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狂騒狂詩曲 Roaring Rhapsody  作者: 嘉野 令
第2の組曲 革命
13/14

第1番 再びの炭田共和国

 空も大地も大切な何かを失い、どちらも鈍色に染まっていた。草木の見当たらない寂寞な曠野に、低く垂れ込めた曇り空は今にも泣き出さんばかりである。

 誰かが言った。

 誰もが思った。

 十年前の、あの戦争で、あの爆弾で、世界は壊れてしまったのだと。

「ひっ、ひぃ! バケモノだぁ!」

 広大なだけの鈍色の炭田から悲鳴が上がった。

 腰を抜かし、石炭を取りこぼし、這って逃げ出したのはひとりの採炭夫であった。

 そんな彼を見下ろし、息を荒げ、涎を滴らせるは牛頭の巨漢。乱暴狼藉で知られる怪人ミノタウロスだ。十年前から魑魅魍魎妖怪変化の蠢くこの地上において、もはや人類など奴らの餌食に過ぎなかった。

「グルルルルフシュルル……!」

 人の血肉に餓えた怪物の、不気味な吐息。

 鬼火のように妖しげに煌めく、怪物の眼。

 瘦せこけた素足で採炭夫たちは逃げ出した。掘と塀に守られた彼らの街、炭田共和国へと目がけて一目散に。重い石炭など投げ出して。

 だが、

「えぇい! こ、この非国民共めがッ! 大統領閣下の石炭を落とすでなァい!」

 採炭を監督、もとい督戦する将校が怒鳴りつけた。

 漆黒の軍服に金モール、ぴかぴかに磨かれた半長靴。端整な顔立ちの金髪碧眼。大統領親衛隊の大佐である。

「分隊、射撃用ォ意! 目標ォ、非国民ン!」

 短鞭をぴしゃりと掴み、大佐が命じた。

「は……? クリュッヒ大佐? 敵はあのミノタウロスでは?」

 小銃分隊を預かる国防義勇軍の軍曹は命令を復唱せず、問い返した。それは人として当然の問いであるはずだった。

「バケモノ風情が何だというのだ? 牛など非国民もろとも流れ弾で撃ち殺せばよかろう」

「し、しかし、彼らは人民で、人間で……」

 論点すら噛み合わない。軍曹は言葉を失い、兵たちも動揺している。

「石炭を採集できないクズなぞ共和国人民に非ず!」

 親衛隊大佐クリュッヒはそう断じた。

「ですが、大佐……これは、あまりに、あまりにも……!」

「まったく、これだから義勇兵どもは使えんのだ」

 なおも軍曹は食い下がったが、クリュッヒ大佐はさらに声を張り上げた。

「人型タンク! 起動ォ!」

 その呼び声に呼応して立ち上がったのは、身の丈なんと二十尺はあろうかという鋼鉄の巨人。煤煙棚引く蒸気機関が巨体を、大地を、天をも震わせ、人造の巨人はその身を起こすのだった。

 タンク、またの名を戦車。あの世界大戦の、あの泥沼の塹壕戦を突破するため、人の手によって産み落とされた鋼鉄の巨獣。ヒコーキや潜水艦、毒ガスやロバ電子爆弾に並ぶ、世界の破壊を加速させた新兵器である。

 だが、まるで、獣が人へと進化したかのように、タンクも姿を変えたのだろうか?

 大戦当時とは違い、炭田共和国大統領親衛隊が用いる人型タンクなる最新兵器は鋼鉄の四肢を持つ、まさに人造の巨人であった。

 無骨で歪な錆色の両足を踏ん張り、煙突からは黒煙を噴き、右腕にはシュワルツローゼ機関銃、左腕にはピュトー三十七ミリ戦車砲。黒衣防毒面の兵卒たちがその巨大な両腕にせっせと銃砲弾を装填した。

