「治せなかった」
交易都市ベルクスから出ていたダラッカ街道行きの便。
午前と午後では、立ち寄る場所が変わるとのこと。
「しばらく北へ行ってみたら?」とケンに言われ、リリアたちは広い草原を北へ抜け、シュバルトの森まで来ていた。
ローデを出てから数日。
昨夜まで降っていた強い雨が嘘のように、この日はやっと晴れた。
シュバルトの森は、背が高い木が多かった。
細い針状の葉が何本かずつ束になり、その先から雨粒が垂れている。
見上げると、雲の切れ間から差す日差しが森を明るく照らしている。
いくつか折れた小枝もあった。
森を進んでいると、木々の中にひときわ大きな木があった。
太い木の幹には、一部黒く焦げた跡が残っている。
その木の根元で、誰かが泣いていた。
肩を震わせ、顔を伏せている。
「あそこで、女の子が泣いています」
そういうと、リリアはネムを地面に下ろした。
座ったネムは女の子を見つめ、鼻を一回くんと動かす。
『……?』
「女の子……。あ、ちょっとリリアっ」
エルシアは目を細め、ネムと一緒に後ろから見ている。
驚かせないよう、少し離れたところで立ち止まってから声をかける。
「……あの」
リリアの声に、女の子がゆっくり顔を上げた。
ぴたりと、肩の震えが止まる。
淡い緑の涙がまだ頬を伝っているのに、眉も、口元も動いていない。
ただ静かに、リリアを見つめていた。
よく見ると、長い髪は細い葉の束で、いくつかは力なく垂れている。
身体を包む服は花弁や葉を重ねたもの。
小柄で華奢な、人の身体つき。
瞳は硝子玉のように見えるけど、暗い色で艶はなかった。
植物少女はゆっくりと立ち上がった。
背丈は、リリアより少し低い。
リリアに向けて、手を伸ばした。
薄緑の爪は、葉のように細く尖っている。
「どこか、痛む?」
リリアは目元を少しやわらげ、一歩近づいた。
すると――
植物少女からふわっと、細かな粉が舞った。
木々の隙間から差し込む日差しを受け、きらきらと光っている。
「わっ!」
リリアは腕で顔を覆うと、少し驚いて一歩後ずさった。
ネムが足元に駆けつけると、エルシアも少し遅れて隣に来る。
エルシアとネムにも、まだ舞っていた細かな粉がつく。
「その子、人じゃないよ。ドライアド。木の精霊に近い……魔物なの」
「はい。わたしも、途中から思っていたところです」
植物少女の足元から、数本の細い蔓が這い出した。
エルシアがネムとリリアの前に立ち、左腕の小盾で蔓を防いだ。
「エルシア、助かりました!」
リリアが、背負っている剣の柄を握る。
水鉱石を使って打たれた、新しい剣。
それは、ベルクスに着いて間もない頃のこと――
リリアは鍛冶屋のおっちゃんに、水鉱石を差し出した。
「これを使って、大剣を作って欲しいのですが……」
「大剣は重くて無理だろう……。片手剣なら、扱えるぞ?」
リリアは目を泳がせる。
「あの、でも、その……ファルネのおっちゃんは、これで軽い剣が作れると……」
「ファルネの……?」
鍛冶屋のおっちゃんが、顎に手を当て眉を寄せる。
リリアも負けじと、むっと眉を寄せた。
エルシアが、隣で呟いた。
「片手剣を、少し長めにすれば……」
おっちゃんが表情を引き締める。
「それだ!」
リリアは口をわずかに開く。
「でも、片手では……」
「〝両手剣〟だよ、リリア」
エルシアの言葉に、リリアは瞳を輝かせた。
そして今――リリアは両手で長めの剣を持っている。
植物少女は再び蔓を伸ばすと、エルシアの左腕を絡めとる。
「あっ! リ、リリアお願い! あれ……リリア?」
エルシアが振り返る。
リリアは剣を地面に突き刺し、両手で身体を支えていた。
「し、しびれてっ……うごけ、ません」
そう言っている間にも、膝から力が抜けていく。
リリアは剣にしがみついたまま、ずるずると地面へしゃがみ込んだ。
『……うごけない』
ネムも隣で身体を震わせ、最後にはぺたりと地面に伏せる。
「う、うそっ?!」
そのまま、エルシアが蔓で叩かれた。
「いたっ、いたた。やめて……!」
腕に巻き付いている蔓が、淡く光った。
「……あれ?」
エルシアの身体から、緑色の粒子が少しずつ蔓へ吸い込まれていく。
光はそのまま蔓を伝い、植物少女へ流れていった。
「私の魔力……吸われてる?」
萎れていた髪の葉が、ゆっくりと持ち上がる。
瞳にも、少しずつ色が戻っていった。
やがて、エルシアの腕に巻き付いていた蔓が、するりとほどける。
「この子、魔力が必要だったのかな……」
地面に伏していたリリアとネムが、なんとか起き上がる。
「しびれが、治まってきました」
それでも、指先は少し震えている。
「よかった。一応、手当するね」
エルシアの手から、緑色の粒子が溢れる。
「ドライアドは、あまり自分から襲ってこないよ。でも……」
ドライアドにも、個体差はある。
この子は必要なぶんだけ魔力を吸うと、自分から蔓をほどいてくれた。
かなり穏やかな方だったのかもしれない。
エルシアは、黒く焦げた大木を見上げる。
木が傷ついて、ただ泣いていたのかも。
ドライアドは、焦げた木の幹にそっと手を添えていた。
「それにしても、エルシアはほんとに〝硬い〟ですね」
エルシアがきょとんとする。
「……えっ?」
「いってたじゃないですか。里では〝硬いエルシア〟と呼ばれていると」
リリアはにこりと笑って続ける。
「しびれも効かない、蔓で叩かれても平気でしたね。……さすがで、ふっ?!」
エルシアが目に涙を溜めながら、両手の指先でリリアのほっぺたをつまんだ。
そのまま横にむにっと引っ張る。
「い、いたいです! ごめんなはいっ」
エルシアは口を尖らせ、リリアの頬から指先を離した。
リリアの頬は、少し赤くなっている。
ネムがふと、植物少女の方へ視線を向けた。
ドライアドは木に背中を預けて座ると、そっと視線を上げた。
焦げた幹は、もう完全には戻らない。
けれど、硝子玉の瞳には輝きが戻っていた。




