第7話
暫くワルシャワ・ゲットーの跡地でたたずんで、色々と想いを巡らせた後、米内松江はワルシャワで予約してあったホテルに向かった。
松江は実の両親から直に指導を受けたこともあって、英語がそれなりに話せて、読み書きも出来る。
(尚、それよりは遥かに劣っていて、ほぼ片言に近かったが、実母からフランス語を、親友の小林アンナからラディーノ語を教わっていたことから、松江は共に話すことができた)
それに外国からの旅行客を受け入れるのに慣れているホテルだった為に、ホテルの従業員とのやり取りでそう困ることは無かった。
ホテル内のレストランに入った松江は、実の両親から聞かされた、
「現地では現地の料理を食べなさい。それで、現地のことを味覚でも感じなさい」
と言われたことを想い起こして、ポーランド風のボルシチとクロケットを主菜として食べることにした。
「これがポーランドのボルシチ」
松江はそう呟いて、まずはボルシチを少しずつ味わいながら食べることになった。
ロシアやウクライナでは、ボルシチは具沢山のスープ料理になるらしいが、松江が味わうボルシチは、テーブルビートによって赤くなった澄まし汁のようで、ほぼ具が入っていないスープ料理だった。
更に松江は、クロケットを食べた。
キノコ、肉、ザワークラウトを組合わせた材料を詰めた薄いパンケーキに、パン粉をまぶした上で、鍋で揚げて作られたようだ、と松江は食べながら想った。
松江は、自らの記憶の中では、テーブルビートやザワークラウトを食べた覚えはなかった。
そうしたこともあって、ポーランドでは、こんな料理があるのか、と印象付けられることになった。
松江は更に想いを馳せた。
この地を、小林アンナさんの兄のカルロ・メンデスさんは、第二次世界大戦の際、ワルシャワ蜂起が起きた後で踏みしめることになり。
ドイツ軍の占領下から、ワルシャワを解放したのか。
そして、今の妻であるマリアさんと此処でカルロさんは出逢って、結婚に至ったのか。
マリアさんは、ワルシャワ・ゲットー内でどんな生活を送ったのだろうか。
ろくな食料が配給されず、闇で食料を購入することで、何とか生き延びられたそうだが。
その頃、テーブルビートやザワークラウトを、どの程度は食べられたのだろうか。
松江は、そんなことにまで想いを馳せることになった。
翌朝、松江はワルシャワを出立して、フランスの首都パリへ、更にブレストへと向かうことにした。
幾ら主に航空機での移動とはいえ、結果的にほぼ丸一日掛かりの移動になる。
松江は、ポーランドでの朝食として、プラツキというジャガイモのパンケーキに、トマト入りのスクランブルエッグ、焼いたソーセージという、やや重めの食事を摂って、長距離移動に備えた。
そして、ブレストのホテルに夕方、松江は何とかたどり着くことになった。
本来なら、ブルターニュ地方の海の名産物と名高い牡蠣を夕食に、松江としても食べたかったが。
生憎と牡蠣の旬には程遠い、真夏の旅である。
それこそブレストに住んでいた実母の久子や、フランスに第二次世界大戦時に赴いていた軍人に訊ねたところ、夏の時期の牡蠣はお勧めできない、と言われては。
松江は牡蠣を食べることを断念して、ブルターニュ風ポトフといえるキッカ・ファルスを夕食で食べることにした。
ホテルに併設されたレストランで出されたキッカ・ファルスは、肉や野菜の入ったスープの傍に、パテのようにしたファルスをスライスして提供される形式だった。
松江はどんな味がするのか、とファルスを食べたところ、蕎麦の風味を感じて、想わぬ美味に驚嘆することになった。
松江は改めて想った。
実母はどんな想いをしながら、食べただろうか。
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