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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十一章 深淵の使徒
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【8】褒めてくれる人はいないのに


 牙を奪われた日のことを、フィンは今でも覚えている。

 人間で言うところの、今から八年ほど前。〈水晶領域〉付近の森に、人間達がやってきたのだ。〈楔の塔〉の魔術師達の遠征討伐だ。

 討伐室の魔術師達は次から次へと魔物を殺して回り、とうとうフィンの兄も一匹殺されてしまった。

 怒りに燃える人狼一族達は、愚かな人間どもめ、脆弱な人間どもめ、と怒りに燃え、報復に動いた。

 だが、フィンは恐ろしくて仕方がなかった。人狼としての誇りも、戦う術も教わっていたけれど、兄弟の中で一番小さくて弱っちい自分が勝てるはずがない。

 それでも逃げることは許されない。フィンは既に狩りに参加しなくてはいけない歳だ。

 今まで一度もまともに獲物を狩ったことのないフィンに、兄達は言った。今こそ人狼としての誇りを見せてやれ、と。

 そうして赴いた狩り場で、フィンは人間の鞭をまともに喰らった。雷の魔力が付与された鞭は、触れるだけでビリビリと痺れる。


「ギャウゥゥゥゥ……ッ……ガゥッ、ガァッ……!」


 涎を垂らして痙攣するフィンを、鞭を握る人間が見下ろした。


「生きたまま剥いだ素材は、魔力付与率が高い高級素材なんだとさ。丁度良い」


 人間はフィンの弛緩している口をグイと開けて、ナイフを振るう。

 激痛、そして口の中に広がる血の味。溢れる血で喉が詰まりそうになったことだけは、ぼんやりと覚えている。

 兄達に聞いた話によると、フィンは人間に牙を抜かれたらしい。次は別の牙か、あるいは生きたまま毛皮を剥ぐか──というところで兄達が駆けつけ、その人間を追い払った。

 おかげでフィンは一命を取り留めたが、同族達の態度は冷ややかだった。

 人狼にとって牙は誇り。それを奪われることは、誇りを奪われたことを意味する。まして、牙を奪われ生き残るなど、生き恥を晒すも同然だ。

 元から冷たかった兄達の態度は、フィンが牙を失ったことでますます過激化した。


 ──役立たず、腑抜け、生きているだけで恥ずかしい。


 フィンが自分の力で牙を取り戻すまで、この群れにフィンの居場所はない。

 だが、〈楔の塔〉の魔術師は実力者ばかりだ。まして、彼らは水晶領域付近に常駐しているわけではない。彼らは討伐を終えたら、〈楔の塔〉に帰ってしまう。〈水晶領域〉を離れられないフィンには、人間を追いかける術がないのだ。

 同族から蔑まれ、餌を分けてももらえず、生き恥晒しと呼ばれたまま、自分は生涯を終えるのだ。フィンは漠然とそう思っていた。

 そんなある日、〈水晶領域〉に住まう魔物の王の遣い──宰相を名乗る男が、フィンに提案をした。水晶鋲をその身に刺して、〈楔の塔〉に入り込んでほしい、と。

 宰相が言うには、魔物の王は〈楔の塔〉を略奪し、西の壁を消滅させるという、全ての魔物達の悲願を叶える計画を立てているらしい。

 その計画の重要な役割を担ってほしいというのだ。役立たずで、誇りを失った人狼のフィンに。

 魔物を解放する計画に貢献すれば、誰もフィンを役立たずと言わなくなる。

 そして、〈楔の塔〉にいる魔術師から牙を取り戻せば、フィンは完全に誇りを取り戻せるのだ!



