第16話:人類最強と魔王の娘、そして休戦のオムライス
「い、いらっしゃいませ……(くっ、次期魔王たる私がこんなフリフリの服を……! いや、これは究極の甘味を毎日摂取しつつ、この人間を監視するための崇高な潜入任務……っ!)」
喫茶『止まり木』の店内。
魔王の愛娘リリスは、タクミが用意したエプロン姿で、ぎこちなくモップ掛けをしていた。
すべてはあの「悪魔的パンケーキ」の魔力に屈したから……ではなく、あくまで魔王軍の脅威となる拠点を内側から探るための、過酷な(そして美味しい)スパイ活動なのだと、彼女は必死に自分に言い聞かせていた。
カランコロン♪
そこへ、ドアベルの音と共に一人の客がやってきた。
非番の王国第一騎士団長、アイリス・ドラグニアである。
「マスター、開いているか? 連日の『冷やしトマト丸かじり修行』で、団員たちの胃腸が限界を迎えていてな。今日は温かい肉料理でも……」
アイリスが言いかけて、ピタリと足を止めた。
彼女の鋭い視線が、モップを持った小柄な少女を射抜く。
「……む? 貴様、ただの人間ではないな。その奥底に隠しきれない、濃密な闇の魔力……」
アイリスの手が、腰の剣の柄にかかる。
リリスも即座にモップを投げ捨て、真紅の瞳を細めて魔力を練り上げた。
「あら、王国の番犬じゃない。こんな森の奥で油を売っているなんて。……ちょうどいいわ、その首、手土産に持ち帰ってあげる!」
「やはり魔族か! それも幹部クラス……! なぜこの聖域(マスターの店)に魔族が入り込んでいる!?」
店内を、二人の圧倒的な闘気が満たしていく。
人類最強の騎士と、次期魔王候補。
激突すれば、余波だけで山が三つは消し飛ぶほどのエネルギーが、狭いログハウスの中で臨界点に達しようとしていた。
「我が聖剣の露と消えよ、魔族!!」
「灰になりなさい、人間!!」
アイリスが抜刀し、リリスが極大殲滅魔法の陣を展開した――その瞬間。
「あ、アイリスさんいらっしゃい。リリスちゃん、お冷出してくれる?」
厨房の奥から、タクミがのんきな声で現れた。
両手には、湯気を立てる二つの皿を持っている。
「なっ……マスター!? 危険だ、下がって――」
「えっ? あ、ご主人様、今はちょっと……!」
殺気を全開にしていた二人は、タクミの無防備すぎる登場に虚を突かれ、見事にずっこけた。
「ちょうど今日のお昼ご飯ができたところなんですよ。まかないも兼ねて、新メニューの試食、お願いできます?」
タクミがカウンターにコトンと置いたのは、真ん丸で黄色いオムレツが乗ったご飯。
そして、小さなピッチャーに入った黒褐色のソースだった。
「これは……?」
「『特製デミグラス・オムライス』です。ちょっと真ん中にナイフを入れてみてください」
アイリスとリリスは、互いに牽制し合いながらも、タクミに促されるままナイフを手にした。
ぽってりとしたオムレツの中心に、スーッと刃を入れる。
――パカンッ。
その瞬間、オムレツが自らの重みで左右に割れ、中から半熟でトロトロの黄金の卵(皇帝の卵)が、滝のようにチキンライスを覆い尽くした。
「「なっ……!!?」」
二人は息を呑んだ。
そこへタクミが、温めたデミグラスソースを回しかける。
Sランク魔獣『アイアン・ボア』の骨髄と、香味野菜を三日三晩煮込んだ究極のソース。それが、バター香る半熟卵と、幻の米『聖女の涙』をケチャップで炒めたライスに絡み合う。
「熱いうちにどうぞ」
もはや、剣を交えている場合ではなかった。
暴力的なまでの「旨味の香り」が、二人の闘争本能を完全に上書き(ハッキング)してしまったのだ。
「……い、一口だけだ。一口食べてから、貴様を斬る」
「……ふん。最後の晩餐にしてあげるわ」
二人はスプーンでオムライスをすくい、同時に口へ運んだ。
「――――ッッ!!」
「――――はぁぁっ!?」
脳髄が痺れるほどの、圧倒的な暴力。
卵のふわとろ食感が舌を優しく包み込んだかと思えば、濃厚なデミグラスソースの深いコクと肉の旨味が、ガツンと味覚を殴りつける。
さらに、ケチャップライスの爽やかな酸味が、その重厚な味わいをリセットし、「次の一口」を無限に要求してくるのだ。
「う、美味い……! なんだこの卵とソースの完璧な陣形は……! 剣と盾が一体となって、私の口内を制圧してくる……!」
「ああっ、こんなのズルいわ! 魔王城のフルコースが霞んでしまうほどの重厚な旨味……! この黄色い悪魔、私をどこまで堕落させれば気が済むの……っ!」
カチャカチャカチャカチャ!!
数秒前まで殺し合おうとしていた人類最強と魔王の娘は、無言で猛烈な勢いでスプーンを動かし続けた。
聞こえるのは、皿とスプーンが当たる音と、荒い息遣いだけ。
「ふう。お粗末様でした」
タクミが空になった皿を下げる頃には、二人は完全に戦意を喪失し、幸せそうに腹をさすって並んで座っていた。
「……アイリス、と言ったわね」
「……リリス、か」
二人はおもむろに向き直り、静かに頷き合った。
「「この店内(聖域)においてのみ、一切の戦闘行為を禁ずる(不可侵条約)」」
こうして、喫茶『止まり木』という極小の空間においてのみ、人類と魔族の歴史的な「一時休戦協定」が、一杯のオムライスによって結ばれたのであった。
「あ、アイリスさん。食後のコーヒー淹れますね。リリスちゃん、テーブル拭いておいて」
「「はい!(マスター/ご主人様)」」
タクミは、新しく入ったバイトの子と常連客が(なぜか同時に返事をして)仲良くなったのを見て、嬉しそうに微笑むのだった。




