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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十一章 深淵の使徒
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【16】エラの夢


〈楔の塔〉西側の崩れた城壁付近で、〈原初の獣〉の戦いを見ていたロスヴィータは、ヘンリック・ブランケの行動に絶句した。


「嘘でしょ……あの〈原初の獣〉に傷をつけるなんて……しかもシャベルで……?」


 対峙してみれば分かるが、〈原初の獣〉はとにかく大きい。のしかかられたら、全身の骨がクシャッと折れてもおかしくない。その上、尋常ではない力で繰り出される爪は、人間の体など容易く切り裂くのだ。

 なのに、ゲラルトの兄ヘンリックは、巧みな剣捌きで攻撃をいなし、そして遂に右目に一撃を叩き込んだ。

 このままならヘンリックが勝てる、という希望が周囲の兵士達の間に伝播する。だが、魔物と戦った経験のない援軍の兵士達は知らないのだ。魔物の真の恐ろしさを。


「惜しいな」


〈原初の獣〉がそう口にし、城壁側に歩き出す。西側を取り囲む兵士達が身構えた。

 ヘンリックもまた剣を構えながら、〈原初の獣〉の様子を窺っている。それを見た〈原初の獣〉は苛立たしげにグルグル鳴いた。


「阿呆、早くこちらに来い。魔力中毒で死ぬぞ」


 そう口にする〈原初の獣〉の右目は──潰れた筈の右目は、再生していた。

 流石にこの再生力のことは知らなかったらしい。ヘンリックも兵士達もギョッとしている。


(これよ、魔物の怖いところは……)


 魔力濃度の濃い土地における魔物は、その回復力が段違いなのだ。

 それにしても〈原初の獣〉の回復力は、ロスヴィータの予想以上だった。抉られた右目が一分足らずで再生するだなんて異常だ。他の魔物も充分回復が速いが、それでも〈原初の獣〉の回復速度は異常だった。

 攻撃が通るのは目や口腔内といった急所のみ。仮にそれらを傷つけても、〈原初の獣〉が魔力濃度の濃い場所に引っ込めば、すぐ回復してしまう。


(こんなの、ほぼ無敵じゃない)


 ヘンリックの表情に絶望はない。なんて怖い人だろう。ゲラルトが恐れるのも納得だ。

 それでも、勝つのは〈原初の獣〉だ。魔力濃度の濃い土地がある限り、人間側に勝ち目はない。


「ロスヴィータちゃん」


 エラに名を呼ばれ、ロスヴィータは緊張に固まっていた肩を震わせた。

 エラは地面に膝をつき、城壁の外に手を伸ばしている。その手に握られているのは短い杖。これは管理室から借りてきたものだ。魔力操作を補助する効果がある。


「思いっきりやっちゃいましょう。そして……」


 眼鏡をかけた顔が柔らかく微笑む。いつも宿舎で魔術について話した時のように、その目をキラキラさせて。


「私の夢、叶えてください」


 図々しいわね! と冗談まじりに返す日常が懐かしい。

 ロスヴィータはトレードマークのとんがり帽子を被り直し、マントを広げた。そして、マントの内側に仕込んだ木の枝を──魔術の媒体を指の間に握りしめる。


「仕方ないわね、手伝ってあげるわ。さぁ、やるわよ……とびきり派手で綺麗な魔術!」



 * * *



〈原初の獣〉の右目の傷が癒えると同時に、兵士達の間に動揺が広がった。それでも、士気が下がった気配がないことが、〈原初の獣〉には驚きだった。


(こいつらは魔術師とは根本的に違う生き物だ……あぁ、懐かしいな。そうだ。兵士か。随分昔は、そういう奴らが俺達を狩りに来たもんだ)


 討伐室の魔術師達は、「魔術の専門家」で「魔物狩りの専門家」だ。

 だが、この兵士達は純粋に戦うことだけに特化している。そういう強さを感じた。

 兵士達は統率の取れた動きで、周囲の魔物を的確に狩っていく。奥に逃げられると回復されると察したのか、魔物達が奥に逃げぬよう馬で回り込み、魔力濃度の濃淡を随時確認しながら、「ここまで進め!」と指示を出し合っていた。


(この兵士どもが落ち着いて戦えるのは、この俺をたった一人の人間が食い止めているからだ)


 自惚れではない。事実だ。

 ヘンリックが力尽きた瞬間、〈原初の獣〉は周囲を駆け回り、人間どもの隊列をグチャグチャに乱すと決めていた。

 相手が馬に乗っていようが関係ない。馬など容易く蹴散らせる。

 ヘンリックが距離を詰めてきた。あれほど高濃度の魔力を浴びたのに、動きにブレはない。体全体が一本の剣と見紛うような、力強く鋭い斬撃──素晴らしい技術だ。その技術に敬意を示し、顔に傷を刻もう。

〈原初の獣〉が一歩踏み出したその時、足下でパシャンと音がした。己の前足が水溜りを叩いたのだ。踏み出すと同時に違和感。


(この水はどこから湧いてきた?)


