「遅いよ、リリア……」
シュバルトの森を抜け、リリアたちはセルノという町にたどり着いた。
町の通りには、木柵で囲われた馬や羊がいて、そのそばでは商人たちが話をしている。
荷車には飼料の袋や木箱が積まれていて、小さな檻を運んでいる人もいた。
賑やかな通りを抜け、その先にある噴水広場でリリアたちは休憩することに。
ベンチの足元で座ったネムは、湧き上がる水を眺めている。
そこへ、一羽の梟が静かに舞い降りてきた。
梟はネムの顔を覗き込むと、小さく首を傾げる。
そのあと梟はふわりと飛んで行き、少し先で一度振り返った。
『……ぼく?』
ネムはゆっくり立ち上がると、梟の後を追いかけた。
梟はついて来たのを確認すると、広場から路地の方へ飛んでいった。
ふと、エルシアが路地へ向かう白い猫に気づいた。
「あっ、あれネムちゃんじゃない?」
リリアは、エルシアが指をさした方を見る。
白い猫が小走りで何かを追いかけていた。
そのあと、念のため足元を確認する。
「ネムですね。……珍しく何か気になることでも――」
エルシアが慌てて立ち上がると、リリアの手を引く。
「は、早く追いかけないと……見失っちゃうよ!」
「急ぎましょう!」
返事をしたあと、リリアがすぐ路地へ向かって走っていった。
「……あっ。待って――」
ぽつんとエルシアだけが広場に残される。
「……なんでかな。ネムちゃんより、リリアの方が心配になってきた」
エルシアはそう呟いたあと、外套のフードを被る。
小走りでリリアの後を追った。
* * *
噴水広場から路地に入ったネムと梟は、静かに進んでいた。
時折、先を飛んでいる梟が振り返る。
ネムの耳がぴくっと動く。
『……このさき?』
すると、向こうから少し息を切らした男の子が走ってきた。
「もー、どこいってたの?」
梟が地面へ降りると、片方の翼をぴしっと上げた。
「猫だ! かわいい」
男の子はしゃがむと、ネムの頭を優しく撫でた。
ネムは一度だけ顔を見たが、その場から動かなかった。
「少し小さいね。この猫が気になるの?」
梟が短く鳴き、返事をする。
「じゃあ、おじさんに見てもらおう」
そうしてネムは、誘われるがままついていった。
* * *
「もう、リリアどこに行ったの……」
路地に入ったエルシアは、辺りを見回して小さくため息をついた。
先に行ったリリアも、ネムも見当たらない。
「……ん?」
ふと、ある方向を見る。
それほど遠くない場所に、いくつかの魔力が集まっているような気がした。
「なんだろう……」
エルシアが、気配のする方へと向かう。
その路地の角へ近づいた、その時だった。
「ま、待って!!」
子供の声が響いた。
エルシアはフードを深めに被り、角からそっと覗いた。
白い猫が、路地の先へ走っていく。
「お前が騒ぐから、逃げられたじゃねえか!」
商人の装いをした男は子供に声を荒げて、すぐに猫を追いかけていった。
近くの木箱に停まっていた梟が、小さく鳴く。
そのあと梟も、路地の先へと飛んでいった。
「ぼくは……」
子供は手をぎゅっと握る。
俯いていた顔を上げると、梟の後を追いかけた。
(……ネムちゃん!)
エルシアもすぐに、後を追いかけた。
路地を抜けると、建物と高い木柵に囲まれた少し広い場所に出た。
奥には、荷車が通れそうな大きな両開きの門がある。
壁際には荷車が停められ、その周りに木箱や飼料の袋が積まれていた。
さらに奥には、大小いくつもの檻が並んでいる。
けれど、中にいる動物たちは妙に静かだった。
そのうち一番上の檻に、一匹の大きな猿が座っていた。
全身を覆うのは、灰銀色の短い毛。
毛の薄い顔にはくすんだ赤みがあり、黄色い瞳がじっとエルシアを見ている。
長い腕をだらりと垂らして、その先の手だけが煤のように黒かった。
男の子は大きな猿を前に、足を止めていた。
梟が肩にとまり、そのまま立ち尽くしている。
エルシアは男にむけて、普段より少しだけ声を張る。
「そ、その子に……なにをしているの?」
男が振り返る。
深くフードを被ったエルシアを見て、眉をひそめた。
「なんだ、お前。関係ないなら引っ込んでろ」
エルシアは一歩、踏み出す。
「でも、その子は――」
「チッ……。おい、そいつを止めろ」
男に呼ばれ、黄色い瞳が細められる。
猿は檻の上から飛び降りた。
どん、と重い音が響く。
立ち上がった身体はエルシアより少し大きく、肩幅も胸板も厚い。
長い腕の先で、黒い手がゆっくりと開いた。
猿の黒い拳が振り下ろされる。
エルシアは咄嗟に、小盾を持ち上げた。
淡い緑の光が盾の縁から広がる。
ごんっ、と拳がぶつかり重い衝撃が走る。
「っ……!」
エルシアの足が少し後ろに滑った。
続けて、もう片方の黒い手が伸びてくる。
肩を掴まれて身体が宙に浮く。
「きゃっ――!」
そのまま投げ飛ばされ、背中から檻へぶつかる。
ガシャンッ!
