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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十一章 深淵の使徒
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【9】強者の戦い、その裏で


〈原初の獣〉はこの混沌とした戦況に、最初の内こそ血が沸き立っていたが、次第に物足りなさを感じるようになった。

 この魔力濃度の濃い空間にいる限り、自分は水晶鋲に頼らずに全力で戦える──だからこそ、人間相手ではあまりに物足りないのだ。

 地下から侵入してきた人間の子ども達は、なかなか悪くない。気骨があるし、魔物にはない知略もある。だが、水晶鋲という枷がなくなった今は、力の差がありすぎた。

 爪で軽く引っ掻いただけで、人間の肉体はあっさり裂ける。子どもは殺さぬと決めている〈原初の獣〉としては、些かやりづらい。

 強い人間と言えば〈楔の塔〉の主座塔主だが、あの男は神の子フィーネの操る水晶に貫かれてしまった。魔物なら多少休めばすぐ戦えるようになるが、脆弱な人間だとそうはいかない。


(こんなことなら、あの馬鹿デカいエンドウ豆でもう少し遊べば良かったか? ……だが、ああいうのは、どうにもガキのオモチャに思えてなぁ)


 次に強いのは討伐室の室長か、と〈原初の獣〉は空を仰いだ。飛行魔術と雷の魔術を使うあの剣士は、どうやら東の方にいるらしい。

 どれ、自分もそちらに向かうかと考えたところで、人間どもの声が聞こえた。それと馬の嘶き。どうやら西の方からも人間どもが攻めてきたらしい。

 そこに濃厚な死の気配を感じ取り、〈原初の獣〉は駆け出した。

 西にいる魔物達が、凄まじい速さで死んでいくのが分かる。


(あそこに、死を呼ぶ者がいる……!)


 西の城壁は既に破壊され、茨に蹂躙されていた。あの茨が魔力を吸い上げ、人間の活動領域を広げているのだ。

 茨の近くには鎧を着た兵士がいた。馬から降りた兵は〈楔の塔〉の敷地内に進み、馬に乗った者は少し離れたところで待機している。あれは、魔物が外に逃げないよう包囲しているのだ。

 敷地内に入り込んだ兵に、木に擬態した魔物が襲いかかった。大木が枝を勢いよく伸ばし、人間を串刺しにしようとする。

 だが、訓練された兵達はすぐさま盾で枝の攻撃を防いだ。そこに一人の剣士が飛び出す。一閃、二閃、剣が空間を細く切り分け、数秒後に木の魔物が、その背後に隠れていた虫の魔物共々バラバラの残骸になって地面に散らばる。


(あれだ、あいつだ、あの剣士だ)


 一人突出したその剣士を脅威と感じたのだろう。獣の魔物達が一斉に襲いかかる。

 剣士は背中に目でもあるのではないかというほどの正確さで、次々と魔物を斬り捨てていった。

 その剣筋に見覚えがある。〈楔の塔〉を襲撃した時に対峙したあの少年。あれと同じ流派だ。


(こいつは、更に強い……!)


〈原初の獣〉は喜びに尻尾を振りつつ、一吠えした。

 並の人間ならば、身が竦むような鳴き声だ。だが、その剣士は怯むことなく〈原初の獣〉を見据えている。

 くすんだ金髪、灰色の目。ヒョロリと痩せた背の高い男だ。だが、一度剣を構えると、彼自身が一振りの剣であるかのような錯覚を覚える。

 鋭い眼光は、どことなく狼を思わせた。

〈原初の獣〉は高らかに吠える。


「人も魔物も、弱き者はそこを退け。ここからは強者だけの戦いだ!」


 死を振り撒く剣士が、鋭い目を丸くした。


「犬が喋った……」


 その発言があまりにおかしくて、〈原初の獣〉は大笑いをする。

 戦っている時は、自身が剣にでもなったかのように真っ直ぐで揺るがぬ強さを見せたというのに! この状況でそんな気の抜けたことが言えるこの男の図太さを、〈原初の獣〉は気に入った。


