お尻を叩け
――次の日・早朝
テラスから朝日が差し込み、そよ風が薄手のカーテンを揺らす。
心地よい風に混ざり、鳥たちの歌声が響く。
音と風はベッドの上で健やかな寝息を立てるディランとミシャを優しく包み込む。
ディランは身体を横向きにして、ミシャへ顔を向けていた。
ミシャは彼の身体の内側に納まり、小動物のように丸まっている。
蕩けるような微睡の中で、ミシャは片眉をピクリと動かし、薄っすらと目を開く。
そして、玄関の向こう側へ意識を向けた。
彼女は起き上がり、ベッドから降りて、玄関へ向かい扉を開ける。
「おはようございます、マイヤさん」
「あっ? 起こしに来たつもりだったけど、もう起きてたのかい?」
「つい、今しがた。人の気配を感じ取ったもので、呼び鈴を押され、お兄ちゃんを起こしてしまわないようにと、先に扉を開けて出迎えたのです」
「そんなものを感じるのかい? 驚いたね」
「私は戦闘に特化した人形ですので」
「人形って、しかも戦闘……そう言えば、人工生命体とか言ってたね。とても、人工的に作られて存在に見えないし、戦闘なんて行えそうにないけどねぇ」
マイヤは両手を腰に当てながら、まじまじとミシャを見た。
目の前にいる少女はマイヤよりも背が低く、とても華奢な十一、二歳程度の女の子。
戦闘とは程遠い存在のように見える。
彼女はミシャを観察するのをやめて、いまだ眠りこけているディランへ顔を向けた。
「戦闘って言ったら、あっちの方が長けてそうだけどねぇ。あんな隙だらけで。ミシャは私に気づいたってのに」
「いえ、お兄ちゃんはマイヤさんの存在には気づいていますよ」
「え?」
「ただ、敵意を感じないため、睡眠を優先しているのでしょう」
「そ、そうなのかい? とても、そうは見えないけど?」
「見た目からはわからないでしょうが、私が目を覚ました時、お兄ちゃんの神経伝達物質の量が増加していました。これは無意識化にあっても、戦闘への備えを行っている証明です」
「う~ん、とにかく、ああ見えても戦士ってわけだね」
「はい。戦闘時での能力がわからないため、はっきりとした数値は出せませんが、人型の生命体としてはかなり上位の存在だと思います」
「なんか、言い回しが妙だね……」
ミシャの説明の奇妙さと、さらには理解そのものが及ばず、彼女は首を横に振る。
その振った首を使い意識を変えて、ミシャに本題を伝えることにした。
「それはともかく、朝食の準備ができているけど、どうする?」
「朝食ですか。わかりました、お兄ちゃんを起こして尋ねてみます」
ミシャはマイヤに軽く会釈をして、ベッドの上で眠りこけているディランの元へ向かった。
彼女はディランの身体に小さな両手を置いて、軽く揺り動かす。
「お兄ちゃん、起きてください。マイヤさんが朝食の用意をされているようですよ」
「う~ん、うん、はい……」
ディランは寝ぼけ声を上げて、起きる気配が全くない。
それでもミシャはディランに起きるよう声を掛け続ける。
そのやり取りを見かねたマイヤがミシャの隣に立った。
「ほんとに無意識のうちに私の気配を感じ取ってんのかい?」
「そのはずですが。余程、睡眠欲が強いようで……」
「なら、仕方ない」
マイヤはディランの耳先を引っ張り上げ、耳傍で大声を上げた。
「ディランっ、朝だよ!」
「うわっ!? び、びっくりしたぁ。な、なに?」
ディランはベッドから飛び起きて、忙しなく辺りをきょろきょろと見回す。
そして、マイヤとミシャを目にしたところで、間の抜けた声を上げた。
「あれ、なんでマイヤが? お、ミシャ、起きてたのか?」
とても警戒を怠っていない男の様には見えず、マイヤはミシャへ問いかける。
「ほんとに、気配を感じ取ってたのかい?」
「そのはずですが……少々、自信が無くなりました」
――
