【11】人間の強さ、恐ろしさ
ティアは、レン、セビルと共に〈楔の塔〉の敷地を走りつつ、耳を澄ませていた。
上空では姉のカロンララが、人間を虚脱状態にする歌を歌っている。それに対抗するように、南の正門の方から軽やかなフィドルの音と歌声が聞こえてきた。
(あれは、アルト塔主だ)
ティアに歌詠魔術を教えてくれたあの老婦人は、楽器一つと己の喉を武器にハルピュイアに立ち向かっているのだ。
ただ、完全には相殺しきれていない。カロンララは正門の人間が音楽を奏でていることに気づくと、北の方に移動した。人間の歌よりハルピュイアの歌の方が遠くまで響く。距離があるほど、ハルピュイア側が有利になるのだ。
なにより、飛び回りながら歌えるハルピュイアと違い、人間は楽器の演奏をして歌いながら、高速移動なんて真似はできない。
(北の方は、リカルドさん達がいる場所……)
カロンララの歌に対抗できるのは、アルト塔主ともう一人──ティアだけだ。
ソワソワしているティアに、セビルが言った。
「あれが、ティアの姉か」
「うん」
セビルとレンは、ティアが姉に会いたがっていたことを知っている。だからこそ、この状況でティアにカロンララと戦えとは言わなかった。
それは二人の人間らしい甘さで、優しさだ。
(でも、わたしはハルピュイアだから……)
ティアは飛行用魔導具のレバーを引く。跳躍用の短い金属羽が広がった。
カロンララとまともに戦えるのは、この場においてティアしかいない。
「わたし、行くね。地上はお願い」
「ティア……!」
レンがティアの名を呼び、唇を噛む。
きっとレンは葛藤している。ティアを姉と戦わせたくない、だけど状況がそれを許さない、と。
レンは沢山の言葉を探して、選んで、飲み込んで、残った言葉を絞り出すように言った。
「ピンチになったら、美少年を呼べよ!」
「ピヨップ! ありがとう、美少年!」
ティアは跳躍用の羽で跳び上がり、建物の縁を足場に更に跳躍、高さを得たところで羽を飛行用に切り替える。
風に乗りながら、ティアは口を開いた。正門の方から聞こえてくるフィドルの音色とアルト塔主の歌声に合わせて歌う。
歌詠魔術は歌に魔力をのせる技術だ。ただ、その効果──虚脱、睡眠導入、魅了といったものの強力さと持続時間は、ハルピュイアの方が圧倒的に優れている。
だから、アルト塔主はハルピュイアの歌声を打ち消すことだけに全てを注いでいるのだ。ティアもそれに合わせて、姉の歌声を打ち消すように歌った。
──〈楔の塔〉上空で、二つの音楽がぶつかり合う。
どんなに優れた音楽でも、無秩序にぶつかり合えば不協和音だ。
これはもう、姉と一緒に楽しく歌う歌ではない。歌を用いた、ハルピュイア同士の殺し合いだ。
カロンララはティアに気づくと、風に乗って高く飛んだ。
(攻撃が、くる)
ハルピュイアは足の鉤爪で獲物を引き裂く。つまり、獲物より上にいないと攻撃できないのだ。鳥の魔物同士の争いは、いかに上を取るかが鍵となる。
カロンララが急下降し、鉤爪でティアを狙った。鋭い爪は人間の頭ぐらい容易く切り裂く。
「ルゥァーアー……!」
ティアは歌いながら攻撃を回避。同時に自分が上昇した。
周囲を飛び交う目玉鳥達が、群れとなってティアを追いこむ。目玉鳥達が邪魔をして、上手く上昇できずにいる間に、再びカロンララが上を取る。
(お姉ちゃんが、目玉鳥と連携してる……? 違う、獲物を奪い合ってるんだ)
ハルピュイアと目玉鳥は、縄張り争いをする関係にある。
地上を跋扈する他の魔物達もそうだ。植物の魔物、虫の魔物、爬虫類の魔物、獣の魔物。それらは本来は縄張りを争う相手である。時に魔物同士で殺し合う。
だが今は縄張り争いよりも、人間という執着対象を奪うことに執心しているらしい。
(魔物同士で協力してるのとは、ちょっと違う……早い者勝ちで、獲物に群がってるだけ)
一方、人間は違うのだ。
ティアの周囲を群がる目玉鳥に、雷の魔術が放たれた。目玉鳥がバラバラと地上に落ちていく。
雷の魔術を放ったのは、飛行魔術を使用している討伐室室長ハイドンだ。
「君は見習いのティアだな!? 何故、ここにいるんだ! 魔力中毒になってないか!?」
ハイドンは、ティアほど〈楔の塔〉には近づけていない。おそらく、まだ充分に魔力濃度が下がっていないせいだ。
それでも彼は飛行魔術で限界まで近づき、ティアを援護してくれたのだ。
ごぅっと熱を伴う風が吹き抜け、巨大な火球が次々と目玉鳥を焼き尽くす。魔物のティアから見ても、とんでもない火力の攻撃は、地上にいるヘーゲリヒが放ったものだ。
「君ぃ!? 何故、見習いがここにいるのだね!? まさか、他の者達も……!?」
「ピロロ……ヘーゲリヒ室長! ごめんなさぁい!」
「謝れば良いというものではないのだよ、君ぃ!? 今すぐ降りてきて、事情を説明したまえ!」
