第九話 魔法の使い方、それでいいの?
異世界ですき焼きやらお好み焼きやらを作ってから、数日が経った。
その間、特別な事件が起きたわけでもない。
魔導院へ行ってエリシアから魔法を教わり、城の中を歩き、気になったものがあれば《万象解析》で覗いてみる。厨房にも何度か顔を出して、バルドさんからこの世界の料理や食材について聞いた。
ついでに一つ、妙なものも頼んでいる。
俺が紙に描いた雑な図をバルドさんに見せ、こういう鉄板を作れる職人はいないかと聞いたのだ。
半球状の窪みがいくつも並んだ、厚めの鉄板。
バルドさんには当然ながら用途を聞かれたけど、「料理に使う」とだけ答えておいた。
説明するより、完成してから見せた方が早い。
職人には数日かかると言われているので、そろそろ出来上がる頃だと思う。
そんなことを考えながら、今日も俺は魔導院へ来ていた。
「では今日は、風をやりましょう」
「風か」
エリシアから差し出された本を受け取る。
火、水、風。
ゲームなんかだと定番の属性だけど、実際に魔法として習うと、当然ながらボタン一つで発動するようなものじゃない。
「最初に一つ確認します。ナギは風を何だと思っていますか?」
「空気の流れ」
「……正解です」
「なんでちょっと残念そうなの?」
「もう少し説明する機会があると思っていました」
「大学生をなんだと思ってるんだよ」
「異世界の大学について、私はほとんど知りませんので」
「ああ、そっか」
言われてみればそうだ。
エリシアにとっては、日本の大学が何をする場所なのかすら分からない。
「では、自然に風が起きる理由は?」
「場所によって空気の温度とか圧力が違うから……だったかな。暖かい空気が上がって、そこに別の空気が流れ込んだりして」
「なるほど」
「詳しいところまでは知らないぞ」
「十分です。少なくともナギは、風を目に見えない何かではなく、空気そのものの運動として認識している」
「まあな」
「こちらでは、それがかえって難しい場合があります」
「なんで?」
「魔法で風を起こせるからです」
一瞬、意味が分からなかった。
「便利なんだからいいんじゃないの?」
「便利だからこそ、『なぜ自然の風が吹くのか』と『どうすれば魔法で風を起こせるのか』が、別の学問として発達してきたのです。気象を専門とする研究者ならともかく、一般的な風魔法の術者が考えるのは、空気を動かすための術式です」
「あー……魔法で結果だけ作れちゃうのか」
「そういうことです」
なるほど。
魔法があるから科学が発達しない、なんて単純な話じゃない。
魔法があるせいで、俺たちとは違う方向から現象を研究しているらしい。
「まずはこちらを読んでみてください」
「了解」
本を開く。
書かれているのは、初歩的な風魔法の術式らしい。
視線を向け、いつものように意識する。
《万象解析》。
情報が浮かんだ。
術式の構造、魔力の流入位置、それがどこを通って、どう空気へ作用するのか。
流れの方向。
術式内部で発生している損失。
制御を担当しているらしい部分まで――。
……ん?
俺はページを見たまま止まった。
前にも魔法の術式は見ている。
エリシアに初めて魔法を教わったときだって、《万象解析》で術式を確認した。
でも。
こんなところまで見えてたか?
――ミーネ。
『はい』
――これ、前もここまで分かった?
『否定します』
やっぱり。
――じゃあ、なんで?
『《万象解析》の習熟に伴い、解析可能領域が拡張されています』
思わず顔を上げそうになって、止めた。
目の前にはエリシアがいる。
今ここで声に出す必要はない。
――いつから?
『明確な境界は特定できません。観測、解析、比較、魔法使用等の蓄積により、段階的に変化したものと推定されます』
レベルアップしました、みたいな話ではないらしい。
見て、使って、覚えて、また見る。
その積み重ねで、以前は分からなかったものが少しずつ分かるようになっている。
――じゃあ、これからも増える可能性ある?
