水を自在に届ける町
どら焼きを食べ終えたディランはマイヤに宿のことを尋ねる。
「ここは宿もやってんだろ。部屋は空いてるか?」
「もちろん。ただ、部屋によって値段が違うよ」
「なら、一番やす、」
ディランは視界の端にミシャの姿が映る。
すると彼は、口にしようとした言葉を飲み込み、新たに言葉を産んだ。
「一番いい部屋を頼む」
マイヤは彼がミシャのことを気遣ったことに気づき、優し気な笑みを見せた。
「ふふ、そうかい。だけど……」
しかし、ディランの服装をチラリと見て、少々声の音を下げる。
ディランは彼女が言わんとしていることがわかり、眉を跳ねつつ言葉を返した。
「宿代のことか?」
「うん、まぁ、そうだけど。この『ヒスイカズラ』で一番良い部屋となると、結構張るよ。大丈夫かい?」
「その心配なら無用。それなりに蓄えもあるし、それに今日はたんまり稼いだばかりだからな」
と言って、彼はテーブルへ無造作に札束を置いた。
その札束を見たマイヤは目を丸くする。
「これは驚いたっ。もしかしてあんた、どこぞのお坊っちゃんだったりするのかい? 見た目はアレだけど」
「最後の一言は余計だろ。まぁ、別の貴族様ってわけじゃねぇけど、西で稼いでたから結構貯金はあるな。これで宿代は十分足りるだろ。それに今日の夕飯代も」
彼は札束をポンっと叩いて、笑顔をマイヤに向ける。
ディラン=ロールズは西大陸トゥーレにあるミズガルズ皇国で勇者一行の一人だった。
そのため、一般の者よりも収入は良い。
それは毎日のように遊び惚けていても、あまり余るくらいに。
マイヤはディランの笑顔から虚勢を張っているわけではないと悟り、宿代を手にした。
「これだけあれば余裕でふた月は泊まれるね」
「これでふた月だけっ? 相当いい部屋何だろうな?」
「四階の部屋で見晴らしが良いけど、内装はちょっと豪華なだけだよ。でも、その代わりに……風呂が完備してある」
ニヤリとした笑みを見せるマイヤ。
その笑みにディランは驚きを被せた。
「ふ、ふろ? 宿に個人風呂だと? しかも、四階って……一体、風呂に湯を張るのに何往復するんだ?」
「フフフフ、風呂にお湯を貯めるのに階段を上り下りする必要はないさ。なにせ、この『まほろば』には上下水道が整っていて、各家庭に蛇口があるからね」
「じゃぐち?」
「やっぱり知らないだろうねぇ。世界広しと言えど、栓を捻れば水が出る町なんてのは『まほろば』以外ないだろうし」
マイヤは元々大きな胸をより強調するかのようにふんぞり返った。
そこには町の自慢と誇りが混じっている。
しかし、ディランは彼女の誇りよりも胸が気になるらしく、顔をグッと伸ばして、胸を覗き込んでいる。
それに気づいたマイヤはトレイでディランの頭を叩いた。
「何やってんだいっ?」
「あたっ。だってよ、そんなもん見せつけられたら、見るだろっ」
「まったく、男はこれだから」
「うるせい、健全な証拠だ」
「何が健全だよ。その逆だろ。それはともかく、蛇口を知らないようじゃ、風呂の扱いに困るだろう。今から部屋に案内してあげるから、ついでに説明してあげるよ」
彼女はクイクイっと、手の平を上下に振り、ディランとミシャに席から立つように促した。
だがそこに、タイミング悪く厨房から野太い親父の声が飛んできた。
「マイヤっ、注文を取りに来てくれ!」
「おや、参ったね。ちょっと待っててくれるかい。すぐに戻ってきて蛇口の説明をするから」
マイヤは申し訳なさそうな表情を見せる。
すると、ミシャが小さく手を上げてきた。
「あの、私なら扱い方がわかると思いますので、部屋の場所さえ教えていただければ大丈夫です」
「そうかい? そういや、ミシャは魔術士の屋敷にいたんだったね。この技術は魔術士がもたらしたと言われているから知っていても当然か。わかった。それじゃ、ディランに説明をお願いできるかい?」
「はい」
「ふふ、ありがとう。それじゃ、部屋の鍵を持ってくるから」
マイヤは一度、厨房奥に向かい、すぐに戻ってきた。
「はい、鍵。部屋は左隅にある階段を使い四階まで上っていって、右手の端の部屋だよ」
必要最低限の案内を終えたマイヤは、急ぎ足で厨房へと向かって行った。
ミシャは視線を彼女の後姿からディランへ向ける。
「それでは部屋へ向かいますか?」
「ああ、そうしよう。今日一日、色々あって汗に塗れて埃だらけ。風呂があるなら、さっぱりしたいしな」
「では、参りましょう」
ディランとミシャは共に並んで階段を上がっていく。
その二人の姿をマイヤはトレイ片手に見送っていた。
しかし、そこで案内した部屋が間違っていたことに気づく。
「あっ。そう言えば、あの部屋って……滅多に客が入らないから完全に忘れてたよ。案内するのは左端の方だったねぇ……ま、文句が来たら、変えればいいか」
ディランとミシャは階段を上り、二階に来たところで左廊下の隅にも階段があることに気づいた。
二人はもう一つの経路を把握する。
ディランは幼いながらも部屋の構造をしっかりと把握しようとするミシャに、ちょっと困ったような顔を見せた。
(戦闘人形、か。見た目は幼いが一端の戦士というわけか)
彼は特にミシャに声を掛けることもなく、四階へと続く階段を上っていく。
隣に並び、ミシャがついてくる。
そうして、四階までたどり着いた。
そこから鏡のように磨かれた床張りの廊下を歩き、右端にある部屋の扉の前までやってきた。
黒色の扉は宿の雰囲気に合わせ、無闇に派手な豪華さはなく、落ち着いた雰囲気を漂わせる。
ディランは扉をコンコンっと叩く。
音は広がることない。とても防音性に優れているようだ。
瞳を扉から右横に移す。
そこには流れるような文字で描かれた『ホウオウボクの間』という看板。そして、そのすぐ下にボタンがあった。
それをディランが興味深そうに見ていると、ミシャがその用途を答えてきた。
「おそらく、呼び鈴かと」
「呼び鈴? これが?」
「はい、このボタンを押すと、部屋にいる者へ音なり言葉なりが広がるようになっているのでしょう。扉は防音性に優れ、ノックでは内部に聞こえないようですから」
「ふ~ん、凄いねぇ。ここに来てから驚くことばかりだな。ってことは、中身もまた驚きに満ちてるのかねぇ」
二人は鍵を使って扉を開き、部屋の中へ……。




