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第五話 異世界の街を歩こう

 翌朝。


 目を覚ました凪が最初に感じたのは、身体の重さだった。


「……だる」


『おはようございます、ナギ』


 聞き慣れ始めた声が頭の中に響く。


 凪はベッドに横になったまま、天井を見上げた。


 昨日は結局、夕食のあとにも一度だけ魔法を使った。


 その結果がこれである。


 腕を持ち上げてみる。


 動くし痛くもない。


 ただ、なんとなく身体が重い。


 徹夜した翌朝に近いだろうか。


 ――これ、昨日の魔力使いすぎたやつ?


『可能性は高いと推定します』


 ――寝れば治るって言ってたけど。


『昨日就寝前と比較し、疲労状態の改善を確認しています』


 ――じゃあ治りかけか。


『肯定します』


「ならいいか」


 凪は身体を起こした。


 少なくとも、もう一度寝たいほどではない。


 それより腹が減った。


 顔を洗い、着替えを済ませた頃ちょうど扉が叩かれた。


「ナギ様、お目覚めでしょうか」


「起きてるよ」


 入ってきたのはマリアだった。


 昨日までと変わらない侍女服。


 その姿を見て、凪はふと思い出す。


「あ、そうだ。マリア」


「はい」


「俺が最初の日に預けた食材って、まだある?」


「食材……ああ」


 マリアもすぐに思い当たったらしい。


「ナギ様がお持ちになっていた、異世界の食材ですね」


「そう、それ」


「保存庫に保管してあります。傷みやすいものだと伺っておりましたので、厨房で冷却保存しております」


「よかった」


 魔法の冷蔵庫。


 改めて考えると便利である。


「どうかなさいましたか?」


「いや、そろそろ使わないともったいないなって」


 豚肉。


 キャベツ。


 卵。


 牛乳。


 豆腐。


 長ねぎ。


 スーパーで買ったときには、その日の夕飯か翌日の食事になるはずだったものだ。


 まさか異世界の王城で保存されることになるとは、誰が予想できただろう。


「今日、厨房って借りられる?」


「確認は必要ですが……以前、見学をご希望されていましたね」


「うん。できれば見学だけじゃなくて、料理したい」


「ナギ様が、ですか?」


「一応、趣味だから」


「でしたら、料理長に確認してみます」


「ありがと」


 マリアが一礼する。


「朝食をご用意しておりますので、その際にでも詳しくお聞かせください」


「はーい」


『ナギ』


 ――ん?


『先ほど、起床時に疲労を訴えていました』


 ――うん。


『本日の魔法訓練について、過度な実施は推奨しません』


 ――まだ何も言ってないけど。


『記録から予測しました』


 ――だんだん俺の扱い分かってきてない?


