第二話 頭の中に誰かいる
知らない女の子の声が頭の中でする。
こういう場合、どうするのが正解なんだろう。
とりあえず飯を食うことにした。
『解析を継続します』
「…………」
うん。
気になる。
めちゃくちゃ気になる。
でも今ここで声に出して会話を始めたら、目の前にいる二人の侍女からすれば、突然虚空に向かって話し始める怪しい異世界人の完成だ。
それは避けたい。
俺は何も聞こえていないふりをしてスープを口へ運ぶ。
さっき猫舌だと言った手前、ちゃんと息を吹きかけてから飲んだ。
別にそこまで猫舌でもない。
『解析進行――対象構成情報を取得中』
やめて。
今めっちゃ気になるから。
「ナギ様」
「ん?」
そんなことをやっていたらマリアに声をかけられた。
「お加減が優れないのでしたら、医師をお呼びいたしましょうか?」
挙動不審で心配をかけてしまったようだ。
「いや、大丈夫。普通にうまい」
「左様ですか」
マリアはまだ少し心配そうだった。
俺が急に固まったり、スープを凝視したりしていたから当然だろう。
なるべく普通に食べよう。
肉を食べる。
うまい。
パンを食べる。
これもうまい。
スープを飲む。
『解析進行率――』
うるさい。
いや、声そのものはうるさくない。むしろ静かで、感情らしいものもほとんど感じない。
ただ存在感がすごい。
テレビを見ている横でずっと小声で話しかけられている感じに近い。
無視しようとすると余計に気になる。
「ごちそうさまでした」
結局、少し急いで食べ終えてしまった。
「お下げしてもよろしいでしょうか?」
「お願いします」
二人が食器を片付けていく。
マリアが最後に俺を見る。
「他に何かご入用のものはございますか?」
「今は大丈夫」
「何かございましたら、扉の外に控えております者へお申しつけください」
「ずっといるの?」
「交代で控えております」
「マジか」
すごい待遇だな。
俺のために一人ずっと立たせておくのは申し訳ない気もする。
「呼ぶまで普通に休んでてもらうとかは?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、それが我々の務めでございますので」
「そっか」
本人たちが仕事だと言うなら、これ以上言うのも違うか。
「じゃあ、おやすみ」
「はい。どうぞごゆっくりお休みくださいませ」
マリアたちが一礼し、台車を押して部屋を出ていく。
扉が閉まり、マリアたちの足音が廊下の向こうへ遠ざかっていく。
しばらく待つ。
完全に聞こえなくなったところで、俺はベッドの端に腰を下ろした。
「さて」
誰もいない部屋を見回す。
「お前、誰?」
『質問の意図を解析します』
「いや、そのままの意味――」
そこまで言って、止まった。
俺はゆっくり扉を見る。
さっきマリアはなんと言っていた?
確か、何かあればすぐ対応できるよう、廊下には人を待機させているとかなんとか。
別に監視されていると決まったわけじゃない。普通に考えれば、突然異世界から連れてこられた人間を放っておかないための配慮だろう。
ただ――。
俺は今日、この国に突然呼び出された。
向こうからすれば、どこの誰とも分からない異世界人だ。
そんな奴を豪華な部屋に入れて、「じゃあごゆっくり」と完全放置するか?
……しない気がする。
盗み聞きされていると決めつけるのもどうかと思うが、されていないと決めつける理由もない。
というか。
もっと根本的なことに気づいた。
こいつ、最初から頭の中に直接話しかけてきてるよな?
だったら――。
試しに、声には出さず頭の中だけで問いかけてみる。
――聞こえる?
『肯定します』
聞こえるんかい。
危な。
いや、もう「お前、誰?」まで言っちゃったけど。
まあ、それくらいなら独り言で済む……と思いたい。
俺はベッドに深く腰掛け直す。
ここからは声に出さない方がよさそうだ。
――じゃあ改めて。お前、誰?
『私は《万象解析》に付随する情報整理および解析補助機能です』
聞いたことのない言葉が、頭の中にはっきり響いた。
――万象解析?
『肯定します』
名前だけ聞くと、とんでもなく大層だ。
さっき飯を見ていたときに出てきた妙な文字。あれがその能力ということだろうか。
――俺の能力?
『肯定します』
――いつから?
『回答不能。該当情報が存在しません』
――なんで俺が持ってる?
『回答不能。該当情報が存在しません』
――誰がくれた?
『回答不能。該当情報が存在しません』
――じゃあ、お前を作ったのは?
『回答不能。該当情報が存在しません』
――……使えねえ。
『訂正。当機能は正常に稼働しています』
そういう意味じゃない。
なんというか、会話しているというより説明書に話しかけている気分だ。
――じゃあ、その万象解析って何ができるんだ?
