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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十一章 深淵の使徒
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【17】古代魔導具の価値を知る者


 どんどん膨れていく水球の中、水の魚達に翻弄される〈原初の獣〉は、人間達が思っている以上に冷静だった。

 もしこれがそこらの人狼なら、水の魚に全身を貫かれ、とっくに水球を己の血で染めている。


(なるほど、やはり人間は賢いな。呼吸に目をつけたか)


〈原初の獣〉は殆どの攻撃を通さず、また、急所を狙って傷つけても即回復する。毒も効かない──ならば水に沈めて空気を奪えば良い、という発想。そしてそれを実行する工夫。

 閉じ込めるための水球と、攻撃のための水の魚。そのどちらが欠けても成り立たない攻撃は、人間の知恵と工夫、技術を感じられる。

 この魔術を使った二人の少女に、〈原初の獣〉は感動すら覚えていた。


(……だが、惜しかったな)


〈原初の獣〉が呼吸を必要としているのは事実だ。

 ただ、人間達は見落としている。〈原初の獣〉がどれだけ呼吸を止めていられるかを。そして、それほどの長時間、この魔術が持続するのかを。

 狩りをするため長く走る狼は、深い呼吸を得意としている。その狼の魔物の頂点なのだ。結論から言うと、〈原初の獣〉は三〇分程度なら息を止めて走り回ることができた。

 はたしてそれだけの時間、あの少女達はこの強力な魔術を維持できるのか。しかも他の魔物達に囲まれた状況で。

 水球は巨大化するほど維持が難しくなるだろう。水の魚も操る手を止めれば、〈原初の獣〉は水球を破壊して外に飛び出してしまう。

 水球に雷撃の魔術を叩き込まれても、温度を上げて熱湯にされても、〈原初の獣〉は耐え切る自信がある。

 さて、他の人間達はどう動くかと見ていると、魔術を維持する二人の少女を、兵士が他の魔物から守る陣形に展開していた。指示したのはあの強い剣士か。素晴らしい統率力だ。

 水球の外で、人と魔物の戦いが始まる。現状はあの飛び抜けて強い剣士が自由に動ける分、人間側が有利だ。

 だが、この水球が消えた瞬間、〈原初の獣〉が自由になり、戦況は逆転する。


(……俺を仕留めるにはあと一手(、、、、)が足りん。さぁ、どうする人間?)



 * * *



 水の魚を操り続けること十分。ロスヴィータは〈原初の獣〉の動きが未だ止まらぬことに焦りを覚えていた。

 普通の魔物なら、とっくに溺れ死んでいるところだ。だが、〈原初の獣〉はその強靭な前足で水球の中を泳ぎ、外に飛び出そうとしている。水球にはそれほど強度がないので、魚達で妨害をしているが、だんだんとその動きも読まれつつあった。

 魚達が起こす水流は一見出鱈目に見えても、ロスヴィータの癖が出る。それを〈原初の獣〉は理解しているのだ。

 水属性魔術で敵の窒息を狙う場合、当然だがそれだけの時間、魔術を維持することが求められる。

 幼少期から魔術に慣れ親しんできたロスヴィータは、魔術を長時間維持することが得意だ。おそらく、見習いの中でも飛び抜けている。

 ……だが、最近魔力操作を覚えたばかりのエラはそうじゃない。


(エラは、よくやってる方よ。これだけの大きさの水球、維持するのは楽じゃない)


 それでも、保ってあと五分かそこらだろう。エラの顔にはビッシリと汗が浮かんでいた。

 ここは自分がなんとかしなくては、とロスヴィータは焦る。


(早く溺れろ、早く、早く……これなら、どう!?)


 ロスヴィータは百七十七匹の魚達を一箇所に集中して、〈原初の獣〉を狙った。

 だが、そうして一箇所に水の魚が集まると、魚の密度が低い場所ができる。

〈原初の獣〉はあろうことか水球の中を泳いで、魚のいない場所から脱出しようとした。その泳ぎが速いのだ。前足のひとかきでグングンと水中を進んでいく。

 慌ててロスヴィータは魚を分散し、〈原初の獣〉の動きを妨害した。


(間一髪だった……あと少し遅れてたら、突破されてた)


