第三話 魔法を教えてほしい
目を覚まして最初に見えたのは、知らない天井だった。
正確には、昨日も見た天井だ。
白を基調とした天井には細かな装飾が施され、壁際には淡い光を放つ魔石が埋め込まれている。
「……ああ」
そうだった。
異世界だった。
寝ぼけた頭で枕元のスマートフォンを手に取る。
画面を点ける。
当然、圏外。
通知もない。
時間だけは表示されているが、この世界の時間と合っている保証すらない。
昨日送ろうとして送れなかったメッセージも、そのまま残っている。
『ごめん、異世界来た』
改めて見ると、我ながら意味が分からない。
凪はスマートフォンを伏せて置いた。
それから、まだ少し眠気の残る頭の中で呼びかける。
――おはよう、ミーネ。
『おはようございます、ナギ』
返事はすぐに来た。
昨日、自分で名前を付けた頭の中の声。
夢ではなかったらしい。
――寝た?
『当機能に睡眠は必要ありません』
――ずっと起きてたの?
『昨夜説明しました』
――朝から細かいな。
『事実を訂正したのみです』
昨日より、ほんの少しだけ会話らしくなった気がする。
気のせいかもしれない。
ベッドから降り、カーテンを開ける。
「……やっぱ異世界だな」
窓の向こうには、朝日に照らされた街が広がっていた。
石造りの建物。
赤や灰色の屋根。
遠くには高い城壁が伸び、その向こうには山まで見える。
道路らしきものはあるが、当然ながら車は走っていない代わりに馬車らしきものが小さく動いている。
昨日は召喚された直後で、何もかもが現実味を欠いていた。
だが、一晩寝てこうして朝の街を見ると少しだけ実感する。
本当に、知らない世界へ来たのだ。
帰りたい。
その気持ちは変わっていない。
家族もいるし大学だってある。
突然全部捨てて、今日から異世界人です、なんて納得できるわけがない。
ただ。
「魔法、あるんだよな」
それとこれとは別だった。
帰りたいことと目の前に存在する未知のものを知りたいことは、別に矛盾しない。
昨日見た魔石。
そこに刻まれていたらしい術式。
そして、自分の中にある《万象解析》。
知りたいことはいくらでもあった。
◇
しばらくして、扉が叩かれた。
「ナギ様、お目覚めでしょうか」
「起きてるよ」
入ってきたのは、昨日から世話をしてくれている侍女のマリアだった。
「おはようございます」
「おはよう。あと、やっぱ様いらないって」
「善処いたします」
「昨日も聞いた気がする、それ」
マリアは何も答えず微笑んだ。
たぶん直す気はない。
「朝食はいかがなさいますか? こちらへお持ちすることもできますし、食堂をご利用いただくこともできます」
「食堂行へ行く」
「かしこまりました」
「せっかくだし、ちょっと歩きたい」
部屋にいるだけでは、この世界のことが何も分からない。
それに。
凪は自分の服を見る。
「これ、ずっと同じ服ってわけにもいかないよな」
「お着替えはこちらでご用意しております。お召し物も、お預かりできれば洗濯いたします」
「助かる」
昨日スーパーで買った食材については厨房へ預けた。
今度は服まで世話になるらしい。
本当に賓客扱いではある。
少なくとも、今のところは。
着替えを済ませ、マリアとともに部屋を出る。
廊下を歩きながら、凪は昨日から気になっていたことを尋ねた。
「そういやさ」
「はい」
「昨日、召喚されたところにいた金髪の若い人」
「エリシア・クラウゼ様だと思います。宮廷魔導院長を務めておられます」
「……院長?」
「はい」
「何歳?」
「二十五歳です」
「若くない?」
「歴代でも最年少で宮廷魔導院長に就任された方です」
「へえ」
昨日は疲れ切った様子で床に座り込んでいたので、そんな偉い人には見えなかった。
召喚直後から凪のスマートフォンや袋を妙に気にしていた人でもある。
「その人に会える?」
「エリシア様に、ですか?」
「うん」
「ご用件を伺っても?」
「魔法教えてほしい」
マリアが少し目を丸くした。
「魔法を?」
「せっかくあるんだし」
それに、《万象解析》のこともある。
魔石を見ただけでも、昨日より少し情報が読み取れた。
なら魔法そのものを知れば、さらに何か分かるかもしれない。
「確認してまいります」
「頼む」
そのまま食堂へ向かった。
◇
朝食は、昨日より軽めだった。
パン。
焼いた卵。
薄く切った肉。
野菜の入ったスープ。
味はやはり普通にうまい。
異世界の飯だからと警戒していた昨日の自分が馬鹿らしくなるくらいだ。
「この卵、昨日の鳥?」
「いいえ。こちらはリュカ鳥の卵です」
「リュカ鳥」
――ミーネ、覚えといて。
『記録しました』
こういう使い方は便利だ。
今後、知らない食材を山ほど見ることになるだろう。
一度聞いた名前を全部覚えていられる自信はない。