『肯定。現時点では上限不明』
……マジか。
「ナギ?」
「ん?」
「先ほどから同じ場所を見ていますが」
「ああ、ごめん。ちょっと考えてた」
ページへ視線を戻す。
今すぐエリシアに話すつもりはない。
この力が何なのか、俺自身まだよく分かっていないからだ。
ただ一つ。
使えば、少しずつ変わっていく。
それだけは覚えておこう。
「続けていいよ」
「では、実際にやってみましょう」
エリシアが片手を上げる。
「風魔法の初歩は、一定方向へ空気を動かすところから始めます。いきなり強い風を作ろうとしないでください」
「俺がやりそう?」
「やりそうです」
「即答かよ」
「ナギは興味を持つと、すぐ先へ進もうとしますから」
「……否定できない」
魔力を意識する。
これまで習った魔法と基本は同じだ。
ただ、今は術式の中身が以前より少し詳しく見える。
魔力を流し、形を作り、空気へ作用させる。
「……お」
頬を風が撫でた。
弱い。
扇子で軽く扇いだ程度だけど、確かに俺が起こした風だ。
「成功です」
「地味だな」
「最初から人でも吹き飛ばすつもりでしたか?」
「そこまでは言ってない」
「では十分でしょう」
もう一度。
今度は少し強くすると、机の上に置いてあった紙が揺れた。
「面白いな。これ、方向変えられる?」
「できます」
「途中で曲げたりは?」
「可能です。ただし制御は難しくなります」
「回転は?」
「できますが……随分先を急ぎますね」
「気になっただけ」
「順番にやります」
「はい」
その後もしばらく、風を起こしては止める練習を繰り返した。
一定方向へ流す。
強くする。
弱くする。
範囲を変える。
まだ大したことはできない。それでも、火や光とは違って空気そのものを動かしている感覚は面白かった。
何度目かの練習を終えたところで、エリシアが手を叩く。
「一度休憩にしましょう」
「まだいけるけど」
「知っています。だから休憩にします」
「なんでだよ」
「ナギが自分から休むのを待っていたら、いつになるか分かりません」
「そんなに?」
「そんなにです」
仕方なく椅子へ座ると、エリシアも向かいへ腰を下ろした。
「さて」
「ん?」
「対価をいただきます」
「言い方が怖い」
「以前も申し上げたでしょう。私が魔法について教える代わりに、ナギにはあなたの世界について教えていただきます」
「覚えてるよ。今日は何?」
「そうですね……」
少し考えたエリシアが、さっき俺が起こした風へ視線を向ける。
「ナギの世界には、魔法がないのでしょう?」
「ないな」
「では、人間は空を飛べないのですか?」
「人間だけじゃ無理だけど、飛行機がある」
「ヒコウキ?」
「人を乗せて空を飛ぶ乗り物」
「何人ほど乗れるのです?」
「でかい旅客機なら数百人」
エリシアが黙った。
「ナギ」
「はい」
「今、数百人と言いましたか?」
「言った」
「一つの乗り物に?」
「うん」
「それが空を?」
「飛ぶ」
「魔法なしで?」
「ないって言っただろ」
エリシアの目が変わった。
完全に研究者の顔だ。
「どうやって?」
「その質問来ると思った」
「説明できますか?」
「ある程度なら。……あ、でも」
机の上に置かれた紙を見る。
「簡単なものなら、実物見せた方が早いか」
「実物?」
「飛行機そのものじゃないぞ」
紙を一枚もらい、半分に折る。
開いて、左右の角を中心へ。
もう一度折って、最後に翼を作る。
「何をしているのです?」
「まあ見てろって」
出来上がった紙飛行機を持ち上げる。
「これは……鳥、ですか?」
「一応、飛行機」
「先ほど数百人が乗ると言っていたものが、これなのですか?」
「模型だよ。しかもめちゃくちゃ簡単な」
軽く投げる。
紙飛行機はふわっと前へ進み、緩やかに高度を落としながら部屋の反対側まで飛んでいった。
「…………」
エリシアが固まった。
「紙が」
「飛んだな」
「魔力は?」
「使ってない」
「術式は?」
「ない」
