「リリアとなら、進める。」
昨日は鍛錬を終えてから、そのまま薬草屋に向かった。
奥の作業場に立て掛けてもらっていた大剣を背負ってから、薬も何種類か買い揃えた。
その時はオウバさんが作業場に、妹さんはカウンターにいて、ねこじゃらしっていう草をネムの前で揺らして遊んでくれた。
普段は省エネ気質なネムが、パンチを連打していた。
翌朝。
まだ日が昇らない頃、リリアは夢を見ていた。
『お母さん、わたし冒険者になっていい?』
『どうして?』
『強くてカッコよくなりたい!』
『……そうなのね』
母はしばらくリリアを見つめたあと、いつものように目元を緩めた。
『ずいぶん物騒なものに心を奪われたわね』
『物騒なの?』
『一体誰に似たのかしら……』
母は静かに立ち上がり、リリアの手を握る。
『強くなりたいのなら、お母さんが稽古をつけてあげるわね』
リリアは首をかしげた。
『お母さんが?』
『そうよ』
リリアは母に手を引かれて、家の前へ出た。
二人が向かい合えるほどの空間はあった。
母は一息つくと、表情を引き締めた。
『かわいいリリィのためですもの。お母さんは鬼になります!』
『ええーっ!』
リリアは頭の白いリボンを押さえて目を丸くした。
『まずは、きれいに立つところからね』
『はーい……』
鳥の鳴き声で、リリアは目を覚ました。
「……ん」
その時、脚の上になにか重みを感じた。
身体を起こしてみると、ネムが上に乗って寝ている。
リリアは洗面所へ向かい、顔を洗って身支度を始める。
さいごにリボンの結び目を確認して、大剣を背負った。
「……んしょっ」
部屋を出ると、宿の受付の人に声をかけてリリアたちは宿を出た。
桟橋はミナモの西側にあり、森に繋がる川が流れている。
今回は西に行くだけ。
迷わず桟橋に辿りついたリリアとネムは、先に来ていたエルシアをみつける。
「おはよう、リリア!」
「おはようございます。早いですね」
「遅れたらいけないなと思って、つい……」
少し眉を下げたエルシアの視線が、ふとリリアの背負っているものに向いた。
「リリアって、大剣を使うの?」
「はい。そろそろ出番が来るはずなので」
リリアの目はキラキラしていた。
「……そ、そうなんだ」
エルシアがなんともいえない表情をしていると、そこへ声がかかる。
「おっし、揃ったか?」
「は、はいっ!」
エルシアが先に、乗船の手続きを済ませておいてくれていた。
リリアは銅貨を船頭に渡す。
「さぁ乗った乗った!」
船頭が小舟をゆっくりと漕いでいった。
森に入ると、棲んでいる生き物の説明をしてくれる。
「生き物も様々、珍しいのもいるぞ」
リリアが枝に停まった、羽根の色が綺麗な鳥を眺める。
船頭が川の外側を指差した。
「見ろ。ありゃ群れで過ごす、ネズミの仲間でな。少しデカいが、非常に性格はおだやかだ」
そこには耳と手足が短く、全身は毛で覆われていて、鼻が少し大きい動物が川沿いには並んでいた。
エルシアが少し反応する。
「ちょっとかわいいかも……」
船頭がエルシアに尋ねた。
「そういや、なんでわざわざ湿地帯を抜けるんだ?」
「麓の村に、行ってみようと思っていて……。先に里から出た姉が、最初に寄るって話をしてたの、です」
リリアはエルシアに聞いてみる。
「お姉ちゃんには、会える?」
「ううん、結構前だから」
「そうなんですね……。会いたいですか?」
エルシアは首を振る。
「私も一人前になるって、決めたの」
リリアは胸に手を当てて頷く。
「うん。頑張ろう」
リリアがにこりと笑うと、エルシアも小さく笑った。
「なるほどなぁ。確かにあの工房は、手の込んだ道具、革や布を使った装備も有名だ」
「うーん、お姉ちゃんは何か作ってもらったのかなぁ」
リリアが腕の中でじっとしているネムに聞いてみる。
「……せっかくだから、なにか作る?」
