第四話 初めての魔法
昼食は、宮廷魔導院からほど近い小さな食堂で取ることになった。
王城の大食堂とは違い、主に魔導院で働く者たちが利用する場所らしい。
研究者らしき人間が何人か食事をしていて、その中には机いっぱいに紙を広げたままパンをかじっている者までいる。
「……ここ、飯食う場所だよな?」
「そうですが」
「研究室の続きみたいになってるけど」
「よくあることです」
「あるんだ」
エリシアが気にする様子もなく席につく。
たぶんこの人もそっち側だ。
運ばれてきた昼食は、パンと肉、それに野菜を煮込んだ料理だった。
見た目はシチューに近い。
凪は匙ですくって口へ運ぶ。
「うま」
柔らかく煮込まれた肉に、野菜の甘みが染みている。
香辛料らしい香りも薄く感じる。
朝食もそうだったが、やはりこの世界の料理は普通にうまい。
異世界だからといって、何でも焼くだけとか、味付けが塩しかないなんてことはないらしい。
その中に、見覚えのない葉物が入っていた。
匙で持ち上げて見る。
『植物』
『食用部位:葉』
『加熱処理済』
『含有成分:一部解析不能』
『――』
『名称:不明』
昨日のパンよりは情報が出ている。
だが、名前までは分からない。
「エリシア」
「はい?」
「これ何?」
葉を指す。
「ルーネ草です」
『名称:ルーネ草』
表示が変わった。
――ミーネ。
『記録しました』
もう言わなくても――とはならない。
昨日のことを考えれば、記録してほしい情報は自分から指定した方がいい。
口に入れる、少し苦い。
その後から、ほのかな甘みが来る。
「これ、炒めてもいけそうだな」
「料理に興味があるのでしたね」
「うん。厨房もそのうち見せてもらいたい」
「ナギが料理を?」
「するよ」
「地球の料理ですか?」
「地球のも作るし、この世界の料理も覚えたい」
知らない食材がある。
知らない調理法もあるだろう。
魔法ほど派手ではないが、こっちはこっちで面白そうだ。
そのとき。
「ところで」
エリシアが身を乗り出した。
嫌な予感がする。
「先ほどの電気についてですが」
「飯食わせて」
「食べながらでも話せます」
「俺がな」
「はい」
「そっちじゃねえ」
エリシアは少し不満そうだった。
しかし黙ったのは、ほんの十秒くらいだった。
「水から電気を作るという話ですが」
「まだそれ気になってたの?」
「当然です」
「水から直接作るわけじゃないって」
「では、どのように?」
「だから俺も詳しくは――」
言いながら、凪は頭の中でミーネへ呼びかける。
――ミーネ。昨日じゃなくて、さっき出してた電気関係のやつ。
『検索します』
すぐに、いくつかの情報が浮かぶ。
『電流』
『電圧』
『抵抗』
『電子』
『直流』
『交流』
『発電』
『電磁誘導』
『蓄電――』
見れば、聞いた覚えはある。
学校で習った。
テストにも出た。
だが。
――電磁誘導、ちゃんと説明できる?