 鋼鉄の巨人の偉容に満足すると、クリュッヒ大佐は短鞭をびゅんと振った。

「撃てぇい!」

 号令一下、無慈悲な鉄火が荒れ狂う。


 鈍色の空に、無電信号が飛び交っている。上空からでは眼下の惨劇も小さな火花にしか見えない。

「コチラ、炭田共和国空港管制塔。当港ニ接近中ノ貴船ハ何者也ヤ」

 レシーバーから聞こえるトンとツーに、船長自ら電鍵を叩いて応える。

「我レ、カメヤマ・カンパニー船籍飛行船“おんどれウナギ号”也。商用ニ付キ入港許可ヲ求ム」

 魔都上海の幽霊会社に属することになっている架空の船名を名乗る。本当の名は先日来お尋ね者であり、お膳立てはリョーマ翁の空援隊が済ませている取り決めだ。

 ややあって、回答。

「貴船ノ入港ヲ認ム。以後、当方ノ管制ニ従ワレタシ」

 発覚した様子はないが、果たして。

「ヨウコソ、偉大ナル共和国ヘ」

 管制官は手慣れたトンツーでそう締め括った。

「……偉大なる共和国、ね」

 あの日、その「偉大なる共和国」の実情を改めて目にしたキリッカは冷ややかだ。彼女の独り言を聞いていたトラスケも西洋人のように肩をすくめる。

「手前ェのすることに大の字をつけるたァ、恐れ入るぜ」

 彼らの空賊船"酔いどれウサギ号"が高度を下げると、都市国家"炭田共和国"の市街がぐんぐんと大きくなってゆく。街の周囲はユーラシヤ大陸のどことも同じ、生命の色を失った荒野ではあったが、この街には確かに人々の営みがあった。

 たとえ、歪な姿であったとしても。

「それにしても、リョーマの爺ィも無理難題をふっかけてくれやがったもンだぜ」

 両の眼をぎらぎらと輝かせ、口元をにやりと釣り上げるトラスケ。彼は困難や無理難題やトラブルが大好きに違いないのだ。


「お前ンらにやってもらいたいことがあるきに」

 錬金術の秘宝"スマラグドス碑文"とは何ぞや。その答えを求めたキリッカに対して空援隊の総帥リョーマ翁はそう切り出した。

 空賊の都”リベルタリヤ”のうら寂れた酒場”腐ったマンダリニ亭”でのこと。

「なあに? 天下の空援隊サマが空賊の私たちに汚れ仕事でもさせる気?」

 密輸か強奪か襲撃か、はたまた暗殺か。キリッカは身構えたが、リョーマ翁は白髭をにやりと釣り上げる。

 トラスケもそんな奇妙な笑顔をよくやっている。ジパングのサムラーイたちの癖か習慣だろうかとキリッカは思った。

「いやいや、汚れ仕事どころか――世界の“洗濯”ぜよ」

 リョーマ翁は冗句のつもりだったが、異人のキリッカには通用しなかった。

「ちょっとなに言ってるかわかんない」

 小娘の率直な反応に老人はごほんと咳払いをひとつ。冗談をさておき言葉を改めた。

「……今年はの、大陸中の石炭流通量が足りてないきにビジネスにならんのぜよ。誰も彼も燃料がないんじゃ飯も炊けにゃ冬も越せん」

「ふんふんふん? それでそれで?」

 キリッカが何気なく問うと、リョーマ翁も何気なく答えた。

「こンの国際的燃料危機をお前ンらが解決したら、どんな秘密でも教えちゃるきに」

 空援隊のビッグボスはとんでもないことをさらりと言ってのけた。まず驚いたのは、誰よりも秘宝の秘密を知りたい男。

「そ、それは……!」

 主人たちの会話に口を挟むなど執事らしくもない。だが、その男エンゲルジは常識、程度、当たり前というものを知っている。

「さすがに一介の空賊には不可能では……」

 彼の言う通りだ。なにせ、情報と引き換えに「世界を動かせ」と求められているに等しいのだから。にもかかわらず、この場で驚いているのはエンゲルジただひとりであった。

「ふぅーん?」

 不満げに唇を尖らせるキリッカ。

「エンゲルジ君は、私たち"酔いどれウサギ号”一味には、出来ないと思うんだあ?」

 踏ん反り返り、椅子の背もたれに頭まで乗せたキリッカがエンゲルジを仰ぎ見る。それはそれはとても意地悪な笑みで。

「い、いえ……いや、しかし……」

 真面目な従者はたじろぐことしかできない。

 バンドもゲイシャガールもとっくに舞台袖へと消え、ひしめいていた他の酔客も気づくといなくなっていた。カウンターにバーテンダーの姿もない。店内には、空援隊と”酔いどれウサギ号”一味だけ。この店そのものが空援隊の拠点なのだろう。

 沈黙を破ったのはぽりぽりと頭を掻くトラスケだった。 

「オカシラもお人が悪ィや。あんまし、エンの字をいじめてやンねぇでくれろ」

「へへへ、ごめんごめん」

 舌をぺろっと出して笑うキリッカにエンゲルジは戸惑った。この新たな主人はどこまでが本気で、どこからが冗談なのだろうかと。

「難しいことなのはわかってるつもりなんだけどね」

 と、言い訳しつつ、まだ若い女船長は足を組み替え、手の甲に顎を乗せた。黒縁眼鏡がきらりと光る。

「でも、ビジネス大好きお爺ちゃんは履行不可能な取引を持ちかけない」

 眼鏡越しにリョーマ翁を見据える。

「でしょ?」

 あの日、キリッカ船長と坂本龍馬は世界を動かす契約を交わしたのだった。


「ホント、喰えないお爺ちゃんだよね」

 彼との交渉を思い出し、自分が踊らされていることをキリッカは再確認した。

 わかったうえでそうまでしても、彼女もまた秘宝“スマラグドス碑文”の秘密を知りたくなっていた。エンゲルジへの同情だけではない。なにせ、世界を動かすに値する秘密がそこにあるというのだから。

