「地図は買いました。」
「黒いリボン、よし」
リリアは鏡の前で、自分の姿を確認していた。
黒く長い髪を、夜色の大きなリボンでまとめる。
結び目を指で軽く整えてから、着ている服も見る。
肩には金の刺繍が入った短いケープ。
白いブラウスだけが少し明るく見えるかもしれない。
スカートに見える下衣は、動きやすいキュロットにした。
色は黒。
その下には黒いレギンスを合わせて、走りやすいようにしている。
足元は重めの黒い編み上げブーツ。
ちょっとだけ格好よく見えたらいいな、なんて思っている。
小さな肩掛けポーチは斜めに掛けて、丁度腰にくる位置。
もちろん黒色。
完璧だ。
リリアがこの日のために用意した格好。
鏡に映る自分の姿を見ていると、どうしても口元がゆるくなる。
「……ふふ。とても冒険者っぽくなった」
町の手伝いをして少しずつ貯めた硬貨と、母から少しもらった分も、ちゃんとポーチに入れてある。
あとは、先週頼んでおいた剣を受け取りに行くだけ。
「お母さーん。約束通り、今日から旅に出るね」
リリアが居間に顔を出すと、母は手を止めてこちらを見た。
「リリィ、なにその格好……あなた、そんな暗い色が好きだったかしら?」
リリィは、母が昔からリリアを呼ぶ時のあだ名。
なぜ黒で揃えたのか。
理由はもちろん、かっこいいからである。
しかし、それを親に素直に言うリリアではない。
「……今日から、冒険者になるからね」
リリアはできるだけ落ち着いた声で答えた。
母はしばらくリリアを見つめ、それから小さく息を吐く。
「……なにかあったら、すぐ帰ってきなさい」
「はーい」
返事は軽い。
けれど、リリアの胸はもう外に向かっていた。
玄関へ向かう。
そして扉を開けると――。
ネムがいた。
まるで最初からそこで待っていたかのように、玄関先にちょこんと座り、青い目でリリアを見上げている。
「ん? どうしたの、ネム。今日からわたし、冒険者になるんだよ」
子猫のことをネムと呼んでも、今まで返事らしい返事をされたことはない。
呼んでも寝ている。起きても寝たふりをする。だいたいそんなイメージの猫。
けれど、この日は少し違った。
ネムは短い足でてくてく近づいてくる。
そして――。
「いたっ!?」
リリアの足に、かぷりと噛みついた。
「な、なにするのネム……」
噛まれたところをさすりながら、リリアはネムの頭を撫でようとする。
しかしネムは、ひょいとそれをかわす。
そのままリリアの横に並び、外へ向かって座る。
「……? ネムもついてくるの?」
ネムは返事の代わりのように、リリアの足へこつんと頭突きした。
「今日はやけに積極的だね。……やっぱりネムも、冒険したいんだ?」
リリアは上機嫌になった。
対照的に、ネムの目は細い。
半分閉じたその目は、どう見ても「そういうことではない」と言っている。
もちろん、リリアは気づかない。
「……じゃあ行こうか。まずは鍛冶屋に」
リリアの顔つきが、すっと引き締まる。
本人としては、とてもクールな顔だった。
* * *
リリアは先週、リーベルの町の鍛冶屋に来ていた。
壁には剣、斧、槍、弓などが並んでいた。
けれど、どれだけ見ても黒い武器はない。
黒い大剣も、当然なかった。
「黒一色の剣が欲しいです」
リリアが真面目にそう言うと、鍛冶屋のおっちゃんは「何言ってんだこの子」という顔をした。
リリアは少しだけ傷ついた。
だが、顔には出さなかった。
クールだからだ。
仕方なく、ポーチから金貨を二枚取り出し、壁に掛けられていた大きめの剣を指差した。
「あの、このくらいの、サイズの剣をください……」
鍛冶屋のおっちゃんは、目の前の少女と、差し出された金貨を交互に見た。
そして、何か言いたそうな顔をしたあと、うなずいた。