ミーネが記録してくれるなら、その辺りはかなり楽になる。
食事を終える頃一度席を外していたマリアが戻ってきた。
「ナギ様」
「ん?」
「エリシア様がお会いになるそうです。
基礎的な魔法についてお教えすることも問題ないとのことでした」
「お、マジで?」
「はい」
思わず声が弾む。
「大変楽しみにしておられました」
「……俺が?」
「はい」
「なんで?」
「さあ」
マリアは微笑んでいる。
なんとなく。
嫌な予感がした。
◇
その予感は、半分くらい当たった。
「これは何に使うのですか?」
「……俺、魔法教えてもらいに来たんだけど」
「それは分かっています。その前にこれを」
「その前に、が長くなりそうだから言ってんの」
宮廷魔導院。
王城の一角に存在する研究施設へ案内されて早々、凪は昨日と同じ金髪の女性――エリシア・クラウゼに捕まっていた。
道中にもいくつか術式らしきものがあった。
『――術式』
『魔力――』
『保護――』
『――』
昨日より意味のある単語が拾えている。
だが、まだ何をしている術式なのかまでは分からない。
そしてエリシアの研究室に入った瞬間、最初に出た言葉は。
「……汚ねえ」
「第一声がそれですか!?」
だった。
棚は綺麗に整理されている。
魔石らしきものや本、用途不明の器具も種類ごとに並んでいる。
問題は机だった。
紙。
本。
何かの部品。
書きかけの図。
空のカップ。
「全部使用中?」
「もちろんです」
「そのカップも?」
「……それは違います」
「洗って仕舞えよ」
そんなやり取りのあとエリシアの興味は当然のように凪の持ち物へ向いた。
スマートフォン、紙製の牛乳パック、透明で柔らかい袋。
昨日の召喚時に見たものが気になって仕方なかったらしい。
「この透明な素材は何なのです?」
「たぶんプラスチック」
「プラスチック」
「種類までは知らん」
「どうやって作るのですか?」
「知らん」
「ではこちらの紙の容器は、なぜ液体を入れても染み出さないのです?」
「加工されてるから」
「どのような?」
「だから知らんって」
「ナギは地球の人間ですよね?」
「地球人が全員製造業やってると思うなよ」
エリシアが少し不満そうな顔をする。
「今日はまず魔法。そのあとなら、地球のことも一個くらい答えるよ」
「一個」
「一個」
「……分かりました」
渋々だった。
マリアが言っていた「大変楽しみにしている」の意味が分かった気がする。
ちなみにマリアは、エリシアをここまで案内すると、
『それでは、私は失礼いたします』
と、妙に素早く去っていった。
逃げたな、あれ。
◇
「では、どこから説明しましょうか」
「本当に一番最初からで頼む」
「最初?」
「俺の知る限り、地球には魔法なんてないから」
エリシアが止まった。
「……存在しないのですか?」
「現実にはね。物語とかゲームには普通に出てくるよ」
「物語には存在する?」
「魔法とか魔力とか魔石とか。そういう言葉自体は知ってる」
「では、術式は?」
「似たような概念なら創作にはある。でも、この世界の術式がどういうものかは知らない」
「精霊術は?」
「言葉なら」
「魔道具」
「魔法で動く道具、みたいな?」
「概ね合っています」
「でも、それ地球の創作から想像してるだけだからな。この世界の本物と同じだと思わないで」
エリシアが黙った。
何か考えている。
「……魔法が存在しない世界で、魔法という概念が創作されている」
「そんな不思議?」
「非常に」
目が輝いている。
「つまり地球では、実在しない現象について体系を想像し、それを物語として――」
「エリシア」
「はい」
「魔法」
「……はい」
話が逸れる速度が速い。
「完全に異なる体系で発展した世界ということですよね……」
「あとでな」
「はい」
全然諦めてない顔だった。
エリシアは机から少し離れると、片手を上げた。
「まず、これを」
彼女の指先から少し離れた場所に、小さな白い光が生まれた。
「おお」
思わず声が出る。
昨日も魔石の光は見たが人間が何もない空間に光を作るところを見るのは初めてだ。
同時に、視界へ文字が浮かぶ。
『魔力――』
『術式:光――』
『変換――』
『構造:――』
――ミーネ。
『解析対象を確認しています』
エリシアの説明が始まる。
「魔法を非常に単純化して説明するなら、魔力を術式へ通し、望む現象へ変換する技術です」
表示が変わる。
『魔力』
『術式:光属性』
『魔力変換:光――』
『構造:――』
昨日より。
いや、今この瞬間にも情報が増えている。
「今の魔法であれば、魔力を光へ変換しています。ただ光らせるだけではなく、大きさ、形、発生位置なども術式によって指定します」
『規模指定――』
『形状指定――』
『位置指定――』
『構造:解析不能』
凪は少し目を細めた。
――今、説明されたところが増えた?
