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幕間 召喚された男について

 雨宮凪が初めて魔法を使った、その日の夜。


 王城の一角にある会議室には、六人の人間が集まっていた。


 上座に座るのは、レグナリア王国国王、エドガルド・レグナリア。


 その左右に、宰相グレイ・ヴァルハルト、軍務卿ガレス・ヴァン・ローゼン、情報局長セレス・アルノー、外務卿アデル・フェルナー。


 そして、宮廷魔導院長エリシア・クラウゼ。


 昼間の研究室とは違い、エリシアも今はきちんとした外套を身につけている。


 もっとも、その袖には小さなインク染みがついていたが。


「それで」


 エドガルドが口を開いた。


「今日一日、彼を見た感想を聞こうか」


「一日ではありません。正確には半日程度です」


「……では、半日見た感想を」


「興味深いです」


 即答だった。


 グレイが眉間を押さえる。


「院長。陛下がお聞きになっているのは、研究対象としての感想ではない」


「分かっています」


「本当か?」


「おそらく」


「おそらくでは困るのだが」


 エドガルドが小さく笑った。


「構わん。続けよ」


「はい」


 エリシアは机の上に数枚の紙を置いた。


「まず、ナギには魔力が存在します」


「確かか?」


 ガレスが尋ねる。


「はい。私自身が確認しました。少なくとも、こちらの人間と大きく異なるものではありません」


「魔法も使える?」


「本日、基礎的な発光術式の発動に成功しました」


 一瞬。


 会議室が静かになった。


 アデルが最初に口を開いた。


「……今日、初めて魔力というものを知ったのでは?」


「正確には昨日、魔石を目にしています。ただ、自身の魔力を認識したのは今日が初めてです」


「それで、もう術式を?」


「はい」


 ガレスが腕を組む。


「異世界人とは、それほど魔法に適性があるものなのか?」


「比較対象がありませんので、判断できません」


「では、雨宮凪個人の才能か」


「それも、まだ分かりません」


 エリシアは少し考えてから続ける。


「ただし、習得速度は明らかに速いです」


「どの程度だ」


「通常、魔力を意識的に知覚するだけでも時間がかかります。個人差はありますが、初日に魔力を認識し、操作し、その日のうちに術式へ供給して発動まで成功する例は多くありません」


