【33】深淵に還す
〈原初の獣〉と人間の戦い、エラとロスヴィータの奮闘、その末路。
ゾフィーが発動した古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉が封じたのは〈原初の獣〉ではなく、死にかけの人狼フィンだった。
ティアは自分が知っている情報を、淡々と語る。その時、上空にいたティアは全てを完璧に見聞きしたわけではないが、それでも察しの良いヒュッター達は各々で情報を補完して、事態を把握してくれたらしい。
「オレがもうちょい早く、揺籠の水晶を抜いてたら……」
俯き呟くレンの言葉をセビルが遮る。
「レン、『もしもこうだったら』の後悔は、全てが終わってからだ」
戦場を経験しているセビルの言葉に、レンは拳を握って小さく頷く。
ティアもまた、セビルの言葉を噛み締めた。
フィンが封印されたという事実に、レンも見習いの仲間達も、後悔を抱えているのだろう。だけど、思うのだ。
(……フィンはきっと、後悔なんてしてない)
フィンは魔物として己の執着を最後まで貫いた。
自分はどうだろう。後悔しないために、最後まで貫けるものを持っているだろうか。
服の胸元を握るティアに、ヒュッターが訊ねた。
「ティア、フィンが封印された後、魔物の王とフィーネが現れて、第三の塔〈水泡〉に向かったということで間違いないな?」
「うん。あそこに〈深淵の泉〉ができて、そこから魔物が次々と生まれてくるんだって」
ティアの言葉に、ヒュッターはポンと手を叩いた。
「よーし、それじゃあ、入り口に戻って今の情報をローヴァイン塔主達に伝えるぞ。で、お前らは村に帰れ、すぐ帰れ」
ティアが「えぇー」と唸ると、ヒュッターは怖い顔をする。
「えぇ……じゃないだろ。これ以上、お前らにできることはないの。はい、速やかに撤収撤収」
ティアの正体を知らないヒュッターにしてみれば、確かに無謀に見えるだろう──否、ハルピュイアの身であっても無謀なのだ。
これまでに得た情報をローヴァイン塔主達と共有し、あとは大人に任せる、というヒュッターの考えは尤もである。
セビルが辺りを見回し、「ふむ」と呟く。
「わたくしとしては指導員のヒュッター先生の指示に従うのは、やぶさかではないのだが……」
たちまちヒュッターが渋面になった。
「……『従う気はない』って顔に書いてあるぞ」
「では率直に言おう。どうやら、敵がそれを許さぬらしい」
周囲に複数の魔物の気配。木々の陰からこちらを見ているのは、小柄な二足歩行の犬──コボルト達だ。
「ナカマチガウー」
「タベルー」
「オイカケルー」
「ナイゾウ、オイシイ!」
「走るぞ!」
セビルが叫んで走り出す。ティア、レン、ヒュッターもそれに続く。
走りながらヒュッターが叫んだ。
「なんだあの犬! 無垢な目で怖いこと言ってないか!?」
「額に水晶貼るのは……流石にもう無理だよなぁ」
そう言って、レンはポケットから小瓶を取り出し、蓋を開ける。
そこから漂う強烈な刺激臭に、ティアは思わず鼻を抑えた。
「レン……それ、すごいにおい……」
「こっちが風上で助かったぜ。くらえ!」
レンが小瓶をコボルト達に放り投げる。途端に、コボルト達の足が止まった。
セビルが感心したように呟く。
「なるほど、刺激臭の薬品か」
「あぁ、魔物って鼻が良いやつ多いからさ、少しは対策になるかなって、持ってきたんだ」
レンは魔力量が少ないし、筆記魔術ではできることも限られてくる。
だから、ルキエに頼んで小道具を用意して貰ったり、管理室に頼んで薬を分けて貰ったり、色々と準備をしてきたのだ。
大袈裟な秘密兵器ではないけれど、小さな工夫の積み重ねで勝利を手繰り寄せようとする執念は、見習い達が協力した魔法戦を思い出す。
ふと、美少年砲を思い出したティアは走りながら訊ねた。