「もう一度お願いします」
「はいはい」
拾って戻り、もう一度投げる。
今度はさっきより少し強く。
紙飛行機が部屋を横切る。
エリシアはその軌道を目で追い、落ちた瞬間すぐに拾いに行った。
「この形に意味があるのですか?」
「ある。もちろん本物とは全然違うけどな」
紙飛行機を受け取り、翼の部分を指す。
「本物の飛行機にも翼がある。鳥みたいに羽ばたくんじゃなくて、基本は固定されてる」
「では、なぜ浮くのです?」
「前に進んで、翼の周りに空気を流すんだよ。本物の翼は断面で見ると、だいたい上側が膨らんだような形になってる」
別の紙に翼の断面を簡単に描く。
「空気が翼の周りを流れることで圧力の差ができたり、翼が空気を下向きに押した反作用があったりして、上向きの力が出る」
「上向きの力……」
「揚力っていう」
エリシアが紙と紙飛行機を交互に見る。
「つまり、翼そのものに浮遊する力があるのではなく、空気との相互作用で上向きの力を得ている?」
「そういう理解でいいと思う。ただ、『翼の上側の方が距離が長いから空気が速く流れて圧力が下がる、それだけで飛ぶ』みたいな説明は正確じゃなかったはず」
「では正確には?」
「そこから先は専門家に聞いて」
「ナギ」
「俺、航空工学科じゃないんだけど」
「コウクウコウガク?」
「こういう空飛ぶものとかを専門に研究する学問」
「それだけで一つの学問になるのですか?」
「そりゃなるだろ。飛行機なんてめちゃくちゃ複雑だし」
紙に簡単な飛行機を描き足す。
「翼も完全に固定ってわけじゃなくて、一部は動く。フラップとかエルロンとか」
「それは何を?」
「フラップは離陸とか着陸のときに使って、揚力を増やしたりするやつだったかな。エルロンは左右の翼で動かして、機体を傾ける。尾翼にも動く部分があって、機首を上下させたり左右へ向けたりする」
「複数の面を動かして、周囲の空気から受ける力を制御している……」
「大体そんな感じ」
「では、前へ進む力は?」
「ジェットエンジンとか。空気を吸って圧縮して、燃料を燃やして、後ろにすごい勢いで噴き出して推力を作る」
「その内部構造は?」
「知らん」
「……」
「だからその顔やめろって」
「残念です」
「一般人にジェットエンジンの設計図を求めるな」
「そこまでは求めていません」
「目が求めてた」
エリシアは俺の抗議を無視して、紙飛行機を眺めている。
やがて翼を指で少し曲げた。
「これは?」
「あんまり曲げると飛び方変わるぞ」
「変わるのですか?」
「そりゃ空気の当たり方が変わるから――」
そこまで言って、二人で紙飛行機を見る。
「……試す?」
「試しましょう」
エリシアが即答した。
そこからしばらく、魔法の休憩だったはずなのに紙飛行機の実験が始まった。
翼の角度を変える。
投げる。
片側だけ少し曲げる。
投げる。
今度は曲がった。
「おお」
「もう一度です」
「休憩どこ行った?」
「今しています」
「これ休憩か?」
まあ、面白いからいいけど。
何度か試したところで、エリシアが紙飛行機を机へ戻した。
「非常に興味深いですね。魔法を使わず、空気の性質を利用して飛ぶ……」
「紙飛行機と本物はだいぶ違うからな?」
「分かっています。ただ、考え方は参考になります」
エリシアが立ち上がる。
「先ほどナギは、風を回転させられるかと聞きましたね」
「聞いた」
「今の話を踏まえて、少し違う練習をしてみましょう」
「何するの?」
「風をただ押し出すのではなく、流れとして制御します」
エリシアが手を伸ばすと、小さな風が生まれた。
机の上に置かれた細い紙片が舞い上がり、その場でくるくると円を描き始める。
「おお」
「一定方向へ押すだけなら簡単です。しかし流れを維持しながら方向を変え続ける場合、制御する情報が増えます」
「これをやれと?」
「まずはもっと小さく」
「だよな」
真似してみる。
最初は崩れた。
二度目も駄目。
三度目で、ほんの少しだけ空気が回る。