「天才、ということか?」


 ガレスの問いに、エリシアはすぐには頷かなかった。


「少し違う気がします」


「違う?」


「もちろん、理解は速いです。ただ……」


 エリシアは言葉を探す。


「試す回数が多いのです」


 グレイが眉を寄せる。


「回数?」


「失敗すると、すぐにもう一度試します。そして前の失敗と何が違ったのかを考える。成功しても同じです。成功した理由を確認するために、また試す」


「それは普通ではないのか?」


「程度の問題です」


 エリシアが淡々と答えた。


「午前中の魔力操作だけでも、途中から明確な魔力疲労が出ていました」


 ガレスの表情が変わる。


「それでも続けたのか?」


「はい」


「疲労に強い?」


「いいえ」


 エリシアは首を横に振った。


「身体の重さも感じていますし、午後には集中力も落ちていました。魔力疲労そのものは普通に受けています」


「ならば、なぜ続ける」


「本人曰く」


 エリシアが一拍置いた。


「『もう少しで分かりそうだから』だそうです」


 沈黙が流れる。


 やがて、アデルが小さく笑った。


「研究者向きですね」


「はい」


 エリシアが即答する。


「非常に」


「そこは嬉しそうに言うところではないと思うが」


 グレイが言った。


「ですが、気持ちは分かります」


「そなたに聞いたのが間違いだったな」


 エドガルドが呟く。


「陛下?」


「いや、何でもない」


 エリシアは首を傾げたが、追及しなかった。


 エドガルドは机の紙へ視線を落とす。


「戦闘能力については?」


「現時点では、ほぼありません」


 今度は即答だった。


「使用できるのは小規模な発光術式のみで魔力操作も不安定です。

 術式の構築速度、保有魔力量、瞬間的な出力、属性適性、実戦での判断能力のどれも評価できる段階ではありません」


「つまり、魔法を一つ覚えただけか」


「はい」


「だが、初日に」


「はい」


 ガレスが小さく息を吐く。


「評価に困るな」


「ですから、まだ判断すべきではありません」


 エリシアが言う。


「一日で分かることなど、ごく一部です」


「では、引き続きそなたが?」


「その予定です。本人も学習を希望しています」


「どこまで教えるつもりだ」


 今度はグレイだった。


「明日は基礎魔力学の入門書を渡します。その後は魔力制御、術式構造、属性、魔石、魔道具などを――」


「院長」


「はい?」


「そうではない。

 どこまで教えることを許可するのか、という意味だ」


「ああ」


 エリシアがエドガルドを見る。


 エドガルドは少し考えた。


「軍事機密に触れぬ限り、制限する必要はない」


 グレイがわずかに眉を動かした。


「よろしいのですか?」


「構わぬ」


「彼はまだ、我が国への協力を約束しておりません」


「だからこそだ」


 エドガルドは静かに答えた。


「我々は彼に、この国を知った上で判断してもらうと約束した。魔法だけを理由もなく隠せば、その言葉そのものを疑われる」


「しかし、強力な魔術を習得する可能性もあります」


 ガレスの言葉にも、エドガルドは表情を変えなかった。


「可能性だけを理由に客人を縛れば、それこそ彼が最も嫌うことをすることになる」


 召喚された初日。


 凪が何を嫌ったのか。


 この場にいる者たちは報告を受けている。


 自分の意思を無視されること。


 自分の人生を、他人に決められること。


「ただし」


 エドガルドの声が少しだけ低くなる。


「軍用術式、王城および国境防衛に関わる結界術式、禁術、機密指定された魔道具については従来通りだ。彼だけを例外にはしない」


「承知しました」


 エリシアが頷く。


「一般的な魔法理論については?」


「構わぬ」


「他国由来の術式は?」


「公開されているものならばな」


「古代術式は?」


「機密指定を確認してからにせよ」


「分かりました」


「……嬉しそうだな」


 グレイが言う。


「教えられる範囲が広い方が助かりますので」


「どちらが教師か分からなくなりそうですね」


 アデルが笑う。


「既になりかけています」


「何?」


「ナギからも、地球の知識を教えてもらっています」


 エドガルドが興味を示した。


「何を聞いた?」


「今日は電気について」


「電気?」


「地球で広く利用されている現象です。照明、調理、通信、その他多数の用途に使用されているそうです」


「魔法ではなく?」


「はい」


「どうやって作る」


「水や蒸気で機械を動かし――」


 エリシアが止まった。


「その先は本人も詳しく知らないそうです」


「知らない?」


 ガレスが意外そうに言った。


「異世界の技術なのだろう?」


「ナギは技術者ではありませんから」


「なるほど」


「ですが、興味深い話はいくつも聞けました。磁石――こちらでいう吸鉄石と電気には関係がある可能性があり、それから――」


「院長」


 グレイが止める。


「その話は魔導院で頼む」


「まだ途中ですが」


「分かっている」


 エリシアが少し残念そうに口を閉じた。


 エドガルドはそんな彼女を眺めてから、アデルへ視線を移す。


「他には?」


「今のところ、ナギ殿から我が国への協力を申し出る発言はありません」


 アデルの声から、先ほどまでの柔らかさが消える。


「同時に、明確な敵意も確認されていません。城内での待遇には概ね満足しているようです。食事については、かなり気に入っていると」


「食事?」


「料理が趣味だそうです」


「ほう」


「厨房を見学したいとも」


「許可して構わん」


「よろしいので?」


「厨房にどれほどの国家機密がある」


「王家秘伝のスープなどがあるかもしれません」


 アデルが真顔で言う。


「それは料理長に聞け」


 エドガルドが返した。


 わずかに空気が緩む。


 だが、次に口を開いたセレスの声で、再び室内が静かになった。


「一点、報告があります」


 エドガルドが見る。


「言え」


「昨夜のことです」


 セレスが手元の資料を開く。


「侍女が退出した後、ナギ殿が室内で発した言葉について」


 エリシアの視線がセレスへ向く。


「最初に『さて』」


 そこまでは問題ない。


「続いて、『お前、誰?』」


 エリシアの表情が僅かに変わった。


「誰かいたのですか?」


「確認されていません」


「では独り言?」


「その可能性はあります」


 セレスは続ける。



「それ以降は?」


「発言は確認されていません」


 グレイが腕を組む。


「召喚直後だ。混乱していた可能性は?」


「十分にあります」


「何らかの魔法的通信は」


 ガレスがエリシアを見る。


「確認していません」


「できない、ではなく?」


「確認していない、です」


 エリシアは訂正する。


