第8話:遭難した大商人と、燃やされる国宝(薪)
大陸全土にその名を轟かす『リカルド商会』の会頭、リカルドは、人生の終わりに直面していた。
「……まさか、Sランク冒険者パーティーが、たった数分で全滅するとはな」
彼は、伝説の不老不死の妙薬『神の雫』を求めて、全財産を投じて最強の護衛団を雇い、奈落の森へ挑んだ。 しかし、結果は惨敗。 森の中層で遭遇した『エンシェント・ドラゴン』のブレスによって、護衛たちは灰となり、リカルド自身も片腕を焼かれた。
最後の手段として彼が使ったのは、古代遺跡から発掘された『ランダム転移のスクロール(国宝級)』だった。 「どこでもいい! この地獄から出してくれ!」
祈りは届いた――いや、呪われたのかもしれない。 空間が歪み、彼が吐き出された先は、安全な街中ではなく、森の最深部だったのだ。
「……はは、結局、死に場所が変わっただけか」
周囲は、中層とは比較にならないほど濃密な瘴気が漂っている。 だが、奇妙なことに、リカルドの目の前だけ、ポッカリと空間が切り取られたように澄み渡っていた。 そして、鼻腔をくすぐるのは、死臭ではなく――
「……なんだ、この……高貴な香りは?」
それは、洗練された焙煎の香りと、どこか懐かしい木の焼ける匂い。 リカルドは幻覚を疑いつつ、足を引きずってその香りの源へ向かった。 そこには、あり得ない光景があった。
森の魔力を完全に遮断する結界の中に、一軒のログハウス。 そして、その庭先で、若い男が焚き火をして湯を沸かしている。
「あ……ああ……」
リカルドはその場に崩れ落ちた。 助かったという安堵ではない。 彼の「商人としての鑑定眼」が、男が焚き火にくべている「薪」の正体を見抜いてしまったからだ。
(……馬鹿な。あの樹皮の紋様、黄金色に輝く年輪……まさか、『世界樹』の枝か!?)
世界樹の枝。 それは、ほんの数センチの欠片でさえ、大国の城を一つ買えるほどの魔力を秘めた伝説の素材だ。 それを、この男は、あろうことか「お湯を沸かすため」だけに、無造作に火の中へ放り込んでいる。
「おや、お客さんですか?」
タクミがリカルドに気づき、人懐っこい笑顔を向けた。 「ひどい顔色ですね。遭難ですか? まあ、まずは火に当たってください。温まりますよ」
「……あ、あぁ……」
リカルドは震える手で焚き火に近づいた。 パチパチ……と爆ぜる音と共に、世界樹の煙が彼の肺を満たす。 ただ煙を吸い込んだだけなのに、焼かれた腕の痛みが引き、枯渇していた生命力が奔流となって蘇る。 これは焚き火ではない。国宝を燃やして行う、贅沢すぎる「魔力浴」だ。
「さあ、コーヒーが入りましたよ。よかったらどうぞ」
差し出されたのは、湯気を立てる黒い液体が入ったカップ。 リカルドはそのカップを見て、二度目の心停止を起こしかけた。
(こ、これは……『竜王の涙』で作られた器……!?)
この世に現存しないはずの、超古代文明の技術結晶。 それに、ただの黒い液体が注がれている。
「いただきます……」
恐る恐る口をつける。
「――っ!?」
苦味の中に隠された、果実のような酸味と、チョコレートのような甘いコク。 喉を通った瞬間、脳内の霧が晴れ、商人として長年酷使してきた神経が、絹のように解きほぐされていく。 世界樹の焚き火で沸かした湯が、豆のポテンシャルを極限まで引き出し、飲むだけで魂の格が上がるような至高の一杯。
リカルドは、カップを持ったまま号泣した。
「……あんた、一体何者なんだ……! 世界樹を薪にし、竜王の器でコーヒーを飲むなんて……この世の支配者か何かか!?」
「え? ああ、この薪ですか? 裏庭に生えてるデカい木が、よく枝を落とすんで、乾燥させて使ってるんですよ。火力が強くて便利なんです」
「便利……だと……?」
リカルドの常識は粉々に砕け散った。 この男にとって、世界の至宝は「よく燃えるゴミ」に過ぎないのだ。
「あ、あの……マスター殿。お願いがあります」 リカルドは地面に額を擦り付けた。土下座だ。
「私を……あなたの店の下僕にしてください! いや、この『薪の燃えカス(炭)』だけでもいい! 私に売ってください! 全財産を払います! 私の商会の権利書の半分を渡してもいい!」
リカルドは必死だった。この炭ひとかけらあれば、王族相手に幾らでも商売ができる。
しかし、タクミは困ったように頬をかいた。
「いやぁ、そんな大金を貰っても困りますよ。ここじゃあ『コンビニ』もないし、使い道がないですから」
「……こん、びに?」
リカルドがきょとんとして聞き返した。 「なんと高貴な響き……。それは、古代語で『神の宝物庫』か何かを意味する言葉でしょうか?」
「あ、いや。えっと……『何でも売っている便利な店』のことです。故郷の言葉で」
「な、何でも売っている……!? そのような夢のような場所が、貴公の故郷にはあるというのか……!」
(やはり、この御方は神界の住人に違いない……!) リカルドの中で、タクミの神格化がさらに加速した。
「ま、まあそれは置いておいて。コーヒー代の『銀貨1枚』は頂きますよ? 商売ですから」
タクミは話を強引に戻し、ちゃっかりと手を差し出した。 国家予算レベルの価値があるコーヒーを、たった銀貨1枚で売るというのか。 リカルドは震える手で銀貨を支払った。
「……では、この『炭』はどうすれば……?」
「うーん、そうですねぇ」
タクミは少し考え込み、ふと何かを思いついたように手を叩いた。
「あなた、商人さんなら『お米』とか『醤油』って手に入ります? 最近、卵かけご飯が恋しくて」
「……は? お米、ですか?」
「ええ。もし、最高級の『お米』と『醤油』を持ってきてくれるなら、この炭……あー、ゴミの処分代として、一袋持っていっていいですよ」
「ご、ゴミ……!?」
リカルドは耳を疑った。 世界樹の炭(国宝級の魔力燃料)と、ただの穀物を交換? 等価交換の天秤が、音を立てて崩壊している。だが、これは商機だ。
「……よ、喜んでぇぇぇーーッ!! 契約成立です!!」
リカルドは、焼け焦げた服も気にせず、狂喜乱舞して叫んだ。
「来週……いや、3日以内に大陸最高のお米を持ってきます! 必ずや!!」
「あ、あと『卵』もお願いしますね。新鮮なやつ」
「お安い御用ですともぉぉぉ!!」
こうして、喫茶『止まり木』に、二人目の常連――のちに「大陸一の大富豪」と呼ばれることになる専属御用聞き(パシリ)――が誕生した瞬間であった。