「今の近い?」
「はい。ただ、力が均等ではありません」
「じゃあもう一回」
何度か繰り返す。
さっき気づいた《万象解析》の変化のおかげか、失敗した場所も以前より分かりやすい。
ここで魔力が漏れている。
ここで流れが乱れている。
だから、次はそこを変える。
試す。
また失敗する。
直す。
「……ナギ」
「ん?」
「楽しそうですね」
「面白いからな」
「そうですか」
「もう一回」
「その前に」
エリシアが俺を止めた。
「数日前に話していた卵について、調べるのでしょう?」
「あ」
忘れてた。
お好み焼きを作った日の夜。
この世界の卵を生で食べられるのか、浄化魔法を使えば安全性を確保できるのかという話をしていた。
「そうだった」
「魔法を始めると、本当に他のことを忘れますね」
「思い出したからセーフ」
「私が思い出させたのですが」
「細かいことは気にするな」
「気にします」
用意してもらっていた卵を机へ運ぶ。
「先に言っておきますが」
エリシアが一つ手に取った。
「浄化魔法を使えば、何でも安全になるわけではありません」
「分かってる」
「腐敗した食品を元へ戻すこともできませんし、何が有害なのか分からなければ、完全に除去できた保証もありません」
「だから調べるんだろ?」
「はい」
俺も卵を見る。
《万象解析》。
殻。
表面。
内部。
状態。
やっぱり以前より細かい。
何でも分かるわけじゃないし、知らないものについては意味の分からない情報もある。
それでも、見える範囲そのものが広がっている。
「どうです?」
「見た感じ、傷んではなさそう」
「では、まず表面から行います」
洗浄した卵へ、エリシアが浄化術を使う。
淡い光が殻を包み、すぐに消えた。
もう一度解析する。
変化はある。
ただ、これだけで生食可能と決めつけるのは危ない。
何個かの卵を使って条件を変え、処理の前後を比べる。
俺が《万象解析》で状態を確認し、エリシアも魔法側から変化を調べた。
そうしてしばらく実験を続けた結果。
「少なくとも、今日用意した卵については、殻を洗浄した上で浄化術を施し、割った後の状態まで確認すれば問題はなさそうです」
「じゃあ、生で使える?」
「今回確認した条件のものなら、私は問題ないと判断します」
「よし」
「ただし、今後すべての卵に同じ方法が通用すると決まったわけではありません」
「分かってるって」
「本当に?」
「信用ないなあ」
「ナギは結果が出ると、その先をすぐ試そうとしますから」
否定しづらい。
「で」
俺は処理した卵を一つ持ち上げる。
「これ、もらっていい?」
「構いませんが……何をするのです?」
「マヨネーズ作る」
「マヨネーズ?」
「卵を生のまま使うソース。数日前のお好み焼きにも合う」
「また料理ですか?」
「生で使える卵ができたんだから試したくなるだろ」
「普通はそうならないと思います」
「俺はなる」
「……そうですか」
厨房へ向かい、バルドさんに油と酢と塩を借りる。
「今度は何を始めるおつもりで?」
「マヨネーズ」
「また聞いたことのないものが出てきましたな」
「卵と油を混ぜて作るソース。俺も家で一から作ることなんてほとんどなかったけど、作り方自体は知ってる」
卵黄を分け、酢と塩を加える。
そこへ油を少しずつ。
混ぜる。
さらに少し。
混ぜる。
「…………」
「どうしました?」
「腕疲れるな、これ」
エリシアが呆れた顔をした。
「まだ始めたばかりでしょう」
「分かってるけどさ」
油を少し加え、また混ぜる。
ちゃんとやれば作れる。
作れるんだけど。
「これ、ずっとやるんだよな……」
そう呟いたところで、さっきまでの授業を思い出した。
風。
流れ。
回転。
「……あ」
「どうしました?」
「エリシア」
「はい」
「風魔法って、回せるよな?」
「先ほど練習したばかりですが」
「じゃあ、これも回せない?」
「……これ?」
俺がボウルを指差すと、エリシアは数秒黙った。
