「近所の爺さん。」
《雑貨屋》と書かれた看板が見えてくる。
橋の上を歩きながら、腕に抱えたネムに声をかけた。
「もうすぐだよ」
その時、前から小さな声がした。
「……あのぅ、リリアさん、ですよね?」
声をかけてきたのは、薬草屋にきていたエルフの少女だった。
「あ、エルシアさん」
リリアはネムの前足を持ち上げて、挨拶をする。
「ほらネム、おはよう〜」
「……ふふふっ。今日は休みなの、ですか?」
「はい。なので、雑貨屋にきました」
「私もいま、雑貨屋に寄ったところ、です」
エルシアが、手に持っていた紙を上げる。
ミナモ周辺の地図。
それを見たあとにリリアはうんうん頷いて言う。
「わたしも、最初は地図を持ち歩いていましたよ」
嘘は言っていない、たぶん。
え?と、エルシアが首をかしげる。
「地図を?冒険者なの、ですか?」
リリアは少しだけ胸を張り、澄ました顔で言う。
「はい、わたしも冒険者です」
リリアも冒険者としての経験値は、エルシアと全く大した差はない。
エルシアはじっと、リリアの上から下まで視線を動かす。
動きやすそうな服に、腰には短剣。
前掛けを着けていない今のリリアは、確かに旅人っぽく見える。
薬草屋のカウンターで見たときは、リボンを着けた可愛い売り子さんだと思っていた。
エルシアはぐっと、リリアに顔を寄せる。
「リリア先輩!……次の、行き先のご予定はあるの、ですか?」
「ん、え?リ、リリアでいいですよ。
とりあえず、うん……地図を見てからで……」
「はい。私の事も、エルシアでいいです!」
エルシアは嬉しそうに目元をやわらげた。
そのあと、隣に並んで手に持った地図をさっと広げる。
「ミナモの桟橋から、小舟が出てるって聞いたの、です」
ミナモから西へ伸びる川を、エルシアは指でなぞる。
川の途中には『湿地帯』と書かれた場所があった。
リリアは少し首をかしげる。
「……湿地帯?」
「舟は途中までで……。ここから先は、自分で麓まで行かないといけないみたいなの、です」
リリアは子供の頃、リーベル村のはずれに行ったときを思い出した。
『ほれリリアちゃん、着いたぞい』
『わぁ……』
近所の爺さんに案内された場所、そこには小さな水辺があった。
池には水草が植えられ、水面に浮かぶ丸い葉の上では小さな緑色の蛙がじっとしていた。
透き通った水の中で、銀色にきらめく小魚が泳いでいる。
『かえるさん、かわいい』
リリアは池のふちまで近づき、そっと膝を曲げた。
靴先で少し踏んだ泥がぺちゃっと小さく鳴る。
丸い葉の上では、小さな蛙が動かずに座っていた。
『これこれ、泥には気をつけるんじゃぞ〜』
『はーい』
爺さんは腰に手を当てて、白い髭を撫でた。
『これがわしの、湿地帯じゃよ』
『すごいねぇ』
リリアは地図の『湿地帯』の文字を見つめた。
丸い葉の上の蛙が、頭の中に浮かぶ。
湿地帯のさらに先には村の絵があった。
『山麓の工房村』と書いてある。
「山麓の工房村……ここに行きたいのですか?」
エルシアは返事をするが、声が段々と小さくなっていった。
「はい。でも、その……まだ不安なの、です」
麓まで、たどり着ける自信がない。
そんな様子のエルシアに、リリアが声をかける。
「わたしは、今は特に行く宛もないので……村まで一緒に行きますか?」
エルシアがぱっと顔を上げた。
「いいの、ですか?リリアがいるなら、とても心強いですけど……」
「大丈夫ですよ。それに、湿地帯は一回だけ見にいったことあるので」
「すごい!で、では……リリアはいつ頃、いけるの、ですか?」
「うーん……」
まずは、お世話になったオウバさんとセージさんにちゃんとお礼を言ってから出る。
そのあとは旅の準備も必要。
借りた宿も、部屋を片付ける。
「二日後で、いいですか?」
「はい!じゃあ、朝日が昇るくらいに桟橋で待ってるね。……あっすみません」
気がゆるみすぎたのか、エルシアが慌てて口に手を当てる。
「大丈夫です。丁寧じゃなくても。
一緒に行くなら、その方が話しやすいと思います」
エルシアは瞳を少しだけ潤ませたあと、手を差し出した。
「うぅ……。よろしくね、リリア」
リリアはエルシアの手を握り返した。
「こちらこそ、よろしく」
その時、手を離されたネムの前足が地図にぱたっと乗る。
ネムが地図に青い瞳を向けると、ちょうどそこには『湿地帯』と書かれた場所に自分の前足が乗っていた。




