第七話 異世界でいつもの味 前編
城下町から王城へ戻った頃には、日もだいぶ傾き始めていた。
「結構歩いたな……」
「お疲れになりましたか?」
「いや、そこまでじゃない。見るもん多かったから」
隣を歩くマリアに答えながら、俺は今日見てきたものを思い返す。
野菜、肉、魚、香辛料、調味料。
見たことのないものも多かったが、何に使うのか聞けば意外と分かるものも多い。少なくとも、異世界だから何もかも意味不明、なんてことはなかった。
むしろ、使ってみたいものが増えた。
「それで、このまま厨房へ向かわれるのですか?」
「うん。そのつもり」
「本当にお作りになるんですね」
「そのために厨房使わせてもらうことにしたんだしな」
地球から一緒に飛ばされてきた食材も、いつまでも置いておけるわけじゃない。
魔法を利用した冷蔵庫のおかげで状態は保たれているらしいが、だからといって永久保存できるわけでもないだろう。
何より、せっかく残っているのに駄目にするのはもったいない。
「マリアも食う?」
「よろしいのですか?」
「作る量にもよるけど、一人で食うつもりはないし」
「では……ぜひ」
少し嬉しそうに答える。
「そんな期待されると困るんだけど。普通の家庭料理だぞ」
「ナギ様の世界のお料理なのでしょう?」
「まあ、そうだけど」
「でしたら、私にとっては普通ではありません」
「……それもそうか」
俺にとっての普通が、こっちでも普通とは限らない。
逆も同じだ。
今日の昼に食べた料理だって、この国では珍しくないものらしいが、俺にとっては初めてだった。
そう考えると、ちょっと面白い。
厨房へ着いて扉を開けると、昼の忙しい時間を過ぎているとはいえ、中ではすでに夕食の仕込みが始まっていた。
大きな鍋から湯気が立ち、野菜を刻む音が規則正しく響いている。
邪魔にならないよう入口で立ち止まると、奥にいた男がこちらに気づいた。
「お戻りになりましたか、ナギ殿」
がっしりした体格に、短く切った焦げ茶色の髪。
以前、俺が地球から持ってきた食材を預けたときにも顔を合わせた男だ。
「ただいま。えっと……」
「バルドです」
「バルドさんか、」
「私のことは呼び捨てでお呼びください」
「そういうならバルドって呼ぶよ」
料理長――バルドがわずかに笑う。
「それでバルド。前に預けた食材、まだ大丈夫?」
「ええ。確認しております。保存状態に問題はありません」
「よかった。じゃあ今日使おうと思って」
「承知しました。すでに話は伺っておりますので、こちらをお使いください」
バルドが示したのは、厨房の端に用意された作業台だった。
なるほど。
いきなり厨房へ押しかけて「今から料理するから場所貸して」ではなく、ちゃんと俺が使うことは伝わっていたらしい。
「助かる」
「必要なものがあればお申し付けください。この城にある食材でしたら、用意できるものも多いでしょう」
「それなんだけど、今日街で見たやつも使ってみたいんだよな」
「ほう。何を?」
「グラウと、紫色の細長いやつ。名前は……」
思い出そうとしていると、マリアが横から助け船を出した。
「リゼルでしょうか」
「ああ、それ。それを薄く切ったら鍋に使えそうだなって」
「なるほど。どちらもございます」
バルドが近くの料理人に声をかける。
その間に、預けていた地球の食材も運ばれてきた。
見慣れたスーパーの袋が、異世界の王城の厨房に置かれる。
やっぱり何度見ても変な光景だ。
中身を取り出す。
豚肉。
キャベツ。
卵。
豆腐。
長ネギ。
牛乳は召喚されたときにパックが破れて駄目になったので、残っているのはこれだけだ。
「状態は……」
豚肉を確認してから、《万象解析》も使ってみる。
問題なし。
卵も同様。
冷蔵庫の性能はかなりいいらしい。
「よし。大丈夫そうだな」
「何を作られるので?」
バルドが聞いてくる。
「すき焼き」
「スキヤキ」
「鍋料理の一種。肉と野菜を甘辛い味で煮るんだよ」
「なるほど。城下で鍋に使えそうなものを探していたのは、そのためでしたか」
「そういうこと」
俺は豚肉を持ち上げる。
「本当は牛肉で作ることが多いんだけど、今日は豚でいく」
「豚では合わないので?」
「いや、普通にうまいよ。家とか地域によって作り方も具も結構違うし」
そもそも俺だって、全国すべてのすき焼きを知っているわけじゃない。
