【17】古代魔導具の価値を知る者
どんどん膨れていく水球の中、水の魚達に翻弄される〈原初の獣〉は、人間達が思っている以上に冷静だった。
もしこれがそこらの人狼なら、水の魚に全身を貫かれ、とっくに水球を己の血で染めている。
(なるほど、やはり人間は賢いな。呼吸に目をつけたか)
〈原初の獣〉は殆どの攻撃を通さず、また、急所を狙って傷つけても即回復する。毒も効かない──ならば水に沈めて空気を奪えば良い、という発想。そしてそれを実行する工夫。
閉じ込めるための水球と、攻撃のための水の魚。そのどちらが欠けても成り立たない攻撃は、人間の知恵と工夫、技術を感じられる。
この魔術を使った二人の少女に、〈原初の獣〉は感動すら覚えていた。
(……だが、惜しかったな)
〈原初の獣〉が呼吸を必要としているのは事実だ。
ただ、人間達は見落としている。〈原初の獣〉がどれだけ呼吸を止めていられるかを。そして、それほどの長時間、この魔術が持続するのかを。
狩りをするため長く走る狼は、深い呼吸を得意としている。その狼の魔物の頂点なのだ。結論から言うと、〈原初の獣〉は三〇分程度なら息を止めて走り回ることができた。
はたしてそれだけの時間、あの少女達はこの強力な魔術を維持できるのか。しかも他の魔物達に囲まれた状況で。
水球は巨大化するほど維持が難しくなるだろう。水の魚も操る手を止めれば、〈原初の獣〉は水球を破壊して外に飛び出してしまう。
水球に雷撃の魔術を叩き込まれても、温度を上げて熱湯にされても、〈原初の獣〉は耐え切る自信がある。
さて、他の人間達はどう動くかと見ていると、魔術を維持する二人の少女を、兵士が他の魔物から守る陣形に展開していた。指示したのはあの強い剣士か。素晴らしい統率力だ。
水球の外で、人と魔物の戦いが始まる。現状はあの飛び抜けて強い剣士が自由に動ける分、人間側が有利だ。
だが、この水球が消えた瞬間、〈原初の獣〉が自由になり、戦況は逆転する。
(……俺を仕留めるにはあと一手が足りん。さぁ、どうする人間?)
* * *
水の魚を操り続けること十分。ロスヴィータは〈原初の獣〉の動きが未だ止まらぬことに焦りを覚えていた。
普通の魔物なら、とっくに溺れ死んでいるところだ。だが、〈原初の獣〉はその強靭な前足で水球の中を泳ぎ、外に飛び出そうとしている。水球にはそれほど強度がないので、魚達で妨害をしているが、だんだんとその動きも読まれつつあった。
魚達が起こす水流は一見出鱈目に見えても、ロスヴィータの癖が出る。それを〈原初の獣〉は理解しているのだ。
水属性魔術で敵の窒息を狙う場合、当然だがそれだけの時間、魔術を維持することが求められる。
幼少期から魔術に慣れ親しんできたロスヴィータは、魔術を長時間維持することが得意だ。おそらく、見習いの中でも飛び抜けている。
……だが、最近魔力操作を覚えたばかりのエラはそうじゃない。
(エラは、よくやってる方よ。これだけの大きさの水球、維持するのは楽じゃない)
それでも、保ってあと五分かそこらだろう。エラの顔にはビッシリと汗が浮かんでいた。
ここは自分がなんとかしなくては、とロスヴィータは焦る。
(早く溺れろ、早く、早く……これなら、どう!?)