『対象を観測し、取得した情報を解析します』
――それだけ?
『現在確認されている機能について回答しました』
現在確認されている、ね。
妙に引っかかる言い方だが、今聞いても同じような返事しか返ってこない気がする。
それより気になることがある。
――さっき飯見たとき、文字がほとんど読めなかったんだけど。
『正常です』
――正常なの?
『現在の解析精度では、対象情報の完全な取得は不可能です』
――なんで?
『主な要因は三点です。第一に、観測情報の不足。第二に、解析対象に対する知識の不足。第三に、《万象解析》の習熟不足です』
なるほど。
……いや、分かったような分からんような。
――つまり、俺が知らないものは分からない?
『一部肯定します。未知の情報であっても観測可能な範囲から解析できます。ただし、既知の概念との対応が存在しない場合、情報の解釈および言語化に制限が発生します』
少し考える。
たとえば、俺が魔法なんてものを一切知らない状態で、魔法にしか存在しない何かを見たとしても、それを説明するための言葉も知識もない。
だから「――」になる。
そういうことだろうか。
――微妙じゃん。
『評価基準が不明です』
――なんでも分かる能力かと思った。
『現時点では不可能です』
現時点では。
またその言い方だ。
俺はテーブルを見る。
夕食は片付けられているが、パンをちぎったときに落ちたらしい小さな欠片が一つ残っていた。
ちょうどいい。
――あれ、解析できる?
『可能です。解析を開始しますか?』
今度は勝手に始まらなかった。
そういえば食事中は、俺が「解析」という表示を意識した直後に声が聞こえ始めた。
あれが開始の意思として認識されたのかもしれない。
――やって。
『解析を開始します』
視界の中に文字が浮かぶ。
『穀物加工食品』
『主原料:――麦』
『発酵:――』
『含有成分:解析不能』
『製造工程:一部解析不能』
さっきより少しだけ分かる。
――これ、さっき見たから?
『肯定します。過去の解析結果および新規観測情報を参照しています』
――前に解析したものって残ってるの?
『肯定します。当機能が記録しています』
なるほど。
そこで、夕食に出てきた香草を思い出す。
――フェルナ草。
『該当記録が存在します』
頭の中に、さっき見た情報が浮かぶ。
『フェルナ草』
『香草』
『香気成分:一部解析不能』
『食用可能』
――ローディア鳥。
『該当記録が存在します』
こっちも出た。
これ、結構便利じゃないか?
いや待て。
記録できるなら。
――俺が元から知ってることも探せる?
『検索対象を指定してください』
――例えば……カレーの作り方。
『あなたが過去に取得した情報に該当項目が存在します』
いくつかの作り方が頭に浮かぶ。
普段家で作る市販のルーを使ったもの。前に一度作ったスパイスカレー。玉ねぎをどれくらい炒めたとか、何を入れたとか、細かいところまで全部ではないが、思っていた以上に情報が残っている。
――じゃあ、昔作った料理で、今はレシピ忘れてるやつとかも?
『過去にあなたが取得した情報であれば、現在あなた自身が思い出せない場合でも検索可能です』
――完全に忘れてても?
『肯定します。当機能に記録されている情報であれば可能です』
――マジか。じゃあ昔覚えたけど、今は忘れてることも?
『検索可能です』
――知らない料理は?
『あなたが一度も取得していない情報は存在しないため、検索できません』
なるほど。
一度知ったことなら、忘れても引っ張り出せる。
でも知らないことが勝手に生えてくるわけじゃない。
――便利だな、それ。
『先ほどの評価と矛盾しています』
――細かいな。
『矛盾を確認したため指摘しました』
こいつ、機械のくせに妙なところだけ律儀だ。
……機械?
そういえば、ずっと「当機能」と言っている。
――お前、名前ないの?
『固有呼称は設定されていません』
――ずっと「お前」も呼びづらいな。
『呼称は機能に影響しません』
――俺に影響するんだよ。
『理解不能です』
面倒くさい。
――じゃあ解析ちゃん。
『呼称として登録しますか?』
――やっぱなし。
『了解しました』
危うく謎の能力補助機能が「解析ちゃん」になるところだった。
もう少しまともな名前を考えよう。
情報を記録する。整理する。必要なときに探してくれる。
記憶。
記録。
その辺から取ればいいか。
何かそれっぽい名前があった気がする。
ギリシャ神話だったか。
――記憶に関係する神様かなんか、名前あったよな。
『記憶情報を検索します』
すぐにいくつかの情報が浮かんできた。
『ムネモシュネ。ギリシャ神話における記憶の女神』
――ああ、それそれ。
でも長い。
もう少し短いのは。
『関連する記憶情報を検索します』
続いて出てきたのは、ムネーメーという名前だった。
記憶に関係する名前らしい。
――ムネーメー。
『肯定します』
――……ミーネでいいか。
『「ミーネ」を当機能の固有呼称として登録しますか?』
――うん。
『登録しました』
あっさり決まった。
――じゃあ、よろしく。ミーネ。
『要求内容が不明です』
――そこ分かんないの?
