幕間 夕食のあと
閑話 夕食のあと
「――それで、どうだった」
夜。
王城の執務室で、エドガルド・レグナリアは書類から顔を上げた。
向かいに立つアデル・フェルナーは、一礼してから口を開く。
「陛下から命じられました通り、夕食を共にしながらナギさんの様子を見てまいりました」
「率直に聞こう」
エドガルドは手にしていた書類を机へ置いた。
「そなたの目には、あの男がどう映った」
アデルはすぐには答えなかった。
外交の場で相手を見ることには慣れている。
何を望んでいるのか。
何を恐れているのか。
何を隠しているのか。
言葉だけではなく、表情や態度、話題の選び方、相手によって変わる距離の取り方まで見る。
それがアデルの仕事だった。
今回エドガルドから命じられたのも、雨宮凪という異世界人について、そうした観点から人物を見極めることだった。
「普通の青年でした」
「……普通?」
「はい」
予想していなかったのか、エドガルドがわずかに眉を動かす。
「少なくとも、私にはそう見えました」
「詳しく聞こう」
「まず、ナギさんはこの世界そのものに対して敵意を抱いているわけではありません。むしろ非常に強い興味を持っています」
「魔法か」
「それだけではありません」
アデルは首を横に振った。
「食文化、食材、街並み、生活様式。自分の世界との違いを知ること自体を楽しんでいるように見えます。今日の料理もそうでした」
「異世界の料理を作ったと聞いたが」
「二品ほど。一つは『すき焼き風』、もう一つは『お好み焼き』と呼んでいました」
「……すき焼き」
聞き慣れない言葉を、エドガルドがゆっくり繰り返す。
「どのような料理だ」
「一つ目は、肉や野菜などをラグ、砂糖、酒を使った甘辛い味で煮た料理です。もう一つは細かく刻んだ野菜と生地を焼いたものでした」
「美味かったか」
「ええ」
アデルは即答した。
「非常に」
エドガルドの口元がわずかに緩む。
「そなたがそこまで即答するのは珍しいな」
「報告ですので、正確さを心掛けております」
「そういうことにしておこう」
「ありがとうございます」
アデルも小さく笑った。
「もっとも、完全に彼の世界の料理というわけでもありません。こちらの食材も多く使っていますし、特にお好み焼きに使ったソースは、バルド殿と共に作ったそうです」
「バルドと?」
「ナギさんが求める味を伝え、バルド殿がレグナリアの料理や食材から近いものを提案する。そのようにして作ったと聞きました」
「なるほど」
「自分の世界のものを、そのままこちらへ持ち込もうとしているわけではありません。こちらにあるものを知り、それと自分の知識を組み合わせることを楽しんでいるようです」
魔法についても似たところがある。
アデルは夕食中の会話を思い出す。
「卵について、エリシア様と興味深い話もしていました」
「卵?」
「彼の国では、条件を整えた卵を生で食べる習慣があるそうです」
エドガルドが止まった。
「……生で?」
「生でです」
「腹を壊さないのか」
「そのために衛生管理をするそうですが、ナギさん自身も専門的な方法までは知らないとのことでした」
「ならば、こちらで再現するのは難しいだろう」
「そこで彼は、浄化魔法を利用できないかとエリシア様に尋ねていました」
エドガルドの目が細くなる。
「ほう」
「もちろん、まだ思いつきに過ぎません。エリシア様も、何を除去するのかを明確にしなければならないと話していました」
「それでも、か」
「はい。ナギさんにとっては、彼の世界の知識と我々の世界の魔法を分けて考える理由がないのでしょう」
アデル自身、あのやり取りは興味深かった。
こちらでは当たり前のもの。
凪にとっては当たり前ではないもの。
そして凪の世界では当たり前でも、こちらには存在しないもの。
その境目で、彼はよく立ち止まる。
そして、考える。
「ただし」
アデルは言葉を切った。
ここからが、本題だった。
「この世界を楽しんでいることと、我々を信用していることは、まったく別です」
エドガルドから笑みが消える。
「やはり、そう見るか」
「はい」
「召喚されたことを、まだ根に持っていると?」
「根に持つ、という表現は適切ではないかと」
アデルは静かに答える。
「ナギさんにとって、あれは終わった話ではありません」
エドガルドは何も言わない。
「彼は、自分が望んでここへ来たわけではないという事実を、今も明確に分けて考えています。街を楽しむことも、料理を楽しむことも、エリシア様から魔法を学ぶことも、それを帳消しにはしない」
「……なるほど」
「ですが、それを理由に、この国の人間すべてを敵視しているわけではなさそうでした」
そこが、アデルには印象的だった。
「バルド殿とは楽しそうに料理をしていました。マリアとも自然に話しています。エリシア様とのやり取りも、少なくとも表面上はかなり気安いものになっています」
「そなたとは?」
「どうでしょう」
「外交官らしくない答えだな」
「本人に聞かなければ分からないこともございます」
「それを言う外交官も珍しい」
「推測を事実として報告するよりはよろしいかと」
