【4】ちょっとぐらい取りこぼしても
宿舎二階の窓辺に立ち、カイは勝利を確信した笑みを浮かべていた。
ティアが──人の皮を被ったハルピュイアが、絶望している。
姉に憎まれたティアは、もう魔物の側ではいられない。
そして今、正体を晒すことで、人間の側にもいられなくなる。
(魔物にも人間にも受け入れられず、絶望しろ。そして死ね。なるべく無様に惨たらしく死ね)
ティアが死んだら、カロンララはショックを受けるだろう。
カロンララは妹と決別したと言うが、心の底では妹に逃げて欲しいと願っているはずだ。
そうして、心の傷を抱えたカロンララは、きっとあのピアニストに会いに行く。そのタイミングで、ピアニストにカロンララの正体を告げてやるのだ。
(魔物である妹に拒まれ、人間である恋人に拒まれ、絶望しろ。孤独の内に死ね。お前達ハルピュイアの居場所なんて、どこにもないんだよ)
そうして、ハルピュイアの絶滅を見届けたら、魔女様と一緒に旅に出るのだ。
西の壁はじきに消える。自分は自由だ。
(もうすぐだよ、魔女様)
帽子を彩る薔薇の装飾に触れ、うっとりと目を細めたその時、謎の巨大植物が窓の外を埋め尽くした。
なんだこれは、こんな魔物がいただろうか、と困惑していると、その植物──巨大エンドウ豆は次々と蔓を延ばして魔物を捕らえていく。そこで気づいた。これは植物の魔物ではない。人間の魔術だ。
視界の端に緑色の何かが映る。城壁を這い上がってくる蛇にも似たそれは、白薔薇の蔓だ。
「あれ、は……」
城壁の上に止まっていた目玉鳥達が、異変を察して一斉に飛び上がる──が、宙に逃げるより速く、白薔薇の蔓が目玉鳥達に絡みついた。
薔薇の蔓はギチギチと目玉鳥達を締め上げて、血を搾り取る。
かつて、隣のリディル王国に名を馳せた初代〈茨の魔女〉レベッカ・ローズバーグが得意とした魔術が二つある。
一つは、ありとあらゆる物を焼き尽くす黒き炎を操る魔術。通称、黒炎。
そしてもう一つが、人の血と魔力を吸う薔薇を操る魔術。通称、人喰い薔薇要塞。
(あれは、薔薇要塞? ……ローズバーグ家の人間かっ!!)
目玉鳥の血を啜った白薔薇は、紫がかった黒に染まる。どうやら人の血だけでなく、魔物の血も吸えるらしい。
なにより厄介なのは、あの薔薇要塞の性質だ。あの薔薇は魔力を吸う──水晶汚染によって上昇した〈楔の塔〉の魔力も、あの薔薇要塞が吸ってしまうのだ。
カイは窓を開け、叫んだ。
「最優先で薔薇を切り裂け! あれは魔力を吸う薔薇だ! 水晶汚染の魔力が、喰われる!」
カイの──宰相の叫びを聞いた魔物の一部が、薔薇の蔓の処理に向かった。だが、迂闊に近づいた魔物達を蔓薔薇が返り討ちにする。
鞭のようにしなり、槍のように鋭く穿ち、蔓薔薇は魔物達を血祭りにあげていく。〈楔の塔〉の内側に逃げ込むと、今度はエンドウ豆が襲いかかってくるのだ。あっという間に敷地内の魔物達は混乱状態に陥る。
同時に、〈楔の塔〉の四方から攻撃が始まった。人間の魔術師どもだ。
(クソッ! クソクソクソクソ、クソがっ!!)
カイは憎悪に歪んだ顔で、城壁を這う薔薇の蔓を睨みつけた。
(魔女様を奪いに来たのか……おのれ……)
当代の〈茨の魔女〉がいることは想定外だが、そういう時のために対策は用意してある。
カイは暗く笑いながら、踵を返した。向かう先にあるのは、隠しておいた古代魔導具〈離別のイグナティオス〉と〈愚者の鎖デスピナ〉。
魔物達が必要としないそれを、カイは有事の際に備え、密かに隠しておいたのだ。
〈離別のイグナティオス〉は対人間戦闘では意味がない。だが、〈愚者の鎖デスピナ〉なら……使いこなすことはできずとも、暴走させることはできる。ほんの僅かな時間でも良いから〈茨の魔女〉の力を封じて、魔物達に八つ裂きにさせるのだ。
(渡すものか……渡すものか……絶対に、魔女様は渡さない……!)
