【31】丸投げプリンセス
「あぁ、思い出した。お前はいつぞやの……」
ジルが全て言い終わるより早く、ティアとセビルが動いた。
ティアが飛行用魔導具で加速して蹴りを放ち、セビルが曲刀で斬りかかる。だが、その攻撃が途中で止まり、ティアとセビルは見えない手で突き飛ばされたかのように、それぞれ地面に倒れた。
(なんだ、今の攻撃は? 見えない壁……防御結界的な何かか?)
ヒュッターは魔術師ではないが、基本的な魔術ぐらいは知っている。
ただ、ジルの防御手段と攻撃手段は、人間の魔術とは根本的に別物に見えた。
(さっきセビルが投げた石は頭に当たってもダメージ受けてなかったのに、ティアの蹴りはよろめいた。違いはなんだ?)
おそらく常時展開されている防御結界とは違うのだ。
セビルが石を投げた時は、その前にレンが姿を見せていたから、多少周囲を警戒していた。
ティアの時は、格好つけて歌なんぞを歌っていたから、ティアの接近に気づかなかったのだろう。
(見えない壁……いや、それにしちゃ投げ飛ばし方が滑らかだ。もしかして手か?)
ティアが一度飛び上がり距離を空けた瞬間、ジルが軽く左手を伸ばして、何かを握る仕草をする。途端に、空中のティアがピンと背中を反らせた。
「それ」
ジルが軽く片手を振ると、ティアの体が勢いよく地面に叩きつけられる。
「ぎゃうっ!?」
ティアは途中で体を捻って、背中ではなく腹側から落ちた。おそらく、飛行用魔導具を庇ったのだ。
レンとヒュッターがティアのもとに駆け寄り、入れ違いのようにセビルがジルに切りかかる。
だが、セビルが曲刀を振り上げたところで、動きを止めた。おそらくセビルは全身に力を込めて曲刀を振り下ろそうとしているのだろう。だが、何者かに手足を掴まれているかのように、動きが止まっている。
(やっぱり、あれは見えない手か……!)
ジルは空中移動をする時、見えない足場のような物を作って、その上を歩いていた。
不可視の手、あるいは足場や盾となる板状の何か。もしかしたら武器も作れるのかもしれない。
(ティアと距離があっても、見えない手は発動していた。射程がそこそこあって、しかもクソ怪力な見えない手が襲ってくるって、どうしろっつーんだ!)
ジルは不可視の手でセビルを押さえこみながら、クスクス笑う。まるで子どもをあやすかのような態度だ。
「上位種の中でもかなり強いよ、俺? おじいちゃんみたいに、戦うのが好きじゃないだけで〜。別におじいちゃんより弱いってわけじゃないのよ? あ、おじいちゃんって分かる? お前達が〈原初の獣〉って呼んでるやつ」
ジルが軽く右手を下から上に振る。途端に、周囲の木が地面から抜けて浮かび上がる。
ジルの能力を考察していたヒュッターは、心底震えあがった。
(奴の能力が見えない手だとして……つまり、木をまとめて十本引っこ抜けるほど、多くて強い!)
今この瞬間にも、見えない手が自分の首を引きちぎるのではないか、という恐怖が込み上げてくる。
その時、地面に叩きつけられたばかりのティアが、ペタペタ走りでジルとの距離を詰めた。
「セビルを離せぇぇぇぇ!!」
走って殴りかかるなど無謀だ。だが、ティアは無謀だけれど馬鹿ではなかった。ペタペタ走りで距離を詰めたところで、グッとしゃがみながら飛行用魔導具のレバーを引く。金属製の羽を広げ、ティアは最高速度で斜めに飛んだ。つまりは、ジルの顎を狙った頭突きだ。
下手したら首の骨が折れるぞ! とヒュッターは焦ったが、それは杞憂に終わった。ティアの体が斜めに回転しながら、ゴロゴロと地面を転がる。
「それは前に見たから、通用しないよ小鳥ちゃん」
ジルは不可視の手を大きく広げて、ティアの頭突きを受け流したのだ。それだけ高度で繊細な力加減ができるということである。
(いよいよとんでもねぇぞ……逃走不可能じゃねぇか)
全員で一斉に別方向に逃げればあるいは、という可能性をヒュッターは排除した。あの手数と操作距離なら、四人を同時に捕まえることも可能なのだ。今それをしていないのは、ただの気紛れだ。
「人間のお姫様って初めて見たけど、なかなか悪くないじゃない。う〜ん、そのギラギラした目がとっても可愛い!」
「わたくしも、本物の吸血鬼を見たのは初めてだが……なかなかどうして気骨があるではないか。物語の吸血鬼は日の光で死ぬというのに」
「あっ、吸血鬼物語知ってる? 知ってる?」
途端にジルの声が弾みだす。この魔物は、自分の物語を人間が語り継ぐことが嬉しくて仕方ないのだ。
笑みに緩んだ口元で、白い牙がギラリと輝く。
「それなら知っているね、俺がどうやって血を吸うのかを……」
ジルがセビルの襟のボタンを外す。わざとらしいほど丁寧な仕草で。
地面に倒れるティアが「グギィィィィ」と呻いた。うつ伏せに倒れたまま起き上がらないのは、不可視の手が上からティアを押さえ込んでいるからだ。
見かねたレンが飛び出そうとして、動きを止めた。不可視の手が、レンの首を絞めているのだ。
「そこで大人しく見ていなよ、王子様。お姫様が俺の糧となるところを」
レンを王族と誤解したまま、ジルがその唇をセビルの首筋に近づける。
その瞬間、ティアは「別の魔物が近づいてきた」と思った。それがあまりに速すぎたからだ。
その人物はジルが宙に浮かべた木を蹴り、飛び移りながら移動し、手にした剣を一振りした。
ボトリ、と固い何かが地面に落ちる音。血を噴きながら地に落ちたのは、ジルの右肩から先だ。
その瞬間、不可視の手による拘束が消える。
(今だ!)