 十分以上呼吸を止めてなお、これだけ動ける〈原初の獣〉なら、もしかしたら呼吸は必要ないのではないか? という不安がよぎる。

 エラが苦しそうに呻いた。限界が近いのだ。

 水球が弾けた瞬間、〈原初の獣〉は人間達を蹂躙するだろう。そのリミットは、もうすぐそこまで迫っている。



 * * *



 敷地内西側で、〈原初の獣〉と人間達が睨み合っている頃、宰相と呼ばれる男カイは第三の塔〈水泡〉一階管理室に向かった。


(〈原初の獣〉があそこまで押されるとは、想定外だったが……それでも最終的には〈原初の獣〉が勝利するだろう)


〈原初の獣〉の勝利は時間の問題。ならば、その間に自分は次の手を打っておくとしよう。

 カイは管理室の物置の扉を開ける。

 ゴチャゴチャと人間どもの道具が詰め込まれた雑多な空間。それは、道具に無関心な魔物達があまり近づかない場所だ。

 だからこそ都合が良かった。古代魔導具〈離別のイグナティオス〉と〈愚者の鎖デスピナ〉を隠すのに。

 魔物達は道具に無関心だ。襲撃の際に回収した古代魔導具も「わたくしめが処分しておきましょう」と言っておけば、誰も追及はしない。

 古代魔導具は、兵器にも交渉材料にもなる。持ち出しておいて損はない。


(吸血鬼はどこにいった? 奴は気まぐれだから当てにならない。冬の魔物は北側か。あちらにも古代魔導具使いがいたな)


 カイは鎖でできた腕飾り、〈愚者の鎖デスピナ〉を己の腕に装着した。

 本来、〈愚者の鎖デスピナ〉は深淵に触れる才能や訓練が必要になる。だが、カイが所有する古代魔導具〈彩色庭園〉の力を使えば、多少の干渉はできるだろう。

 現状、一番厄介なのは〈茨の魔女〉の薔薇の蔓だ。あれが、水晶汚染された〈楔の塔〉の魔力濃度を下げている。

 逆に言うと、〈茨の魔女〉さえ排除できれば、あとは無力な見習い達を排すだけだ。


(まずは〈愚者の鎖デスピナ〉を暴走させて、〈茨の魔女〉の力を封じる……〈茨の魔女〉だけは……魔女様を苦しめた、ローズバーグ家の人間だけは生かしておけない)


 ローズバーグへの怒りを胸に、カイは手首の腕輪に指先で触れた。

 だが、古代魔導具の声が聞こえない。


(……魔力が足りなかったか?)


 不審に思ったカイは腕輪をまじまじと調べた。形状に違和感はない。回収した時に見た物と同じに見える……だが、よくよく観察すると魔力を帯びていない。

 

 ──これは、〈愚者の鎖デスピナ〉ではない。古代魔導具どころか魔導具ですらない、ただのアクセサリーだ。


 馬鹿な、とカイは息を呑む。

 魔物達は古代魔導具に興味を持たない。誰も彼もが放置していた。だからこそ、カイがこっそり持ち出し、隠しておくことができたのだ。


(魔物の仕業ではないなら……神の子(フィーネ)か? いや違う。神の子(フィーネ)が古代魔導具を拾っていたら、いつもそばにいる魔物の王が見ているはず。そもそも長年軟禁されていた神の子(フィーネ)にはレプリカを用意するのは難しい。誰だ、誰だ、古代魔導具を偽物にすり替えたのは……!)


 そうだ、もう一人いたではないか。

 魔物達の手で占領された〈楔の塔〉を自由に動き回れる人間が。古代魔導具の価値を知っている人間が!


 ──〈百眼の魔女〉アンネリーゼ・レーム。


 あの女は、〈楔の塔〉で備品の管理をしていたという。ならば、古代魔導具のレプリカの存在を知っていてもおかしくはない。

 なにより、彼女なら水晶汚染されたこの〈楔の塔〉を歩き回り、本物とレプリカをすり替えることができる。


(どこだ、どこだ、本物の古代魔導具は! 〈百眼の魔女〉は水晶鋲を穿ってから一度も〈楔の塔〉の敷地を出ていないはず。隠すなら敷地内の、おそらく建物の中だ。〈離別のイグナティオス〉はそこそこ大きい剣だから、隠すならそれなりの広さがいる。鍵をかけてあるところが怪しいが……〈百眼の魔女〉が所属していた指導室か?)


 カイが目まぐるしく思考を働かせていたその時、外で少女の声が響いた。

 頭が痛くなるほど頭の悪そうな小娘の声が、こう叫ぶ。


「古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉起動! みーんな、ゾフィーちゃんに従え──!」


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