『肯定します』
――じゃあ、もう構造が分かった?
『否定します。現在認識できている情報の多くは、関連概念の特定に留まります。術式構造そのものを理解したわけではありません』
なるほど。
さっきまで正体不明だった場所に、「形を決める何か」という札が付いたようなものか。
中身までは分からない。
「ここから魔力経路の定義について説明すると――」
「待って」
「はい?」
「今のところもうちょい詳しく」
「どこです?」
「そもそも魔力って何?」
エリシアが瞬きをする。
「……そこからですか」
「一番最初からって言っただろ」
「そうでした」
危ない。
この人に任せると、たぶん基礎の基礎を三段くらい飛ばされる。
そこからは凪が分からなくなるたびに止めた。
魔力とは何か。
術式とは何か。
魔法はどうやって発動するのか。
術式は頭の中だけでも構築できるのか。
魔法陣との違いは何か。
魔石はどう使うのか。
エリシアによれば、術式は必ずしも紙や床に描く必要はない。
術者自身が構築することもできる。
一方、魔法陣のように外部へ固定しておけば、同じ術式を安定して使用しやすくなる。
昨日見た照明用の魔石も、その一種だった。
「魔石そのものに、あらかじめ術式を固定してあるわけか」
「はい。魔石に蓄積された魔力を供給源として使用します」
「電池入りの機械みたいな……いや、ちょっと違うか」
「デンチ?」
「あとで」
また話が増えそうだったので止める。
聞けば聞くほど、視界に現れる情報も少しずつ変わっていった。
分からないことは増えている。
なのに、面白い。
たぶん。
分からない部分が、少しずつ「何が分からないのか分かる状態」になっているからだ。
◇
「魔力って、全員持ってるの?」
しばらくして、凪は尋ねた。
「程度の差はありますが、この世界で生まれた者のほとんどは」
「じゃあ俺は?」
「それが分かりません」
「分からない?」
「ナギは異世界の方ですから」
エリシアは凪を見る。
「地球に魔法が存在しないのであれば、地球人が魔力を持っているかどうかも判断できません」
「調べられる?」
「できます」
「じゃあやって」
「即答ですね」
「気になるし」
エリシアが少し考える。
「最も簡単なのは、私の魔力を微量だけナギへ流し、その反応を確認する方法です」
「危ない?」
「危険なことは――」
そこで。
エリシアの言葉が、一瞬だけ止まった。
「……この方法で危険が生じる可能性は極めて低いです。何か異常を感じたら、すぐに止めます」
「ならお願い」
「分かりました」
エリシアが凪の右手首に指を触れる。
「力を抜いてください」
「はいよ」
「少しだけ流します」
直後。
「……ん?」
何かが入ってきた。
熱くはない。
冷たくもない。
電気のように痺れるわけでもない。
なのに、何かが皮膚の内側へ流れ込んだ感覚だけはあった、それと同時に
『外部魔力を検出』
『魔力』
『供給元:外部』
『流入経路:接触部位』
『性質:――』
『構成:解析不能』
『循環:解析不能』
凪は表示を見る。
「もう一回」
「分かりました」
再び流れる。
今度は意識して感覚を追う。
右手首。
そこから腕へ。
途中で薄れて、分からなくなる。
「もう一回」
「はい」
三度目。
少し分かった。
気がする。
「もう一回」
「ナギ」
「ん?」
「こういうものは、一度に繰り返せばよいというものでもありませんよ」
「でも今、ちょっと分かりそうだった」
エリシアが凪を見る。
「……もう一度だけですよ」
「はいはい」
四度目。
流れてくる魔力を追う。
右手首から腕へ。
その瞬間凪は別のことを思いついた。
――……待て。俺自身も解析対象になるの?