* * *
カロンララの歌は随分前に止まっていた。エンドウ豆から逃げるために、距離を空けざるをえなかったためだ。他の魔物達も、エンドウ豆を人間側の攻撃と捉えたのか、迂闊に近づかないようにしている。
ティア達もまた、エンドウ豆に狙われないよう距離を取りつつ、城壁を這う薔薇を見た。ティアの喉から、ピョエェェ……と声が漏れる。
白薔薇の蔓は次々と魔物を捕え、貫いていった──ただし、狼の魔物にだけは何故か近づかない。
最初は狼が苦手なのかと思ったが、多分違うのだ。セビルが何かに気づいた顔で呟く。
「あの薔薇、狼の魔物だけは狙わないな……そうか、そういうことか」
セビルの呟きの意味を、見習い達は即座に理解した。
薔薇の蔓が狼の魔物だけを避けているのは、フィンを巻き込まないようにするためだ。
人狼側も、狼だけが狙いから外れていることに気づいたのだろう。蔓薔薇に一斉攻撃を開始した。
目玉鳥や虫、猪など、狼以外の魔物を狙う蔓薔薇と、それを引き裂く人狼達。まるで、悪夢のように禍々しい光景だ。
レンが驚きと呆れが混じった声でぼやく。
「ローズさんさぁぁぁ……これは、ちょっとすごいことじゃないだろ。だいぶすげーだろ……!」
そう、おそらくこれがローズの──隣国の七賢人、五代目〈茨の魔女〉のちょっとすごい魔術なのだ。どう考えてもちょっとじゃない。〈水晶領域〉に来たら、魔王を名乗れるレベルだ。
ロスヴィータが苦々しげに呟いた。
「噂に聞いたことはあるわ。〈茨の魔女〉の薔薇要塞……あの薔薇、攻撃に使えるだけじゃなくて、周囲の魔力を吸い上げることができるのよ」
あの薔薇が魔力を吸い上げることで、水晶汚染による魔力濃度上昇が緩和されるらしい。とんでもない話だ。
ただ、一瞬で魔力濃度が下がるわけではない。ティアの肌感覚だと、〈楔の塔〉の敷地内は、まだまだ人間には有害な魔力濃度だ。魔力中和キャンディがないと、活動は厳しい。
(城壁周辺は、確かに魔力濃度が薄くなりつつある……かな?)
〈楔の塔〉を包囲した混合軍もそれを分かっているのか、城壁周辺に出てきた魔物に攻撃を開始した。ここからは混戦となるだろう。
地下から飛び出してきた〈原初の獣〉が楽しげに喉をグルグル鳴らす。
「ほぅ? 魔術師どもが来たか……どれ」
そう言って〈原初の獣〉が巨大エンドウ豆に襲いかかる。太い蔓は切り裂くのに時間のかかる代物だ。それなのに、〈原初の獣〉の爪は粘土細工をナイフで切り分けるかのように、サクサクと蔓を斬り裂き蹂躙する。
やがて、地面に繋がる部分を大きく削られ、大木ほどに成長した異形のエンドウ豆が傾いた。その先にいた数匹の魔物達を巻き込み、巨大エンドウ豆が倒れる。
ズシーンと大地を震わせ倒れるエンドウ豆を前に、〈原初の獣〉は楽しげに言った。
「強者を探しに行くか」
〈原初の獣〉は最初から、見習い達に本気を出すつもりはなかったのだろう。
ロスヴィータは悔しそうだったが、それでも不満を飲み込んでいた。〈原初の獣〉には真正面から戦っても勝てないと分かっているのだ。
(お姉ちゃんは……南門の方だ)
あちらから、楽器の音が聞こえる。おそらく、歌詠魔術のアルト塔主が来ているのだ。
セビルが見習い達に告げる。
「──好機だ。作戦二の七番。展開するぞ」
ここに来る前に、幾つかの行動パターンを決めている。
なお、ティアは全部は覚えられなかったので、「二の」とつく時は、レンと一緒に行動することだけ覚えていた。
「レン! 二の七番はなんだっけ!」
「手分けして、目的を達成するぞ、ってやつ! 『フィンの説得』『古代魔導具の回収』『揺籠の水晶の鋲を抜く』──あとは、臨機応変!」