エドガルドが小さく息を漏らした。
「違いない」
アデルは続ける。
「ナギさんは、相手がこの国の人間だからという理由だけで拒絶してはいません。逆に、親しくなったからといって王国そのものへの警戒を解いてもいない。人と組織をかなり明確に分けています」
「我が国に協力する可能性は?」
「あります」
そこも迷わなかった。
「ただし、『召喚したのだから協力して当然』という扱いをすれば、なくなるでしょう」
「……」
「陛下」
「申せ」
「彼に協力を望まれるのであれば、戦力として扱うより先に、一人の人間として扱うべきです」
少しの沈黙。
不敬と取られる言葉ではない。
そもそも、それを判断するためにエドガルドはアデルを使ったのだから。
「それは、そなた個人の意見か?」
「外務大臣としての判断でもあります」
「理由は」
「彼がこちらに求めているものが、特別扱いではないからです」
アデルは夕食の席を思い返す。
料理を褒められて満足そうにしていた青年。
エリシアが研究の話を始めれば止め。
マリアと最後の一切れを巡ってくだらないやり取りをし。
バルドの技術を素直に認めていた。
「自由にさせろ、敬え、贅沢をさせろ、権力を与えろ。そういった要求は、今のところ見られません」
「帰還を除けば、か」
「はい」
それだけは、王国が今すぐ与えられない。
「ですから、少なくとも現時点では、彼を必要以上に特別な存在として扱うことそのものが、かえって関係を悪化させる可能性があります」
「異世界より召喚された者を、普通に扱えと?」
「普通に扱われたい人間を、異世界人だからという理由で普通に扱わない必要がありますか?」
エドガルドは黙った。
アデルも待つ。
やがて王は椅子の背へ体を預けた。
「……そなたを向かわせたのは正解だったようだ」
「光栄です」
「他には?」
「そうですね」
アデルは少しだけ表情を緩めた。
「フィリア殿下ともお会いになったそうです」
「フィリアと?」
今度は明らかに、王ではなく父親としての反応だった。
「はい。お好み焼きを作っていた際、その香りが廊下まで届いていたそうで」
「……まさか」
「そのまさかです」
エドガルドが額へ手を当てる。
「また厨房へ行ったのか、あの子は」
「公務のお時間には戻られたそうです」
「それならよいが……」
「ちなみに、ナギさんはフィリア殿下だと知らず、先に料理を勧めたそうです」
数秒の沈黙。
「……知らずに?」
「はい」
「フィリアは名乗らなかったのか」
「名乗ろうとはされたそうですが、料理に気を取られて途中になったとか」
「……」
エドガルドは目を閉じた。
アデルは何も言わない。
しばらくして。
「誰に似たのだろうな」
「その問いに私がお答えしても?」
「やめておけ」
「承知しました」
王の口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。
「それで、二人は?」
「特に何も。少し料理について話しただけだそうです。フィリア殿下は改めて挨拶するとおっしゃっていました」
「そうか」
それだけ答えると、エドガルドはしばらく机の上へ視線を落とした。
「……アデル」
「はい」
「そなたは先ほど、あの男を普通の青年だと言ったな」
「はい」
「その評価は、今後も変わらないと思うか?」
アデルは少し考えた。
「分かりません」
「分からない?」
「人は変わりますから」
環境で。
経験で。
誰と出会い、何を知るかで。
「ですが、少なくとも今のナギさんについて申し上げるなら――」
アデルはエドガルドを見る。
「二十一歳の、料理が好きで、知らないものに興味を持つ、ごく普通の青年です」
「異世界人であっても?」
「異世界人であることと、人間であることは両立します」
静かな言葉だった。
エドガルドは答えない。
机の端に置かれた報告書へ手を伸ばし、しかし開かずに指を止めた。
「……その、すき焼きとやらは、ナギが作る料理異世界のレシピで作られる料理は」
「はい?」
「私も食べられるだろうか」
予想外の問いに、今度はアデルが瞬いた。
「それを私にお尋ねになりますか?」
「そなたは食べたのだろう」
「いただきましたが、作ったのはナギさんです」
「ですので――」
「陛下ご自身が、ナギさんにお尋ねになるべきかと」
アデルは少しだけ笑って答えた。
「……私が?」
「人として扱うのでしょう?」
一本取られた。
そんな顔を、エドガルドがほんの一瞬だけ見せた。
「そなたは時折、容赦がないな」
「外交官ですので」
「関係あるのか、それは」
「さて」
エドガルドが小さく笑う。
アデルは一礼した。
「では、ほかにご命令がなければ、私はこれで失礼いたします」
「ああ。ご苦労だった」
「失礼いたします」
扉が閉じる。
一人になった執務室で、エドガルドはしばらく動かなかった。
やがて椅子へ深く腰掛け、先ほどの報告を思い返す。
魔法を学び。
街を歩き。
料理を作り。
娘には身分も知らず食事を勧めた。
こちらを信用してはいない。
それでも、すべてを憎んでもいない。
「……普通の青年、か」
誰に聞かせるでもなく、エドガルドはそう呟いた。




