世界意思 4
非常に遅くなってしまった。
亜人国家の外側。
無数に大地が抉れた痕、底は見えるがかなり深く削れた真っすぐ伸びる痕、そしてやけに気分が晴れるような天候が体中を突き抜けていくような感覚。
それなのに……とても優雅とは言えないような光景が目の前に広がっていた。
「ここで戦いがあったのか……随分と戦歴が残っていやがるなぁ」
肉弾戦で頂点に立った獣人族の王であるジャーレンは、どこを注視することもなく言い切った。
その後ろではハバンが周りを見渡している。
「まぁ、そうだな……。今は何事もなかったかのように静かだけど、本当に大きな戦いがあったんだ」
思い出すだけで声に力を入れる事が出来ないような、何とも言えない虚無感が襲う。
あの戦いを『どんな戦いだったのか?』と問われると――――『分からない』と答えてしまうような、何が起こっていたのかすらも微かにしか覚えていないバルファは答えられなかった。
そして、少しの静寂――――
「何だか……今のお前さんに聞くのは躊躇われるなぁ」
「いいよ。俺も聞きたいことがあるって言って、ここまで一緒に来て貰ったんだ」
わざわざ亜人国家の外に出るのは理由があった。
それは本来なら、ハバンとバルファで共有した秘密。
「なら聞くがぁ……――――どうしてお前からオレの娘の匂いがするんだ?」
ハバンの父親。ジュエリーの父親。
ということは、あの時に捨てられていた少女の一人――――リルフェンの父親。
きっと嗅覚が発達した獣人ならば、どれだけ俺が取り繕っても無駄なことだっただろう。
「……初めて出会ったのは、俺がこの国で英雄なんて呼ばれ方をする直前のことだった。あの魔獣の軍勢にやられたのか血溜まりの真ん中で気を失っていた少女がいた。その時が出会いだ」
耳を塞ぎたくなるような絶叫が響きあたる森の中、いつも無我夢中で振り続けていた木刀を地面に突き立てて周りを見渡した。
師匠は『おっ、こりゃぁ良い修行が出来そうだな』なんて笑いながら、一本の刀を俺に渡す。
鞘は漆黒に染まり、柄は赤黒く滲んでいるように見える。
今まで握ったこともないような不思議な刀。
『それは貰いもんだ。好きに使え』
師匠はそう言ってはいたが、今まで師匠と以外に何かをしたことがなかった俺は首を傾げることしか出来なかった。
すると、師匠は笑った。
『ここはお前の居場所だぞ? お前がどうにかしなきゃ、他に誰がするんだ?』
それから初めての戦闘が始まった。
縦横無尽……とまでは言わずとも、森を荒野を駆け回ったのことを思い出す。
大木を薙ぎ倒しながら、硬い大地に大きく足跡を踏み残す魔に侵食された獣を無我夢中になって斬り伏せた。
刀の柄を握っている感触すらもなく、刀を振れば自分の血飛沫が地面に広がるようによ飛び散った。
汗で服が肌に張り付いてから何時間経過したのかも忘れたころには、既に体から熱が失われていて徐々に意識的に刀を振るうことが出来なくなってしまい感覚的に振るっていたのだろう。
そこからの記憶は朧気だ。
ただ唯一覚えているのことが、二人の少女を助けたこと。
その一人がリルフェン。
「初めて見た時は何も思わなかったけどさ、改めて見たら驚いた。色んな亜人を見て来たけど真っ白な髪の獣人なんて初めて見たからな」
「…………そうか」
ジャーレンも、奥に見えるハバンもどこか哀愁が漂った。
「ハバンからは聞いてる。あんたが平和大陸に捨てた子がリルなんだろ?」
「簡単に言えばそうなる」
「今更捨てた理由とか聞くつもりもねぇし、正直言って俺にとってはどうでもいい。ただあいつは元気にやってるよってのを伝えておきたかった」
「……ならいい。オレはもう親でも何でもねぇ、無関係な男だ。帰るぞ、ハバン」