当然、事情を説明している暇などない。
カロンララの歌が変わった。虚弱ではなく、微睡みを誘う歌に。
その歌声に、ティアにだけ聞こえる声で姉が囁く。
──立ち去れ、立ち去れ、フォルルティア、お願いだから。
ハルピュイアの喉は同時に三つの声を出せるが、人の皮を被ったティアにはそれができない。
だから、歌声に感情を乗せて、それを返事にした。
──ごめんなさい、おねえちゃん、ごめんなさい。
ティアは人の皮を被ったまま、窮屈な喉で歌を歌う。窮屈だけど、この体で歌うことにも随分慣れた。
アルト塔主はティアが歌いやすい曲を選んで奏でてくれる。演奏と歌の両方を続けることは、とても体力と集中力がいるはずだ。老齢の人間が、それでも汗を流し、楽器を奏で、高らかに歌う。
だから、ティアはそこに己の歌を重ねる。
(おねえちゃん、人間って、すごいんだよ)
人間は脆弱だ。少し引っ掻いただけで死ぬ。
人間の強さは数の多さだ、とティアは思う。数が多いというのはそれだけで強い。
魔物より弱い人間は、農耕によって食糧を安定させ、社会という枠組みを作って弱者を守り、そうして個体数を増やしていった。
ヒュッターの授業を思い出す。
『社会のルールってのは、基本的に弱い者を守るために作られるもんだ……まぁ、権力者が自分が得するルール増やしちゃったり、ってのもあるんだけどな。基本的にルールってのは人間を守るためにあるんだよ。殺しちゃいけないとか、騙しちゃいけないとか。そういうルールがないと、やりたい放題になっちゃうだろ』
殺しちゃいけない、騙しちゃいけない。そういったルールによって生じる秩序が、弱い個体を守り、種を増やす一助になった。
これが魔物だったら、弱い個体は淘汰されている。
秩序によって個体数を増やした人間は、知識を積み重ねて共有し、組織として動くことで魔物を制圧した。それが人間の強さだ。
地下から侵入した見習い達は、戦力としては大したことないが、人間側に不利な状況を覆す一手として確かに機能していた。本来は人間が立ち入れぬ魔力濃度なのだ。侵入者がいるというだけで、魔物達の意識は内と外の両方に向けられる。
生じる混乱に、指揮系統のしっかりしている人間なら組織で対応する。だが、魔物には細かな指揮系統がない。同種が群れで連携をとることこそあれど、種族が異なるのなら、獲物の取り合いになる。人間のように細かな連携はとれない。
──人間は、脆弱な個が全体に貢献する。集団の強さを知るからこそできる動きだ。
ティアは少し高度を上げて、〈楔の塔〉の戦況を見下ろした。
正門で一番奮闘しているのは間違いなくローズだ。彼が操る茨の蔓は、魔物達を襲い、アルト塔主のような支援役を守り、濃すぎる魔力を吸うという、三つの役割を果たしている。
そして、西側では一番厄介な〈原初の獣〉をセビルのダーリンが一人で押さえ込んでる。援軍の兵士達も陣形を組んで、次々と魔物を討ち取っていた。
北はリカルドやヘレナ達が、東はヘーゲリヒ室長達が、それぞれ奮闘している。魔力濃度が充分に下がれば、彼らが突入するのは時間の問題だろう。
弱い魔物の中には、〈楔の塔〉を離れて逃げ出そうとする者もいた。そういった魔物は援軍の兵達が次々と剣で、弓で、討ち取っていく。既に〈楔の塔〉の周辺は二重に包囲されているのだ。
(おねえちゃん、これが人間の強さだよ)
魔物は強いから秩序を必要としなかった。
人間は弱いから秩序を必要とし、結果、種を増やして力をつけた。
……今なら分かる。魔物が水晶領域に追いやられたのは、必然だったのだ。
* * *
ユリウスは、ゾフィー、ゲラルトと共に敷地内の木々の多いところを移動していた。古代魔導具〈離別のイグナティオス〉と〈愚者の鎖デスピナ〉が落ちていないか、念のため確かめようと思ったのだ。
古代魔導具は魔物にとって脅威だ。故に、すでに破壊されている可能性が高い……が、魔物が道具に無関心で、そのまま放置している可能性に賭けたのである。
ユリウスは古代魔導具に関心はない。ただ、ここには剣を扱えるゲラルトと、〈愚者の鎖デスピナ〉に適正のあるゾフィーがいる。古代魔導具が手に入れば、魔物に対して有利になるはずだ。
迂闊なアグニオールが飛び出さぬよう、しっかりと抱き上げ、ユリウスはゲラルトの後に続く。
ゾフィーはキョロキョロと目を動かして、不安そうだ。
「ユリウス、ゾフィー、止まってください」
ゲラルトが突然そう言うので、ユリウスとゾフィーは軽くつんのめった。二人とも、ゲラルトほど身体能力が高いわけではないのだ。
ゲラルトは既に剣の柄に手を添えていた。近くの茂みが揺れる。獣の荒い息遣い。獣の魔物だ。
「るぉぉぉおおおおおおん!」
一番手で飛び出してきたのは、黒い狼だ。
その首には、牙の首飾りがぶら下がっていた。