『関連情報を検索可能です』
――いや、いいや。
思い出せることと、理解して説明できることは別だ。
下手に専門家ぶって間違ったことを教える方がまずい。
「すげえ大雑把に言うぞ」
「はい」
「水を流したり、蒸気を使ったりして機械を動かす。それを使って電気を作る」
エリシアが止まった。
「……水から雷を作るのですか?」
「その言い方だと俺まで意味分かんなくなってくるな」
「ですが昨日、雷と同種の現象だと」
「大雑把にって言っただろ。雷そのもの作って瓶に詰めてるわけじゃない」
「では、その機械が電気を発生させる?」
「そう」
「どのような原理で?」
「磁石と……導線とか使って……」
そこまで言って、止まる。
「……この先は俺が怪しい」
「なぜです?」
「習ったけど専門じゃないから。変なこと教えたくない」
「磁石とは?」
「鉄とか引っ付けるやつ」
「ああ。吸鉄石ですか」
「たぶんそれ」
異世界にも磁石はあるらしい。
当然といえば当然か。
地球と物理法則がどこまで同じなのかは分からないが、少なくとも似た現象は存在している。
「つまり」
エリシアが考え込む。
「地球では、魔力を使わず、自然に存在する現象を利用して別の現象を発生させ、それを大規模に利用している?」
「たぶんそんな感じ」
「その電気を、照明にも?」
「使う」
「調理にも?」
「使う」
「通信にも?」
「使う」
「スマートフォンにも?」
「使う」
そこでエリシアが、ふと首を傾げた。
「では、そのスマートフォンを使えば、地球にいる人と話すこともできるのですか?」
「地球にいればな」
「……ここでは?」
「無理。電波がないから」
「デンパ?」
「あー……」
凪は少し考える。
「スマホ同士が直接、どこにいても話せるわけじゃないんだよ。地球には通信するための設備があって、そこを通して遠くの相手と繋がってる」
「その設備が、この世界には存在しない」
「そういうこと。少なくとも俺のスマホは、こっちに来てから何にも繋がらない」
「では、地球との通信も……」
「できない。試したけどな」
「……そうですか」
ほんの少しだけ、エリシアの声が落ちた。
「まあ、それができたら帰る方法探すのもだいぶ楽だったんだけど」
「……申し訳ありません」
「別にエリシアに言ったわけじゃないって」
凪はパンをちぎった
「……地球人、電気に頼りすぎでは?」
「それはそう」
ちぎったパンをくわえながらしゃべる
「でも、こっちも魔力に頼ってない?」
エリシアが止まる。
「……確かに」
「似たようなもんじゃね?」
「興味深いですね」
「その顔やめろ。午後の授業なくなる」
「なくしません」
「本当に?」
「魔法も興味深いので」
「安心できるような、できないような」
昼食を食べながら魔法のある世界の人間と、魔法のない世界の人間が互いに相手の世界を妙なものだと思っている。
それが少し面白かった。
◇
「一回、自分でやってみていい?」
昼食を終えて研究室へ戻った直後。
凪がそう言うと、エリシアは首を傾げた。
「何をです?」
「午前中の魔力のやつ」
「魔力操作ですか?」
「そうそれ」
午前中は、エリシアに確認してもらいながら何度も試した。
右手へ魔力を集める。
少しずつ感覚は分かってきた。
だが。
自分一人でも同じことができるのかを試したい。
「構いません。ただ、こちらへ」
連れていかれたのは、研究室とは別の部屋だった。
家具はほとんどない。
床と壁にはいくつもの術式らしきものが刻まれている。
『術式――』
『保護――』
『魔力――』
『衝撃――』
『構造:解析不能』
「訓練用?」
「はい。基礎的な魔法であれば、ここで練習できます」
「爆発しても?」
「基礎的な魔法であれば、と言いました」
「なるほど」
「爆発させないでくださいね」
「善処します」
「不安になる返事ですね」
部屋の中央へ立ち右手を見る。
「じゃ、昨日じゃない、午前中と同じでいい?」
「はい。まずは右手へ魔力を集めてみてください」
「了解」
目を閉じる。
身体の内側の午前中に何度も探した感覚。