ティアは素早く飛び起き、飛行用魔導具を起動した。同じタイミングで、吸血鬼に捕らわれていたセビルが曲刀を納めて片手を持ち上げる。あの手は目印だ。
「ピゥゥゥゥゥゥ……ッ!」
ティアは羽の角度を微調整し、セビルのギリギリ上を通り過ぎるように飛んだ。絶妙なタイミングで、セビルはティアの足首を掴んで離脱する。
長身で筋肉質のセビルは、曲刀も込みだと少し重いけれど、それでもオリヴァーに比べればずっと軽い。魔法戦でオリヴァーと合体飛行をした経験が生きた。
「ティア、見事なタイミングだ。褒めてつかわす!」
ティアは元気にピヨップを返そうとし、足下を見て口をつぐんだ。
地上で、右肩から先を失った吸血鬼が力を振るっている。傍目には何かしているように見えないが、おそらく不可視の手を多数放っているのだ。
その手を回避し、時に切り裂くように剣を振るっているのは、くすんだ金髪の長身の青年。
四肢を拘束しにくる不可視の手を、まるで見えているかのように彼は飛び跳ねている。
片腕を失った吸血鬼は、痛がることも、怒りに我を忘れることもせず、興味深そうに言った。
「上手に逃げるね。お前には、俺の『手』が見えているの?」
「なんとなく、気配を感じただけです」
男の言葉に吸血鬼が笑う。
ティアは静かに戦慄した。吸血鬼の不可視の手は、発生した時に風を遮るので、そこに「何かある」のはティアにも分かる。ただ、あそこまで正確に把握して回避を続けるのは魔物であるティアにも不可能だ。
ティアの足下で、「ふふふ」と嬉しそうな笑い声が聞こえた。
「人類最強にここは任せよう。ティア、このまま飛んでくれ!」
「ピヨップ! ヒュッターせんせー! レンー! ついてきてねー!」
地上でレンが「分かった!」と返事をし、ヒュッターと共に走りだす。
ティアも北に飛ぶために一度旋回し、翼の角度を調整した。そのタイミングで、セビルは地上に向かって叫ぶ。
「実に素晴らしいタイミングだ、ヘンリック殿! 久方ぶりにときめいたぞ!」
人間離れした動きで不可視の手を凌いでいた男が、剣を振るいながら、頭上を見上げて叫ぶ。
「その声……アデルハイト殿下ぁっ!? なんでここにぃ……っ」
どうやら、セビルと気づいて助けたわけではなかったらしい。
それにしても、剣の凄まじさとは裏腹に、なんとも頼りない声だ。しょぼくれた犬のような男、というセビルの評価は割と正しい。
(……でも、戦闘能力は上位種に匹敵する。わたしより、ずっと強くて怖い生き物だ)
吸血鬼の肩の切断面から噴きだす血が、細い槍に形を変えて、ヘンリックを側面から狙った。
回避の難しいその攻撃を、ヘンリックは何かを踏んで高く跳躍することで回避する。その行動にティアは心底ギョッとした。
(あの人間、吸血鬼の見えない手を踏み台にした!?)
理論上可能ではあるが、不可視の手をあえて踏んで跳躍する、その度胸が尋常じゃない。
吸血鬼が感心したように言う。
「やるじゃない、人間ちゃん。お前ぐらい動ける奴を見るのは、初めてかもしれない」
ティアの足下で、セビルが「ふふん」と鼻を鳴らす。得意気だ。
「吸血鬼よ、このわたくしをモノにしたくば、そこのフィアンセを倒してみせよ!」
この宣言に「えぇぇぇ……」と情けない声をあげたのは、くだんのフィアンセことヘンリックだ。
「お待ちください、アデルハイト殿下! 陛下は貴女がここにおられることをご存知なので……」
セビルは返事の代わりにチュッと投げキスを送る。それはもう、とびきり魅力的に。
「あとは任せた、ダーリン!」
帝国の蛮剣姫は力強く全てを丸投げし、ティアにぶら下がって北に向かった。




