【28】新しい生命に祝福の歌を
空の上からフィーネを見下ろし、ティアは大きく口を開いた。
ありったけの罵詈雑言をぶつけてやりたい、だが、それは今じゃない。
「ルルァァァア──アァ──!」
発声と共に感情を吐き出し、ティアはフィーネに問う。
「……お前の目的はなんだ」
「嬉しいわ、ティア、わたしの可愛い小鳥さん。わたしに興味を持ってくれたのね?」
ティアは唾を吐きたい気持ちを必死で飲み込み、答えを待った。
フィーネは場違いなほど甘やかな笑顔だった。なんて、おぞましい。
「わたしはね、人も魔物もみんな救ってあげたいの。そのために、わたしはいるのだから」
救ってあげたい、という言葉そのものが高慢だ。他者を見下しているとしか思えない。
……それなのに、まるで彼女はそれがただの事実であるかのように言うのだ。
生きているから食べる、寝る、息をする。そういう当たり前の営みと救済が同列に並んでいるのだ。
その時、地面が揺れた。空中にいるティアにもハッキリと分かるほど。ガタガタとあちらこちらで建物の揺れる音がする。
地面に倒れていたゾフィーが、頭を抱えて足をばたつかせた。
「あ、ああ、だめぇっ……それはだめ! ……なんて、ことするんだよぉ……やだやだやだぁ、こわいこわいこわいこわいたすけてっ、だれかぁ!」
ゾフィーがボロボロと涙を流しながら泣き叫ぶ。ティアはゾフィーが見ていた北の方角に目を向けた。第三の塔〈水泡〉──その塔の一階相当部分が、黒く染まっている。あれは、黒い何かがべったりと張りついているのではないか?
(なに、あれ……)
恐ろしい、けれど同時に懐かしいとも思った。それは首折り渓谷に対する郷愁とは、少し違う懐かしさだ。
一度生まれた赤ん坊が母の胎に戻ることはできないように、もう帰ることはできない場所。
(あぁ、そうか。魔物達は、あそこから来たんだ)
人の負の感情と魔力が結びつき、そうして生まれる深淵の泉から魔物は生まれる。
かつてはいたるところで生じた深淵の泉も、世界の魔力が薄くなるにつれ、どんどん失われていった。
最後に確認されている深淵の泉は、水晶領域にある小さなものが一つだけ。それも既に枯れかけていると噂に聞いたことがある。水晶領域は人がいないから、人の負の感情が足りないのだ。
魔力濃度が濃すぎると人が近寄らない、結果、人の負の感情は集まらない。世界から魔力が失われていくほど、深淵も失われていく。
(そうか。だから、〈楔の塔〉を乗っ取ったのか)
古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉は強力な魔導具だが、余剰な魔力を発しがちだ。故に人間はそれを利用し、一箇所に集めて魔力炉を作った。魔力炉には莫大な魔力がある。
そしてこの〈楔の塔〉は人間の領域でもある。ここで戦が起これば、人間の負の感情も集まりやすい。
高濃度の魔力と、人の負の感情。元々条件は揃っていたのだ。そこに、おそらくフィーネが最後の一押しをした。
「ねぇ、ティア。歌ってちょうだい。新しい生命に祝福の歌を」
塔を覆う黒い塊の一部が膨れ上がっていく。やがてそれは人間ほどの大きさになると、塔から切り離されてボトリと地面に落ちた。また、別のどこかが膨れて、ボトリと地面に落ちていく。
次の個体は人に似たシルエットをしていた。全身は黒いまま、第三の塔〈水泡〉を這うように登っていく。また別の個体は黒い塊から背中に翼を生やした。
(あれは、生まれたての上位種の魔物だ)
第三の塔〈水泡〉の屋上の手すりに、炎のような羽のハルピュイアがとまっている。ティアの姉、最後のハルピュイアのカロンララが歌い始めた。
「『新たなる命、ここに迎えよ
芽吹くものに陽光を、芽吹くものに慈雨を
其は祝福、花びらが舞う、花びらが舞う