 * * *



「オイラの牙を返せぇぇぇぇっ!!」


〈楔の塔〉北の城壁前は混戦状態だった。

 聖女ヘレナが〈嗤う泡沫エウリュディケ〉を発動し、魔物達を次々と一掃していく。

 ただ、フィンは知っていた。あの古代魔導具は強い魔力反応を優先的に狙うのだ。だから、力の弱いフィンは狙われにくい。

 ダマーがニタリと笑い、鞭を振り上げる。フィンはすかさず、近くの木を盾にできるよう飛んだ。

 討伐室の訓練を何度も盗み見ていたから分かる。ダマーの鞭は真っ直ぐ振り下ろされても、そこから手首のスナップを聞かせて縦横無尽に動くのだ。鞭には雷の魔術が付与されているから、鞭が勢いよく当たらずとも、触れるだけでダメージを与えられる。


「あの時の雑魚狼か! 今度は毛皮も剥いでやるよ!」


 フィンは吠えた。人間にはできない人狼の吠え方で、殺意と敵意を込めて、お前の喉笛に喰らいつくぞ、と宣言する。

 地を駆ける。水晶鋲を抜いた足は、もう痛くない。


『踏み込むことを躊躇するな』


 そう教えてくれたのは、兄達じゃない。魔法戦の訓練の際、立ち回りや連携の確認をしながらセビルがそう言ったのだ。

 走りながら思い出す。魔法戦で脱落した時、ゾフィーとローズはフィンにこう言ってくれた。


『ロスヴィータが言ってた。フィンは臆病者じゃないって。本当だね』


『フィン、カッコ良かったぜ』


 蔵書室に尻込むフィンに、ロスヴィータが言ってくれた。


『あんた、ダマーからアタシを庇った時も、魔法戦でも勇敢だったじゃない。なんで蔵書室ぐらいで萎縮してるのよ』


 不思議だ。今、フィンは魔物としての誇りを取り戻すために戦っているのに……それなのに、フィンを奮い立たせてくれるのは、人間がくれた言葉なのだ。

 ダマーが振るう鞭に、怯まず踏み込む。鞭に触れて痺れても、足は止めない。

 足の裏に水晶鋲を穿ち、何ヶ月も耐えてきたのだ。この程度の雷撃、耐えられないはずがない。

 ──自分は臆病なんかじゃない!


「ガァァァァァァア!!」


 フィンの遠吠えに、一瞬ダマーが怯む。

 その一瞬で更に踏み込み、フィンは前足の爪を振り下ろした。

 爪はダマーの顔を抉ってから、彼の首の革紐をプツリと切る。フィンは素早く革紐を手繰り寄せて口に咥えた。革紐の先端には、奪われたフィンの牙が揺れている。


(取り戻した……オイラの誇り……!)


 フィンは怯まず戦った。だが、痛みに怯まないのはフィンだけではない──ダマーもまた、歴戦の魔術師なのだ。


「ク、ソ、がぁぁぁぁぁ!!」


 ダマーが魔力付与した短剣をフィンに突き刺す。魔力付与された短剣が深々とフィンの前足の付け根を抉った。


「ギャウゥゥッ……ウゥー……ウー……!」


 素早く跳びすさり、距離を空ける。ダマーの手を離れると、短剣に付与された雷の魔術が消えた。人間の魔法剣は大抵、手放すと効果を失うのだ。

 フィンは己の身に刺さる短剣を引き抜く。魔力濃度の濃い土地ならば、この程度の傷はじきに塞がる筈だ。

 その時、わぁっと歓声があがった。ついでに大変下品な笑い声も。


『キャハハハハハ!! アハハハハハ! 死ね死ね死ね死ね死ね!! みんな死ね! キャハハハハ!!』


 聖女ヘレナの古代魔導具〈嗤う泡沫エウリュディケ〉の泡による攻撃は、もはや殺戮と呼ぶに相応しい。泡に触れた魔物達が、次々と爆ぜていく。

 そうしてヘレナが魔物達を掃討している間に、リカルド・アクスが土の魔術で城壁を破壊した。丁寧に土を操り、城壁の残骸を退けて、人間達が入り込むための道を空ける。


「北の城壁、破壊しました! 各自、水晶による攻撃に警戒しながら進んでください! ポッポー!」


 リカルドが謎の叫びを上げ、ヘレナが「馬鹿が治らない……あぁ、悲しいです」と咽び泣く。


(人間達が、中に入ってくる)


 ただ、今すぐには奥まで踏み込めない筈だ。

〈楔の塔〉の敷地内は魔力濃度が上昇しており、人間なら命に関わる。

 ただ、その魔力濃度を下げる薔薇の蔓が、城壁を越えて内部へと侵入を始めた。じきにあの薔薇の蔓が魔力を吸い上げ、人間達はどんどん奥へと進んでくるだろう。


(ひとまず、魔力濃度の濃い場所へ……!)