「お嬢様、ご所望の品々はご用意出来ておりますが……」

「ありがと!」

 眼下の炭田共和国を見下ろし仁王立ちのキリッカに従者エンゲルジがおずおずと声をかけた。すべてにおいて手際が良く、てきぱきと仕事する彼がまたもやなにやら戸惑っている。

 並べられたのは、片眼鏡に黒眼鏡、上質なシルクハットにインバネス、どこぞの伝統衣装に真っ白なエプロンなどなど。

 三人分の、扮装。

「これは……その、如何様にお使いになるので?」

 彼にはまだ彼の主人が何をしようとしているのか理解できていない。もちろん、何も考えていないトラスケもわかってはいない。

「おうおう! 俺も知りてぇなァ! 一体全体どんな企みなんでぇ」

 国際的燃料危機を解決する秘策とは一体?

「んー? そんなに難しい作戦とかじゃないよ?」

「よっし! 安心したぜ!」

「黙ってろ、猿」

 流れるような茶番はともかくとして、キリッカはいつもの如く宙に視線をやりながらつらつらと語り出した。考え事を言葉にするときの彼女の癖、とりとめのない語り口。

「えっとね、空援隊の情報だとね、相場を釣り上げるためなのかな? 炭田共和国には終身大統領が輸出を渋ってる石炭の戦略備蓄がいっぱいあるみたいなんだけど、それ全部をさ、国際市場に供給できるようにさ――」

 確かに、それを流通させることができれば市場価格は下落し、ユーラシヤ大陸中に燃料が行き渡るのだろう。

 そこまではエンゲルジはもとより、トラスケにだって理解できた。わからなかったのは、その先である。

「倒しちゃおっかなって」

「何をでぇ?」

「大統領」

 ひとつの単語でキリッカは答えた。さらりと、淀みなく、しれっと。

 そうこうするうちに“おんどれウナギ号”に偽装した“酔いどれウサギ号”はいよいよ炭田共和国空港に入港。船員たちの手によって係留索が放たれた。

 キリッカの言葉の意味を察したトラスケが馬鹿笑いする中、

「……はい?」

 着陸と同時にエンゲルジの縁なし眼鏡がズレた。


 その日その時、炭田共和国空港には三隻の飛行船が寄港していた。

 記録によれば、うち一隻は共和国旗艦の“黒いアダマス号”であり、この直後に採炭支援任務のため緊急出港している。

 また一隻は大統領親衛隊所属の兵員輸送船“狂った方程式号”と記録されているが、詳細は軍機とされていて、空港職員にも不明確であった。

 そして、最後の一隻が魔都上海は通商ギルド加盟のカメヤマ・カンパニー船籍商船“おんどれウナギ号”と記録されている。

 この“おんどれウナギ号”から降り立ったのは三名の男女だった。

 シルク製のトップハットを斜に被り、肩にかけたインバネスの裾からは金の柄のステッキを覗かせる如何にも資本家然とした白髪黒人の紳士。モノクルの奥の、風さえも切り裂きそうな剃刀色の瞳は隠せていないが、いつもの鉄腕から換装した細身の左腕が義手であることは誰も気づいていないだろう。

「つまらぬ手続きなど手早く済ませてくれ給えよ」

 通商ギルド発行の旅券によれば彼がカメヤマ・カンパニーとやらのオーナーであるという。入国審査官はカネと権力に弱い小役人であり、そそくさと旅券にスタンプを押した。

「はい、入国致しますのはわたくしたち三人にございまする」

 審査官の質問に対し、スカートを摘んで頭を下げて答えたのはお仕着せ姿の女中であった。決して、黒縁眼鏡にヘッドバンド付きレシーバー、長い三つ編みの女船長などではない。断じてない。くすんだ長いブロンドをひとつに結わいて、常に伏し目がち。見るからに召使いである。

 最後のひとりはゆったりとした長袍(チャンパオ)に身を包み、まん丸の黒眼鏡をかけた短身痩躯黒髪黒目黄色い肌の東洋人。オーナーの取引相手だという。

 風態からして旗人と呼ばれる満人の上流階級のようだが、審査官の話す国際共通語は通じないらしい。何を訊かれても満面の笑顔でただ同じことを繰り返していた。

「ハオハオ! ハオ!」

 その正体、推して知るべし。

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