完全に休んだわけではないので、まだ少し身体にだるさは残っている。
ただ、昼食を取って座っていたおかげか、さっきよりはずっと軽い。
――ミーネ。俺を解析。
『解析を開始します』
『対象:雨宮凪』
『種族:人間』
『年齢:21』
『身体状態:軽度疲労』
『魔力:検出』
『魔力循環――』
『経路――』
『――』
午前中より、ほんの少し表示が増えている。
魔力を右手へ。
流す。
「……」
何も感じない。
目を開ける。
「どう?」
「ほとんど動いていません」
「失敗か」
「最初から成功する方が珍しいですよ」
「じゃあもう一回」
二度目。
今度は午前中の感覚を思い出し流す。
『魔力循環――』
『局所変動:微弱』
「今は?」
「少しだけ右腕へ流れました」
「よし」
三度目。
『局所魔力濃度:上昇』
『魔力流動――』
右手が少しだけ違う。
熱いわけでも重いわけでもない。
それでも、確かに何かが集まっている。
「これだ」
「感じました?」
「たぶん」
「では、一度休んで――」
「もう一回」
「……そう言うと思いました」
四度目。
失敗。
五度目。
成功。
六度目。
途中で散る。
『魔力流動を確認』
『集中部位:右手』
『維持:不安定』
午前中にも見た表示だ。
ただ何度か繰り返すうちに、少しずつ分かってくる。
流す。
集める。
留める。
全部同じではない。
「……集めるのと、そこに残すので感覚違うな」
エリシアの眉が少し上がった。
「もう気づきましたか」
「やっぱ違う?」
「はい」
「じゃあ、今の合ってたんだ」
失敗しても前より何が悪かったのかが少し分かる。
そして一度分かると、次を試したくなる。
「もう一回」
「ナギ」
「まだ平気」
「それを決めるのは、疲れてからでは遅いのですが」
「午前より楽だし」
「昼食と休憩で多少回復したのでしょう」
「じゃあ問題ない」
「そういう意味ではありません」
七度目。
八度目。
九度目。
右手へ魔力を集めるだけなら、成功する回数が増えてきた。
『魔力流動:安定度上昇』
『集中部位:右手』
『維持:不安定』
そこで。
「……よし」
凪は右手を握る。
「魔法やりたい」
「早いです」
「魔力動かせたじゃん」
「動かせることと、術式を扱えることは別です」
「簡単なのでいいから」
「先ほどまで魔力操作だけで疲れていたでしょう」
「今は大丈夫」
「今は、でしょう」
「じゃあ今のうちに」
「そういう意味でもありません」
エリシアはしばらく凪を見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……本当に、最も簡単なものだけですよ」
「よし」
「喜ばないでください」
「無理」
エリシアは少し呆れた顔をしながら、紙と筆記具を用意した。
◇
紙の上に描かれたのは、思っていたより単純な術式だった。
もちろん。
単純に見えるだけで、凪には何が書いてあるのかほとんど分からない。
『術式』
『属性:光』
『魔力変換:光』
『規模指定――』
『形状指定――』
『位置指定――』
『魔力供給――』
『構造:一部解析不能』
「これが一番簡単な発光術式です」
「午前中に見せたやつ?」
「同系統ですが、さらに単純化しています」
「これ覚えるの?」
「最初は見ながらで構いません」
「丸暗記でも使える?」
「術式を正確に再現し、適切に魔力を供給できれば発動はします」
「じゃあ理解してなくても使えるんだ」
「使うだけなら」
「使うだけなら?」
「構造を理解していなければ、状況に合わせた調整や改変が難しくなります」
「じゃあ理解した方がいいな」
即答した。
エリシアが少し笑う。
「ナギならそう言うと思いました」
「なんで?」
「午前中から、そういう質問ばかりでしたから」
凪は紙を見る。
視界に浮かぶ解析結果と見比べる。
「ここは?」
「規模指定です」
「こっち」
「形状指定」
「これは?」
「位置指定ですね」
「じゃあ、これ」
その隣。
まだ『――』が多い部分を指す。
「安定化のための補助構造です」
『安定化補助構造』