『肯定します』
――できる?
『可能です』
なら。
――俺を解析。
『解析を開始します』
視界の表示が切り替わる。
『対象:雨宮凪』
『種族:人間』
『年齢:21』
『身体状態:正常』
『魔力――』
「……ある?」
思わず呟く。
「何がです?」
「あ、いや」
危ない。
「もう一回頼める?」
「今ので最後と言いましたが」
「今度は別のこと試したい」
「何を?」
「流れてくるやつを、自分の中にある何かと比べてみる」
嘘ではない。
全部言っていないだけだ。
エリシアは少し考えたあと、再び凪の手首へ触れた。
「本当にこれで最後ですよ」
「分かった」
五度目。
外から入ってくる魔力。
それを意識する。
同時に、自分自身へ向けた《万象解析》の表示を見る。
『魔力:検出』
『魔力循環――』
『経路――』
『――』
ある、自分の中にも。
外から入ってくるものと完全に同じかどうかは分からない。
だが。
「……これか?」
ほんのわずか身体の内側に、今まで意識したことのない何かを感じた。
「何か分かりましたか?」
「たぶん」
「自分の魔力を?」
「たぶん」
エリシアが目を丸くする。
「早いですね」
「そうなの?」
「初めて魔力を意識する方としては」
凪は自分の手を見るが実感は薄い。
でも、さっきまでは何もなかった場所に、何かがある。
それが分かった。
「これ、自分で動かせる?」
「もちろんです。それが魔力操作の基礎になります」
「どうやるの?」
「まずは意識して――」
エリシアが説明する。
自分の中にある魔力を感じる。
それを身体の一部へ集める。
最初は手のように意識しやすい場所がいいらしい。
凪は右手を見る。
「じゃ、やってみる」
「はい。ただし無理はしないでください」
「そんな危ない?」
「魔力を動かすこと自体は危険ではありません。ただ、魔力も無限ではありませんから」
「使いすぎるとどうなるの?」
「まず身体が重く感じたり、眠気が出たり、集中しづらくなったりします。さらに消耗すれば、頭痛やふらつきが出ることもあります」
「限界まで使ったら?」
「意識を失うこともあります。ですから、普通はその前に休みます」
「死んだりは?」
「通常の魔力消耗だけなら、そこまで至ることはありません。ただ、限界に近い状態で無理に術式を使い続ければ、身体にも負担がかかります」
「なるほど」
「それと、慣れないうちは魔力の扱いが粗いため、必要以上に消耗しやすいです」
「初心者ほど燃費が悪いってこと?」
「そういうことです」
「分かった」
なら、なおさら試してみたい。
凪は目を閉じた。
さっき感じたものを探す。
身体の内側。
普段なら意識しない場所。
そこにある何かを。
右手へ集める。
「……」
何も起きない。
「どうです?」
「分からん」
「最初はそんなものです」
「もう一回」
二度目。
さっきより集中する。
『魔力循環――』
『局所変動:微弱』
表示が変わった。
「……今なんか変わった?」
エリシアが凪の右手へ視線を向ける。
「少しだけ。右腕へ流れる魔力が増えました」
「マジ?」
「マジ、とは?」
「本当? って意味」
「本当です」
「じゃ、もう一回」
三度目。
右手へ。
今度はさっきの感覚を思い出す。
『局所魔力濃度:微増』
『魔力流動――』
「……お」
何となく。
本当に何となくだが右手に何かが集まっている気がした。
「できてます?」
「少しだけ」
「じゃあもう一回」
「ナギ」
「ん?」
「焦らなくても魔力は逃げませんよ」
「分かってる。でも今の感覚忘れそう」
四度目。
失敗。
五度目。
少しだけ成功。
六度目。
さっきより分かる。
『魔力流動を確認』
『集中部位:右手』
『維持:不安定』
「……あ」
「どうしました?」
「いや」
分かった。
さっきまで「ある気がする」だったものが、少しずつ輪郭を持ち始めている。
右手に何かを集める。
そこまではできる。
ただ、留めようとすると散る。
「もう一回」
「まだやるのですか?」
「ここまで来たら気になるだろ」
七度目。
八度目。
何度目か分からなくなった頃。
凪は、妙な感覚に気づいた。
「……ん?」
身体が少し重い。
眠いわけではない。
運動した後とも違う。
頭の芯がぼんやりするような。
全身に薄いだるさが広がっている。
「なんか、だるい」
エリシアは驚かなかった。
「魔力を消耗していますから」
「これが?」
「はい。先ほど説明したでしょう」
「もっとこう、急に力が抜ける感じかと思ってた」
「そこまで消耗したら止めます」
「今は?」
「軽い魔力疲労ですね。初めて魔力を意識的に動かしたのですから、今日は――」