そのまま踵を返して亜人国家の門に向かって歩く背中を眺めていると、ハバンが小声で呟いた。
「ジュエリーにもちゃんと話す。あの時のことを清算してくる」
そう言ってハバンはバルファに小さく礼をして、ジャーレンの背を追って行った。
そして……またしても静寂が訪れる。
無意識に眺めていた方角に何があるのか考えれば、王都があった。
距離で言えば約二千キロ。
見えるはずもない煌びやかな王城が思い浮かんだ。
王の下には貴族がいて、貴族の下には騎士がいて、騎士の下には市民がいて、市民の下には貧民がいて、貧民の下には奴隷がいる。
まさに、誰しもが誰しもの屍の上に立っている状態で整えられた〈ファーベル〉の姿。
「面倒だよなぁー、人族って」
自分も人族であるはずなのに、そんなことを呟いてしまう。
執念深く、一度絡みついたら離さない。
誰かを貶めて愉悦に浸る。
師匠の下を離れて、勇者パーティに加わった時期を合わせると三年間。
何度も無関心ではいられない光景を目にしてきたからこそ、つい言葉が零れてしまったのか。
「戻って来て正解だったぜ」
亜人国家から出る時にジャバウォックから貰った金色のブレスレットが少しだけ温かいような気がする。
「未だにティナは指名手配中だろうし、まだまだ奴隷に変えられた亜人がいるかもしれねぇ。勇者たちがいなくなったからって手を引く訳がないよな」
かつての仲間であった者たちを退けた。
全員が無事だった。
でも、次もそうだとは限らない。
また次の戦力がやってくる。
また次の作戦で襲ってくる。
何をそこまで追ってくるのかは理解出来ないが、異常なまで執着を見せる彼らが〝もう終わり〟なんてわけがない。
「ここは俺の居場所だ。俺が守らなくて、誰が守る?」
小さく呟いた覚悟は、背後に迫っていた聖女の耳にしっかりと聞こえていた。
◆
ジャーレンたちがいなくなった王接室には、当然残された者たちがいた。
もうそろそろで午前が終わるであろう時間帯。
太陽が高く昇ったのか、この要塞の窓を心地いい温かさが貫いた。
「そういえば、こうやってちゃんと話すのは初めてじゃな? 儂はジャバウォック、よろしくのぉ」
「す、すみません。挨拶が遅くなってしまって……アレフィティナと申します。よろしくお願いします」
緩やかな静寂が支配していた空間を断ち切ったのは、メイガスが淹れたばかりの茶を冷ましながらのジャバウォックであった。
「仕方ないわい、普通に緊張するもんじゃからな。なんて言っても儂、王じゃから」
「風格はあっても中身に少しだけ難があるけどね」
既に話し合いが終わっているからなのか、メイガスは普段通りの口調に戻っている。
ここにいる全員もきっとこれが普段通りの態度なのだろうと、アレフィティナは皆を見渡して思った。
緊張感はあれど、それぞれの空気が流れている。
それが如実に露わになっているのはユーリシスとナタリアルバの二人だ。
「こら、崩し過ぎだよ」
「いいじゃない、もう話し合いは終わったもの。とにかく今は久しぶりの再会に浸っていたいの」
身長が小さいユーリシスを包むように体を絡め、宙に舞う。
もう当然のように魔力で浮遊していることは置いとくとしても、何だか甘ったるい空気が漂い始めているような気がしてアレフィティナは顔を少し逸らしてしまう。
「あら? こういうのは苦手なのかしら」
「あ、あまり得意ではないですね」
「そう。その赤い糸で結ばれているから、私はてっきり大好きなものだと思っていたわ」
――――赤い糸。
視線を膝元に置いてある手に落とした。
「これは、必然的なものなので……」
そう、これは運命が呼んだ必然。
そこらに転がっている偶然で奇跡的な運命とは、ものが違う。
