして。
「シカシ」
万雷の拍手の中でも、そのくぐもった不気味な声は聞こえた。聞こえてしまった。聞こえてしまったからには、聞かねばならない。誰も彼もが拍手も喝采もやめた。
聖堂の隅に数名の一団がいる。
黒衣の軍装、防毒面に鉄兜。国外のバケモノだろうと、国内の不穏分子だろうと、体制の敵を必ず打ち倒す精兵。大統領親衛隊の兵卒たち。彼らの圧倒的な統率力と戦力が炭田共和国の幼稚な独裁体制を支えているのだ。
いつもならば大統領が自ら任じたクリュッヒ大佐ら親衛隊将校に指揮される兵たちだが、このときは別のひとりの男に従っていた。
それが不気味な声の主である。
黒衣の一団にあって同形の軍装をしているが、その男だけは白い軍服、白い防毒面、白い鉄兜、白い長靴、白い手袋、白いマントと白尽くめであった。
階級章は中佐である。
シューペコン、シューペコン、とガスマスク特有の呼吸音を経て、言葉を紡ぐ。
「我ラ"結社"トノ契約ハ遵守シテイタダク」
それだけで、たったのそれだけで、終身大統領はびくりと玉座を跳ね飛び、隅に立つ白尽くめの元へと駆け寄った。
「もちろんだとも! わかっておるとも! もちろん問題ないぞ! ちゃんと、そちらのための石炭は、ちゃあんと、取り分けてあるとも! な? そうだろ? なぁ!?」
そう捲し立てつつも、誰が担当者かもわからずきょろきょろする大統領。直属の補佐官や秘書官たちは高級娼館から選び抜かれた粒ぞろいなので返事も出来ない。
ロベルダン侯爵に促されて大統領府長官付の秘書官が答えた。この若い優秀な官吏の名をカジタンというのだが、彼の活躍はまだまだ先である。
「既に空港への輸送の手配を済ませておりますので、来週末には"狂った方程式号"への積み込みも完了します」
シューペコン、シューペコン、とややあって。
「ナラバ良イ」
白尽くめは短く答えた。
「だからな? な? 賢人の皆様方にはくれぐれも、くれぐれもよろしくお伝えしておくれ、ナイ船長よ」
ナイ船長と呼ばれた白尽くめはシューペコン、シューペコンと呼吸するばかりで応えなかった。「船長? ナイ船長?」と手もみする大統領など無視である。
気まずい空気と沈黙が大聖堂をしんとさせた。
如才ないロベルダン侯爵が咳払いのひとつでもして空気を変えてやろうかと思ったそのとき、扉を開いて大統領親衛隊の若い少尉が駆け込んできた。
「会議中、失礼いたします!」
少尉はクリュッヒに促されるとしゃっちょこばって報告した。
「申し上げます! カルミウス南外縁区にて指名手配犯数名が破壊活動に及んでいるとの急報あり! 大統領親衛隊への増援要請が届いております!」
一同の視線が、大統領にでもなくクリュッヒにでもなく、ナイ船長の白い仮面に向けられた。だが、言葉を発する者はいない。そんな勇気はない。
例のシューペコンの後、ナイ船長は短く言った。
「行ケ」
それだけで、黒尽くめの兵卒たちはわらわらと駆け出した。ステンドグラスから差し込む光がその異様な風体を照らしている。本来は指揮官であるはずのクリュッヒ大佐たち将校が防毒面の兵卒たちについて出て行った。
「敵は何者だ?」
「イクソではないのか?」
「警邏の義勇兵どもは何をやっとるんだ!」
などと俄かにざわつく堂内にあって、誰にも気づかれずにふたりの男が舌打ちをした。それぞれになにやら思うところがあるのだろう。
ひとりはナイ船長。
もうひとりはロベルダン侯爵。
「うりゃうりゃうりゃりゃりゃりゃりゃりゃー!」
街路のあちこちに爆ぜる三十口径弾。キリッカはなんだかよくわからない奇声をあげながら大量の薬莢を撒き散らしている。
逃げ惑う国防義勇軍の下士卒たち。彼らは義勇とは名ばかりの強制徴募兵であり、士気は高くない。ろくに反撃もしてこない。
警邏中、たまたまキリッカたちの目についたから襲われたのだ。可哀相に。
道行く市民やら野次馬も逃げたり隠れたりと大忙しだ。可哀相に。