水面に映るものを見よ、世界を行く者ぞ
若木に道を、若木に水を』」
春の日差しのように暖かで優しい──これは喜びの歌だ。新しい生命を祝福する歌だ。
深淵より生まれし魔物であるハルピュイアが、深淵より生まれし同胞を祝福する。魔物としてこれ以上ないほど正しい行いだ。きっと、以前の自分だったらそこに混ざっていた。
カロンララはその歌声に、ティアに対するメッセージを込めていない。ただ純粋に、魔物として新しい魔物の誕生を祝っている。
その時、魔物の王が口を開いた。
「歌い手よ。わたしは、魔物の生を祝福する歌を望む」
これは、命令だ。とティアは察した。
あまりの恐怖に、うなじがチリチリどころかビリビリする。そのビリビリが背骨を伝って、足の先まで震わせる。
魔物の王の真横で、フィーネが促すように微笑んだ。
「歌って、ティア。新しい生命のために」
ハルピュイアの本能が叫び出す。歌を捧げよ、歌を捧げよ。
魔物の王が、魔物の神となる少女が、そうティアに願っている。
本能の命じるままに、ティアは飛行用魔導具で一定の高さを保ったまま、大きく息を吸い込んだ。
そして、人の皮を被ったハルピュイアは歌う。
「ピヨピヨピヨピヨ、ピヨピヨピヨピヨ、ピヨピヨピヨピヨ、ポッポゥ⤴︎
ピヨピヨピヨピヨ、ピヨピヨピヨピヨ、ピヨピヨピヨピヨ、ポッポゥ⤴︎」
明らかにカロンララの歌とは異なる、陽気すぎるほど陽気で軽薄なメロディ。
それが、ティアの全力の声量で放たれる。
「はみ出しポッポー、ピヨッポーゥ(ウォウ)⤴︎
それって鳩じゃない? (じゃない?)
はみ出しポッポー、ピヨッポーゥ(ウォウ)⤴︎
はみ出したって良いじゃない!」
歌詠魔術に込める歌の効果は、予め割り振っておく必要がある。この歌なら睡眠導入、この歌なら鼓舞、といった具合にだ。
その効果はティアの歌に対する解釈が、ある程度一致していないと発揮されない。
ティアが「これは滅びの歌だ」と感じたら、その歌で誰かを癒すことはできないのだ。
ならば、この歌に対するティアの解釈は何か? そんなの決まっている。
「歌い手に問う」
魔物の王がティアを見上げて問う。無表情のまま、淡々と。
「その歌はなんだ?」
魔物の王の視線は、そのまま恐怖の矢となってティアの胸を貫く。あと少し距離が近かったら、恐怖に負けて頭から墜落し、死に逃げていたかもしれない。
だからこその、この歌なのだ。
恐怖からの問いかけに、ティアはペフンと胸を張って言った。
「ヒュッター先生がわたしのために作ってくれた、元気が出る歌!」
ティアはヒュッターの歌が好きだ。
だって、ヒュッターの歌には「楽しくなぁれ」という願いが込められているから。
だからティアは、この歌にも同じ願いを込める。
──楽しくなぁれ! 恐怖がどこかに飛んでいってしまうぐらいに!
ほんの少しだけ歌に魔力を込める、歌詠魔術。沢山の魔力を込められるハルピュイア本来の歌に比べたら、笑ってしまうほどちっぽけな力だ。それでも、人の皮を被ったハルピュイアが人の群れの中で学び、身につけた魔術だ。
だからティアは心を込めて歌う。ヒュッターがティアのために作ってくれた歌を。
フィーネはティアが歌うと、いつも耳だけでなく心を傾けてきた。その音楽に深く深く浸ることで、ティアの心と自分の心が溶け合うような気がして。
それなのにフィーネは、初めてそれをやめた。耳を傾けても、心までは傾けない。
だって、この音楽はフィーネのためのものではないのだ。まして、ハルピュイアが魔物に捧げるものでもない。
『ヒュッター先生がわたしのために作ってくれた、元気が出る歌!』
(……また、ヒュッター先生)
神の子たる心に小さな小さなシミが生じる。真っ白な紙にインクを一雫落としたように。