『機能:術式維持――』
『詳細:解析不能』
情報が増える。
まだ詳細は分からない。
だが、名前が付いた。
「……なるほど」
「何か?」
「いや。続けて」
今は聞いた方が圧倒的に早い。
ただ、聞くたびに《万象解析》が拾える情報も増えている。
この調子ならいずれ、自分で分かる範囲も増えるのだろうか。
「では、実際に発動してみましょう」
「おう」
右手を出す。
術式を見る。
魔力を集める。
そこから術式へ。
流す。
「……」
何も起きない。
『術式発動:失敗』
『魔力流動:確認』
『術式への魔力供給:不安定』
『その他要因:解析不能』
「失敗?」
「はい」
「原因は?」
「魔力供給が不安定でした」
解析結果と一致している。
「もう一回」
二度目。
右手に魔力を集める。
術式へ流す。
白いものが、一瞬だけ見えた。
「今光った!」
「光りましたね」
「もう一回」
「休憩は?」
「今のもう一回やりたい」
三度目。
失敗。
『術式発動:失敗』
『魔力流動:確認』
『術式への魔力供給:不安定』
『術式維持:失敗』
「……さっきより情報増えたな」
「何か言いました?」
「いや」
――ミーネ。二回目と今の違い。
『前回記録との差異を確認』
『魔力供給:増加』
『術式維持:失敗』
『――』
比較できる、なら次は供給量を増やすんじゃなく、一定にしてみる。
四度目。
一瞬だけ光る。
五度目。
失敗。
六度目。
小さな光が生まれ、すぐ消えた。
「今の長かった」
「はい。魔力供給が少し安定しました」
「じゃあ同じ感じで」
「ナギ」
「ん?」
「一度休みましょう」
「まだいける」
「顔に出ています」
「何が?」
「疲労が」
言われて初めて、自分の身体へ意識を向ける。
「……あー」
確かに。
午前中に感じたものと同じだ。
身体が重い。
頭の奥に薄い膜でも張ったように、集中しづらくなっている。
――ミーネ。今の俺。
『解析します』
『身体状態:疲労』
『魔力消耗――』
『魔力循環:軽度不安定』
『――』
やっぱり疲れている。
「少し休んでください」
「でも、今のもう一回やったら安定しそう」
「それを先ほどから何度も聞いています」
「今度は本当に」
「駄目です」
「一回だけ」
「駄目です」
「……五分?」
「休憩時間の交渉を始めないでください」
仕方なく椅子に座る。
身体は疲れている。
だが。
頭の中では、さっきの六回目を繰り返していた。
何が違った。
魔力を集めるところまでは同じ。
術式へ流したとき最初に一気に流しすぎなかった。
なら。
「……」
「ナギ」
「まだ何もしてない」
「顔が練習しています」
「顔で魔法は使えないだろ」
「そういう意味ではありません」
水を渡された。
飲む。
少し落ち着く。
ただ、完全に疲れが消えたわけではない。
しばらく休んだところで、エリシアが言った。
「もう少し休んでもいいのですよ」
「いや、やる」
「……でしょうね」
立ち上がる。
七度目。
右手へ魔力を集める。
術式を見る。
流しすぎない。
急がない。
一定に。
すると、ぽっと掌の少し上に小さな白い光が浮かんだ。
「……」
凪は固まった。
光は弱い。
部屋を照らせるほどではない。
電球どころか、小さな常夜灯より暗いかもしれない。
それでもそこにある。
自分が作った。
十秒ほどして、光は消えた。
「……魔法だ」
「魔法ですよ」
エリシアが笑う。
凪は自分の手を見る。
「俺がやった?」
「ナギがやりました」
「……マジか」
「マジです」
「使い方合ってるじゃん」
「覚えましたので」
さっきまで感じていただるさが、一瞬だけどうでもよくなった。
「もう一回」
「そう言うと思いました」
八度目。
失敗。
「なんで!?」
「今、興奮して魔力を一気に流しましたね」
「あー……」
九度目。
成功。
ただし五秒。
十度目。
失敗。
十一度目。
成功。
「明るさ変えられる?」
「規模指定と魔力供給量が主に関係します」
「形は?」
「形状指定です」
「色」
「光属性術式内部の指定を変更します。少し複雑になりますが」
