【18】ゾフィーちゃん様
フィンがユリウス達に託したメッセージには、こう記されていた。
『だいじなモノは、わたしのへやに』
この言葉を頼りに、ユリウスとゾフィーは男性宿舎のユリウスとフィンの部屋に向かった。
ここは本来二人部屋なのだが、ユリウスの家具だけがごっそりなくなっている。以前、ユリウスが反逆罪で捕まった時に、家具を持ち出されたのだろう。
おかげで、探すのにそれほど苦労はしなかった。なにせ、〈離別のイグナティオス〉は長剣だ。隠せる場所は限られている。
(もとより、見当はついている……間違いなくあそこだ)
だいじなモノとは即ち、宝物。
ユリウスとフィンは「宝物置き場」について、共通の認識がある。
ユリウスはザームエルから受け継いだ高価な品や魔導具の材料で、鍵のかかる引き出しに収まらない物は、ベッド下に隠すことにしているのだ。
『ベッドの下は、ユリウスの宝物置き場なの?』
『くく……他に置き場所がなくてな』
あのやりとりをフィンが覚えているのなら、隠し場所も間違いなくここだ。
ユリウスはベッドの下を覗き込んだ。案の定、ユリウスの私物の魔導具や材料の他に、細長い布包が押し込まれている。
「ベッドの下だ、アグニオール!」
「おまかせですよー! 小さいって便利!」
小さな獅子に化けたアグニオールが二段ベッドの下に潜り込み、細長い布包みを引っ張り出した。
布を剥ぐとそこには、立派な大剣に鎖の腕輪が引っ掛けてある。〈楔の塔〉が所有する古代魔導具、〈離別のイグナティオス〉と〈愚者の鎖デスピナ〉だ。
ユリウスはゾフィーに〈愚者の鎖デスピナ〉を渡し、自身は〈離別のイグナティオス〉を持ち上げた。
「…………重い」
「坊ちゃん、がんばです!」
「ユリウス〜、あたしも一緒に持とうか?」
申し訳なさそうなゾフィーの提案に、ユリウスは首を横に振った。
「いや、いい。俺が持つ」
これからの行動を考えると、ゾフィーはなるべく身軽な方が良い。
ユリウスは剣の心得などないし、そもそも長剣を振り回すだけの腕力もない。なので、〈離別のイグナティオス〉は剣を使える人間と合流したら託そう。
ユリウスは窓の外を見た。宿舎のすぐ近くでは、ロスヴィータとエラが奮闘している。
「急ぐぞ。〈愚者の鎖デスピナ〉の出番だ」
* * *
古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉を腕に装着したゾフィーは外に飛び出し、腕輪を嵌めた左手を掲げた。
ゾフィーはこの古代魔導具の使い方を教わっているが、その全てを使いこなせるわけではない。これは単純に〈愚者の鎖デスピナ〉に、できることが多すぎるためだ。
〈愚者の鎖デスピナ〉は単純に言えば、何かを拘束・封印する魔導具である。この拘束・封印だけでも、種類が多岐にわたる。
現代魔術でも封印術・結界術は非常に細分化されており、独自の発展を遂げている。古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉は現存する最古の古代魔導具でありながら、現代魔術に匹敵する──或いはそれ以上の細やかな封印が可能だった。
そんな中、シュヴァルツェンベルク家のゾフィーが優先的に教わった力がある。
(自分の中にある深淵の力を、〈愚者の鎖デスピナ〉に重ねるイメージ……)
人間の心から生じる闇と、魔力が結びついたものを深淵という。
深淵は、暗く深い泉のようなものである。魔物が生まれてくるのも、この深淵の泉からだ。
そして呪術師は、この深淵の力を操ることで呪いとする。取り出した力を〈愚者の鎖デスピナ〉がもたらすイメージに沿わせ、鎖の形にしていく。
いける! と確信してゾフィーは声を上げた。
「古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉起動! みーんな、ゾフィーちゃんに従え──!」
『捕獲対象が特定できません。みーんな、の範囲を指定してください』
「…………」
そうだった。捕獲・封印対象の指示は厳密にしないといけないのだ。
できることが多いからこそ、指示は厳密にしないといけない。そういう意味でも〈愚者の鎖デスピナ〉は扱いが難しいのだ。