「りんきおーへん!」
見習い達は三手に分かれた。作戦二の七番は、三手に分かれる。
エラとロスヴィータは魔術の仕込み。
ユリウスとゾフィーはゲラルトが護衛。
ティアとレンはセビルが護衛。
あとは、状況に応じてできることをするのだ。
「皆の者、生きてまた会うぞ!」
セビルの叫びに、各々が声を上げて応えた。
* * *
城壁を埋め尽くしていく蔓薔薇に、なんて魔術だ、と内心舌を巻きつつ、オットーは魔法剣を振るった。
蔓薔薇は恐ろしく強靭だった。魔物の牙や爪に引き裂かれた傷をものともせず、恐ろしい速さで再生し、そしてその蔓で近づいた魔物を締め上げ、魔力を吸う。
あんなの、上位種の魔物に匹敵する理不尽さではないか。
(ただ……)
オットーは茨を潜り抜けた人狼を斬り捨て、この蔓薔薇の主をチラリと見る。
モジャモジャの赤毛と髭の大男、見習い魔術師ジョン・ローズ──その正体は、隣国の七賢人五代目〈茨の魔女〉だという。
だが、彼は特にローブを着るでなく、杖を掲げるでなく、野良着姿のモジャモジャにしか見えない。
どこまでかしこまるべきか悩みつつ、オットーは〈茨の魔女〉に話しかけた。
「あー……〈茨の魔女〉様、ご尽力いただき大変恐縮なんですがね……」
「うん、なんだい?」
オットーに応じる姿は、気さくな農家の兄ちゃんである。非常にやりづらい。
「あの薔薇の蔓……人狼だけは、攻撃を避けているように思えるんですが、気のせいですかねぇ」
オットーの憶測に、ローズは黙り込む。
緑色の目がジィッとオットーを見据えた。こうして間近で見ると、オットーよりもだいぶ若いことが分かる。それなのにただの若造とは違う、底の見えない不気味さがあった。
髭の下で、ローズが閉ざした口を開く。
「……本当はさ、この薔薇を暴走させれば、オレの目が届かない場所でも勝手に攻撃してくれるんだ。その時は魔力量の多いやつから順に、片っ端から殺し始める」
オットーは目を剥いた。
魔力量の多い者を片っ端から襲って、魔力を吸い上げる植物──それはもはや、殺戮兵器ではないか。
「でもそれだと、オレの目の届かないところで、取り返しのつかないことが起こるかもしれない。オレはそれを許容できない」
「…………」
「薔薇要塞の制御って、めちゃくちゃ集中力を使うんだ。だから……」
ゾクリと背筋が震える。
親しげで朗らかな声なのに、強大な生き物と直面した時のような怖さがある。
「ちょっとぐらい取りこぼしても、見逃してほしいな」
「……承知しました」
それ以外の返事を、どうして口にできるだろう。この魔物よりも恐ろしい強大な生き物を前に。
ローズの魂胆は分かっている。
つい先ほど、〈楔の塔〉敷地内で騒ぎがあった。ローズが行動に移ったのは、その直後だ。
あの騒動は見習い魔術師達ではないか? ローズが狼の魔物への攻撃を避けているのは、フィン・ノールを保護するためではないか?
(それは、俺も同じことだ)
〈楔の塔〉の一部の人間──主に、エーベル塔主一派は、オットーの娘フィーネを殺そうとしている。
そうしないと、〈古代魔導具カリクレイア〉の新しい契約者を据えられないからだ。そして、オットーはそれを許容できないから、ここにいる。
オットーは剣を構え直し、極力ローズを見ないようにして言った。
「小さい狼がいたら、対応はあなたに任せましょう」
「ありがとな、オットーさん!」
礼を言う声はあまりに気さくで朗らかで、目の前の凶悪な薔薇との対比に頭がどうにかなりそうだった。