「じゃあ――」
「やりません」
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてあります」
「さっきから顔で判断しすぎじゃない?」
「分かりやすいので」
紙を見る。
発光術式。
最初は何が書いてあるのか分からなかった。
今は。
『術式』
『属性:光』
『魔力変換:光』
『規模指定――』
『形状指定――』
『位置指定――』
『安定化補助構造』
『魔力供給――』
まだ『――』は多い。
でも。
少しずつ分かってきている。
「これ、無駄な部分とかある?」
「ありますよ」
「あるんだ」
「術式は目的によって最適な構造が異なります。
この発光術式も、初心者が扱いやすいよう安定性を優先しています」
「じゃあもっと短くできる?」
「できます」
「見たい」
「今日は駄目です」
「なんで」
「今の術式すら安定していないからです」
「比較した方が分かりやすくない?」
「その理屈で安全装置を外そうとしないでください」
「安全装置なの?」
「全部ではありません」
「じゃあどこ?」
エリシアが凪を見る。
「……ナギ」
「はい」
「少し楽しくなっていませんか?」
「最初から楽しいけど」
「そうですか」
なぜか嬉しそうだった。
「では、一つだけ」
エリシアが術式の一部を指す。
「この部分です」
「さっきの安定化?」
「はい」
「何してるの?」
「術式内部で魔力が逆流するのを防いでいます」
「逆流」
解析表示が変わる。
『安定化補助構造』
『逆流防止――』
『条件――』
『詳細:解析不能』
凪は術式を見る。
魔力が入る。
ここを通る。
別の構造へ。
その途中で。
「……なんで一回こっち回してから戻してるの?」
エリシアの動きが止まった。
「どこです?」
「ここ」
紙を指す。
「入った魔力、そのままこっちに流せばよくない?」
「……よく気づきましたね」
「やっぱ意味ある?」
「あります。先ほど説明した逆流を防ぐためです」
「直接繋ぐと?」
「条件によっては、術式側から術者へ魔力が押し戻されます」
「発光魔法でも?」
「この程度なら大きな問題にはなりにくいですが、構造として覚えるために入っています」
「じゃあ、なくても発動はする?」
「します」
「なら――」
「消しません」
「まだ言ってない」
「言う前に止めました」
「……これ、もうちょい調べたら自分でも分かりそうだな」
凪は術式を見る。
今はまだ、解析不能の部分が多い。
けれど。
同じ術式を何度も見た。
実際に魔力を流した。
失敗した。
成功した。
そのたびに違いが記録されている。
なら、試し方を変えれば。
もっと情報が取れるかもしれない。
ただ。
エリシアに聞けば、ずっと早く分かることも多い。
「基礎理論から学びたいなら、魔力学の入門書を読んだ方がいいですよ」
「ある?」
「もちろん」
「今日貸して」
「今日は魔法を使うだけにしてください」
「読むだけなら魔力減らないじゃん」
「そういう問題では……」
エリシアが額に手を当てる。
「明日用意します」
「忘れないでよ」
「忘れません」
「じゃあもう一回だけ」
「休んでください」
「さっき休んだ」
「その後、何回使いました?」
「……四回くらい?」
「六回です」
「数えてたの?」
「教師ですので」
凪は自分を解析する。
『身体状態:疲労』
『魔力消耗――』
『魔力循環:不安定』
『集中力:低下――』
午前中より明らかに悪い。
確かに、頭も重い。
それでももう少し。
あと一回やれば、さっきより長く維持できそうな気がする。
「一回だけ」
「駄目です」
「ほんとに一回」
「その言葉を今日だけで何回聞いたと思います?」
「覚えてない」
「でしょうね」
エリシアが術式の紙を取り上げた。
「あ」
「今日はここまでです」
「まだ夕方じゃないだろ」
「魔力の話です。質問なら答えます」
「じゃあ逆流防止のところ」
「本当に止まりませんね……」
そう言いながら。
エリシアも椅子へ座った。
そして結局そこから術式の話が始まった。
◇
