「野草ではなく、道草です。」
狐が歩いていく道は、人が普段通るような道ではなかった。
動物たちが行き交ううちに、自然と踏み固められた細い道。
突き出した枝。盛り上がった土。
下り坂に上り坂。
リリアが一歩進むたび、たまに背中の大剣に枝が当たる。
「……っ」
肩を少しすくめながら、それでも前へ進む。
次の枝は、少し低かった。
ネムはその下を、何事もなかったようにくぐっていく。
リリアも続こうとした。
進めなかった。
「……!?」
背中の大剣が、枝に引っかかっていた。
ゆっくり振り返り、枝を見る。
それから、何事もなかったように大剣を少し傾けた。
「……大剣にも、得意な場所がある」
小さく言って、どうにか枝を抜けた。
先に進んでいたネムは、少し離れた場所で振り返っていた。
青い目が、じっとリリアを見ている。
「大丈夫。想定内」
リリアは静かにうなずいた。
ネムは返事をせず、また草の中へ歩き出す。
けれど、その先の野草はネムの背丈より高かった。
がさっ。
白い体が、緑の自然に沈んでいく。
ぴん、と立った耳と尻尾だけが草からはみ出ていた。
「……ネム?」
リリアは慌てないように近づくと、草の中からネムをそっと抱き上げた。
「抱っこするよ。狐さんの道、ちょっと大変だからね」
ネムは特に抵抗しなかった。
前足をリリアの腕に乗せ、されるがままに抱えられる。
その顔に、草の細い葉が一枚くっついていた。
狐は一度だけ後ろを振り返った。
その目は、案内しているというより、早く済ませたいと言っているようだった。
やがて、深かった獣道が少しずつ明るくなる。
木々の間から、人が通れる道が見えてくる。
地面には、車輪の跡と、いくつもの足跡が残っていた。
「あれ? 狐さんがいない」
リリアが人の通れる道に出た時には、迷い狐の姿はなかった。
道を挟んだ奥の茂みが、がさっと揺れる。
「もう案内は終わりだって、ネム」
ネムはリリアの腕の中から、揺れた茂みをじっと見ていた。
少し離れた道の先に、誰かがいた。
旅人のようにも、冒険者のようにも見える。
薄緑の外套を羽織った女性が、道端に屈み込んで何かをしていた。
リリアは驚かさないように、ゆっくり近づく。
「すみません。野草の採取ですか?」
女性が顔を上げた。
手には小さなナイフ。
足元には、丸い葉や細い葉、白い小花のついた草がいくつか並べられている。
「そうだが……。キミは、見たところ冒険者のようだね?」
「はい。リーベルから隣町まで向かうところです」
「なるほど。私はセージという。薬草採りをしながら旅をしている冒険者だ」
リリアも姿勢を正し、できるだけクールに答える。
「わたしはリリアです。この子はネム」
そう言って、腕の中のネムを少し持ち上げる。
「猫……? 普通の?」
「……? 家の屋根裏にいた、普通の猫ちゃんです」
リリアは不思議そうに答えた。
セージはネムを見る。
ネムは前足をリリアの腕に乗せ、尻尾を下に垂らしていた。
青い瞳と、セージの目が合う。
特に何も起きない。
「そうか」
セージは、それ以上聞かなかった。
ネムは静かにまばたきをした。
「ところで、キミたちは珍しい狐に会わなかったか?」
「狐に案内されて、ここに来ました」
「……案内?」
「はい。この近くまで」
セージは少しだけ黙った。
「私は、尻尾についていた葉っぱが気になって、つい追ってしまってね」
「……葉っぱ、ですか?」
「そうだ。細い葉だった。縁に小さな切れ込みがあって、香りもよさそうだった」
セージは真剣な顔でうなずいた。
リリアは少し考える。
狐は見ていたけど、葉っぱまでは見ていなかった。
「葉はいいぞ」
セージは急に、足元の草へ視線を落とした。
「香り、苦味、えぐ味。土地ごとに違う。水辺の葉は柔らかく、林の葉は匂いが強い。沢沿いの斜面に出る草は、茎に水を抱えているものも多い」
