【32】吸血鬼はお喋りが好き
ジルは魔力を圧縮して、不可視の手や板を作ることができる。人間の扱う魔術だと防御結界が近いかもしれない。ただ、できることはジルの方が遥かに多い。
ジルはそれを便宜上「手」と呼んでいるが、その形は自由自在で、不可視の剣や槍だって作れる。ただ、手の形状の方ができることが多いので、ジルは気に入っていた。
その不可視の手で、ヘンリックと呼ばれていた男の足首を掴んでやろうと思ったのだが、これがなかなか上手くいかない。近づくとぬるりと避けられてしまう。そして、僅かにでも隙を見せれば、距離を詰められ斬り込まれる。
(あぁ、これは見えている血の刃が逆に邪魔になってるな……不可視の手の位置を測る目安にされてる)
見える攻撃と見えない攻撃を織り交ぜれば、敵の意識に負荷をかけることができる……という計算だったのだが、相手は寧ろ、見える血の刃の位置から不可視の手の位置を逆算している。それも、半ば無意識に。
ここに見える刃を配置するなら、こちらから見えない手で攻撃しよう──というジルの思考を読んでいるのだ。
再び、ヘンリックが距離を詰めた。
ジルはヒラリと後方に飛んで斬撃をかわし、ついでに透明な足場を作って剣の届かぬ位置に逃げる。
すると今度は、すかさず石が飛んできた。先ほどの人間達も石を投げてきたが、投石の速さが段違いだ。
(なるほどね……この人間、おじいちゃんに似てるんだ)
おじいちゃんこと〈原初の獣〉は、シンプルに強い。恵まれた身体能力。戦闘における勘の良さ──或いは戦闘センスとでも言うべきか。
単純に魔物としての強さだけで言えば、ジルと〈原初の獣〉の間に大きな差はない。違いは何に執着したかだ。あの獣はひたすらに、人間の技術をねじ伏せることに執着し続けた。そうして、戦闘におけるセンスを磨いていった。
ジルは美的センスは持ち合わせているが、戦闘センスは持ち合わせていない。
〈原初の獣〉は戦闘センスを持ち合わせているが、美的センスは持ち合わせていない。
つまりは、そういう話だ。現に今、ジルは戦うことに飽きつつある。だって楽しくないし。
(でも、この戦闘センスの塊みたいな人間ちゃんは何時間でも……それこそ日数跨いででも戦い続けるんだろうなー……)
これから延々と続く戦闘を想像し、ジルは上空でため息をつく。
「人間って戦争が好きだよねぇ……何が楽しいの?」
「いえ、別に好きではないし、楽しくもないですが」
思わず溢れたぼやきに、ヘンリックが困り顔で応える。
正直、戦闘中のお喋りを好まぬタイプだと思っていたので、ジルは内心「おっ?」とウキウキした。ジルは人間ちゃんとのお喋りが好きだ。
「お前は人間にしては良い腕をしているじゃない。もしかして、名のある一族の人間なんじゃないの? 名乗っていいよ」
「ヴァルムベルク辺境伯、ヘンリック・ブランケと申します」
「あぁ、知ってる! 眷属ちゃん達に持ち寄らせた英雄譚にあったよ! 『カルナード平原に血風が舞う。敵兵を蹴散らし駆け抜けるは、救国の英雄ヴァルムベルクの戦狼!』」
「それは祖父です。今はもうただの田舎領主なので……」
ジルの言葉に応じるヘンリックは丁寧な物腰ではあるが、どうにも覇気がない。若いくせに、くたびれた犬に似た貧相さがある。
それなのに、だ。
この会話をしている間も、この男は不可視の手を回避し続けている。
ジルはお喋りに意識を割きたかったので、自分の足場の分だけを残し、不可視の手を消した。さて、これでこの人間ちゃんはお喋りに興じてくれるだろうか?
