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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十一章 深淵の使徒
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【19】彼の執着


 その場にいる誰もが、〈原初の獣〉を封じる水球と、古代魔導具を操るゾフィーに意識を向けている。

 そんな中、真っ先に状況に気づいたのは、少し遅れてゾフィーを追いかけていたユリウスだった。

 ゾフィーを身軽にするため、ユリウスは一人で〈離別のイグナティオス〉を抱えていたのだが、重くてゾフィーのように走れなかったのだ。

 ……だからこそ気づくことができた。ゾフィーの足下で、地面を覆う水晶が成長していることに。


「ゾフィー! 避けろっ!」


 ユリウスは叫んだが、ゾフィーは動かない。おそらく、古代魔導具の発動に意識を集中しているのだ。

 ユリウスは葛藤した。今から詠唱をしても間に合わない。走っても間に合うか分からない。だが、可能性が少しでもあるのなら──ユリウスは、ゾフィーの命と古代魔導具を天秤にかけ、重い〈離別のイグナティオス〉を手放し走った。

 少し遅れて気づいたアグニオールもゾフィーに向かって飛び出す。先に辿り着いたユリウスは、ゾフィーに体当たりをした。

 ゾフィーが「きゃんっ」と声をあげて地面に転がる。


 ……直後、ゾフィーが立っていた場所を、身の丈を越える水晶の錐が通り過ぎた。ゾフィーを突き飛ばしたユリウスの腕を、水晶の錐が掠める。衣類ごと皮膚が裂け、右腕に血が滲んだ。

 あと少し遅れていたら、ゾフィーの体は串刺しになっていただろう。メビウス首座塔主のように。

 援軍の兵士達が「子どもを保護しろ!」と声をあげるのが聞こえた。ユリウスは咄嗟に考える。


(援軍の兵士がいる場所は魔力濃度が低い。おそらく水晶もそこまでは襲ってこない……!)


 一方、ユリウス達がいるのは宿舎付近のまだ魔力濃度が濃い所。人間には有毒で、魔物に有利。そして水晶が襲ってくる。

 ユリウスは地面に転がっているゾフィーの手を掴んで起こした。


「援軍側まで逃げるぞ。あそこなら、水晶が襲ってこない」


「う、うんっ……」


 ゾフィーが震えながら頷いたその時、地面が微かに振動し、援軍の兵を隔てるように地面から水晶の壁が生えた(、、、、、、、、)

 こちら側には、水球に閉じ込められた〈原初の獣〉とエラ、ロスヴィータ。それ以外の援軍の兵士は水晶壁の向こう側だ。


「坊ちゃぁぁぁん!」


 アグニオールの叫びと同時に、ユリウスとゾフィーの足下で水晶が動いた。再び、地面から水晶の錐が飛び出そうとしているのだ。

 二人がその場を離れるより早く、今度は前方に水晶の壁ができる。ボコリ、ボコリと地面から伸びる水晶の壁がユリウスとゾフィーの動きを妨害した。

 そして、その壁から()()()水晶の錐が伸びてくる──避けられない。

 その先端が二人を貫く直前、硬質な音が響いた。


「二人とも、走って!」


 水晶の錐を壁ごと叩き割ったのはゲラルトだ。どうやら追いついたらしい。

 ゾフィーがふらつきながら、目を彷徨わせた。


「逃げるって、ど、どこにぃ……? どこもかしこも、水晶だらけなのに……!」


 その泣き言に応えるように、離れたところのエラが声を張り上げた。


「建物の中に逃げてください! おそらく、敵はゾフィーさんを視認しないと攻撃できないんですっ!」


 流石エラ、冷静だ。

 今まで水晶による攻撃がなかったのは、敵がこちらを視認しないと水晶を発動できないからだ。つまり、隠れてしまえばやり過ごせる。


「でもっ、あたしが逃げたら、〈原初の獣〉を封印できないよぉっ」


「敵の狙いはゾフィーさんです! 生きていれば、立て直せます!」


 そう。敵は〈原初の獣〉を封じているエラやロスヴィータではなく、明確にゾフィーを狙っている。おそらく、この場で唯一ゾフィーだけが〈愚者の鎖デスピナ〉を使いこなせるからだ。

 もう、エラもロスヴィータも魔術の維持は限界なのだろう。それでも、ゾフィーの生存を優先しようとしている。

 三人はすぐ近くにある宿舎に駆け込もうとし──ふと、大きな陰が落ちた。

 見上げたユリウスは気づく。宿舎の屋根から氷柱のように水晶の槍が垂れている。その数、十以上。それが、ユリウス、ゾフィー、ゲラルトの頭上から降り注ぐ。

 ゲラルトが剣を構えたが、数が多すぎる。間に合わない。


 ──ゾブリ。と肉を抉る音がして、温かい何かがユリウスの頬を濡らした。血のにおいが辺りに広がる。

 ユリウス、ゾフィー、ゲラルトの三人に覆い被さっているのは、黒い毛並みの大きな狼。

 ユリウスは震える声で名を呼んだ。


「…………フィン?」





 人狼の群れで生きることができず、魔物を裏切って人間につくこともできない半端者。それがフィンという人狼だ。

〈百眼の魔女〉アンネリーゼ・レームは、古代魔導具〈離別のイグナティオス〉と〈愚者の鎖デスピナ〉の隠し場所を伝えることで、フィンが人間側につくための最後の手段を残してくれた。

