【19】彼の執着
その場にいる誰もが、〈原初の獣〉を封じる水球と、古代魔導具を操るゾフィーに意識を向けている。
そんな中、真っ先に状況に気づいたのは、少し遅れてゾフィーを追いかけていたユリウスだった。
ゾフィーを身軽にするため、ユリウスは一人で〈離別のイグナティオス〉を抱えていたのだが、重くてゾフィーのように走れなかったのだ。
……だからこそ気づくことができた。ゾフィーの足下で、地面を覆う水晶が成長していることに。
「ゾフィー! 避けろっ!」
ユリウスは叫んだが、ゾフィーは動かない。おそらく、古代魔導具の発動に意識を集中しているのだ。
ユリウスは葛藤した。今から詠唱をしても間に合わない。走っても間に合うか分からない。だが、可能性が少しでもあるのなら──ユリウスは、ゾフィーの命と古代魔導具を天秤にかけ、重い〈離別のイグナティオス〉を手放し走った。
少し遅れて気づいたアグニオールもゾフィーに向かって飛び出す。先に辿り着いたユリウスは、ゾフィーに体当たりをした。
ゾフィーが「きゃんっ」と声をあげて地面に転がる。
……直後、ゾフィーが立っていた場所を、身の丈を越える水晶の錐が通り過ぎた。ゾフィーを突き飛ばしたユリウスの腕を、水晶の錐が掠める。衣類ごと皮膚が裂け、右腕に血が滲んだ。
あと少し遅れていたら、ゾフィーの体は串刺しになっていただろう。メビウス首座塔主のように。
援軍の兵士達が「子どもを保護しろ!」と声をあげるのが聞こえた。ユリウスは咄嗟に考える。
(援軍の兵士がいる場所は魔力濃度が低い。おそらく水晶もそこまでは襲ってこない……!)
一方、ユリウス達がいるのは宿舎付近のまだ魔力濃度が濃い所。人間には有毒で、魔物に有利。そして水晶が襲ってくる。
ユリウスは地面に転がっているゾフィーの手を掴んで起こした。
「援軍側まで逃げるぞ。あそこなら、水晶が襲ってこない」
「う、うんっ……」
ゾフィーが震えながら頷いたその時、地面が微かに振動し、援軍の兵を隔てるように地面から水晶の壁が生えた。
こちら側には、水球に閉じ込められた〈原初の獣〉とエラ、ロスヴィータ。それ以外の援軍の兵士は水晶壁の向こう側だ。
「坊ちゃぁぁぁん!」
アグニオールの叫びと同時に、ユリウスとゾフィーの足下で水晶が動いた。再び、地面から水晶の錐が飛び出そうとしているのだ。
二人がその場を離れるより早く、今度は前方に水晶の壁ができる。ボコリ、ボコリと地面から伸びる水晶の壁がユリウスとゾフィーの動きを妨害した。
そして、その壁から垂直に水晶の錐が伸びてくる──避けられない。
その先端が二人を貫く直前、硬質な音が響いた。
「二人とも、走って!」
水晶の錐を壁ごと叩き割ったのはゲラルトだ。どうやら追いついたらしい。
ゾフィーがふらつきながら、目を彷徨わせた。
「逃げるって、ど、どこにぃ……? どこもかしこも、水晶だらけなのに……!」
その泣き言に応えるように、離れたところのエラが声を張り上げた。
「建物の中に逃げてください! おそらく、敵はゾフィーさんを視認しないと攻撃できないんですっ!」
流石エラ、冷静だ。
今まで水晶による攻撃がなかったのは、敵がこちらを視認しないと水晶を発動できないからだ。つまり、隠れてしまえばやり過ごせる。
「でもっ、あたしが逃げたら、〈原初の獣〉を封印できないよぉっ」
「敵の狙いはゾフィーさんです! 生きていれば、立て直せます!」
そう。敵は〈原初の獣〉を封じているエラやロスヴィータではなく、明確にゾフィーを狙っている。おそらく、この場で唯一ゾフィーだけが〈愚者の鎖デスピナ〉を使いこなせるからだ。
もう、エラもロスヴィータも魔術の維持は限界なのだろう。それでも、ゾフィーの生存を優先しようとしている。
三人はすぐ近くにある宿舎に駆け込もうとし──ふと、大きな陰が落ちた。
見上げたユリウスは気づく。宿舎の屋根から氷柱のように水晶の槍が垂れている。その数、十以上。それが、ユリウス、ゾフィー、ゲラルトの頭上から降り注ぐ。
ゲラルトが剣を構えたが、数が多すぎる。間に合わない。
──ゾブリ。と肉を抉る音がして、温かい何かがユリウスの頬を濡らした。血のにおいが辺りに広がる。