うちで食べていたものと違う作り方なんていくらでもあるだろう。
今回はさらに異世界の材料まで混ざる。
だったら最初から完全再現なんて狙わなくていい。
「問題は味付けだな」
俺は厨房にある調味料へ目を向ける。
「ラグ、使っていい?」
「もちろんです」
小皿に少量出して味を見る。
やっぱり醤油とは違う。
塩気が強く、独特の発酵した香りもある。
でも、方向としては使える。
「砂糖は?」
「こちらに」
「酒も欲しい。できればちょっと甘いやつ」
「それでしたら何種類かありますな」
バルドが持ってきた酒を少量ずつ確認する。
一番香りが穏やかで、少し甘味のあるものを選んだ。
「これが近いかな」
「何にです?」
「みりん」
「ミリン」
「甘い酒みたいな調味料。すき焼きにも使う」
「それを作ればよいのでは?」
「作り方知らん」
「……なるほど」
「料理好きだからって調味料の製造方法まで全部知ってるわけじゃないからな?」
「確かに、その通りですな」
バルドが妙に納得した顔をする。
料理ができることと、醤油やみりんを一から作れることは全然違う。
俺だって普段はスーパーで買っていた。
「じゃ、合わせてみるか」
鍋にラグ。
砂糖。
酒。
水。
少し温めて、味を見る。
「……濃い」
「ラグが多かったですかな」
「だな」
水を足して、もう一度。
「んー」
「いかがです?」
「まだちょっと違う」
砂糖を少し。
酒も少し。
温めて、また味見。
今度はバルドにも小皿を渡した。
「どう?」
「甘味は悪くありません。ただ、肉や野菜を入れるのであれば、今の段階では少し味が強い方がよいかと」
「あー、具から水出るもんな」
「ええ。それと、ラグは一度火を入れた方が香りが穏やかになります」
「じゃあ少し煮立たせるか」
弱く沸かしてから、もう一度。
「……お」
さっきより角が取れている。
醤油で作った割り下とは違う。
違うけど。
「うまいな」
「私もそう思います」
「じゃあこれでいこう」
完全なすき焼きじゃない。
だから、すき焼き風。
それで十分だ。
次は具材。
長ネギを切り、豆腐を食べやすい大きさにする。
そこへ用意してもらったグラウとリゼルも並べた。
「リゼルは薄くした方がいい?」
「食べながら火を通されるのでしたら、その方がよいでしょう。厚く切ると少々時間がかかります」
「じゃあ、このくらいか」
数ミリ程度に薄く切る。
グラウにも包丁を入れようとしたところで、バルドが口を挟んだ。
「ナギ殿。そちらは逆向きの方がよろしいかと」
「逆?」
「ええ。グラウは繊維が強いので、その向きですと煮ても少々噛み切りにくくなります」
「ああ、なるほど」
向きを変える。
「こう?」
「ええ」
「了解」
こういうのは聞かないと分からない。
料理のやり方そのものは分かっていても、知らない食材の癖までは知りようがない。
俺が求める味を知っていて、バルドがこの世界の食材を知っている。
案外、相性はいいのかもしれない。
「ナギ様、何かお手伝いしましょうか?」
少し離れて見ていたマリアが聞いてくる。
「んー……じゃあ、その皿取ってくれる?」
「こちらですね」
「ありがと」
切った具材を受け取った皿へ並べる。
白い豆腐。
長ネギ。
緑色のグラウ。
紫色のリゼル。
豚肉。
俺が知っているすき焼きとは見た目からして少し違う。
でも、これはこれで悪くない。
「よし。焼くか」
鍋を火にかけ、油を薄く引く。
温まったところへ豚肉を入れた。
ジュウッ、と音が上がる。
それまで別の料理の匂いが漂っていた厨房へ、焼けた肉の香りが混ざった。
「おお……」
マリアが小さく声を漏らす。
「まだ肉焼いただけだぞ」
「ですが、いい匂いです」
「それは分かる」
肉の端に焼き色がついたところで長ネギも入れる。
ネギの表面が焼け、香ばしい匂いが立ち始めたところへ、さっき作った割り下を流し込んだ。
ジュワッ、と一段大きな音。
甘い香りとラグの発酵した香りが、湯気と一緒に立ち上がる。
「……お」
思っていたよりいい。
「香りが随分変わりますな」
バルドも鍋を覗き込んでいる。
「肉の脂も入ったからかな」
豆腐、グラウ、薄く切ったリゼルを加えていく。
ぐつぐつと煮え始めた鍋を見ながら、少しだけ味を見る。
「うん」
やっぱり日本で食べていたものとは違う。
ラグの風味もあるし、酒も違う。
リゼルから出た甘味も混ざっている。