「彼が異世界人である以上、こちらに存在しない通信手段が絶対にないとは言えません」


「調べられるか?」


「本人の協力があれば」


「本人に聞く?」


 アデルの問いに、セレスが首を横に振った。


「現時点では推奨しません」


「理由は?」


「質問そのものが、こちらが客室内の発言を把握していると伝えることになります」


「なるほど」


 エドガルドも頷いた。


「証拠もない」


「はい。ただの独語である可能性も高い。現状では、不確定な情報を得るために警戒を招く方が損失が大きいと判断します」


「同意する」


 エドガルドは即座に決めた。


「監視は継続しろ。ただし、必要以上に踏み込むな」


「承知しました」


「彼は囚人ではない」


 静かな声だった。


「我々は既に一度、彼の意思を無視して人生を変えている。それ以上のことを当然と思うな」


 その言葉にエリシアの指が、ほんの一瞬だけ止まった。


 誰も指摘しなかった。


 エドガルドも何も言わない。


「当面は今まで通りだ」


 王は全員を見る。


「彼にこの国を見せる。魔法を学びたいなら学ばせる。料理をしたいなら厨房を使わせればよい。街を見たいと言うなら、安全を確保した上で許可する」


「護衛は?」


「つける。ただし、監視ではなく護衛として振る舞わせろ」


「実際には双方を兼ねることになりますが」


 セレスが言う。


「それを本人に悟らせるなという意味だ」


「承知しております」


 エドガルドは椅子へ背を預ける。


「まだ彼は、我々に協力するとも、戦うとも言っていない」


 初日に凪が言った言葉を思い出す。


 俺が協力するかどうかは、俺が決めるから。


「ならば、決めるための材料くらいは与えよう」


 誰も反対しなかった。



 ◇



 会議が終わる。


 ガレスが最初に立ち上がり、続いてアデル。


 エリシアも資料をまとめ始める。


「エリシア」


「はい?」


「彼の魔力疲労には注意しておけ」


 エドガルドの言葉に、エリシアは少し意外そうな顔をした。


「もちろんです」


「研究に夢中になって二人揃って倒れられては困る」


「私は倒れません」


「そなたは食事を忘れるだろう」


「それとこれは別です」


「同じだと思うがな」


 エリシアは納得していない顔をしていた。


「では、失礼します」


 扉へ向かう。


 その途中で、エリシアが振り返った。


「陛下」


「なんだ」


「ナギは、この国に害意を持っているようには見えません」


 室内に残っていた者たちの視線が集まる。


「少なくとも、今は」


 エリシアは付け加えた。


「そうか」


「はい」


「覚えておこう」


 それだけだった。


 エリシアは一礼して退出する。


 グレイも続いた。


 最後にセレスが席を立つ。


「では、私も――」


「セレス」


 エドガルドが呼び止めた。


「残れ」


 セレスの足が止まった。


 グレイが一瞬だけ振り返る。


 だが、何も尋ねなかった。


 扉が閉じる。


 足音が遠ざかる。


 室内には。


 王と、情報局長だけが残った。



 ◇



「例の物は」


 エドガルドが尋ねた。


 先ほどまでとは、声の温度が違っていた。


「調整はほぼ終了しています」


「形は?」


「腕輪を予定しています」


「理由は」


「日常的に身につけても不自然ではありません。また、魔力の安定化を目的とした装具として説明できます」


「実際の効果は?」


「安定化機能そのものも正常に動作します」


 エドガルドが僅かに目を細める。


「偽装ではないのだな」


「はい。少なくとも、表向きに説明する機能について虚偽はありません」


「その方がいい」


 完全な偽物は疑われる。


 本物の機能を持つ道具に、別の機能を隠す。


 その方が遥かに見つかりにくい。


「もう一つは?」


 短い問い。


 セレスが答える。


「組み込みは完了しています」


「動作確認は」


「個別の構造については完了しています。ただし、ナギ殿本人に対して正常に機能するかは不明です」


「異世界人だからか」


「それもあります」


 セレスは続ける。


「彼の魔力特性について、まだ十分な情報がありません」


「エリシアに調べさせれば早いのではないか?」


 自らそう言って。


 エドガルドは小さく首を横に振った。


「いや」


「はい」


「知らせるな」


「よろしいのですか?」


「何がだ」


「エリシア院長ならば、より確実な調整が可能でしょう」


「だろうな」


「それでも?」


「それでもだ」


 セレスは黙る。


 しばらくして、静かに尋ねた。


「信用されていないので?」


「逆だ」


 即答だった。


「彼女には、できる限り今のままでいてもらいたい」


「今のまま」


「雨宮凪に魔法を教え、地球の話を聞き、研究について語る。それでいい」


「……なるほど」


「知らなければ、嘘をつく必要もない」


 セレスの目が僅かに細くなった。


「ナギ殿との信頼関係を維持させるためですか」


「それだけではない」


 エドガルドは机の上に残された報告書を見る。


 今日初めて魔力を知り。


 今日初めて魔力を動かし。


 今日初めて魔法を使った男。


「エリシアが彼を気に入っているのは事実だろう」


「そのようですね」


「ならば、それまで利用する必要はない」


 少し間を置く。


「必要になるまではな」


 セレスは何も答えなかった。


「腕輪を渡す時期は?」


「まだ早いでしょう」


「私もそう思う」


「魔力操作を始めたばかりです。安定化装具が必要だと説明するにしても、今渡せば用意が良すぎます」


「自然な理由ができるまで待て」


「承知しました」


「急ぐ必要はない」


 エドガルドは静かに言った。


「彼はまだ、ここにいる」


 セレスが一礼する。


「では、そのように」


「ああ」


 話は終わった。


 セレスが退出する。


 一人になった会議室で。


 エドガルドは、しばらく何も言わなかった。



 ◇



 同じ頃。


 王城の客室では。


 そんな話が行われていることなど知るはずもなく。


 雨宮凪が、ベッドの上で基礎的な発光術式を思い返していた。


 明日になれば、エリシアが魔力学の本を持ってくる。


 まだ知らないことが山ほどある。


 魔力。


 術式。


 魔石。


 魔道具。


 そして。


 この世界そのもの。


 凪は、自分が知りたいと思ったことを知ろうとしていた。


 王国もまた。


 凪について知ろうとしていた。


 少なくとも。


 その夜はまだ、互いに相手のことをほとんど知らなかった。

今日の投稿は多分ここまで

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