一方で、キリッカ船長は気分よく改造モーゼルを振り回している。
「オカシラの鉄砲って当たってるの見たことねぇや」
フジヤマの絶景を見やるような晴れやかさでトラスケが笑った。
「遺跡の骸骨には当たってたでしょ! でしょでしょでしょしょしょしょしょー!」
頬を膨らませながらも滅多矢鱈に掃射を続けるキリッカ。
「連中は撒き餌だ。生かして騒がせておけばいい」
「ま、無益な殺生なんざするこたねぇか」
冷徹なエンゲルジが指摘するまでもなく、トラスケも策は理解している。彼らの目的は別にテロルではない。
「おっと、紅より先に黒がおいでなすったか」
目敏くトラスケ。
甲高いぴぃという警笛と共に、黒衣の大統領親衛隊がぞろぞろと駆け付けた。防毒面たちがおよそ一個小隊。キリッカの射撃を警戒し、遮蔽物の陰からこちらを窺っている。
その指揮官、金髪碧眼端正な顔立ちの男がこちらに気づいた。
「き、き、き! 貴様らァ!」
短鞭を振るい、クリュッヒ大佐が唾を飛ばす。
「あのときの叛逆者どもッ!」
「お、あいつァあンときの音痴野郎か!」
キリッカと親衛隊たちの銃撃戦の最中、クリュッヒ大佐とトラスケは互いを認識した。
飛び交う銃弾に怯えて隠れる大佐に対して、トラスケは自分には弾なんぞ当たらないと信じているのか、ひゅんひゅんと風を切る音を聴きながらの仁王立ちである。
「あいつらなら、斬っちまっても恨みっこなしだァな」
頬の刀傷を歪めて舌をぺろり。抜き身のだんびらを片手に駆け出そうとしたまさにそのとき、黒衣防毒面の兵卒がトラスケをぽんと狙い撃った。
「珍しい」
トラスケの心の臓を狙った弾丸は虚しくはじかれた。彼の目の前を遮った鋼鉄の腕によって。
「猿と意見が合うなんてな」
「へへっ! いっちょヤっちまうか、エンの字?」
射手の意図に気づき、武器であり盾でも鎧でもある鉄腕を差し出したのは、もちろんながらエンゲルジである。
キリッカの銃火を背に、男ふたりはずずいと進み出た。
「征くぞ、猿」
「合点ッ!」
エンゲルジの革靴が、トラスケのわらじが、大地を蹴らんとした瞬間!
ぴーぴぷぷーぴぽーぴーぴっぷーぴー♪
その奇怪な音色に誰もが判断力を失った。双方、引鉄を引くことも忘れた。そもそもそれが、オカリナから発せられた音だと気づくのにさえ時間を要した。
この国でオカリナといえば、今やその意味するところなどひとつしかない。誰もがわかっているはずなのに、むしろだからこそ、ぴぽーでは正体がわからない。ぴっぷーでは格好がつかないからだ。
街路に響き渡ったオカリナの旋律、というか雑音。
あまりにも下手くそすぎる音色に、その場にいた誰もが耳を疑った。
大統領親衛隊は将校も防毒面も混乱し、周囲を警戒している。
野次馬たちも、まるで答えの分からぬ学生のように互いの顔を見合わせた。
「なんでぇなんでぃ!?」
トラスケも目を白黒させるも、キリッカにだってわからない。
「い、イクソじゃないの?」
「我こそが叛逆者」
高めの大声なのだが、低く偽ったらしきその名乗りは人々の耳に引っかかった。
「いたぞ! あそこだッ!」
防毒面のひとりが指差したのは、三階建の屋根の上。日輪を背負っていてよくは見えないが、確かにそこにはひとりの人影。
「声なき民に代わりてオカリナを奏で」
声は女。歳の頃は幼く感じる。小柄なようだが果たして。
「剣なき民に代わりて支配者を斬らん」
雲が陰り、姿が見える。紅いマントに紅い羽付帽子。そして、紅い眼帯。
「以って我が血刀を革命の夜明けに捧ぐべし!」
抜刀!
中世の騎士のような幅広の剣に陽の光を反射し、一同を眩ませ、女は跳んだ。紅いマントをまるで翼の如く翻し、着地。
対峙していた空賊一味と親衛隊の間に、紅装束の花を咲かせた。
「ニセモンか!?」
トラスケの驚きに、その女は応えるのだった。
「紅き叛逆者“血刀イクソ”、推参!」
※脱字を修正しました。