「何その顔」
「私は先ほど、飛行魔法への応用を考えていました」
「俺はマヨネーズへの応用を思いついた」
「同じ授業をしていたはずなのですが」
「使い道は人それぞれだろ」
「間違ってはいませんが……」
「ちょっとやってみる」
「待ってください。出力を――」
ボウルの中へ小さな風を起こし、そのまま回転させる。
ぶわっ。
「うおっ」
油が跳ねた。
頬に一滴。
机にも一滴。
エリシアの袖にも一滴。
「…………」
「…………」
『出力過多です』
――見れば分かる。
「ナギ」
「はい」
「掃除してください」
「はい」
怒られた。
幸い大惨事というほどではなかったので、すぐに片付ける。
「直接風を当てるのが駄目なんだな」
「液体へ風を吹き込めば、そうなるでしょう」
「じゃあ……」
手元の泡立て器を見る。
「こっちを回せばいいのか」
「泡立て器を?」
「風で」
持ち手の部分を軽く支える。
「要するに、俺が手でやってる回転を魔法にやらせればいい」
「なるほど……」
エリシアも少し興味を持ったらしい。
「直接材料へ干渉するより、道具へ力を加える方が制御は容易でしょうね」
「だよな」
「ただし、最初は弱くしてください」
「分かってる」
「先ほども聞きました」
「今度は本当に分かってる」
泡立て器の周囲に、小さな風の流れを作る。
回転。
ゆっくり。
カシャ、カシャ、と泡立て器が動き始めた。
「おお……」
「ナギ、手を離さないでください。軸がぶれています」
「はい先生」
風を少し調整する。
回転が安定した。
速くしすぎる必要はない。
一定の速度を保ちながら、油を少しずつ加えていく。
やがて液体だったものが、とろりとまとまり始めた。
「あ」
見覚えのある色と質感になっていく。
「これだ」
「成功ですか?」
「たぶん」
少し取って味を見る。
酸味。
油。
卵のコク。
知っているものと完全に同じではない。
使っている酢も油も違うんだから当然だ。
でも。
「うん。マヨネーズだ」
「私もよろしいですか?」
「どうぞ」
エリシアも少量取って口にする。
「……不思議な味ですね。酸味がありますが、かなり濃厚です」
「野菜とかに合うな、あとこの前のお好み焼きにも合うよ」
「なるほど」
少し離れたところで見ていたバルドさんにも渡す。
味見したバルドさんは、しばらく何も言わずにマヨネーズを見つめた。
「これもソースの一種ですか」
「そう思っていいよ」
「油と卵をここまで混ぜ合わせるとは……」
「乳化っていうらしい」
「ニュウカ?」
「混ざりにくいものが、こう……うまいこと混ざった状態」
「詳しくは?」
「知らん」
「そこは知らないのですな」
「料理人でも化学者でもないからな、俺」
知っていることと、作れること。
仕組みまで説明できること。
その三つは別だ。
そこまで万能だったら俺も苦労しない。
「でも、これなら……」
マヨネーズを見ながら、数日前に頼んだものを思い出す。
「そろそろできる頃かな」
「何がです?」
エリシアが尋ねる。
「数日前にバルドさん経由で職人に頼んだ鉄板」
「ああ、あれですか」
バルドさんが反応した。
「丸い窪みをいくつも作ってほしいという、あの妙な注文ですな」
「妙って言うな。かなり頑張って描いたんだぞ」
「丸が並んでいるだけでしたが」
「用途が伝われば図面は勝ちなんだよ」
「何に使うものなのです?」
エリシアに聞かれて、少し笑う。
「料理」
「またですか?」
「またです」
「今度は何を?」
「完成してからのお楽しみ」
そのとき、厨房の入口から声がした。
「失礼します」
振り返る。
青藍色の短い髪。
数日前、お好み焼きの匂いにつられて厨房へやって来た少女――フィリアが立っていた。
今日は前みたいに料理へ一直線ではない。
入口できちんと立ち止まり、こちらへ向き直る。
「ナギ様。先日はきちんとご挨拶できませんでしたので、改めて参りました」
「これはご丁寧にどうも」