「じゃあ、もう一回」
エリシアが止まった。
「……聞いていました?」
「聞いてた」
「魔力疲労が出ています」
「軽いんだろ?」
「軽いですが」
「なら、あと一回」
「休息を勧めているのですが」
「今ので散る理由、ちょっと分かりそうなんだよ」
右手へ集めるところまではできる。
問題は、その後。
意識を緩めた瞬間に散っている気がする。
なら。
集めることより、留めることを意識したらどうなる。
「……」
エリシアが何か言いたそうな顔をしている。
「本当に一度だけですよ」
「分かった」
凪はもう一度集中した。
右手へ。
集める。
そして。
今度は流し続けるのではなく、そこに置くように意識する。
『魔力流動を確認』
『集中部位:右手』
『維持:不安定』
『前回記録との差異――』
表示が、一瞬増えた。
――今なんか出た?
『解析情報を更新しています』
――あとで見せて。
『記録しました』
「どうです?」
「さっきより長いです」
「やっぱり?」
「はい。ただ――」
「もう一回」
「ナギ」
「……はい」
「休みましょう」
「でも今の――」
「休みましょう」
笑顔だった。
笑顔なのに、妙に圧がある。
「……ちょっとだけ?」
「休みます」
「はい」
仕方なく椅子へ座る。
身体を動かしたわけでもないのに、確かにだるい。
これが魔力を使った疲れ。
覚えておこう。
――ミーネ。この状態も記録できる?
『可能です』
――お願い。
『記録しました』
自分の体調まで記録できるなら、魔力をどれだけ使えばどの程度疲れるのかも、そのうち比較できるかもしれない。
そう考えている時点で。
休憩中にもかかわらず、頭の中では次に試すことを考えていた。
◇
「そろそろ昼食の時間ですが」
「え?」
エリシアの言葉に、凪は窓を見る。
いつの間にか、朝よりずっと日が高い。
「そんな経った?」
「二時間ほどでしょうか」
「マジか」
「マジ、ですね」
「もう使ってんじゃん」
「覚えました」
妙なところで吸収が早い。
途中で少し休憩は挟んだものの、その後も魔力を感じて、動かして、休んで、また試していた。
右手へ集めるだけなら、最初よりは明らかに分かる。
まだ安定はしない、魔法と呼べるものすら使っていない。
それでも面白かった。
「……じゃあ、飯食ったら続き?」
「もちろんです」
「よし」
「ただし」
「ん?」
「午後は、今より魔力を使う可能性があります」
「へえ」
「ですので、疲労を感じたら休んでください」
「分かった」
エリシアがじっとこちらを見る。
「本当に分かっています?」
「分かってるって」
信用されていない。
なぜだ。
◇
研究室を出る前。
エリシアが何かを思い出したように振り返った。
「そういえば」
「ん?」
「約束」
「約束?」
「地球について、一つ教えていただけると」
「ああ」
忘れていた。
「何がいい?」
聞く必要はなかった。
エリシアの視線は、凪のポケットへ向いている。
「それです」
「やっぱり?」
スマートフォンを取り出す。
「これはスマートフォン。スマホって呼ぶことが多い」
「スマートフォン」
「電話したり、文字送ったり、写真撮ったり、動画見たり、ゲームしたり、調べ物したり」
「……一つの道具で?」
「うん」
「すべて?」
「だいたい」
エリシアが無言で手を差し出した。
「貸してほしい?」
「はい」
「落とすなよ」
「落としません」
手渡すと、彼女は両手で慎重に持った。
画面を点ける。
「光りました」
「画面だからな」
「これも術式で?」
「違う」
「魔力は?」
「使ってない」
「では、何を動力に?」
「電気」
「デンキ?」
「あー……雷って分かる?」
「当然です」
「だよね」
「雷撃魔法も存在しますが」
「あ、やっぱあるんだ」
「あります。雷と電気に何か関係が?」
「大雑把に言うと、同じ種類の現象」
エリシアがスマートフォンを見る。
「……雷を、この中に?」
「雷そのものを突っ込んでるわけじゃないぞ」
「それくらいは分かっています」
「今ちょっと怪しかったけど」
「少しだけ想像しました」
やっぱりか。
「つまり、雷撃魔法によって発生する現象と同種のものを、動力として利用している?」
「大雑把にはそんな感じ。ただ俺、電気の専門家じゃないからな」
「どうやって作るのです?」
「発電所とかで作る」
「発電所」
「で、バッテリーに貯める」
「バッテリー」
単語が増えるたび、エリシアの目が輝く。
まずい。
このままだと昼飯に行けない。
――ミーネ。俺、電気についてどのくらい覚えてる?
