【30】美少年で王子様
吸血鬼ジルに小脇に抱えられ、手足をプラプラさせていた三流詐欺師〈煙狐〉は、目の前に広がる光景に(わーお……)と思った。現実味がなくなるほど、人間は語彙力が貧相になるのだ。
第三の塔〈水泡〉は増築部分から本塔一階にかけて、その殆どが黒い何かに覆われていた。ジルが言うには、あの黒いドロッとしたもの全てが〈深淵の泉〉であるらしい。
時折、黒いドロドロの表面が波打ち、その一部が膨れ上がってボトリと地面に落ちる。落ちたそれは、人間や動物に似たシルエットであったり、或いはただの肉塊にも見えたりと様々だ。
ただ、それらは時間の経過と共に少しずつ形を変えていく。彫刻を整える作業に似ているかもしれない。最初は大まかな形を作って、そこから細部を彫り込んでいくように、〈深淵の泉〉から生まれたそれらも、少しずつ細部が生まれていく。
「懐かしい〜。俺も生まれたばかりの頃は、あんな感じだったっけ〜」
人間が赤ん坊を見て「懐かしい〜」とはしゃぐようなテンションでジルが言う。
あんな感じだったんだ、と黒くドロドロした何かを見てヒュッターは閉口した。
(しかし、これはかなりまずくないか?)
魔物は下位種・上位種を問わず、〈深淵の泉〉から直接生まれた者ほど、力が強いのだ。たとえば〈原初の獣〉は人型を取らず分類上は下位種だが、〈深淵の泉〉から直接生まれた存在なので、桁違いに強い。
そういう魔物が、次々とここから生み出されているのだ。
(〈楔の塔〉の生き残りと援軍の戦力合わせりゃ、勝てる算段だったが……〈原初の獣〉級がこんなにポコポコ生まれてくるなんて、聞いてねぇぞ)
とにかく逃げるタイミングがあれば、一目散に逃げよう。そうしよう──と心に誓った瞬間、ジルが軽く片手を振った。
ヒュッターの目には何をしたかよく分からなかったが、ジルはその手に石を握っている。
(投げつけられた石を、受け止めた……?)
「あ、ちくしょ。受け止められた。こんにゃろー! ヒュッター先生を返せー!」
地上を見て、ヒュッターはギョッとする。地上から石を投げつけているのはレンではないか。
そして、頭の良いレンがたった一人で明らかに上位種相手に声を張り上げている──という時点で察した。レンは囮で、本命は別方向。
ゴッ! と良い音がして、ジルの頭が少し揺れた。凄まじい勢いで飛んできた石が、ジルの側面に直撃したのだ。素晴らしい強肩の持ち主は言わずもがな。
「これをくらって落ちぬとは。頑丈だな」
セビルである。レンがあえて声をあげて敵の意識を引きつけている隙に、本命のセビルが投石で攻撃、という役割分担だったのだろう。
ヒュッターはプラプラと揺れながら、目頭を押さえた。
(分かってた、分かってたさ……ティアがいる時点で、絶っ対こいつらもいるんだろうなぁーって………………それにしても、タイミングが悪すぎる……)
あの二人が敷地内で何をしていたかは知らないが、途中で上位種の魔物に捕まったヒュッターに気づき、救出作戦に切り替えたのだ。
ジルは石が直撃した側頭部を片手でさすった。その顔には傷一つない。
「……俺の顔を狙ったね?」
その呟きに滲む静かな殺気に、ヒュッターは心底震え上がった。
(やばいやばいやばい)
ジルは何の躊躇もなく、それこそ指先で虫を潰すように、セビルとレンを殺すだろう。この魔物にはそれができる。
ここでヒュッターがセビル達に「逃げろ」と叫べば、ヒュッターがジルを裏切ったことになる(多分殺される)。そもそもセビルとレンが、ジルから逃げ切れるとは思えない。
ならばここはジルに従順な振りをして、宥めるべきか? だが、ヒュッターがジルにおもねれば、今度はセビルに「人類の裏切り者」判定されかねない。そうなったらレンはともかく、セビルは裏切り者のヒュッターに容赦をしないだろう。
(吸血鬼にもセビルにも、裏切り者と思われないようにしつつ、セビル達が殺されないようにする……無理難題すぎる……!)