どれくらい経ったのか。
扉が叩かれた。
「失礼いたします」
聞き覚えのある声。
マリアだった。
「ナギ様、エリシア様。夕食のお時間ですが」
「もう?」
凪とエリシアの声が重なった。
マリアが一瞬黙る。
「……やはり」
「何その反応」
「いえ。エリシア様とご一緒でしたので、こうなるのではないかと」
「失礼ですね」
「過去の実績に基づく判断です」
エリシアが黙った。
「前科あるんじゃん」
「研究に集中していただけです」
「飯忘れるくらい?」
「……たまに」
「俺のこと止められないだろ、この人」
「ナギは魔力を使っているでしょう」
「そこは違う?」
「違います」
妙に真面目だった。
エリシアは紙を見る。
「今日は本当にここまでです」
「分かった」
「明日、基礎魔力学の本を用意しておきます」
「あと逆流のやつ」
「それも」
「色変える方法」
「それもです」
「消費魔力ってどうやって――」
「明日です」
「はい」
仕方ない。
身体も正直だった。
立ち上がると、少しだけ足が重い。
倒れるほどではない。
ただ、普段なら感じない種類の疲れが確実に残っている。
魔法を使う。
魔力が減る。
疲れる。
当たり前らしい。
今日はそれも覚えた。
◇
夕食を食べ。
風呂を借り。
客室へ戻る。
ベッドに座ると、身体が沈み込むような感覚があった。
「……疲れた」
大学から帰ってきた日の疲れとも。
運動した後の疲れとも違う。
身体より、内側が空っぽになったような妙なだるさ。
これが魔力疲労なのだろう。
――ミーネ。
『はい』
――今日の魔力の練習、全部記録してる?
『記録しています』
――失敗も?
『記録しています』
――成功したときとの違いも?
『比較可能です』
少しだけ笑う。
便利だ。
成功だけではない。
失敗まで残る。
なら、明日は今日と同じ失敗を減らせる。
――解析の方も、なんか最初より詳しくなってない?
一瞬。
間があった。
『解析結果に変化が確認されています』
――やっぱり?
『肯定します』
――なんで?
『現時点では特定できません』
――そっちは分かんないのか。
『はい』
凪は少し考える。
魔法について知ったから。
実際に魔力を感じたから。
術式へ流したから。
失敗したから。
成功したから。
それら全部が関係しているのかもしれない。
まだ分からない。
なら。
「……調べればいいか」
口に出してから、しまったと思う。
誰かに聞かれているかもしれない。
凪は扉を見る。
当然、誰も入ってこない。
まあ。
これくらいならただの独り言だろう。
ベッドへ横になろうとして。
やめた。
右手を見る。
エリシアはいない。
術式を書いた紙もない。
それでも。
今日、何度も見た。
何度も試した。
頭の中に形は残っている。
――ミーネ。さっきの発光術式。
『記録情報を参照します』
頭の中に、今日見た術式の情報が浮かぶ。
「……一回だけ」
誰に言い訳しているのか、自分でも分からない。
右手へ魔力を集める。
昼より少し難しい。
疲れているせいだろう。
術式を思い出す。
流す。
急がない。
一定に。
ぽっ。
小さな白い光が浮かんだ。
「……できた」
誰も見ていない。
エリシアもいない。
紙もない。
それでも使えた。
数秒後。
光が消える。
同時に、だるさが少し強くなった。
『魔力消耗の進行を確認』
――分かってる。
『休息を推奨します』
――もうやらないって。
『記録しました』
――そこ記録すんの?
『記録しました』
「……ほんと細かいな」
今度こそベッドへ倒れ込む。
地球へ帰りたい気持ちは変わっていない。
勝手に呼び出されたことを許したわけでもない。
この国を信用したわけでもない。
それと。
魔法が面白いことは別だった。
帰るまで何も知らないままでいる必要なんてない。
どうせなら。
帰る方法を見つけるまでに、この世界のことを知れるだけ知ってやろう。
今日覚えた小さな光。
まだ暗い。
不安定で。
使うだけで結構疲れる。
それでも。
この世界へ来て初めて、自分の意思で手に入れたものだった。