『記録に基づく推定です』


 なんとなく誇らしげに聞こえたのは気のせいだろうか。



 ◇



 朝食の席で、凪はパンをちぎりながら今日の予定を考えていた。


 昨日はほとんど一日中、魔法のことをやっていた。


 面白かった。


 今日もやりたい。


 だが、この世界に来てから、凪が見たものは驚くほど少ない。


 王城。


 研究室。


 廊下。


 食堂。


 窓から見える街。


 それくらいだ。


「そういやさ」


「はい」


 向かいに控えていたマリアが答える。


「城の外って出られる?」


「城下へ、ですか?」


「うん」


「少々お待ちいただくことになると思います。私の一存では許可できませんので」


「まあ、そりゃそうか」


 召喚されてまだ数日。


 しかも、異世界人。


 勝手に城から出して問題が起きれば、マリアが怒られるだろう。


「別に今日じゃなくても――」


「今日でも問題ないと思いますよ」


 横から声がした。


 見ると、いつの間に来たのか、エリシアが立っていた。


「おはようございます、ナギ」


「おはよ。早いね」


「もう朝です」


「いや、来るのが」


「本を持ってきました」


 エリシアが一冊の本を掲げる。


 昨日約束していた基礎魔力学の入門書だろう。


「おお」


 凪の目がそちらへ向く。


 エリシアの目も少し輝く。


「まず昨日の発光術式についてですが――」


「エリシア様」


 マリアが止めた。


「朝食中です」


「……はい」


「それと、ナギ様は本日、城下へ出たいそうです」


「城下に?」


 エリシアが凪を見る。


「まだ行ったことがないのですか?」


「ないよ」


「では行きましょう」


「軽いな」


「城下であれば、私が同行すれば問題ないと思います」


「院長ってそんな気軽に出歩いていいの?」


「問題ありません」


「仕事は?」


「問題ありません」


「今ちょっと間がなかった?」


「ありません」


 怪しい。


 だが、行けるならありがたい。


「じゃあお願いしようかな」


「分かりました」


 エリシアは当然のように凪の隣へ座った。


「その本も持っていく?」


「もちろんです」


「街歩きながら読む気?」


「休憩中に読めます」


「俺に読ませる本だよね?」


「私も説明します」


 この人、本当に魔法のことになると止まらないな。


 凪は苦笑してから、もう一つ思い出した。


「あ、あと今日の夕飯なんだけど」


「夕食?」


「俺が作ってみたい」


 エリシアが瞬きをする。


 マリアも少し驚いた顔をした。


「ナギが?」


「そんな意外?」


「料理が趣味だとは聞きましたが」


「言ったじゃん」


「本当に作るとは思っていませんでした」


「趣味って言ったのに?」


「食べる方が趣味という可能性もあります」


「それはただの食いしん坊だろ」


「なるほど」


「なるほどじゃない」


「とにかく、最初の日に預けた食材もあるし。せっかくだから、こっちの食材も使って何か作りたいんだよね」


「異世界の料理……」


 エリシアの目が変わった。


「食べる?」


「食べます」


「即答」


「研究対象として興味があります」


「飯くらい普通に食えよ」


「普通にも食べます」


「じゃあ決まり」


 凪はマリアを見る。


「マリアもどう?」


「私ですか?」


「うん。ずっと世話してもらってるし」


「ですが、私は――」


「一人増えるくらい平気だろ」


 マリアが困ったようにエリシアを見る。


 なぜそちらを見る。


「よいのでは?」


 エリシアが言った。


「ナギが招待しているのですから」


「……では、お言葉に甘えて」


「よし」


 せっかくなら、もう何人かいてもいい。


 だが、この世界で凪がまともに話した相手など、まだ数えるほどしかいない。


「他に呼べそうな人いる?」


「でしたら」


 マリアが少し考える。


「アデル様はいかがでしょう」


「アデル?」


「外務卿のアデル・フェルナー様です。召喚の翌日に、ナギ様の今後の生活についても手配をしてくださいました」


「ああ」


 名前は聞いた覚えがある。


 直接まともに話したことは、まだほとんどない。


「偉い人じゃん」


「エリシア様も十分偉い方ですが」


「そういやそうだった」


「忘れていましたか?」


 エリシアが聞く。


「普段見てるとあんまり偉そうじゃないから」


「褒めています?」


「半分くらい」


「残り半分は?」


「研究バカ」


「それは褒め言葉です」


「強いな」


 凪は笑った。


「じゃあアデルさんにも声かけてみるか。都合よければで」


「お伝えしておきます」


 マリアが答える。


「それでは、厨房の使用についても確認してまいります」


「よろしく」


 今日の予定が決まった。


 午前は城下町。


 昼は、せっかくだから街で何か食べてみたい。


 夕方から厨房を借りられるなら料理。


 魔法については――。


「移動中に話せますね」


 エリシアが言った。


「ですよね」


 どうやら休む気はないらしい。


 自分も人のことは言えないが。



 ◇



 王城の外へ出ると。


 凪は、しばらく立ち止まった。


「……おお」


 窓から眺めるのとは、まるで違った。


 石造りの建物が並んでいる。


 だが、灰色一色ではない。


 壁を白く塗った家、赤茶色の屋根、軒先に吊るされた看板、通りを走る荷車、遠くから聞こえる人の声。


 そして。


 知らない匂い、焼いた肉、パン香辛料。


 どこか甘い香りも混じっている。


「……異世界だなあ」


「今さらですか?」


 隣のエリシアが言った。


「城の中だと実感薄かったんだよ」


「召喚されておいて?」


「召喚陣は異世界感ありすぎて逆に現実味なかった」


「よく分かりません」


「俺も説明できない」


 今日はエリシアのほかに、少し離れて二人の兵士がついている。


 護衛らしい。


 凪からすれば監視も兼ねているのだろうと思うが、それくらいは仕方ない。


 むしろ異世界の街に一人で放り出される方が困る。


 通りを歩く。


 凪はあちらこちらへ視線を動かした。


 野菜屋、肉屋、布を扱う店、金属製品。


 魔石らしきものを並べている店もある。


 知らないものを見るたびに、視界の端へ文字が浮かんだ。


『――』


『植物性――』


『食用――推定』


『解析精度――低』


 以前より、僅かに情報が増えている。


 だが、まだ名前までは出ない。


 ――ミーネ。


『はい』


 ――昨日より、ちょっと詳しくなってない?