『関連する記録を検索します』
少し間があり。
『電流』
『電圧』
『抵抗』
『電子』
『発電』
『電磁誘導』
いくつかの単語が並ぶ。
――ああ、やったなあ。
学校で。
内容はほとんど忘れているが、確かに習った。
『あなたが過去に取得した情報の一部を参照可能です』
詳しく聞けば、もっと出てくるのだろう。
ただ。
凪はエリシアを見る。
まだ、この国に来て二日目だ。
相手が悪い人間だと思っているわけではない。
だが、自分自身よく分かっていない知識を、思い出せるだけ全部喋る必要もない。
「詳しい話はまた今度な」
「なぜです?」
「俺もちゃんと分かってないから。適当なこと教えたくない」
「……なるほど」
エリシアは意外にも素直に引いた。
「では、これは後日詳しく」
「詳しくできる保証はないぞ」
「調べながらで構いません」
「俺も参加することになってる?」
「嫌ですか?」
少し考える。
魔法と電気。
この世界の雷撃魔法と、地球の電気。
比べたらどうなるのか。
「……まあ、ちょっと面白そうではある」
「では」
「ただし、スマホは分解するなよ」
「まだ何も言っていません」
「顔に書いてある」
「元に戻します」
「信用できねえ」
「失礼ですね」
「これ、俺が地球から持ってきた数少ない物なんだよ」
エリシアの動きが止まった。
それまで興味深そうにスマートフォンを眺めていた目が、少しだけ変わる。
「……そうでしたね」
彼女は慎重にスマートフォンを返した。
「すみません」
「いや、分かればいいよ」
画面を見る。
バッテリー残量。
七十一パーセント。
当然だが、減っている。
「これもそのうち使えなくなるな」
「なぜです?」
「電気がなくなるから」
「補充できないのですか?」
「地球ならできる。この世界じゃ充電器をコンセントに挿せないし」
「……こちらの技術で補充することは?」
「できたら面白いけど」
凪はスマートフォンを見る。
「いきなり試すのはなしな。一発で壊れるかもしれないし」
「では、安全な方法を調べてから」
「それなら」
また一つ。
やりたいことが増えた。
「さて」
エリシアが言う。
「昼食へ行きましょう」
「おう」
「戻ったら、先ほどの魔力操作の続きです」
「その次は?」
「まず安定させてからです」
「魔法は?」
「その後です」
「今日できる?」
「ナギ次第ですね」
「じゃあやる」
「魔力疲労を忘れていませんか?」
「休みながらならいいんだろ?」
「……そうですね」
研究室を出る直前。
凪は壁に埋め込まれた魔石をもう一度見る。
昨日も見たもの、今朝も見たもの。
視界へ文字が浮かぶ。
『魔石』
『魔力供給――』
『術式――』
『機能:発光』
『魔力変換――』
まだ。
分からないところだらけだ。
けれど。
昨日より、読める。
朝よりも、少し分かる。
知らなかった言葉を知った。
魔力を実際に感じた。
自分で動かしてみた。
失敗した。
少し成功した。
疲れることも知った。
その全部が、次の解析に繋がっている。
分からないから、知りたくなる。
――ミーネ。
『はい』
――午後も、今の魔力のやつ続きからな。
『記録しました』
帰る方法は探す。
勝手に呼び出されたことだって、まだ納得していない。
それでも。
目の前に本物の魔法がある。
もう少しで、自分にも使えるかもしれない。
身体が少しくらいだるくなったところで。
途中でやめられるわけがなかった。
ヒロインはいるけど出てくるのまだ先なのよねぇ、今のところはミーネでがまんしてほしいなぁ…