リリアの問いにネムは反応せず、たまに耳をぴくっと動かし、周りを気にしている様子だった。
「そろそろ、湿地帯近くの船着き場に着くぞー」
エルシアは地図を広げて場所を確認している。
船頭が真面目な顔で言った。
「湿地帯は早めに抜けたほうがいい、危険な生物もいるからな。……日がくれたら、沼からは離れるんだ。いいな?」
リリアはさいごまで聞いたあと、ちゃんと頷いた。
「わかりました」
船頭は、忠告をしてから小舟で戻っていった。
地図を見ながらエルシアが呟いた。
「ど、どきどきしてきた……」
リリアは湿地帯の入り口を少し見回したあと、立ち止まっているエルシアを呼ぶ。
「大丈夫。エルシア、行こう」
「うん……。えっと……真っ直ぐ、だよ」
地図を見ているエルシアの言うとおりに、少し歩いて進むと、リリアが呟いた。
「……広い。それに」
エルシアが首をかしげる。
「……?」
リリアが泥の近くで見つけたカエルは、想像とは全然違った形で見つける。
グォン……グォン……。
「か……かえるさんが、デカすぎる……」
手のひらサイズの茶色いカエルが、ばちゃっと大きな音を立てて向こうに跳んでいった。
声は野太く、まったくかわいくなかった。
さらに進んでいくと、段々と草が生い茂り、地面も柔らかくなって足場も良くない。
上を見上げると、木々で空が見えにくく薄暗く感じる。
生き物は多いのに、どこか不安になってくる。
湿地帯は、そんな環境だった。
「これは……想定外」
エルシアは目を丸くした。
「リリアは、湿地帯に行ったことあるんだったよね?」
「はい。近所のお爺さんが作った湿地帯ですが……」
エルシアが肩を落とした。
「て、手作り……」
エルシアの足取りは少し重くなってきていた。
リリアも肩に疲れを感じ、汗だくになっている。
「……エルシア、そろそろ休憩する?」
「そ、そうだね……」
倒れている木に、リリアとエルシアは腰を下ろす。
昼食用に持ってきていた果物と、お茶で一息つく。
その間ネムは、耳をぴんと張り、辺りを警戒していた。
太陽は、すでに真上を少し過ぎている。
一息ついたあと、リリアが先を歩く。
その後ろをエルシアが付いてくる。
エルシアの表情は少し暗かった。
でも地図のおかげで、危なそうな道、険しい場所、広い沼は避けれている。
それでも、不安だった。
「あってるのかな……」
実際の湿地帯は天候に左右され、地形も少し変わっている。
見通しも、そこまで良いわけでもなかった。
エルシアが、リリアを呼び止めた。
「リリア、待って」
リリアが足を止めて、振り返る。
エルシアが地図と、目の前の水辺を交互に見比べていた。
「地図には、ないはずなのに……」
「新しくできたんでしょうか?」
地図にはない沼が広がっていた。
仕方なく、リリアたちは安全そうな外側へ迂回する。
沼を避けて外側を歩いていると、エルシアが足を止めた。
木の根が張り出した下に、穴のような暗い場所が見える。
入口の周りには崩れた土と小石が積もり、奥から冷たい空気が流れてくる。
「地図に、ここも載っていない……」
リリアは身をかがめ、穴の中を覗いた。
ネムは鼻を小さく動かしている。
しゃがめば入れそうだった。
「近道でしょうか?」
「……道じゃないと思う。リリア、このまま進もう?」
リリアは立ち上がって頷いたあと、外側をまた進んでいく。
できるだけ乾いた足場を進んでいたが、途中で斜面が出っ張る箇所があった。
リリアが草地を通り過ぎたあと、エルシアもその後を追った。
その時──
濁った水面に浮かんでいた小さな葉が、ゆっくりと左右へ分かれていく。
突然ネムがリリアの腕を蹴って足元に飛び降りる。
ネムが身体を向けた先で、黒緑の頭が水面を押し上げた。
太い前脚が草地を踏み、分厚い身体がのっそりと沼から這い出してくる。
その口先は、リリアではなく、すぐ後ろにいるエルシアへ向いていた。