『比較可能な記録が不足しています』


 ――そっか。


 なら、覚えておけばいい。


「ナギ?」


「ん?」


「何を見ているのですか?」


「あの野菜」


 凪は店先を指した。


 丸く、薄い紫色をした野菜だった。


「あれ食える?」


「食べられますよ。煮込みによく使います」


「へえ」


 近づいて見る。


 形はカブに似ている。


「甘い?」


「加熱すると甘みが強くなります」


「それいいな」


「買うのですか?」


「夕飯に使えるかも」


 エリシアが少し驚いた顔をした。


「作るものは決まっていないのですか?」


「こっちに何があるか分かんないのに決められないだろ」


「なるほど」


「現地調達」


「その言葉は分かります」


「よかった」


 店をいくつか見て回る。


 その途中。


 肉を扱う店の前で、凪の足が止まった。


「……牛?」


「うし?」


「いや」


 吊るされている肉を指す。


「これ、何の肉?」


「グラウですね」


「グラウ」


 エリシアの説明では、草原地帯で飼育される大型の家畜らしい。


 乳も取れる。


 肉も食べる。


 力が強く、地域によっては荷車も引く。


「牛じゃん」


「うしという動物も同じなのですか?」


「かなり近そう」


 凪は肉を見る。


 赤身の中に脂が入っている。


 ――ミーネ。分かる?