ヘンリックは不可視の手が消えたことに気づいたのだろう。それでも油断なく剣を構えたまま、訊ねた。
「……私からもお訊ねしたい。あなた方の王は、あの白髪に黒衣の若者ですか?」
「王様のこと? そうよ、あれが我らが魔物の王」
「魔物の王は何のために、このようなことをしたのでしょうか? 話が通じるのなら、外交の努力をしてみようと思うのですが……」
ヘンリックの言葉にジルは目を見開き、喉をのけぞらせて笑った。
これだから人間は面白いのだ。
「外交! 外交! とっても人間的で素敵な言葉だねぇ!」
「はぁ……」
「でも残念だけど、王様の望みをお前達は受け入れないと思うよ」
「なんとなく、そんな気はしていました。まぁ、そういうことは人間同士でもよくあるので……」
ヘンリックの態度はあっさりしていた。
腹芸のできるタイプではないのだろう。「まぁ、そうだろうな」という感情が、そのまま表情に出ている。
「時に、魔物は個々に執着の仕方が異なると聞きます。貴方の望みは、魔物の王と同じ方向を向いているのですか?」
その質問に、ジルは少しだけ言葉を選んだ。
この人間の言うとおり、人間への執着の形は魔物によって異なる。だからこそ、魔物は人間みたいに一致団結するのが難しいのだ。
今回は「水晶領域を出て、西の壁を越えられる」という可能性が提示されたから、一斉に動いただけに過ぎない。
そう、〈楔の塔〉の乗っ取りは、魔物達による団結ではない。ましてや、行軍でも侵略でもない。「ただ一斉に動いただけ」だ。
「俺はねぇ、人間ちゃんの血を啜って芸術を愛でたいだけで、王様の執着対象には、正直そんなに興味ないのよ。ただ……」
続く言葉は、自然と寂しさが滲んだ。
「それでも、王様の願いが叶うと良いなぁって思うよ」
ジルは魔物の王の願いの行き着く先を見てみたい。
たとえそれが悲劇でも、惨劇でも。
「人間には分からないでしょ? 長い時を生きる魔物達にとって、死がどういうものであるかを」
「どういうものなのですか?」
ヘンリックが馬鹿真面目に聞き返してきたので、ジルは笑ってしまった。つくづく嘘のつけない人間だ。
ジルはおどけたように肩をすくめる。
「俺にも分からないよ。だーれにも分からない」
「…………」
ヘンリックは不満そうな顔をしているが、これはジルなりに誠意ある回答なのだ。
長い時を生きるほど、思う。
──自分はいつ死ぬのだろう? 明日にでも死ぬのだろうか? 或いは、百年、千年先まで生きるのか? 長い長い生の果てに自分はどう変わり果てるのか? その長い生の先に待つ死は安息か、それとも絶望か?
これだけ長く生きても分からない。分からないのだ。
「だから、王様は苦しんで苦しんで、そして執着した」
死んだ同族達との思い出は、少しずつ風化していく。彼らはどこに行ったのだろう。彼らはどこに行くのだろう。
そんな時、魔物の王は知った。人間達が作り出した、死と向き合うすべを。
「人間達は墓を作り、神に祈り、死後の安息を得る。そして、その安息を信じるためには説得力がいる……死と向き合うための説得力。王様は、それを同胞達に与えたいのさ」
* * *
ヒュッターはレンに手を引かれて走りながら、声をあげた。
「あ〜れ〜、ジル様ぁ〜〜〜、たーすけてー……!」
手を引くよう命じられたレンが、呆れ顔で問う。
「なぁ、その小芝居、必要?」
「覚えとけ。いざという時の仕込みは、多いほどいいんだよ」
あくまで自分はジルを裏切ったのではなく、教え子に無理やり連れていかれた、というていにしておいた方が、次に吸血鬼と遭遇した時の心象が良い。
幾らか距離を空けたところで、空からティアとセビルが降りてきた。
ヒュッターとレンの会話を聞いていたのか、ティアがレンに言う。
「あのね、ヒュッター先生は無詠唱幻術で、あの吸血鬼の仲間の振りをしてたんだよ」
「マジかよ!? そんなことしてたの!?」
驚くレンに、ヒュッターは腕組みをしてフッと視線をそらして言った。
「そうだな、おかげでこうして、奥まで入り込むことができたというわけだ」
ティアとレンが素直に称賛の視線を向ける。
ただ、セビルだけが「ん?」と眉根を寄せた。
「ヒュッター先生の幻術は、魔物には効きづらいのではなかったか? あの吸血鬼は、かなり力の強い上位種なのであろう?」
「そこは……俺の研究中の秘伝に深く関係してくるところだから、ここではちょっと……な?」
秘伝。魔術師の世界でもあるのだろうか。まぁ、多分あるだろう。とヒュッターは一人納得しておく。
ヒュッターの曖昧な誤魔化しに、レンは「上位種を騙す方法がある」と認識したらしい。
「すげーじゃん、ヒュッター先生! 上位種にも幻術効くんなら、色々と作戦立てられる……」
「いや、すまん! これには回数制限があってな。何度も使えるもんじゃないんだ」
「ピヨ? じゃあ、なんでヒュッター先生、ここに来たの?」
ほんとだよ。なんでだよ。とヒュッターは思った。
本当はとっとと逃げるつもりだったのだ。あの物好きな吸血鬼に捕まったのが運の尽き……いや、それを言ったら、黒獅子皇に捕まった辺りで既に運が尽きている気がする。
「そうか、そんなにわたくし達が心配だったのか」
セビルの言葉に、ヒュッターは「あー、そうそう。そんな感じそんな感じ」と雑に相槌を打とうとし、思い出す。
そうだ。その通りだ。ヒュッターはまぁまぁ心配したのだ。
「あぁ、そうだよ。ティアを見つけた時点でお前ら三人揃ってるんだろうなって思ったし、普通に心配したわ! なんでお前らがここにいるんだ! 見習いは留守番ってことに、なってたろーが!」
ティアは「怒られた」とションボリ顔で、レンは「そりゃ怒られるよな」と理解した顔。セビルだけは開き直りの態勢である。反省しろプリンセス。
「はー……まったく。どうせ、フィンのことが心配で、どうにかしようとか思ってたんだろ?」
「いかにも、その通りだ」
ヒュッターの言葉にセビルが頷いたその時、ティアが口を開いた。
「あのね、ヒュッター先生……レンとセビルも聞いて。フィンは……」