「くわしいんですね」
「好きだからな」
言いながら、セージは道端の草を指差した。
「これは雫傘草。大きな丸い葉が特徴だ。雨のあとだと、葉の上に水玉が残る」
たしかに、丸い葉が小さな傘のように重なっている。
「それから、あっちの蔓は藪縛り。うかつに通ると足や荷物に絡む」
リリアは背中の大剣を見た。
すでに何度か絡まれた気がする。
「そして、これは三香葉」
セージは三枚に分かれた小さな葉を摘み、指先で軽く揉んだ。
ふわりと、青く澄んだ香りが立つ。
「香りで覚える草だ」
リリアは真剣にうなずいた。
「三枚ですね」
「香りで覚える草だ」
セージはもう一度言った。
「はい。ネムも覚えてね」
リリアは三香葉を受け取ると、腕の中にいるネムの鼻先へそっと近づけた。
くしゅっ。
ネムが小さくくしゃみをした。
「あ、ごめんね」
ネムはリリアの腕の中でもぞもぞ動き、そのまま地面へ降りた。
少し離れた草の横に座る。
その時、セージの視線が道端の青い花に止まった。
「おっと、青露草もあるな」
草の間に、小さな青い花が咲いていた。
朝空を切り取ったような、鮮やかな色だった。
セージは嬉しそうにしゃがみ込み、花をじっと観察する。
「花も食べるんですか?」
「食べられるものもある。だが、見た目で決めてはいけない。似た草には危ないものもあるから、キミは真似しないように」
「はい」
リリアは素直に返事をした。
その横で、セージは小さな葉をひとつ摘み、慎重に香りを確かめてから口に入れた。
「……これは少し苦味が強いな。いい」
「いいんですか?」
「とてもいい」
セージは満足そうだった。
そして、思い出したかのように言う。
「ところでリリア、道は分かるかな?」
「わたしたちはあっちから来たので、こっちの方向だと思います」
やけに曖昧な言い方だった。
けれど、リリアの表情には自信があるように見えた。
セージはリリアが指差した方を見た。
それから、足元の草を見る。
「じゃあ行こうか。川沿いに出れば、私の土地勘も戻る。そこから町まで案内もできる」
セージは足元の草を見ながら進んでいた。
道よりも、葉の方を信じているようだった。
「川沿いに出る。隣町にも近づける。……つまり、順調」
「大きくは合っている。……ただし、今すぐ急ぐなら街道を進んだ方が早い」
「……道が分からない場合は?」
「川沿いだ」
セージは迷いなく答えた。
リリアは少し考え、それから静かにうなずく。
「私の今回の本命は、川沿いの野草だ。水香草や水蛇草は、沢沿いに近い場所の方が状態がいい」
セージは道や草には詳しいようだった。
少なくとも、リリアよりはずっと詳しい。
「行こうか。本命は、川沿いの野草だからね」
そう言ったそばから、セージは道端の葉を見つけて足を止めた。
「待ってくれ。これは見逃せない」
歩く。
しゃがむ。
少し進む。
またしゃがむ。
セージは、ずっと道草を食っていた。
文字通りに。
リリアは足元のネムを見る。
「ネムも、食べてくる?」
ネムは、いらない、と言うようにそっぽを向いた。
「そうだよね」
日差しはいつの間にか傾き始めていた。
セージが立ち上がり、採取袋を軽く叩いた。
「よし。今日は川沿いまで行って、そこで野営にしよう。採った草で温かいものを作れる」
「料理もできるんですか?」
「食べるところまで含めて、野草採りだ」
セージは当然のように言った。
リリアは感心した。
「それなら、わたしは魚を捕ってきます。川の浅いところなら、たぶん」
「魚もいいな。水香草と合わせると香りが立つ」
セージの目が少し輝いた。
こうして、リリアたちは川沿いへ向かった。
木の向こうから、水の流れる音が聞こえる。
リリアの胸は高鳴っていた。
「初めての野営。川で魚取り。……ふふ、かなり冒険っぽい」
ネムは、川の方から聞こえる水音へ耳を向けていた。




