「ネムの、力?」
「……どこですか? この町」
馬車を降りたリリアは、その場で立ち止まっていた。
振り返ると、そこには嫌になるほど見晴らしのいい草原が広がっている。
草が、そよぐ風になびいた。
小さな動物も、ちらほらと見える。
草原があるなんて、いってた……?
市場で聞いた話と、違う。
リリアが、草原をじっと見つめる。
足元にいるネムも、目の前に広がる草原を見て首をかしげている。
固まる二人の隣で、エルシアは目をぱちぱちさせていた。
「え? 場所違うの?」
「方向は、あってるはずですが……」
リリアが首をかしげ、黒いリボンも斜めに傾く。
エルシアも、草原の遠くを見つめた。
(……寝てたから、何も知らないし、何も言えない)
「……い、いったん入ろっか?」
「うーん……そうですね」
リリアはこくりと頷いた。
三人はそのまま町へ向かった。
町の中央には、馬車が何台も停められる広場があった。
その脇に馬舎が並び、柵の向こうでは馬や見慣れない動物たちがのんびりと身体を休めている。
「……とても動物が多い町ですね」
「街道沿いだからかな? 馬車もいっぱいくるね」
広場へ足を踏み入れた、その瞬間――
大きな犬がこちらへ勢いよく駆けてきた。
明るい金色の長い毛が、走るたびにふわふわと揺れている。
リリアたちの前まで来て足を止めると、
犬は舌を出し、はっはっと息を弾ませながら尻尾を振った。
エルシアはそっとしゃがみ、犬の身体を両手でわしゃわしゃ撫でた。
「元気な子〜。お名前は、なんていうの?」
広場の向こうから、赤い短髪の青年が遅れてこちらに走ってくる。
袖を肘までまくっている腕は、しっかり引き締まっていた。
「すみませーん! 急に来て……少し驚かせちゃったかな?」
「いえ、大丈夫です。ネムは……あれ? おっきくなったね」
ネムはいつの間にかリリアたちから離れ、毛を逆立てていた。
耳もぴんと立っている。
犬が一歩近寄ると、ネムも一歩下がっていく。
青年が、犬を呼んだ。
「こらこら、サニー。そこまでに、猫ちゃんが怖がってるよ」
サニーはしゅんと、頭を垂らしたあと青年の隣に並ぶ。
「君たち、この町に来たのは初めて?」
リリアが頷く。
「はい。〝たまたま〟立ち寄りまして……」
振り返ったエルシアが、リリアの方を向く。
リリアは気にせず、そのまま続ける。
「ここはどういう町なんです?」
「ローデだよ、ここは。馬車や旅人、連れてきた動物たちも休ませられるよ」
エルシアは目をすっと細める。
リリアはその視線から逃げるように、そっと目を閉じ、うんうんと頷いた。
「……なるほど」
青年が、少し離れたところで様子を伺っているネムに声をかける。
「おいでよ、もう大丈夫だから」
ネムは戻ってくる途中も、サニーから視線を外さなかった。
『……ぼくとおなじ?』
「俺はケン。こいつは相棒の、サニーだ」
「リリアです。この子はネム」
「エルシアです」
ケンが、ネムへ目を向ける。
「珍しいな。サニーが猫をこんなに気にするの、あんまりないんだけど」
「そうなんです?」
ケンは少し首をかしげた。
「この子とは、どういう関係?」
「ネムですか? 一緒に暮らしてた猫です。今は、一緒に旅してます」
「……猫?」
「はい」
ケンはネムとサニーを交互に見る。
「サニーが契約獣を見つけた時も、たまにこうなるんだけどな……」
「パートナー……」
リリアは、ふとエルシアを見る。
エルシアは何も言わず、にこっと笑った。
「知らない?」
「はい」
「人と力を合わせる生き物のことだよ。っていっても、無理やり従わせるものじゃない」
ケンが隣のサニーへ目を向ける。
サニーもケンを見上げ、尻尾を振った。
「相手を認めて、信頼して……そこで初めて繋がる」
「繋がると、どうなるんです?」
「力を貸してくれる。サニーなら、守る力だな」
ケンが、サニーの頭を撫でながら続ける。
「力が強いやつもいるし、速さが得意なやつもいる。こいつは、とにかく頑丈なんだ」
リリアとネムの視線が、ぴたりと重なる。
「ネムにも……そんな力があるんでしょうか?」
青年がパンっと手を叩く。
「軽く手合わせしてみるか?」
「いいんですか?」
リリアの表情がぱっと明るくなる。
右手が、新しい剣の柄へ伸びた。
「ああ。ただ、武器は無しで」
「…………はい」
リリアはそっと手を離した。
肩がわずかに落ちる。
「ふふっ、残念そう」
ケンに案内され、リリアたちは町外れの広い草地へ移動する。
「一応、サニーも戦えなくはないんだけど……俺たちだけでやろうか」
そう言うと、ケンの隣にいたサニーは一歩下がった。
リリアはしゃがみ、一度だけネムを撫でる。
「ネム、お願いできる?」
ネムはリリアを見上げた。
『……やっと』
にゃ、と短く鳴いた。
「よし、ケンさん。いけます」
ケンは重心を低く落とす。
「いつでもどうぞ」
リリアはぺこっと頭を下げた。
「よろしくお願いします」
姿勢を低くする。
そして、右足で一歩、地面を蹴った。
間合いを詰めるつもりが、想定より数歩ケンの横を通り過ぎてしまう。
(……っ!)
