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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十一章 深淵の使徒
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【7】建築物もまた人の技術


〈百眼の魔女〉アンネリーゼ・レームの最期を物陰で見届けた、黒い毛並みの人狼──フィンは、〈楔の塔〉敷地内を北へ走った。


(レーム先生……っ)


 レームは人間にとって最悪の裏切り者だ。

 だけど、彼女が見習い達に向けた教育の熱意は本物であったことも、見習い達を逃がそうとしていたことも、フィンは知っている。

 だから、自分だけは覚えておかなくては。彼女のことを。


(それと……レーム先生が、遺した言葉も……)


 その言葉をレームがフィンに託した理由が今なら分かる。

 フィンもまた、レームにとって「守るべき見習い魔術師」だったからだ。


(ユリウス達は、ここに来てるかな……お願いだから、来ないで。ユリウス)


「フィン、おい、間抜け! そんなところで、何をボサッとしてんだ!」


 走るフィンを呼び止めたのは、フィンの兄の一人だった。フィンよりずっと体の大きな人狼だ。

 フィンが縮こまっていると、兄はグルグルと喉を鳴らした。


「人間のガキが地下から入り込んだらしいぞ」


「えっ……」


「人間は、濃い魔力に酔って死ぬはずなんだがな。そのガキどもは元気に動き回っていたらしい。他の人間もそうやって入り込んできたら厄介だ。見つけ次第狩るぞ」


 兄の後ろを走りながら、フィンは辺りを見回す。

 城壁を覆う薔薇の蔓は、南門から始まり、あっという間に北側に到達している。

 ただ、術者から近い南門とは違い、北側の蔓は攻撃性能がほぼ無い。ただ広がり、魔力を吸うだけだ。


(でも、ただ魔力を吸うってだけでも、オイラ達には充分に脅威だ)


 このままでは、折角水晶汚染によって上昇した魔力濃度が、薄くなってしまう。そうなったら、魔物達は長く生きられない。また、水晶鋲に頼らねばならなくなる。

 だから魔物達は必死になって蔓を引きちぎり、腕に自信のある者は南門側にいる術者──〈茨の魔女〉を狙っているのだ。


(レーム先生が言ってた通りの展開だ……)



 * * *



 水晶汚染によって、〈楔の塔〉を制圧した後、〈百眼の魔女〉アンネリーゼ・レームはフィンに言った。


「この状況、決して魔物側にとって有利なわけではないわ」


「ど、どうして? 敷地内は、もう魔物の領域なのに……」


〈楔の塔〉の敷地内は魔力濃度が上昇し、人間が生きることはできない。

 そして、この敷地内なら魔物は水晶鋲に頼る必要がない──つまり、全力で戦えるのだ。

 どう考えても魔物側の圧倒的優位である。だが、レームは生徒を指導する教師の顔で言う。


「何故、この状況は魔物にとって有利ではないか? それは、魔物達に籠城戦の経験がないからよ」


「……ろーじょーせん?」


「人間はね、城や砦に立て籠って戦う時、建物を上手く活用するの。建物の陰から矢を射たり、壁をよじ登ってくる敵兵に煮えたぎる油をかけたり」


 もし、人間のふりをする前の自分だったら、「よく分からない」と考えることを諦めていただろう。

 だが、〈楔の塔〉で学ぶことを知った人狼は、自分が城を攻める側になったら……と視点を変えて考えた。


(そうだ、まずは城壁を壊すか、よじ登るかしないといけないんだ。その間、どうしたって攻める側は隙だらけになる……だけど、籠っている側は建物を盾にして、安全に戦えるんだ)