それでも三流詐欺師は必死で頭を回転させた。回転しすぎて頭がポッポーしそうだ。あぁ平和が愛しい。
(無詠唱幻術使用中のカードはもうないから、ティアの時のような切り抜け方はできない。それなら……一か八かだ)
ヒュッターは腹を括ると、その顔に怒りの表情を取り繕い、セビルとレンを叱咤した。
「お前達! このお方をどなたと心得る! 深淵より生まれし真の上位種、吸血鬼のジル様であられるぞ!」
真の上位種ってなんだよ。偽の上位種いるのかよ。と頭の隅で考えつつ、ヒュッターはベラベラと口を動かす。
セビルとレンは、ヒュッターの態度に面食らっている様子だ。ヒュッターはジルを見上げて、セビル達にもよく聞こえる声で進言した。
「ジル様、あれは人間の姫にございます。皇帝の妹姫アデルハイト・セビル・ラメア・クレヴィング殿下です」
「へぇ?」
ジルが少し興味をひかれたようにセビルを見る。
おそらく大半の魔物は、人間の王族に興味を示さないだろう。王族も平民も等しく人間、それが魔物の価値観だ。
だが、この吸血鬼は人間の物語に執着する。ならば、人間にとって王族や皇帝一族というものがどれだけ特別かは分かっているだろう。吸血鬼ジルベールの物語にも吸血鬼討伐を命じる王が登場する。
セビルの表情が険しくなった。吸血鬼側におもねり、挙句セビルの素性を暴露したのだ。どう見ても、今のヒュッターは人類の裏切り者である。
(俺に石を投げるなよ、もうちょい我慢してくれよ……)
内心ハラハラしつつ、ヒュッターはたっぷりと勿体をつけ、レンを指し示した。
「そして、あの金髪美少年はなんと! ダーウォックから亡命してきた第六王子イクセル・オロフ・ダールベック殿下なのです!」
レンは驚きに目を丸くし、そして頬をちょっとピクピクさせた。
あれは、「美少年で王子様。悪くないじゃん」と思っている顔だ。
ジルが興味を持ったように呟く。
「へぇ〜。あのお城の王子様? こっちまで逃げてきたんだぁ」
「その通りです。人間の姫と王子をしもべにすれば、ジル様のお名前は更に広がることでしょう!」
「さっすが、しもべちゃん! 悪くないじゃない、それ!」
ジルがキャッキャとはしゃぎだす。
ヒュッターはチラリと地上を見た。セビルもレンも、考え込むような顔でヒュッターを見上げている。
(気づけ、お前らは馬鹿じゃないだろう……!)
当たり前だが、レンはイクセル王子ではない。これはヒュッターが本当に人間側を裏切っているのなら、つく必要のない嘘である。
セビルもレンも察しの良い人間だ。何故、ヒュッターが嘘をついたのか、その意図を考え、「ヒュッター先生に何か考えがあるのだ」と思ってくれることだろう。
勿論、深い考えなどない。ヒュッターが人類の裏切り者と思われないようにしつつ、ジルの攻撃の手を止めるための、その場しのぎである。
のせられたジルが上機嫌に言った。
「いいよ、お前達は殺さないでおいてあげる。仲良くしもべになってもらおう」
ジルはヒュッターを片手にぶら下げたまま、見えない階段を下りるように、ゆっくりと地上に近づいた。
そうして芝居がかったしぐさで、片手を胸に当てて歌い出す。
「──我らは深淵の申し子。人の業より生まれし者。故に人を求めずにはいられない。望めば朽ちよ、望めば果てよ。最後の一人になろうとも。最後の一人になろうとも……ぶっ!?」
ジルの歌が途切れる。空中を高速飛行してきた何者かが、強烈な蹴りをジルの頭部にぶちかましたからだ。
セビルの石の攻撃は効いていなかったが、今の攻撃はそれなりに効いたらしい。ジルの手からズルリとヒュッターが落ちる。幸い、高度が下がっていたので尻餅で済んだが、腰痛持ちには優しくない衝撃である。
腰をさするヒュッターの頭上で、大きな大きな声がした。
「ヘタクソ! ヘタクソ!」
ジルを挑発するように吠えているのは、飛行用魔導具の羽を広げたティアだった。「無詠唱幻術使用中」カードを見て一時は退いたが、セビル達の危機に気づいて飛んできたのだろう。
ジルがピクリと頬を引きつらせて、頭上のティアを見上げる。
ティアはとびきり挑発的にペフンと微笑み、そして歌い出した。音痴のジルとは比べものにならない美しい歌声で。
「『我らは深淵の申し子。人の業より生まれし者。故に人を求めずにはいられない。望めば朽ちよ、望めば果てよ。最後の一人になろうとも。最後の一人になろうとも……』」
相変わらず素晴らしい歌声だ。若い娘の声色なのに、荘厳で背筋が震えるような圧がある。
ヒュッターが教えた軽快な歌も、古い旋律の重厚な歌も、その意図を無意識に汲み取って完璧に歌い上げる。詐欺師のみならず芸人としても三流だったヒュッターと違い、歌で飯を食っていける才能だ。
その歌声に、ジルが納得顔で呟く。
「あぁ、やっぱり。お前はいつぞやの……」