『解析します』


『生物由来組織』


『食用肉』


『脂肪含有量――』


『既知情報との比較――』


『地球生物“ウシ”との類似点を複数確認』


『同一種であるとの判定はできません』


 ――十分。


「これ買おう」


「夕食用ですか?」


「うん」


 豚肉はある。


 豆腐もある。


 長ねぎもある。


 卵もある。


 そして、牛に近い肉。


 さっきの甘みが出る野菜も使えそうだ。


 頭の中で、ぼんやり料理の形ができてくる。


 完全に同じものは作れないだろう。


 醤油もない。


 砂糖があるかも分からない。


 だが。


「なんか、すき焼きっぽいの作れそう」


「スキヤキ?」


「今日の夕飯」


「料理名ですか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「材料違うから、すき焼き風」


 エリシアが興味深そうに肉を見る。


「肉を焼く料理ですか?」


「焼くけど、それだけじゃない。甘辛い味で煮ながら食う感じ」


「甘い肉料理?」


「甘いだけじゃないって」


「想像できません」


「じゃあ食ってみればいい」


「楽しみにしています」


 エリシアが素直に言った。


 それを聞いて。


 凪も少しだけ楽しみになった。



 ◇



 昼食は、城下の小さな食堂で取ることになった。


 エリシア曰く、研究院の人間も時々利用する店らしい。


「院長が普通にこういうとこ来るんだ」


「来ますよ」


「もっと高そうな店行ってるのかと思った」


「毎日そのような店で食べていたら、お金がなくなります」


「給料高そうなのに」


「本を買いますので」


「ああ」


 納得した。


 出てきたのは、薄く切った肉と野菜を香草と一緒に炒めたものだった。


 そこに丸い平焼きのパン。


 豆を潰して香辛料を混ぜたものも添えられている。


「うま」


 一口食べて、凪は普通に感心した。


「これ何の肉?」


「ファルグ鳥です」


「また知らん鳥出てきた」


「ローディア鳥とは違って、こちらは少し脂が強いです」


「確かに」


 香草も強い。


 だが嫌な感じではない。


 パンと一緒に食べるとちょうどいい。


「これ家でも作れそうだな」


「覚えるのですか?」


「気に入ったら」


「地球の料理だけを作るわけではないのですね」


「そりゃそうだろ」


 凪は豆のペーストをパンにつける。


「せっかく知らない料理あるのに、食わない方がもったいない」


 エリシアが少し考えるように凪を見る。


「何?」


「いえ」


「気になる」


「ナギは、思っていたよりこの世界を嫌っていないのですね」


 凪の手が止まった。


「……世界は別に嫌ってないよ」


「では、レグナリアを?」


「そこまでも言ってない」


 少し考える。


「勝手に呼ばれたことは、今でも普通にムカついてる」


「……はい」


 エリシアの視線が僅かに落ちる。


「でも、飯がうまいことと、それは別だろ」


「別」


「魔法が面白いことも別」


「……はい」


「この街が面白いのも別」


 凪は窓の外を見る。


 知らない人間が歩いている。


 知らない文字の看板が並んでいる。


 知らない食べ物が売られている。


「嫌なことが一個あったからって、全部嫌いになる必要ないし」


「……そうですね」


 エリシアが静かに答えた。


 その声が少しだけ妙だった気がしたが。


 凪は深く考えなかった。


「で、昨日の続き」


「はい」


 エリシアが一瞬で研究者の顔に戻る。


「魔力制御についてですね」


「いや、今日は俺からもなんか話すんだろ?」


「……覚えていましたか」


「忘れてると思った?」


「少し」


「ひどくない?」


「では」


 エリシアはテーブルの上の水差しを見る。


「昨日とは違う話を聞きたいです」


「何がいい?」


「ナギが詳しいもので」


「料理?」


「では、料理に関係する地球の知識を」


「急に言われてもな」


 凪は考える。


 目の前の料理。


 今日買った肉。


 厨房。


 そして、城にある魔法式の保存庫。


「……冷蔵庫とか?」


「レイゾウコ」


「食べ物を冷やして保存する箱。こっちにも魔法で冷やす保存庫あるだろ?」


「あります」


「地球では魔法じゃなくて、電気で冷やす」


 エリシアの目が輝いた。


「あ」


 凪は失敗したと思った。


「詳しく」


「やっぱそうなるよな」


「どうやって電気から冷気を作るのですか?」


「そこまで詳しく知らん」


「昨日も聞きました」


「一般大学生に何を求めてるんだよ」


 とはいえ。


 知っている範囲なら話せる。


「冷たいものを作るっていうより、中の熱を外に逃がしてる……だったと思う」


 エリシアの動きが止まる。


「熱を?」


「外へ」


「冷気を入れるのではなく?」


「たしか」


 ――ミーネ、合ってる?


『記録された知識との整合を確認。冷却とは対象から熱を移動させることで実現可能です』


 ――助かる。


「少なくとも地球の冷蔵庫は、そんな感じ」


「熱を移動させる……」


 エリシアは水差しへ手を伸ばした。


「たとえば、この水から熱を奪えば」


「冷たくなる」


「さらに奪えば?」


「凍る」


「では氷属性術式は――」


「待て待て」


「はい?」


「飯食おう」


「……はい」


 少し不満そうだった。


 その顔を見て、凪は笑う。


「帰りながら話せばいいだろ」


「では、食後すぐに」


「休憩は?」


「必要ですか?」


「昨日俺に散々休めって言った人がそれ言う?」


「魔力を使いませんから」


「そういう問題かなあ」


 結局。


 昼食を食べ終えて店を出たあとも、二人の話は続いた。


 熱。


 冷却。


 凍結。


 食べ物が腐りにくくなること。


 凪が知っていること。


 エリシアがこの世界で知っていること。


 どちらかが一方的に教えるというより。


「こちらでも低温保存は一般的です。ただ、魔石の消耗があります」


「じゃあ断熱ちゃんとしたら多少マシになるんじゃない?」


「ダンネツ?」


「外の熱が入りにくくする……で合ってるよな」


『概ね肯定します』


「たとえば――」


 話して。


 聞いて。


 分からなければ考える。


 地球の知識を凪が話せば、エリシアがこの世界の知識を返す。


 逆にエリシアから魔法について聞けば、そこからまた新しい疑問が生まれる。


 昨日までは、教わるばかりだった。


 けれど今日は、少しだけ違った。


「そういえば」


 城が見えてきたところで、エリシアが凪を見る。


「夕食は、本当にナギが作るのですよね?」


「作るよ」


「忘れていないかと思いまして」


「今日のメインイベント忘れるわけないだろ」


「魔法よりも?」


「今日は料理」


「……そうですか」


「なんでちょっと残念そうなんだよ」


「別に」


「絶対残念だっただろ」


 そんなことを話しながら、二人は王城へ戻っていく。


 城下で買ったグラウの肉と、いくつかの野菜を持って。


 地球から持ってきた食材と、この世界で手に入れた食材。


 それを一緒に料理したら、どんな味になるのか。


 今夜はそれを試してみるつもりだった。

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