「必然……とは、どういう意味じゃ?」
「そのことに関しては夜にバルが話そうとしていたことに繋がるんです。先に話しておいてもいいのかな?」
「言ってくれ。正直なところ、戦いをその場で見ていない僕たちからすれば何が起きていたのか全く把握できていないんだ」
ユーリシスと共に城内への被害を防ぐために駆け回っていたバロックも壁に寄りかかりながら耳を傾けている。
「その前に一つ――――メイガスさんも覚えていますよね?」
あの時の戦いを。
あの時の光景を。
あの時の感覚を。
あの時の感情を。
「えぇ、まだ今も夢のように感じるけどね」
「…………どういうことじゃ?」
それから話されたことは、更に話題を難しくさせるものだった。
あんなに楽しかった瞬間は、一瞬にして地獄へと変わった。
元仲間であった勇者パーティの面々がバルファの家族を蹂躙したことによって始まった因縁による戦い。その戦いがトリガーになって私の運命が〝覚醒〟したこと。
あの時ほど、夜が長いと感じたことはない。
メイガスも似たような感覚を味わったという。
過去にあった魔物の大群――――バルファという一人の少年が〝英雄〟と呼ばれる所以となった戦い。
あの時の恐怖が体を震えさせた。
まだまだ力が足りなくて、城内に籠って怯えることしか出来なかった記憶が蘇って涙が零れそうになった。それでも立ち上がらないといけないと思ったのは、バルファの剣閃が闇夜に煌めいたからだった。
「どう伝えればいいのか…………」
「別の人が体を勝手に使っていたって言えばいいのか……な? 実際に私はあの戦場でお父さんに出会ってることを覚えてるし、誤魔化したのも知ってる」
「……やはり、あれはメイガスじゃったか。色んな意味で儂が見違うなんてことはありえん」
ただ、と一度話しを区切るようにジャバウォックは言った。
「儂の目を誤魔化せてしまえるほど、メイガスの気が別物になっていた。あれはまるで別人じゃ」
「それについては、私がここで証明できます」
その瞬間――――アレフィティナの体に内包されていた【何か】が溢れ出した。
「……ッ!!」
その変わり果てた姿に一番驚きを見せたのは意外にもナタリアルバだった。
魔力によって浮かんでいた体がゆっくりと沈んで行ったからだ。
「(魔力が消えた?)」
「どうでしょう? 外見に変わりはなくとも存在は変わっているでしょうか?」
「確かに、凄まじいほどの変わりようじゃ……」
この場にいる者たちは目を見開いた。
歴戦であるが故に、感じ取ってしまったのだ。
意味の悪い異質な感覚に身体が勝手に反応を示してしまうのは、それほど変化を味わってきた証拠とも言える。
「……メイガスも出来るのか?」
ユーリシスは瞳だけ動かしてメイガスを見るも、首を左右に振って応えた。
「私ではここまで変わることはないでしょう。あくまで記憶があって、あの瞬間を少しだけ引き出せるだけだと思います」
「……そう、か」
表情も穏やか、姿勢正しく座っているだけのアレフィティナを見やる。
その場から一歩も動かずに座っているだけでも、何故かその場所だけ隔離されているように錯覚してしまうほどの感覚。
どうしてか、ここではアレフィティナだけが独りに感じてしまう。
「この力を皆さんに話す訳には行きません。ただ、ジャバウォック様には伝えないといけないと思い私とバルはここに来ました。その場所には信頼できる方をお呼び頂けると幸いです」
座った姿勢で一礼すると、立ち上がって扉へと向かっていく。
「では、失礼します。私はバルを迎えに行きます」
とても静かに閉められた扉の音がやけに響いたような気がした。
次の次から物語が始まる予定です。
出来るだけ早く丁寧に投稿します。