中にいた動物が驚き、甲高い悲鳴のような声を上げた。
「いた……」
起き上がる途中、深く被っていたフードが後ろに落ちた。
エルシアが檻の中を見ると、狸が奥に身を縮こまらせている。
「ごめんね……」
ネムを追う男が、物音で一瞬だけこちらを振り返った。
「おい、壊すんじゃないぞ!」
その時、立ち上がるエルシアが視界に入る。
若葉色の髪の間から、長い耳が出ていた。
男の表情が、わずかに険しくなる。
「……エルフ? チッ、またかよ」
猿が再びこちらに向かってくる。
エルシアは攻撃を受けながら、チラっとネムの方に視線を向ける。
男はネムを捕まえるのに苦戦していた。
「この……ちょこまかと!」
男はネムへ伸ばした手を引っ込めると、荷車の脇へ向かった。
そこに掛けてあった縄の網を乱暴に掴む。
網の縁には、小さな重りがいくつも付いていた。
(……あれは)
男が網を投げる。
ネムは横へ飛んで避ける。
網が地面にばさりと広がった。
「次は逃さねぇぞ……」
ネムが徐々に、木箱や荷物が積んである方へ追い込まれていく。
エルシアの表情が変わる。
「どいて……!」
前に出ようとすると猿が長い腕を伸ばし、横から拳が振るわれる。
小盾で受けきれなかった攻撃が、肩や脇腹にも当たる。
それでも、エルシアは倒れなかった。
(私じゃ、倒せない。……でも、私は絶対に倒れない)
切れた口の端から、血の味がした。
エルシアは手の甲で唇を擦ると、血が頬に滲む。
猿は肩を上下させ、荒い息を吐いていた。
一度、自分の黒い拳を見る。
それから、まだ立っているエルシアの方へ視線を戻す。
拮抗していると、突然男が痺れを切らした。
「そのエルフはもういい! どうせ何もできやしない。こっちを手伝え」
背を向けた猿に、エルシアは魔力を流した杖を両手で握る。
そのあと、勢い良く猿の頭頂部を叩いた。
カコンッ!
猿は頭を抑えてゆっくり振り返る。
「よそ見をするからだよ……?」
エルシアは少し口角を上げ、猿の目をじっと見た。
猿は歯をむき出しにしたあと長い腕を伸ばす。
エルシアの細い首を、黒い手で掴みあげた。
「ぐっ……!」
右手の杖を振り回すが、猿の腕はびくともしない。
次第にエルシアの手から力が抜け、杖がぽとりと落ちた。
もうダメかと思った、その時――
風が、強く吹いた。
「ギィッ!?」
猿の身体が横から殴られたように浮き、そのまま積まれた木箱へ吹き飛んだ。
ガシャッ!
黒い手から解放されたエルシアの身体が、力無く落ちる。
その身体を、走ってきたリリアが支えてくれた。
「エルシア、無事ですか? かなり着くの早いですね」
「遅いよ、リリア……」
いつものリリアを見て、ほっと肩の力が抜けた。
「ごめんなさい。でも、手を貸してくれる人と一緒にきました」
その時、小さな羽音が近づいてきた。
一羽の小鳥が、エルシアの肩にとまる。
「チチッ」
エルシアが横を見る。
「え……ヒバリ?」
聞き覚えのある落ち着いた声がした。
「エル、大丈夫?」
リリアの少し後ろに、杖を構えた一人のエルフが立っていた。
エルシアの目が、大きく開く。
自分より深い、緑の髪。
自分と同じ、長い耳。
手には、幼い頃から見慣れてる細身の杖。
風になびく、淡い黄色の外套。
「お……お姉ちゃん?」




