「ミナモは、分かりにくい。」
「まずは左だね」
メモを片手に、リリアは歩き出した。
ネムも後ろからついてくる。
リリアの足取りはのんびりとしていた。
水路を流れる水は、朝日の光を反射してきらきらしている。
白い壁の建物も並んでいて、木枠の窓際には鉢植えが置いてあった。
右側に橋が見えてきた。
リリアは手に持ったメモを確認する。
「……次、右の橋を渡る」
大きな橋のたもとには、水路へ下りるための石段があった。
水路の端には、小舟がロープで木の杭につながれて揺れている。
橋を渡った先は左右の分かれ道になっていた。
「……左」
左に曲がって進むと、視線の先に一つ目の橋が見えた。
積まれた箱から魚の顔がのぞいていて、荷車がゆっくりと引かれている。
リリアはそのまま通り過ぎた。
そのあと少し先を歩いている女性が、途中で左に曲がった。
いったん立ち止まって左を見てみると、木の橋が見えた。
荷車などは通れないけれど、人なら通れるような橋。
リリアはメモから顔を上げ、細い木の橋へ体を向けた。
「……二つ目の、橋」
後ろを歩いていたネムが、前足を上げたまま止まる。
青い目が、もう少し先の道を見た。
それから、細い木の橋へ進むリリアを見る。
ネムは上げていた前足をゆっくりと下ろしたあと、一歩遅れてリリアの後ろを追った。
木の橋を渡ると、水路沿いの道に出た。
リリアはメモをポーチの中にしまう。
少し歩くと、看板が遠くからでも見えてきた。
《雑……》
リリアは店に近づいて、もう一度看板を見上げる。
《雑魚屋》
「……ざ、ざつぎょ屋?」
リリアは一瞬固まった。
そのあとポーチに手を入れて、もう一度メモを確認してみる。
『店を出て、左。右側の大きな橋を渡って、左。二つ目の橋を渡る。看板』
看板を……見間違えた?
もう一度、見上げてみる。
《雑魚屋》
「……」
説明は最後まで聞いた。
メモを確認しながら着いた。
でも、似たような名前の店だった。
足元を見ると、ネムも不思議そうな顔をして看板を見上げていた。
リリアはネムを抱えて、来た道を少し戻る。
そのあと、水路に揺れる水面を眺めた。
小さい頃、お母さんに言われた言葉を思い出す。
『お母さん、どうしよう』
『いい? 予期せぬことが起きると、人は慌ててしまうの』
『……うん』
『そういう時は、息をゆっくりと吸って、心を落ち着けるのよ』
「……ふぅ」
リリアが息をついていると、水面に糸が伸びていることに気がつく。
水中にいる魚が、針に付いた餌とにらめっこしていた。
「……ん?」
水路際で腰を下ろしている男がふと視線を上げる。
そこに、さっき通り過ぎたはずの少女がいた。
「……おーい。そこの嬢ちゃん、どうしたんじゃ?」
リリアは水面から顔を上げた。
「落ち着いているところです」
「……ほう。そりゃ大事じゃな」
男は釣り竿に目をやったあと、リリアに声をかけた。
「立ち話もなんじゃ。ちょいと、こっちへ来てくれんかの?」
「はい」
リリアはネムを抱えたまま、石段を下りて釣りおじさんの近くに向かう。
男は竿を少し持ち上げたが、すぐに戻した。
そのあと、リリアに顔を向ける。
「……して、嬢ちゃんは何か用事かい?」
「雑貨屋を、探してます」
「ふむ、雑貨屋か」
リリアがうなずいた時、竿先が少し揺れた。
ネムの顔がぴくっと反応し、水面をじっと見る。
釣りおじさんは、水路の向こう側の方へと指をさした。
「雑貨屋なら、もう一つ向こうの、大きな橋を渡った先じゃ」
「ありがとうございます」
リリアは釣りおじさんに頭を下げて、歩き出した。
男はうなずいた後、確認しようと釣り竿を見る。
「……さてと」
竿を持ち上げると、餌だけがなくなっていた。
「……むっ。嬢ちゃんは道を見つけて、魚は餌を見つけたわけじゃな」
小さく笑ったあと、もう一度餌をつけ直した。
リリアは細い木の橋の手前まで戻り、もう少し先にある大きな橋へ向かった。
橋を渡ると、遠くに看板が見えてくる。
《雑貨屋》
こんどはちゃんと、雑貨屋だった。
「……ややこしい名前」
腕の中にいるネムは、つぶやくリリアを見てから、雑貨屋の方を見た。
ちょうどその時、雑貨屋から一人の少女が出てくる。
そのあと大きな橋に向かって歩き出した。
横風が、淡い若葉色の髪をさらりと揺らしていた。