 建物とは人間の技術の結晶の一つである。

 魔物達は自然環境を狩り場にして戦うが、建物の中で戦うということに慣れていない。現に、〈楔の塔〉を乗っ取った魔物達は、大多数が建物内で迷子になっているのだ。

 魔物には建物を利用するという発想がない。だから、建物を盾に戦うなんて考えず、敵に向かって飛び出していってしまう。


「賭けても良いわ。人間達が攻めてきたら、大半の魔物は無策で建物を飛び出し、攻撃を仕掛けに行く。建築物を活かすなんて考えたりしない」


 建物を活かすこと、罠を張ること、武器を用意すること──その必然性を説いても、大多数の魔物は相手にしないだろう。

 魔物は圧倒的な力があるからこそ、技術に頼らない。それこそ〈原初の獣〉のように、人間側のそういった技術を力でねじ伏せることに悦びを覚える魔物が多いのだ。

 実を言うと、フィンもそういう気持ちは少しある。力で弱者をねじ伏せたくなるのは、人狼の本能だからだ。


「それとね、籠城戦には絶対に必要な物があるのよ」


「あ、オイラ分かったかも………………ごはん?」


「正解」


〈楔の塔〉には食糧の備蓄が充分にある。だが、それはあくまで「人間の食糧」なのだ。

 魔物の中には生の肉しか食えぬ者、決まった草でないと調子が出ない者、それこそ人間の血肉や、精神、夢などを好んで喰らう者もいる。

 そういった者達は今、食糧を狩りに行けない。

〈楔の塔〉の敷地内を出るには、わざわざ水晶鋲で弱体化しなくてはならないからだ。

 面倒を承知で水晶鋲を利用しても、必ずしも獲物が見つかるとは限らない。

 今でこそ、先日の戦いで死んだ〈楔の塔〉の魔術師の亡骸を糧にしているが、それだけでは充分とはとても言えない。

 いずれ食糧不足になって、魔物同士で獲物の取り合いが始まる。


「一方、〈楔の塔〉の魔術師達は周辺の村と連携が取れてるから、幾らでも立て直しができるわ」


 そうなると魔物達はもう、数日後に西の壁が消えることに、希望を託すしかない。

 西の壁の向こう側には、魔力濃度の濃い土地があるかもしれない(、、、、、、)。同族がいるかもしれない(、、、、、、)。獲物が選び放題かもしれない(、、、、、、)

 そういう不確かな希望に縋ってしまうのは、魔物達が皆理解しているからだ。


 ──自分達が滅びに向かっていることを。


 滅びに抗うために、魔物達は〈水晶領域〉を飛び出したのだ。

 黙り込むフィンに、レームが小声で耳打ちする。


「魔物達は殆ど道具に興味を持たないから、この〈楔の塔〉にある道具の数々には目もくれない。だから……」


 レームが耳打ちした内容に、フィンはパチパチと瞬きをした。

 レームは少しだけイタズラっぽく笑う。


「私、指導室では備品管理係だったでしょ? だから、そういう物がどこにあるのか知っているの」


「レーム先生、でも……それは……」


 言いかけたフィンの口を、レームの手のひらが覆う。そこに埋め込まれた水晶の輝きに、ギクリとした。

 これをずっと足の裏に刺していたフィンは、これがどれだけ痛いか知っている。魔物であるフィンだって、痛くて痛くて仕方がなかったのだ。泣き叫びたいほど痛いに決まっている。


「……私はもう長くないわ。たとえフリッツ君に勝ったとしても……いずれ、この身体は崩壊する」


 魔力器官を損傷したレームは、この水晶鋲の力で、穴の空いた魔力器官を覆い、魔力の使用を可能にしている。

 だが、その代償としてレームの身体は少しずつ水晶に蝕まれている──今の〈楔の塔〉と同じだ。

 レームの身体は水晶汚染によって、死に向かっている。


「貴方が決めて。私が隠した物を人のために活かすか、魔物のために破壊するか……貴方が人間側につきたいのなら、これを差し出して生き延びなさい」



 * * *



 兄と共に敷地内の北部、第三の塔〈水泡〉付近に辿り着いたフィンは、北の城壁をよじ登って、周囲の状況を確かめる。

〈楔の塔〉は既に人間達に包囲されていた。

 フィンにも見覚えのある〈楔の塔〉の魔術師もいれば、見覚えのない鎧姿の兵もいる。おそらく、どこからか援軍が来たのだ。


(あそこにいるの、聖女のヘレナさんだ……リカルドさんもいる……)


 見習い達の姿もあるだろうか、とフィンはキョロキョロ目を動かした。だが、見える範囲で見習い仲間の姿はない。

 ただ、フィンは見つけてしまった。

 首から牙の首飾りを下げた、顔に×印の傷がある男──フィンから誇りを奪ったダマーの姿を。


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