 魔物の亡骸をかき分け、フィンは破壊された城壁の奥へと移動する。

 誇りを──奪われた牙を取り戻した感想は、「こんなものか」だった。

 あんなに取り返したかったのに、いざ取り返しても達成感や充足感はない。


(オイラは頑張ったんだ、勇敢に戦って、誇りを取り戻したんだ)


 それなのに、ちっとも胸が満たされないのは、褒めて欲しい人達が──見習いの仲間達がここにいないからだ。


(裏切ったのは、自分なのに……)


 本当は気づいていた。自分が牙を取り戻したかったのは、同じ群れの仲間に認められたかったからなのだと。

 群れから追い出されたフィンは、人間のふりをしている内に、人間の仲間ができた。


 ユリウスが文字を教えてくれた。

 ゾフィーが本を薦めてくれた。

 エラが魔法戦でフィンにもできることを考えてくれた。

 ゲラルトが重い物を運ぶのを手伝ってくれた。

 セビルが魔法戦の後で労ってくれた。

 レンがカードゲームに誘ってくれた。

 ロスヴィータが『寝る時は靴下党』だなんて言って靴下をくれた。

 ルキエが綺麗な色のターバンをくれた。

 ローズがカードゲームのルールを教えてくれた。

 オリヴァーが美味しい料理を食べさせてくれた。


 見習い達は誰も、フィンの失敗を嘲笑ったりしない。フィンの言葉に当たり前のように耳を傾けてくれる。

 一緒にご飯を食べた、一緒にゲームをした、一緒に魔法戦をして、一緒に笑った。

 積み重なる思い出は、どれも新鮮で楽しくて、ドキドキするものだった。

 フィンと同じ魔物であるハルピュイアのティアは、空を飛びたいと言っていた。その言葉に嘘はないのだろう。だけど、そんなティアを見る度に、フィンは思っていた。「本当にそれだけで良いの?」と。

 そしてティアに向けた疑問は、そのままフィンにも返ってくるのだ。


 ──誇りを取り戻すだけで良いの?


 その答えはもう、フィンの胸の中にあるのだ。


(レーム先生、ありがとう……ごめんなさい)


〈百眼の魔女〉アンネリーゼ・レームが、最期に残してくれた情報。

 それを人間側に差し出し降伏すれば、フィンは助けてもらえるかもしれない。

 だけど、フィンは魔物を裏切り、人間側につく自分を許せなかった。

 さりとて、人間の友達を裏切り、魔物として生き続ける自分も許せない。


(見習い魔術師フィン・ノールはもういない。ここにいるのは、人も魔物も裏切った、半端者のフィンだ。だから、最後にこれだけは……)


 フィンは咥えていた牙の首飾りを、革紐を結び直して自分の首に引っ掛ける。そして、目についた庭師小屋に飛び込むと、紙とペンを探した。

 見つけた紙を小さくちぎり、拙い文字を書き連ねたら、それをドングリよりも小さく丸めて、油紙で包む。濡れないようにする工夫──それも、この〈楔の塔〉で学んだことだ。

 油紙で包んだそれを歯の欠けたところに押し込み、フィンは外に飛び出した。



 * * *



 ボタボタと顔から血を流し、それでもダマーの戦意は失われていなかった。


「あの雑魚狼が……っ、殺してやるっ、生きたまま目ん玉抉ってやる……!!」


 ダマーは〈楔の塔〉での生き方しか知らない。魔物を殺して称賛される以外の名誉を知らない。

 他の生き方を知らないから、〈楔の塔〉における自分の立場に執着する。


『そりゃ、あーし達は他の生き方を知らないけどさぁ……程々で良いじゃん』


 そう言ったのは、幼馴染のマイネだ。

 魔術の才能がなく、医学の才能もなく、本当に何の取り柄もないダラシのない女。


(程々で満足できるのは、お前が雑魚だからだろ、クソブス。俺は違ぇ……)


 魔物を殺すことだけに特化した古代魔導具〈離別のイグナティオス〉──それを見つけ出し、今度こそ〈原初の獣〉を殺す。

 他の魔物も、魔物の王も自分が殺す。

 そして、この〈楔の塔〉の首座塔主の座に君臨するのだ。


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