『「よろしく」に該当する具体的処理が指定されていません』
――挨拶だよ。これから一緒にやってくんだから、よろしくって。
『…理解しました』
一拍、間があった。
『よろしくお願いします、ナギ』
……今、真似した?
――てかなんで俺の名前知ってるんだ?
『記憶情報に存在します』
――俺の記憶、普通に見れるんだな。
『情報整理および検索に必要な範囲で参照可能です』
――プライバシーという概念について。
『該当する記憶情報を検索しますか?』
――そうじゃねえよ。
思わず声に出しそうになって、慌てて口を閉じる。
危ない危ない。
廊下に誰かいる可能性を忘れるところだった。
しかし、こうして頭の中だけで会話できるなら都合はいい。
少なくとも、この国に自分の能力をわざわざ教える必要はない。
別に隠し通そうと決めたわけでもないが、自分ですら何なのか分かっていないものを説明しろと言われても困る。
まずは知ることからだ。
――ミーネ。この部屋にあるもの、片っ端から解析できる?
『可能です。ただし対象によって必要時間および取得可能情報量が異なります』
――じゃあ……あれ。
壁に取り付けられた魔石を見る。
廊下でマリアに聞いたやつだ。
魔石に光属性の術式を書き込んで明かりにしている、と言っていた。
――解析。
『解析を開始します』
文字が浮かぶ。
『魔石』
『魔力を――』
『術式:光――』
『機能:発光』
『構造:――』
『魔力変換――』
読めない部分は多い。
それでも廊下で初めて見たときより明らかに情報が増えている。
理由は簡単だ。
俺はもう、これが「魔石」で、「魔法の術式」が書き込まれていて、「光を出すもの」だと知っている。
――知ってることが増えたから、解析できるようになった?
『肯定します。対象に関連する既知情報の増加により、解析精度が向上しています』
やっぱりか。
知らないものを見る。
分からない。
誰かに教えてもらう。
もう一度見る。
前より分かる。
分かったことは記録される。
その記録を使えば、次に似たものを見たとき、さらに解析しやすくなる。
地味だ。
少なくとも、剣を振ったら山が吹き飛ぶとか、魔王を一撃で倒せるとか、そういう分かりやすい能力じゃない。
でも。
積み重ねれば積み重ねるほど、できることが増える。
そう考えると――。
――これ、結構やばい能力なんじゃない?
『評価基準が不明です』
――もういいよ。
とりあえず、明日やることは決まった。
魔法について知る。
この世界に本当に魔法があるなら、ちゃんと仕組みを聞いてみたい。
誰に聞くか、真っ先に浮かんだのは、召喚された部屋にいた金髪の女だった。
あの魔法陣の中心にいたくらいだ。
たぶん魔法には詳しい。
名前、聞いてなかったな。
まあ明日でいいか。
ベッドに横になる。
柔らかい。
大学生が泊まるには明らかに豪華すぎるベッドだ。
天井を眺めながら、ふと思う。
――ミーネって寝るの?
『睡眠機能は存在しません』
――じゃあ俺が寝てる間どうしてんの?
『待機します』
――暇そう。
『時間経過に対する苦痛は存在しません』
――そういう意味じゃないんだけどな。
今日一日を思い返す。
大学から帰ってスーパーへ行き母親に頼まれた牛乳を買って帰ろうとしたら知らない世界に飛ばされた。
さらに王様と話して牛乳が漏れて異世界の飯を食い、いつの間にか頭の中に女の声が聞こえるようになりそれがすきるのせいで…情報量多すぎない?
『本日の出来事を時系列順に整理しますか?』
――しなくていい。
『了解しました』
目を閉じる、疲れた。
当たり前だ。
明日起きたら全部夢だった、なんてことはたぶんないだろう。
もう、そう思える程度には現実感が出てきてしまった。
それでも今は寝るしかない。
いつの間にか増えた会話相手に声をかける。
――おやすみ、ミーネ。
ほんの少しだけ間があってから、声が返ってくる。
『おやすみなさい、ナギ』
昨日までなら、頭の中から知らない女の声でおやすみと言われる状況なんて、普通に怖かったと思う。
今はもう、それを気にする余裕すらなかった。
俺はそのまま目を閉じた。