ディランとミシャはマイヤを伴って、四階から一階の食堂へ向かった。
二人は適当に開いている席に座り、マイヤは朝食を運ぶために厨房へ入っていった。
「ふぉ~あ」
ディランは寝足らなそうに大きなあくびをして、ぐ~っと背伸びをしている。
その様子を見て、ミシャは済まなそうな声を上げた。
「朝食よりも睡眠を優先した方が良かったでしょうか? お疲れのようですし」
「うん? いやいや、大丈夫。昨夜は風呂が気持ちよくってな、久しぶりに心も体も解れちまったようだ。それでつい、眠りが深くなったみてぇだ」
「そうですか」
「それよりも、今日は町を見て回るんだろう? 屋敷の修繕に使えそうな道具や情報収集のために」
「はい。お兄ちゃんさえ良ければですが」
「俺なら構わんよ。昨日来たばかりで、町は見て回りたいところだったし。それに、昨日の仕事でかなりの余裕があるしな」
「では、今日は一緒に町を巡りましょう」
「そうだな。仕事は~……気が向いた時でいいか。なんか、機先が削がれたし……」
ディランはがっくりと肩を落とした。
彼の当初の予定では、困難なクエストを軽く熟し、名声を手に入れるはずだったのだが、それらのことをすっかり忘れて、ミシャのことばかりを考えていた。
すっかりやる気を失ったディランは、椅子に背を預け、だらりと足を前に放り出す。
そこへ朝食を運んできたマイヤが活を飛ばしてきた。
「まったく、だらしない格好してっ」
「あ、マイヤ」
「あ、マイヤ。じゃないよ。ミシャが見てるんだよ。シャキッとしなさい、シャキッと」
「へいへい、厳しいなぁ、マイヤは」
「毎日のようにだらしない男衆を見てるからね。そういう連中には尻を引っ叩いてやらないとわかりゃしないから」
「こえ~な、おい」
「何が怖いだよ。ミシャ、ディランがだらしない態度を取るようだったら、バシッと尻を叩いてやりなよ」
「お尻をですか?」
「そうだよ」
「わかりました。そういった習慣があるのならば、それに従います」
そう言ってミシャは手を動かし、何度も素振りを見せている。
その様子を目にしたディランはマイヤをジトリと睨みつける。
「余計なことを言うなよ。ミシャは真面目に取ってるぞ」
「丁度いいじゃないかい。あんたはちょっとでも目を離すとサボってそうだし」
「こう見えてみも、俺は結構な頑張り屋さんだぞっ」
「はいはい。そんなことよりも朝食だよ」
マイヤは不満の声を軽く聞き流して、朝食をテーブルの上に置いた。
置かれたのはロールパン二個、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、スープ、そしてコーヒー。
ミシャにはコーヒーの代わりにミルクが置かれた。
それらを見回して、ディランはマイヤに顔を向けた。
「普通の料理だな」
「それはっ、どういう意味だい?」
マイヤはこめかみに青筋を浮かべつつ、恐ろし気な笑顔を見せる。
それに怯えたディランは慌てて言葉を返した。
「い、いや、ほら、昨日の夕食が変わったものばかりだったから、朝食もそうなのかと思ってただけだよ」
「ならいいけど。食事が済んだら、町を見て回るんだろ?」
「ああ、その予定だ。」
「だったら、店の前の道を一つ越えた場所にメインストリートがあるから、それに沿って歩いていくといいよ。その道は町を一周するようにできてるからね」
「なるほど、そうするよ」
「中央に向かいたいなら道を反れなきゃならないけど、もし迷ったら、とにかく町のメインストリートにさえ出て歩けば、この宿の近くまで帰ってこれるからね」
「わかった。ありがとう、マイヤ」
「どういたしまして。それじゃ、朝食を楽しみなさい」
マイヤは軽く手を振って、別の客がいるテーブル席へと歩いて行った。
ディランとミシャはゆっくりと朝食を取り終えて、宿屋『ヒスイカズラ』から町へと向かった。