ロスヴィータは百七十七匹の魚達を一箇所に集中して、〈原初の獣〉を狙った。
だが、そうして一箇所に水の魚が集まると、魚の密度が低い場所ができる。
〈原初の獣〉はあろうことか水球の中を泳いで、魚のいない場所から脱出しようとした。その泳ぎが速いのだ。前足のひとかきでグングンと水中を進んでいく。
慌ててロスヴィータは魚を分散し、〈原初の獣〉の動きを妨害した。
(間一髪だった……あと少し遅れてたら、突破されてた)
十分以上呼吸を止めてなお、これだけ動ける〈原初の獣〉なら、もしかしたら呼吸は必要ないのではないか? という不安がよぎる。
エラが苦しそうに呻いた。限界が近いのだ。
水球が弾けた瞬間、〈原初の獣〉は人間達を蹂躙するだろう。そのリミットは、もうすぐそこまで迫っている。
* * *
敷地内西側で、〈原初の獣〉と人間達が睨み合っている頃、宰相と呼ばれる男カイは第三の塔〈水泡〉一階管理室に向かった。
(〈原初の獣〉があそこまで押されるとは、想定外だったが……それでも最終的には〈原初の獣〉が勝利するだろう)
〈原初の獣〉の勝利は時間の問題。ならば、その間に自分は次の手を打っておくとしよう。
カイは管理室の物置の扉を開ける。
ゴチャゴチャと人間どもの道具が詰め込まれた雑多な空間。それは、道具に無関心な魔物達があまり近づかない場所だ。
だからこそ都合が良かった。古代魔導具〈離別のイグナティオス〉と〈愚者の鎖デスピナ〉を隠すのに。
魔物達は道具に無関心だ。襲撃の際に回収した古代魔導具も「わたくしめが処分しておきましょう」と言っておけば、誰も追及はしない。
古代魔導具は、兵器にも交渉材料にもなる。持ち出しておいて損はない。
(吸血鬼はどこにいった? 奴は気まぐれだから当てにならない。冬の魔物は北側か。あちらにも古代魔導具使いがいたな)
カイは鎖でできた腕飾り、〈愚者の鎖デスピナ〉を己の腕に装着した。
本来、〈愚者の鎖デスピナ〉は深淵に触れる才能や訓練が必要になる。だが、カイが所有する古代魔導具〈彩色庭園〉の力を使えば、多少の干渉はできるだろう。
現状、一番厄介なのは〈茨の魔女〉の薔薇の蔓だ。あれが、水晶汚染された〈楔の塔〉の魔力濃度を下げている。
逆に言うと、〈茨の魔女〉さえ排除できれば、あとは無力な見習い達を排すだけだ。
(まずは〈愚者の鎖デスピナ〉を暴走させて、〈茨の魔女〉の力を封じる……〈茨の魔女〉だけは……魔女様を苦しめた、ローズバーグ家の人間だけは生かしておけない)
ローズバーグへの怒りを胸に、カイは手首の腕輪に指先で触れた。
だが、古代魔導具の声が聞こえない。
(……魔力が足りなかったか?)
不審に思ったカイは腕輪をまじまじと調べた。形状に違和感はない。回収した時に見た物と同じに見える……だが、よくよく観察すると魔力を帯びていない。
──これは、〈愚者の鎖デスピナ〉ではない。古代魔導具どころか魔導具ですらない、ただのアクセサリーだ。
馬鹿な、とカイは息を呑む。
魔物達は古代魔導具に興味を持たない。誰も彼もが放置していた。だからこそ、カイがこっそり持ち出し、隠しておくことができたのだ。
(魔物の仕業ではないなら……神の子か? いや違う。神の子が古代魔導具を拾っていたら、いつもそばにいる魔物の王が見ているはず。そもそも長年軟禁されていた神の子にはレプリカを用意するのは難しい。誰だ、誰だ、古代魔導具を偽物にすり替えたのは……!)
そうだ、もう一人いたではないか。
魔物達の手で占領された〈楔の塔〉を自由に動き回れる人間が。古代魔導具の価値を知っている人間が!
──〈百眼の魔女〉アンネリーゼ・レーム。
あの女は、〈楔の塔〉で備品の管理をしていたという。ならば、古代魔導具のレプリカの存在を知っていてもおかしくはない。
なにより、彼女なら水晶汚染されたこの〈楔の塔〉を歩き回り、本物とレプリカをすり替えることができる。
(どこだ、どこだ、本物の古代魔導具は! 〈百眼の魔女〉は水晶鋲を穿ってから一度も〈楔の塔〉の敷地を出ていないはず。隠すなら敷地内の、おそらく建物の中だ。〈離別のイグナティオス〉はそこそこ大きい剣だから、隠すならそれなりの広さがいる。鍵をかけてあるところが怪しいが……〈百眼の魔女〉が所属していた指導室か?)
カイが目まぐるしく思考を働かせていたその時、外で少女の声が響いた。
頭が痛くなるほど頭の悪そうな小娘の声が、こう叫ぶ。
「古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉起動! みーんな、ゾフィーちゃんに従え──!」