リリアは反射的に身を翻した。
勢いを残したまま身体の向きを変え、慌てて振り返る。
ケンは目元をやわらげ、静かに頷いた。
「剣を持たせなくてよかったよ。……やっぱり、速いタイプだったか」
「これが、ネムの……」
身体がとても軽い。
五感が、いつもより鋭く感じる。
さっきの勢いも、振り返るだけで安定した。
「俺は、その速さには対応できない。だから何発か当ててもいいよ」
リリアは、リボンの結び目を指で確認する。
そのあと、黄色い瞳をまっすぐ向けた。
「いきます!」
再び踏み込んだリリアは、ケンの懐に潜り込む。
低い姿勢から、左手の拳を脇腹めがけて突き上げた。
ぱりん。
拳が当たると同時に、何かが割れる音がした。
その後すぐに、ケンの右手が伸びる。
左手首を掴まれそうになったリリアは、すぐ腕を引いた。
ケンが出した右手を、リリアは右手で上から下に弾く。
そのあと、腹に拳を三発。
続けて、脚に蹴りを入れる。
リリアは二歩分飛び退くと、ケンに飛び蹴りを放った。
ケンは腕を交差させて、飛び蹴りをしっかり受け止める。
そのままリリアの脚を掴んだ。
体制を崩したリリアは、そのまま地面に叩きつけられる。
「……かはっ!」
ケンは、リリアにすぐ手を差し出した。
「大丈夫か?」
リリアはその手を握ると、小さく微笑んだ。
「……ありがとう、ございます」
起き上がる途中、サニーが駆け寄ってリリアに飛びついた。
「……わっ! ちょ、ちょっと……むぐっ」
リリアはそのまま、サニーのふわふわした毛に埋もれた。
一方、模擬戦を少し離れて見ていたエルシアは――
リリアが一歩踏み込んだ瞬間、目を見開いた。
右足に、淡い琥珀色の魔力が灯った。
金色の粒に、ネムの淡い蒼の霊力が重なる。
しかし、リリアはケンの横を通り過ぎた。
まだ感覚が掴めていない様子だった。
「速い……!」
そのあと、リリアがリボンの結び目を確かめた。
気合いを入れるときにする、いつもの癖だ。
そして、リリアが再び踏み込んだ。
今度は左拳に、金色の粒が灯る。
そこへ、ネムの淡い蒼がふわりと重なった。
まだ、二つの光は別々に見えた。
ケンの身体には、薄い茶色の魔力が纏われている。
リリアの左拳がケンの脇腹に当たる直前――
魔力が脇腹に集まり、薄い壁が作られる。
ぱりん。
壁が砕ける。
茶色い魔力の壁が、リリアの拳を止めた。
(サニーの力……)
ケンはその隙を逃さず、リリアの左手首へ右手を伸ばした。
けれど、リリアはすぐに左腕を引いた。
同時に、伸びてきたケンの右手を、自分の右手で上から弾いた。
そのまま懐でリリアは攻撃を続けた。
左、右、左と、続けて拳を腹へ叩き込む。
最後に左脚で、ケンの右脚を蹴った。
「速いだけじゃない……」
エルシアは思わず呟いた。
掴まれそうになったとき、考えるより先に身体が反応している。
「リリアって、すごく対人戦慣れしてる……?」
リリアが後ろに飛んで、ケンと少し距離を取ると、飛び蹴りをした。
リリアとケンには身長差が、頭一つ分ほどあった。
ケンが腕を交差させると、茶色い魔力が厚く腕を覆う。
蹴りを完璧に防いだ。
直後にリリアの脚を掴み、地面に叩きつけた。
模擬戦が終わった。
エルシアがこうした戦いを見るのは、里にいた頃以来だった。
「受けてから、反撃をする。守りが得意なケンさんらしい戦い方……」
それでも、同調に慣れていないリリアも凄かった。
ネムの淡い蒼の力は、リリアの魔力に少しだけ重なるように乗っている。
エルシアが知っている契約獣の魔力とは、どこか流れ方が違った。
(これが……精霊獣との同調……)
エルシアは立ち上がると、二人のもとへ駆けていった。