* * *
カラン、と扉の鈴が鳴る。
「おう、お嬢ちゃんか。昨日、完成したぞ!」
鍛冶屋のおっちゃんの声を聞いて、リリアの胸が跳ねた。
今までは短剣だった。
鍛錬で使っていたのも、持ち歩いていたのも短剣だ。
でも今日からは、大きな剣。
あの日の青年のように。
黒い大剣を軽々と振るっていた、あの背中のように。
まだ黒ではない。
大事なのは、まず形からである。
おっちゃんは奥から、革紐でまとめた大剣を持ってきた。
ちゃんと鋼鉄製で作っている。
それでもリリアの目には、十分に特別なものに見えた。
「お嬢ちゃん、本当にこれを使うのかい?」
「練習しましたから」
リリアは静かに答えた。
もちろん、練習したのは短剣だ。
「そうかい……」
おっちゃんは苦笑しながら、大剣を差し出した。
リリアは両手でそれを受け取る。
次の瞬間。
剣先が床に落ちた。
カラン、という音が鍛冶屋に響く。
「……」
「……」
おっちゃんが沈黙する。
リリアも一瞬だけ固まった。
足元で、ネムがびくっとした。
耳が少しだけ横に倒れた。
それから、リリアの手から落ちた剣先に鼻を近づける。
くん。
そのあとネムは興味をなくしたように、顔をそらした。
リリアはすぐ冷静に考え直す。
あの青年は、大剣を軽々と振っていた。
青年は強い。つまり剣の達人。
じゃあわたしは?
リリアはまだ弱い。今日から冒険者になる新人。
なら、持てなくて当然。
つまり。
持てないのは、大剣が重すぎるからではない。
自分がまだ未熟だからである。
リリアはそう解釈した。
「……金貨二枚の重さ」
「いや、重さの話か?」
思わずつぶやいたリリアに、おっちゃんが苦笑する。
そして奥から、革製のカバーを持ってきた。
「ほら。剣をむき出しで持ち歩くのは危ないからな。餞別だ」
「いいんですか?」
「いいさ。……そのかわり、本当に無茶はするなよ」
リリアは革のカバーを受け取り、大剣をどうにか背負った。
背中が少し後ろに引っ張られる。
だが、倒れない。
倒れていないなら問題ない。
「本当に、大丈夫かい?」
おっちゃんが最後に確認する。
リリアは店の出口へ向かい、背中を向けたまま答えた。
「……問題ないです」
理由は言わない。
かっこいいから、とは。
店を出たリリアの顔は、とてもクールだった。
* * *
町を出る前に、リリアは雑貨屋へ寄った。
旅に必要なもの。
それは地図である。
隣町まで出かけたことのないリリアでも、それくらいは分かっていた。
今回はちゃんと地図を用意する。
行き先を確認してから進む。できる冒険者とは、そういうもの。
「おばちゃん、隣町に行きたいんだけど、地図ありますか?」
「あら、リリアちゃん。出かけるのかい? それならこっちだよ」
雑貨屋のおばちゃんは、棚の一角を指差した。
「こっちがリーベル周辺の地図でね。森と街道、それから隣町までの道が――」
おばちゃんが説明している途中で、リリアはポーチを開けていた。
銅貨を探す。
落とさないように確認する。
ちゃんと一枚ある。よし。
「ありがとうございます!」
リリアは銅貨一枚を置くと、棚から地図を一枚取って店を出た。
おばちゃんは、リリアが抜き取った場所をちらりと見る。
リーベル周辺地図の隣。
そこに置かれていた、リーベル町の案内地図が一枚減っていた。
「……あっ」
店の外では、リリアが胸を張って歩き出していた。
背中には大剣。
髪には黒いリボン。
足元には子猫。
そして手には、町の外ではあまり役に立たない地図。
「まずは町の入り口まで。そこから先は、地図を見ればいい」
リリアは静かにうなずいた。
ネムは、リリアの手にある地図を見た。
そして、ふすっと鼻を鳴らした。