ゾフィーは周囲を見回した。〈楔の塔〉敷地内西側、宿舎付近には援軍の兵士達が集まり、ロスヴィータとエラを守るように展開して、魔物を退けている。
城壁は破壊され、ローズの茨の蔓が少しずつ敷地内に入り込んでいた。あの茨が、人間が活動できる魔力濃度のボーダーラインなのだ。
そして、その境界線上の辺りに浮かぶ巨大な水球に閉じ込められているのは、銀の毛並みを持つ巨大な狼──魔物側の最強戦力〈原初の獣〉。
(えーっと、〈原初の獣〉は無力化完了? 他の魔物狙った方が良い? ど、どうしよう、戦況が分かんない……っ)
キョロキョロしているゾフィーの迷いに気づいたのだろう。
エラが声を張り上げる。
「ゾフィーさん! 〈原初の獣〉を!!」
「分かった! ゾフィーちゃんにお任せ! 〈愚者の鎖デスピナ〉! あの水球の中にいる大きい銀色の狼を捕えろー!」
『捕獲を開始します』
ゾフィーの右手首の腕輪から金色の鎖が伸びて、水球に絡みつく。
もし、〈原初の獣〉が自由に動き回れたのなら、あの鎖を余裕で回避できただろう。だが、己を閉じ込める水球ごと鎖でがんじがらめにされては、〈原初の獣〉にできることはない。
巨大な水球に閉じ込められた、銀の狼。その巨体を前に、ゾフィーの胃はひっくり返りそうになった。
ここに来るまで、何匹もの魔物を見てきたけれど、その中でもダントツで怖い。膨大な魔力を練り上げ、獣の形にしたのが、この生き物なのだ。
その目がこちらを見た瞬間、とても大きな口がゾフィーの頭をバクリ、ゴキュリ、と食べてしまう、そんな光景が頭に浮かんだ。明確な死のイメージがゾフィーの思考を焼く。
呼吸の仕方が分からない、だって、自分はもう口も鼻も頭も無いのだから……。
(違う! これは、あたしの幻覚だ)
ゾフィーは、古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉に触れ、自分を鼓舞して意識を保つ。
(あたしはすごいんだ。ローズさんだって、そう言ってたもん……!)
心の弱いゾフィーは、どんなに「あたしはすごいんだぞ」と自分に言い聞かせても、自分の言葉が信じられない。
だから、他人の言葉を借りる。
──君の力は、そういうすごい力なんだ。苦しめるためだけのもの、って決めつけるのは、ちょっと早いと思うぜ!
ローズが言ってくれた言葉を思い出し、自分に言い聞かせる。
隣の国のすごい魔術師のローズが、すごいと言ってくれたのだ。
──人の心の淀が溜まった深淵は深き泉。そこより生まれいずるものが魔物ならば、呪いとは魔物になる前の、より深淵そのものに近い力の塊とも言える。
──即ち、広義の意味で呪術師とは魔物を使役する者と言えるだろう。
ゾフィーは〈原初の獣〉を真っ直ぐに睨みつけた。
「こ、怖いもんかっ、あんたも深淵から生まれたんでしょ。それなら……っ」
鎖が水球を圧縮するように、水球を縮めていく。
本来、水というものは殆ど圧縮できないという性質を持つ。今、目の前にある光景は水を圧縮しているのではなく、魔力を圧縮しているのだ。そうして圧縮されていく魔力の中で、〈原初の獣〉が変質する。
ゾフィーは斜めがけにした鞄から、一冊の本を取り出した。
「呪術師は深淵を操る者! ひいては魔物を統べる者! 〈原初の獣〉よ、ゾフィーちゃん様に従え──!」
ゾフィーは取り出した本を広げた。特殊な装丁で作られたその本は全てのページが白紙だ。
その真っ白なページが、〈愚者の鎖デスピナ〉と同じように淡く輝き出す。
〈愚者の鎖デスピナ〉はできることが非常に多い。だからこそ、蔵書室室長リンケは、真っ先にゾフィーにこの使用方法を教えた。
魔物の封印、使役。
この術を成功させるには幾つか条件がある。その中で最も困難なのが、対象の魔物を弱らせること、あるいは動きを完全に封じること。
そして今、最強の魔物が目の前で動きを封じられている。
──これが〈原初の獣〉に勝利するための、最後の一手だ。
あとは、〈原初の獣〉を捕らえた鎖を、封印の書に接続するだけ。
極限まで集中しているゾフィーの耳に、あどけない少女の声が届く。
「深淵を操る者……………………貴女が一番邪魔だったの」
ゾフィーの足下で、地面を覆う水晶がパキッと乾いた音を立てた。