 だが、フィンはその好意を利用できず、さりとて無下に捨てることもできず、情報をユリウスに託し、静かに最期の時を待ち続けた。

 魔物は滅びる生き物だと悟ってしまったから、自分もここで滅びるべきだと思ったのだ。

 その最後の最後で、大好きな友達の力になれるなら。


「これが……オイラの誇りで、執着なんだ」


 水晶の槍が肉を裂き、臓腑を抉る。

 血の海の中、それでもフィンは満たされた気持ちだった。

 だって自分は最後まで、魔物として己の執着を貫き通したのだから。



 * * *



 第一の塔〈白煙〉の上から戦況を見下ろしていた黒髪の少女──フィーネは塔の上から一匹の人狼の末路を見ていた。


「それがあなたの執着なのね、狼さん」


「あの人狼は、死ぬ」


 フィーネの横で魔物の王が静かに言う。

 銀色の目は、離れた場所の状況を正確に視ていた。


「あの魔物に、神の子に相応しい慈悲を望む」


「えぇ」


 ターゲットの深淵使いは完全に動きを止めている。水晶の槍を放ってトドメを刺すのは容易だ。

 だが、フィーネは水晶による攻撃を一時中断した。深淵使いを殺すのは、あの人狼が息絶えてからだ。

 あの人狼の最期に、神の子はささやかな慈悲を与えた。


 ──その慈悲が、盤面をひっくり返した。


 今この時この瞬間、フィーネが慈悲を与えずに深淵使い(ゾフィー)を殺していたら、状況は変わっていただろう。

 だが、その慈悲によって生じた僅かな時間で、お姫様に肩車をされた美少年が、揺籠の水晶鋲を引き抜いたのだ。

〈楔の塔〉を覆う水晶が、パリパリと剥がれ落ちていく。陽の光を浴びた薄氷のように。水晶汚染が止まる。


「誰かが、揺籠に刺した水晶鋲を抜いたみたい」


 フィーネは黒髪を揺らして、揺籠の方角を見つめる。

 その顔に薄い笑みをたたえたまま。



 * * *



 援軍の将ヘンリック・ブランケは困惑していた。

 彼は、まぁまぁ過酷な戦況に慣れた男である。嵐の中を進軍して敵の背後をついたり、数千の兵に数百の兵で挑んだり、崖を馬で駆け下りて奇襲をしかけたりしたこともある。

 それにしても魔物との戦いは、理不尽と不可解の連続であった。

 魔物は一体一体が理不尽に強く、だが全く統率がとれていないので、素人集団のような動きをする。

 戦場たる〈楔の塔〉は魔力濃度が濃いため突撃ができず、しかも水晶が地面から迫り上がって壁になるときた。地形を変え、敵を分断できるのは戦場では明確な強みだ。そんな能力があるなら、もっと上手く運用すれば良いのに、分断は稚拙。


(中に子どもが取り残されていたな。この魔力濃度の中、どうしてあんなに動き回れたんだろう? とりあえず、保護しないと……)


 ひとまず水晶に警戒しつつ偵察。あまり膠着状態が続くなら、水晶の壁をよじ登ろうかな、などとヘンリックが考えていると、目の前で水晶の壁が砕け散った。

 それが敵の所業なのか、味方の援護なのか、あるいはただの偶然なのかは分からない。

 ただ、水晶の壁の向こう側でヘンリックは見た。

〈原初の獣〉を封じる水球も、それを維持する少女二人も無事。だが、その奥に子どもが三人いる。子ども達のそばには、黒い毛皮の人狼がうずくまっていた。

 まずは、子どものそばにいる魔物に迅速にトドメを刺さねば──ヘンリックが剣を手に駆け寄ると、子どもの一人が両手を伸ばしてヘンリックの前に立ち塞がる。


「待ってください、兄上っ!」


「その声……」


 ボサボサの黒髪で目もとが隠れ、表情がわかりづらいが、腰に下げた剣に見覚えがあった。

 ヘンリックが記憶しているより背が伸び、声変わりもしているが、間違いない。


「ゲルハルト!? 何故、お前がここにいる!」


 ゲルハルト・ブランケ。

 あろうことか奉公先から逃げ出した、不肖の弟がそこにいた。


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