「ねぇねぇ、レン。今の技に『美少年』はつけないの?」
「臭い瓶投げる技に美少年つけちゃ駄目だろ」
「そうなの?」
「そうなの!」
コボルトを一時的に退けても、他の魔物がじわじわと包囲してくる。
この辺りは人間の姿が見当たらない。おそらく、また魔力濃度が上昇しているのだ。
ティアは空を見上げた。目玉鳥の数は随分と少なくなってきている。討伐室の魔術師達が奮闘しているのだろう。そんなティアを見て、ヒュッターが言った。
「ティア! 一人ずつぶら下げて、外に逃げられるか?」
「多分、無理。もう、随分魔力を消費しちゃったから」
これは、この場に残るための嘘ではない。飛行用魔導具は飛ばす対象が重くなるほど、消費が激しくなる。実はついさっき、セビルをぶら下げて飛んだことで、大幅に魔力を消費してしまったのだ。だから今、ティアは自分の足で走っている。
古代魔導具と違い、現代の魔導具は使用者の魔力を吸い上げる仕様にはなっていないので、魔力が尽きたらそれっきりだ。
(飛べる時間、もうそんなに残ってない)
やがて、木々の向こう側に第三の塔〈水泡〉が見えてきた。その一階部分から二階にかけてが、黒くベッタリとした何かで覆われている。
よく見ると、その表面は湖面のように微かに波打っていた。その波打っている部分から、黒い塊が浮かび上がり、ベチャリと地に落ちた。こうして、新しい魔物が生まれたのだ。
それは先ほども見た光景だが、驚くべきは塔の周囲に他の魔物達も集まっていることだ。魔物達は血塗れになった仲間の亡骸を、バラバラになった残骸を、深淵の泉に沈めていく。
魔物であるティアは、すぐその意味を察した。
(深淵に還しているんだ)
魔物達のそばには、魔物の王とフィーネの姿もある。そして、その付近を飛び回り歌うのは、姉のカロンララ。
その歌声を聴いたティアは、すぐにその意図を理解した。
生まれたばかりの魔物は、明確な形を得るのに少し時間がかかる。カロンララの歌は、その成長を促しているのだ。このままだと、どんどん脅威は増えていく。
(そうなる前に……そうなる、前に……)
「殺そう」が駄目なら、「説得しよう」で良いはずだ。
だがティアは、フィーネも、魔物の王も、カロンララも説得できる気がしない。
(「殺そう」と「説得しよう」の間は……うーん……うーん……「無力化しよう」?)
おそらく、それが一番良いのだ。
ただ、そのためには、ハルピュイアの力が要る。
(でも、ここにはヒュッター先生がいるし、空には飛んでる討伐室の人達がいるし……うぅぅ……)
ティアが葛藤していると、足音が聞こえた。これは、人間だ。人間の足音だ。
〈深淵の泉〉周辺は、既にかなり魔力濃度が濃くなっている。ならば、駆けつけたのは魔力を中和するキャンディを持っている、見習い魔術師の誰かに違いない、とティアは思っていた。
だが、違う。
「フィ──ネ!!」
かの少女の名を叫んだのは、右手に剣を、左手に茨の蔓を握りしめたオットーだ。
あの茨は、ローズが展開している魔力を吸う茨である。それを無理矢理握りしめ、自身の血と魔力を吸わせることで、魔力中毒になるのを防いでいるのだ。荒技にも程がある。
レンが視線で「どうすんだよ」と皆を見た。ヒュッターが口元に指を添え、「静かに」と指示を出す。
魔物の王はまだ、恐怖を撒き散らしていない。他の魔物達も、怖いぐらい静かに様子を見守っている。
フィーネが口を開いた。
「貴方も、救済を望んでいるのね」
その声はどこまでも慈悲深いのに、オットーにはこれ以上ないほど無慈悲に聞こえたことだろう。
ティアの知るオットーは、どこかくたびれた雰囲気の門番のおじさんだ。いつも一歩引いていて、必死になることや本気になることはもうやめたのだと、その背中が語っていた。
そんな彼が、顔をグシャグシャにして叫ぶ。
「俺はっ、お前の父親だ……っ!」