「人間よ、名乗るが良い」


〈原初の獣〉が促すと、剣士は人間にでもするかのような丁寧さで返す。


「ヴァルムベルク辺境伯ヘンリック・ブランケ。陛下の命により、その首頂戴仕る」


「やってみろ。俺の首は硬いぞ」


 言い終えたその瞬間、斬撃がきた。

 踏み出したタイミングが読めぬほど完璧な一撃が、〈原初の獣〉の首に振り下ろされる。

 どれだけ皮膚が丈夫でも、首の骨が折れることは必至の重い一撃を、〈原初の獣〉は宣言通り耐え切った。

 大抵の人間はここで驚き、絶望するところだ。だが、ヘンリックは「なるほど硬い」と呟き、次は〈原初の獣〉の眼球目掛けて突きを放つ。

〈原初の獣〉は体を傾けてかわし、距離を空けた。体勢次第では、回避ついでに引き裂いてやるつもりだったが、重心の偏った左足側にヘンリックが回避したのだ。

 四本足で走る獣なら、左半身に体を傾ければ、当然に左の爪を使えない。ヘンリックはそれを理解している。

 ヘンリックは〈原初の獣〉の目と口に狙いを定め、呟いた。


「図体のでかい竜より楽で良い」


「ぬかしたな、若僧!」


 怒りよりも愉悦の強い声音で吠えて、〈原初の獣〉はヘンリックに飛びかかった。



 * * *



 人と魔物の死闘は苛烈さを増していく。

 正門の茨は次々と魔物達を貫き、東を守る〈百眼の魔女〉は敗れ、北の獣人達もまた〈嗤う泡沫エウリュディケ〉によって排された。

 西では〈原初の獣〉と援軍の将ヘンリック・ブランケが他者を寄せつけぬ最強格同士の戦いを繰り広げている。

〈楔の塔〉の上空ではハルピュイアのカロンララが虚弱の歌を歌い、それに対抗するようにアルト塔主がフィドルを奏でながら歌う。今回はピアノを持ってくることができなかったので、せめて別の音でハルピュイアの歌を弱めようというわけだ。

〈楔の塔〉内部では、冬の魔物ジャックが目についた人間に冷気を放ち、見習い魔術師達は己の目的のために、それぞれ奔走している。


 ──そんな中、自分は一般人ですという顔をして、しれっと逃げる男がいた。三流詐欺師〈煙狐〉こと、カスパー・ヒュッター(偽)である。


〈楔の塔〉の魔術師達は、ヒュッターが黒獅子皇の配下であることには気づいていたが、彼がただの詐欺師であることには気づいていないらしい。

 それはヒュッターにとって、半分都合が良くて、半分都合が悪かった。

 本物の〈夢幻の魔術師〉と思ってもらえるのなら、そこそこ丁重に扱ってもらえる。そういう意味では都合が良い。

 だが、本物の〈夢幻の魔術師〉と思われている=戦力として数えられてしまう。ということである。そういう意味では都合が悪い。

 既にポッポーショータイムで派手にやらかしたばかりなので、魔力器官損傷で魔術を使えません、という態度を貫き通すのも厳しい。

 そこでヒュッターは、「私の幻術は魔物に効きづらいのです。下手に幻術を使って、仲間を困惑させてもいけません」とそれっぽいことを主張し、戦線の一番後ろに配置してもらったのである。

 そして、戦闘開始と同時にしれっと逃げ出した、というわけだ。

 勿論、ゾンバルトとアルムスターは置いてきた。あの二人は元々、戦闘向きの魔術師ではないので、村に残っているのだ。どうせなら自分もそっちに配置してほしかった。


(だが、あの面倒な二人を撒く手間が省けたって意味では良かったか……?)


 ゾンバルトはヒュッターを稀代の大悪党として持ち上げたがるし、アルムスターは人形を褒めてやったのが効いたのか、やたらとヒュッターを頼ってくるのだ。きっと黒獅子皇に口添えしてほしいのだろう。事あるごとに「助けてくださいよ、ヒュッター先生」と縋りついてくる。

 当然に、ヒュッターはあのロクデナシどもとつるむ気はない。一緒に逃げるのは可愛い鳩達だけで充分だ。


(問題は、黒獅子皇と接触するか否か、なんだよな……)


 ヒュッターとしては、これだけ苦労したのだから、きっちり報酬を請求したいところである。

 だが、ここまでデカい・やばい・とんでもない話になってくると、口封じに消されるのではないか? という懸念がよぎる。

 詐欺師をしていると、依頼人に裏切られ、口封じのため殺されかけた……なんてことはしょっちゅうだ。ましてヒュッターは本物の〈夢幻の魔術師〉ではない。黒獅子皇にとって、いつでも切り捨てられる犯罪者である。


(報酬は惜しいが、命にゃ替えられん……やっぱ外国に逃げるか)


 しばらくの間、帝国の西にあるリディル王国かファルフォリア王国辺りに潜伏し、追っ手が来るようなら船に乗って海洋国家アルパトラまで行くのが、帝国出身犯罪者のお決まりの逃走ルートだ。

 そうと決まれば、動くのは早い方が良い。さぁ、ポッポーズ達を回収しなくては──と、ヒュッターは鳩達の巣箱に向かった。

 鳩達の巣箱は、〈楔の塔〉の近くに隠してあるのだ。雑木林に入り、巣箱に辿り着いたヒュッターは、可愛い鳩達に声をかける。


「待たせたな、ポッポーズ。そろそろ撤収の時間だ」


「えぇ〜、撤収しちゃう前に、ちょっと俺と遊んでよ、人間ちゃん」


 ここに来るまでの間、尾行されぬよう背後は気にしていたはず。それなのに何故、とヒュッターは振り向き、息を呑む。

 雑木林の木にもたれているのは、鮮やかな金髪の美しい男だった。


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