 雨など降っていないし、地面も濡れていなかったはず。

 疑問に思った時にはもう、足下の水は膨れ上がり、〈原初の獣〉を包み込んでいた。


(水を操る魔術か? しゃらくせぇ)


 なるほど、水球で〈原初の獣〉を閉じ込める算段か。だが、この程度の水の膜なら、前足で引っ掻けばすぐに破れる──そう思った瞬間、水球に何かが飛来した。

 それは水でできた無数の魚だ。


「『非情なる慢心、流るる目、言葉を失くした魚達──集いて(ろう)せ!』」


 水を纏った魚が水球に刺さり、潜り込む。魚が刺さる度に水球は肥大化していった。つまり、水球にいる〈原初の獣〉が外から遠ざかる。

〈原初の獣〉はどんどん膨らんでいく水球の中を、外を目指して泳いだ。〈原初の獣〉は決して、泳ぎが苦手なわけではない。嵐の後の濁流だって泳ぎ切れる。

 だがその水球の中では、木の枝を軸にした水の魚が無数に泳ぎ回っているのだ。その魚が、出鱈目な水流を作り出し、〈原初の獣〉の泳ぎを妨害する。


(水の魚。覚えている。少し前に戦った、とんがり帽子の女だ……とびきり強かったから、顔に印を残した記憶がある)


 水球の外では、あの女の面影のあるとんがり帽子の小娘が、小枝を次々と取り出し、水の魚を放っていた。



 * * *



 プカリと浮かぶ巨大な水球に、水の魚が次々と飛び込んでいく。

 宙を舞う魚達はキラキラと飛沫を散らし、美しい軌跡を描いていた。それが水球に集い、群れとなって銀の狼を翻弄する。

 エラは水球の中の様子を確認した。〈原初の獣〉の口元から、小さな泡が浮いている──あの魔物もまた、呼吸を必要としているのだ。

 ならば、呼吸ができないよう〈原初の獣〉を水に閉じ込めるのはどうだろうか? とロスヴィータに提案したのはエラだった。

 そこから二人で役割を分担して作り上げたのが、この複合魔術だ。

 前提として、水の魔術は何もないところから水を生み出すより、既にある水を操り利用する方が、消費魔力が抑えられる。そこで二人は、城壁の外にある堀の水を利用することにした。

 まず、エラが水球の魔術で〈原初の獣〉を閉じ込める。これで一手。

 同時に、堀の水を吸い上げ手元に集める。これで二手。

 そしてエラがこの二つの魔術を維持している間に、ロスヴィータはエラが手元に集めた水で魚達を作り出し、〈原初の獣〉に攻撃するのだ。

 水球の維持や水の生成、或いは吸い上げといった部分をエラが担うことで、ロスヴィータは水の魚の操作に全集中できる。ロスヴィータは普段、水の魚を三匹程度しか操らないが、今だけはエラのおかげで大量の魚を操ることができた。その数──百七十七。持ち込んだ枝の重みは、術の重みでもある。

 この術を提案した時、ロスヴィータは良い顔をしないのではないかとエラは思っていた。エラが使う魔術は、ロスヴィータが嫌う近代魔術だ。だが、エラの案を聞いたロスヴィータは笑いながらこう言ってくれたのだ。


『良いじゃない、それ』


 古典魔術の天才が、エラの思いつきをそう言ってくれたのだ。

 援軍の兵士達も魔物達も、皆その一時だけは宙を舞う水の魚の美しさに目を奪われていた。

 エラは杖を握りしめる。胸に込み上げてくるのは、言葉にできない感動だ。魔力放出のできなかった自分が、ようやく身につけた魔術。それが、こんなにも美しい形で展開するなんて。


(いけない、喜んでる場合じゃ……)


 謙虚なエラが自分を戒めていると、ロスヴィータが胸を逸らし、高らかに言った。


「どう、エラ! 綺麗でしょ! アタシ達の魔術!」


 とんがり帽子の下の笑顔は得意気で、少女らしい笑みだった。古典魔術だけを誇りに、復讐に身を焦がしていた頃の彼女とは違うのだ。

 だからエラも、同じ笑顔を返した。


「はい、ロスヴィータちゃん!」


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