それでも、肉と野菜を甘辛く煮たこの味は、間違いなく俺の知っている方向にある。
「どうです?」
「成功」
「それは何よりです」
「バルドも食ってみる?」
「よろしいので?」
「味見してもらってたのに完成品食わせないのも変だろ」
小皿へ豚肉とグラウを少し取り、バルドへ渡す。
熱そうに息を吹きかけてから、口へ。
しばらく無言で噛んでいた。
「……なるほど」
「その『なるほど』怖いんだけど」
「いえ。ラグをこれほど甘く使う料理は、この城ではあまりありませんので」
「合わない?」
「逆です。肉にはよく合っています。リゼルの甘味も、この味付けなら邪魔になりませんな」
「だろ?」
「ただ、もう少しだけ酒を増やしても面白いかもしれません」
「マジ?」
「マジです」
「……その言葉、どこで覚えた?」
「エリシア様が使っておられましたので」
「あいつ……」
妙なものを異世界へ広めてしまった気がする。
俺は鍋を弱火にして、蓋をした。
「あとは食べるときに温め直せばいいか」
「そうですな」
そこで、作業台に残った食材へ目を向けた。
卵。
豚肉が少し。
そして。
「……キャベツ」
丸々一玉。
すき焼きに入れてしまってもいい。
でも、せっかくなら別の食い方をしたい。
「そういやナギ殿。先ほど、その卵は生で食べることもあるとおっしゃっていましたな」
「ああ。すき焼きだと、溶いた生卵につけて食うことが多い」
「生のままですか?」
「俺のいた国だと、生で食えるように管理された卵が普通に売ってたんだよ」
「こちらでは、あまり勧められませんな」
「だよな」
この城の卵は加熱前提。
なら、無理して地球と同じ食べ方をする必要はない。
ふと浄化魔法が頭に浮かんだが、すぐにやめた。
生卵が安全なのは、確か洗浄とか温度管理とか、色々条件があったはずだ。
浄化魔法を一発かければ全部解決、なんて簡単な話かどうかは分からない。
――ミーネ。生卵の衛生管理って、俺どのくらい知ってる?
『記録を検索します』
少しして答えが返ってくる。
『洗浄、温度管理、期限管理など、複数の要素に関する記録が存在します。ただし、専門的な管理基準については記録が不足しています』
――だよな。俺、養鶏業者じゃないし。
『肯定します』
そこ即答しなくてもよくない?
「ナギ様?」
マリアに呼ばれて顔を上げる。
「ん? ああ、ちょっと考え事」
「卵のことですか?」
「うん。魔法で安全にできないかなって思ったけど、適当に試すもんでもないな」
「エリシア様なら、ご存じかもしれませんね」
「俺もそう思った。あとで聞いてみる」
どうせ聞いたら、また目を輝かせるんだろうな。
そんなことを考えながらキャベツを見る。
卵。
残った豚肉。
厨房には穀物の粉もある。
出汁に使えそうなものだって、バルドに聞けば何かあるだろう。
「……あ」
「どうされました?」
「もう一品作れるわ」
「もう一品?」
マリアが首を傾げ、バルドもこちらを見る。
「お好み焼き」
「オコノミヤキ?」
「キャベツを細かく切って、粉と卵を混ぜた生地と一緒に焼く。肉も乗せて……まあ、色々入れられる」
「なるほど。それでしたら材料は揃いそうですな」
「だよな」
頭の中では、もうだいたい形になっている。
キャベツを刻む。
粉と卵。
出汁。
豚肉。
あとは焼けば――。
「…………あ」
一番大事なものがない。
「どうされました?」
「ソースがねえ」
「ソース?」
バルドが聞き返す。
「甘くて、酸味があって、香辛料も効いてて……ちょっととろっとした濃い味のたれ」
「そのような調味料が必要なのですか?」
「なくても作れるけど、俺が食いたいお好み焼きには欲しい」
「城にあるものでは代用できませんかな」
「それを今考えてる」
俺は厨房に並ぶ瓶や壺へ目を向ける。
ラグ。
砂糖。
酒。
酢。
香辛料。
城下町でも、この世界には俺の知らない果物や野菜がいくらでもあった。
同じものはない。
だったら。
「バルド」
「はい」
「俺が味の感じを説明したら、使えそうな材料探せる?」
バルドが少し考え、口元を上げた。
「それは、なかなか面白そうですな」
「だろ?」
すき焼きはできた。
次は、地球から持ってきたこのキャベツを使う。
俺の知っている料理を、この世界にあるものでどこまで作れるのか。
どうせなら、試してみよう。