ユリウス、ゾフィー、ゲラルトの三人に覆い被さっているのは、黒い毛並みの大きな狼。
ユリウスは震える声で名を呼んだ。
「…………フィン?」
人狼の群れで生きることができず、魔物を裏切って人間につくこともできない半端者。それがフィンという人狼だ。
〈百眼の魔女〉アンネリーゼ・レームは、古代魔導具〈離別のイグナティオス〉と〈愚者の鎖デスピナ〉の隠し場所を伝えることで、フィンが人間側につくための最後の手段を残してくれた。
だが、フィンはその好意を利用できず、さりとて無下に捨てることもできず、情報をユリウスに託し、静かに最期の時を待ち続けた。
魔物は滅びる生き物だと悟ってしまったから、自分もここで滅びるべきだと思ったのだ。
その最後の最後で、大好きな友達の力になれるなら。
「これが……オイラの誇りで、執着なんだ」
水晶の槍が肉を裂き、臓腑を抉る。
血の海の中、それでもフィンは満たされた気持ちだった。
だって自分は最後まで、魔物として己の執着を貫き通したのだから。
* * *
第一の塔〈白煙〉の上から戦況を見下ろしていた黒髪の少女──フィーネは塔の上から一匹の人狼の末路を見ていた。
「それがあなたの執着なのね、狼さん」
「あの人狼は、死ぬ」
フィーネの横で魔物の王が静かに言う。
銀色の目は、離れた場所の状況を正確に視ていた。
「あの魔物に、神の子に相応しい慈悲を望む」
「えぇ」
ターゲットの深淵使いは完全に動きを止めている。水晶の槍を放ってトドメを刺すのは容易だ。
だが、フィーネは水晶による攻撃を一時中断した。深淵使いを殺すのは、あの人狼が息絶えてからだ。
あの人狼の最期に、神の子はささやかな慈悲を与えた。
──その慈悲が、盤面をひっくり返した。
今この時この瞬間、フィーネが慈悲を与えずに深淵使いを殺していたら、状況は変わっていただろう。
だが、その慈悲によって生じた僅かな時間で、お姫様に肩車をされた美少年が、揺籠の水晶鋲を引き抜いたのだ。
〈楔の塔〉を覆う水晶が、パリパリと剥がれ落ちていく。陽の光を浴びた薄氷のように。水晶汚染が止まる。
「誰かが、揺籠に刺した水晶鋲を抜いたみたい」
フィーネは黒髪を揺らして、揺籠の方角を見つめる。
その顔に薄い笑みをたたえたまま。
* * *
援軍の将ヘンリック・ブランケは困惑していた。
彼は、まぁまぁ過酷な戦況に慣れた男である。嵐の中を進軍して敵の背後をついたり、数千の兵に数百の兵で挑んだり、崖を馬で駆け下りて奇襲をしかけたりしたこともある。
それにしても魔物との戦いは、理不尽と不可解の連続であった。
魔物は一体一体が理不尽に強く、だが全く統率がとれていないので、素人集団のような動きをする。
戦場たる〈楔の塔〉は魔力濃度が濃いため突撃ができず、しかも水晶が地面から迫り上がって壁になるときた。地形を変え、敵を分断できるのは戦場では明確な強みだ。そんな能力があるなら、もっと上手く運用すれば良いのに、分断は稚拙。
(中に子どもが取り残されていたな。この魔力濃度の中、どうしてあんなに動き回れたんだろう? とりあえず、保護しないと……)
ひとまず水晶に警戒しつつ偵察。あまり膠着状態が続くなら、水晶の壁をよじ登ろうかな、などとヘンリックが考えていると、目の前で水晶の壁が砕け散った。
それが敵の所業なのか、味方の援護なのか、あるいはただの偶然なのかは分からない。
ただ、水晶の壁の向こう側でヘンリックは見た。
〈原初の獣〉を封じる水球も、それを維持する少女二人も無事。だが、その奥に子どもが三人いる。子ども達のそばには、黒い毛皮の人狼がうずくまっていた。
まずは、子どものそばにいる魔物に迅速にトドメを刺さねば──ヘンリックが剣を手に駆け寄ると、子どもの一人が両手を伸ばしてヘンリックの前に立ち塞がる。
「待ってください、兄上っ!」
「その声……」
ボサボサの黒髪で目もとが隠れ、表情がわかりづらいが、腰に下げた剣に見覚えがあった。
ヘンリックが記憶しているより背が伸び、声変わりもしているが、間違いない。
「ゲルハルト!? 何故、お前がここにいる!」
ゲルハルト・ブランケ。
あろうことか奉公先から逃げ出した、不肖の弟がそこにいた。