そういえば、そんなことを言っていた。
フィリアが姿勢を正す。
「改めまして。レグナリア王国第二王女、フィリア・レグナリアと申します。先日は大変失礼いたしました」
「雨宮凪です。……って、もう知ってますよね」
「はい」
フィリアが少し笑った。
昨日――ではなく、もう数日前になる。
あのときは俺も相手が王女だと知らず、普通にお好み焼きを渡した。
「あと、ナギ様は――」
「あ、様は付けなくていいですよ」
フィリアが瞬きをする。
「ですが」
「俺、この国の貴族でもなんでもないし。普通にナギでいいです」
「では、ナギさんと」
「うん」
「でしたら、ナギさんも私のことは名前で呼んでいただいても結構ですよ」
「いいの?」
「公の場では困りますが、ここでまで畏まられるのも落ち着きませんので」
「じゃあフィリアさん?」
「はい」
「あとナギさんの喋りやすい喋り方で結構ですよ、」
「それはさすがに」
「ナギさんは私たちが勝手に呼び出した身ですしこの国の来賓に似た立場ですし」
王女との会話として正しいのかは知らないけど、本人がいいと言うならいいだろう。
「わかった。そちらがいいなら普段通り喋らせてもらう」
「それで――」
フィリアの視線が、俺の前にあるボウルへ落ちた。
「今日は何を作っているのですか?」
「結局そこなんだ」
「……」
フィリアが少しだけ頬を赤くする。
「マヨネーズっていうソース」
「マヨネーズ……」
「食べてみる?」
「よろしいのですか?」
「そのために見てるんじゃないの?」
「それは……少しだけ」
やっぱり食べたかったらしい。
バルドさんが小皿を用意し、フィリアがほんの少し味見する。
「……美味しい」
「よかった」
「先日のお料理にも使えるのですか?」
「お好み焼き? 合うよ。あと、今度作ろうと思ってるやつにも使う」
「今度?」
フィリアが顔を上げた。
「何を作るのです?」
「それは鉄板ができてから」
「先ほど話していたものですね」
「そうそう」
「いつ頃完成するのでしょう?」
「職人さん次第だけど、そろそろじゃない?」
「……そうですか」
フィリアが何かを考える。
嫌な予感がした。
「フィリアさん?」
「完成したら、私にも教えていただけますか?」
「やっぱり」
「何がです?」
「いや、なんでもない」
別に断る理由もない。
「いいよ。ただ今度はちゃんと予定空けてきてね」
「もちろんです」
フィリアは妙に真剣な顔で頷いた。
「きちんと空けてまいります」
「そこまで気合い入れる?」
「先日は途中で戻らなければなりませんでしたから」
どうやら少し悔しかったらしい。
エリシアを見る。
「エリシアも来る?」
「何を作るのか聞いていませんが」
「来ない?」
「行きます」
「来るんじゃん」
「ナギがまた妙なことを始めないか確認する必要があります」
「料理するだけだよ」
「今日、風魔法で油を飛ばした人の言葉とは思えませんね」
「それはもう終わった話だろ」
「数十分前です」
フィリアが首を傾げる。
「風魔法で油を?」
「聞かなくていい」
「気になります」
「マヨネーズ作るのに使っただけ」
「……風魔法を?」
「そう」
フィリアがエリシアを見る。
エリシアが静かに頷く。
「私も同じ疑問を抱きました」
「便利だったんだからいいだろ」
魔法で空を飛ぶことを考える人。
魔法で国を守ることを考える人。
魔法そのものを研究する人。
たぶん、この世界にはいろんな使い方がある。
だったら一つくらい。
マヨネーズを作るために使ったっていいだろう。
俺は出来上がったばかりのマヨネーズを見ながら、まだ見ぬ特注の鉄板を思い浮かべた。
あれが完成したら、次はたこ焼きだ。
問題は――。
「そういや」
「どうしました、ナギさん?」
「この辺って、タコいるのかな」
「タコ?」
フィリアが首を傾げる。
バルドさんは何か心当たりがあるような顔をした。
どうやら次に調べるものも、もう決まったらしい。




